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まさかの選手選考の果て・・・暗雲立ち込める反町ジャパン
8月のオリンピック開催を前にしての、7月の選手選考の発表は衝撃だった。
それまでの点がなかなか取れない事でのFW森本、FW豊田、MF香川などの新しい顔ぶれが入る事は予想はできていたが、問題は守備陣。
最終予選のサウジ戦で2ボランチと3バックを守っていた当時の細貝、青山(広島)、水本、伊野波、青山(清水)の5名のうち、なんと2人の青山と伊野波の3名が切られるというショッキングな発表だった。
攻撃陣はともかく、あのサウジの猛攻をゼロ点でしのいだ5名の守備陣のうち、なぜ半分以上の3名を切らないといけないのか・・・
代わりに呼ばれた形のDF森重、DF吉田といった選手がどの程度のものかはよく知らないが、あまりに納得できない選考だった。
ちなみに広島のMF青山は7月の間もJ2で大活躍を遂げ、その正確無比なロングボール、ロングシュートなどを武器にJ'sゴールでの7月MIPに輝いた。
なんとも皮肉な事だ。
チーム立ち上げからの2年間の集大成という言葉を使った反町監督の矛盾するコメントと共にアジアでの最終予選までのチームとは様変わりした、不安の残る五輪代表はこうして結成された。
そしてその厳しい選考に残った18名の中には前橋育英での同級生であった清水のDF青山の無念を晴らすべく、活躍を誓う細貝の姿もあった。
いよいよ北京五輪開幕!!だったが・・・
そうしていよいよ五輪開幕まであと2週間ほどに迫った、最終調整ともいえるオーストラリアとの親善試合、なんと細貝はこの試合で肋骨を負傷し、ヒビが入るという怪我を負う。
MF青山を切ってまで選ばれた細貝は五輪代表の中ではもはや欠かす事のできない攻守の要に反町監督も位置付けていたはずだが、これは大きな事件となった。
しかし8月7日の初戦アメリカ戦までになんとか怪我の回復は間に合い、プレーできるまでに復活。
スタメンこそ外れたものの、無事ベンチ入りを遂げた。
大事な初戦・アメリカ戦を落とす
その初戦・アメリカ戦の模様は既に日本代表のページの方でアップしているので、参照願いたい。
2008北京五輪予選リーグ第1戦・アメリカ戦0−1
(08.08.07UP)
上記のページに書いたとおり、日本はパス回しばかり長けている選手ばかりが揃い、肝心のゴール前に押し寄せるような、ゴールに向かうプレーが足りずに無得点に終わり、手痛い失点を受けて無惨にも大事な初戦を落とす事となる。
この試合、細貝の代役として登場したFC東京の若き司令塔MF梶山が入る事で攻撃の姿勢を形上は見せた反町ジャパンだったが、梶山も明らかにパサータイプの選手であり、日本の停滞気味の攻撃にアクセントを加えられるような事はほとんど無かった。
むしろ最終予選のサウジ戦で見せたような、細貝、青山の2ボランチによる積極的な攻撃参加、そして遠いレンジからでも枠を捉えるシュートというものが必要だった。
わずかな希望を賭けた第2戦・ナイジェリア戦
他のナイジェリア、オランダといった予選リーグの中の顔ぶれを見るに、唯一の同格、格下であったはずのアメリカとの初戦を落とした事はあまりに痛い。
特に3試合しかない短期決戦での予選リーグではなおのこと。
既に第1戦目の敗戦で決勝トーナメント進出がほぼゼロの可能性となった日本だが、わずかな望みを賭けてアフリカ勢の雄(ゆう)・ナイジェリアとの第2戦に挑む事となり、ゴールへの意識が足りなかった反省からFWを森本から李に、力を発揮できなかった左サイドバックの長友から安田に、そして満を持して梶山から我らが細貝にメンバーを3人入れ替える。
李
谷口
香川 本田圭
本田拓 細貝
安田 内田
水本 森重
西川
左サイドの安田などが前半から激しく攻め立てる
勝利しかありえ無いこの試合での日本は、立ち上がりから激しく攻めに攻めた。
特に左サイドバックの安田は第一戦の戦列から外れた憂き目を晴らすように、フル代表にも選ばれた要因である絶好調のサイドからの攻め上がりをみせ、第一戦目で一人際だっていた右サイドバックの内田と共にナイジェリアを圧倒する。
しかし、そこのクロスからゴール前へ詰める1.5列目の谷口などにはわずかに合わず、何度も頭を抱える谷口の姿が痛々しい。
ナイジェリアも前半29分に右サイドゴール前深くまで切れ込んでからのマイナスのパスに、アデムウィンジがほぼ無人と化したゴールに向け右足を振り抜くも、この至近距離のシュートを上にふかしてしまう。
わずかにマイナスのボールが外側にずれたため、思ったより深く蹴りこめなかったせいであり、日本は命拾いとなった。
この直後の32分、安田のクロスにニアで谷口が合わせるもGKの正面を突くなど、双方共にチャンスはあったものの前半は0−0での折り返しとなる。
後半、ナイジェリアの速攻に敢えなく先制点献上
後半に入っても、左の安田、右の内田がクロスを中央の谷口に合わせる場面が続くが、ナイジェリアDF陣もいい加減谷口の1.5列目からの飛び出しに慣れたのか、警戒してか、これをぎりぎりでクリア。
そうしているうちに後半13分、中央でボールを奪われるとそのままの勢いで4人もの選手がゴール正面まで細かいパスをつなぎ、最後はアデムウィンジの落としたボールを走り込んだオビンナが右足でゴール右へ決めて痛すぎる先制点を奪われる。
中盤のパスミスからの失点となったが、そのままの相手の流れを止めきれないチームの粘りの無さが露呈した結果でもあった。
ミスはどこからでも起きるものであり、そこをカバーできるかがチームとしての強さを表す。
ナイジェリアは終始スピードある攻撃を意識しており、持ち前の前への突破力を活かしてグイグイ前へ、前へとボールを進めていった成果がこのゴールだ。
日本はこういった肝心な場面でボールを大事にしすぎて横パスで時間を食ったりする場面が多く、この差がこういった結果に表れる。
続けて決定的な2失点目を喰らう
勝たなければいけない試合での1点のビハインド、つまりは2点以上の得点を狙わなければいけない状況となったことで後半19分、反町監督はFW李とMF香川に代えFW岡崎、FW豊田をいっぺんに代える。
しかし29分、ナイジェリアはカウンターから左サイドを上がったオビンナからクロスが送られ、ファーサイドのアニシェベへ。フリーの状態からアニシェベがワントラップから右足でシュートを放つと、これがゴール左にあっさり決まってしまう。
またしてもナイジェリアの速攻にやられた形であり、やはり粘り強さというものがここでは欠けていた。
これにより、残り15分間で3点を取らなければいけないという絶望的な状況となり、もはや勝負は決してしまう。
やはり前半からの安田、内田からのクロスを谷口や李がしっかり決めておかなければいけなかった。
取るべき時に取らなければサッカーとはたいていこういう結果となってしまう。
豊田意地の一発で一矢報いるも五輪敗退決定
この失点を受けて更に日本は最後の選手交代、30分に細貝に代えて梶山を投入する。
34分、相手のパスミスを拾った谷口がDFラインの裏に入っていたFW豊田へパスを送り、フリーだった豊田は右足でのシュートを冷静に放ちようやく1点が入る。
未だ北京五輪では無得点だった日本にとっては記念すべき初ゴールとなり奇跡の反撃に期待がかかる。
ようやくエンジンのかかってきた本田圭や、安田、内田らがサイドから崩しミドルやクロスを放つものの、いよいよ守備にも専念しはじめたナイジェリアからあと1点、2点を奪えるチャンスはなかなか訪れず、ロスタイムの3分もむなしく経過して試合終了。
結局1−2というスコアで第2戦のナイジェリアにも敗戦となり、これで2敗で日本の予選リーグ敗退が決まる。
細貝も頑張ったが・・・やはりチームとしての力が
こうして第2戦での細貝は後半30分に交代となったが、ナイジェリアのプレスをかわすために時にはDFラインの間にリベロのように入りフォローしたり、時にはペナルティエリア手前まで上がってクロスを送ったりと、攻守に渡り精力的に動いた。
ただ、やはり第1戦目ですでにチームとしての勢いを失った中では、細貝の力1人でこれを打破できるわけではなかった。
終わってみての感想としてはナイジェリアはかなりの強さだった。
そこ相手に前半はむしろ圧していたという事からも、内容的には良かった。
ただ、残念ながらやはり得点が欲しかった。
第3戦・オランダ戦
もはや予選敗退が決した日本だが、このまま全敗のボロボロのまま帰国するわけにはいかない。
各世代の代表としての最後の締めくくりであるこのオリンピックで、何らかの成果を挙げて今後のJリーグやフル代表、海外での活躍のバネとする必要がある。
しかし、この最終戦を前にして、第2戦で活躍し、日本のストロングポイントであった左の安田、右の内田が揃って怪我を負ってしまい、戦列を離れる事となる。
また、本田拓もカード累積で出場停止となり、その他ワントップにはナイジェリア戦に得点を決めた豊田を、ゴールを決めに行く戦力の増強のために香川に代えてFWの岡崎を代わりに起用することで、第2戦に続いての数人のメンバーを入れ代えての最終戦となる。
豊田
谷口
本田圭 岡崎
細貝 梶山
森重 長友
水本 吉田
西川
前半は出入りが少なくスコアレス
これまでの日本のストロングポイントであった左の安田、右の内田のサイド攻撃が無くなった影響は強く、サイド攻撃に鋭さが無い。
その代わりようやく本職の左サイドに入る事となった本田圭が勢いよく左サイドを突破し自慢の左でクロスを上げるシーンもあり、右の長友もなるべくポジションを高めにとり、それにより右ハーフの岡崎は積極的にゴール前まで上がる事で、実質3−5−2のシステムのような形となる。
対するオランダは、OA枠の35歳のFW10シボンとFW9マカーイが前線に張るため、そんなにスピードのある攻撃が無く198cmと188cmの高さのみで圧してくるような展開。
ただし、こういったタワー型の攻撃は威圧感はあれど、えてして守りやすいものであり、ナイジェリア戦などと比べると明らかにピンチの数は少ない。
つまり、これまでの連戦の疲れもあってか、互いにあまり攻撃にスピード感が無い中での試合展開となる。
後半のチャンスもフイに
やや退屈気味だった前半は終わり、後半に入りいよいよ試合は動き出す。
後半10分、FW豊田の左サイドからのドリブルシュートはかろうじてGKがパンチングではじき出し、15分、またも左サイドからDF森重が中へ切れ込んでからの30m以上の右足でのミドルシュートは非常に良いボールだったがバーを直撃!!
18分、長友が右サイドで起点となってペナルティ手前の梶山に折り返すと、DFを1人かわしてから左足でのシュートを放つも、これはミートせず大きくゴール左へ。
正直、この梶山のシュートには落胆させられた。
試合後、各選手の口からは最後にシュートを放つ個人の技量が単純に足りない、といった事がいくつか出たが、まさにこのシーンこそ、絶好のシュートタイミングで放ったにもかかわらず、1人かわしたあとのボールの位置がずれてしまった事でミートがずれたわけであり、本当にこれが国際舞台でのプレーなのか?と我が目を疑うほどの精度の悪さだった。
本田圭のファールからPK献上
この数々のチャンスでも結局得点が決まらないのが反町ジャパンの限界を表しており、そうしているうちに相手は1点をもぎとっていく。
その場面が28分、右サイドからペナルティ内へドリブル突破を仕掛けたバベルに対し、これにマークについていた本田圭がシャツを引っ張り倒すファールでPKを取られる。
本田本人は試合後もこの判定に非常に不服のようであったが、ペナルティ内でこのような軽率なプレーこそが厳禁ものであり、シャツを引っ張っているのは遠目からみても事実であるし、それに対しドリブルで一歩抜き出た相手が倒れてしまっては審判もファールを取らざるを得ない。
結局本田の経験の浅さ故のファールだったともいえる。
このPKをベテランFWシボンがきっちり決めてオランダに貴重な先制点が入る。
不名誉な3連敗の記録
この後、日本はMF谷口、MF本田、FW岡崎らを代え、FW森本、MF香川、FW李を投入するも、明確な武器が無い日本に対し、もはやオランダがこの1点を守り切る事はそんなに難しい事ではなく、無難にタイムアップ。
アメリカがナイジェリアに負けたためオランダは日本からの貴重な勝利により1勝2分で予選2位通過となった。
これにより日本は現行方式となった12年前の1996アトランタ五輪以来、初の3戦全敗という非常に不名誉な記録を残してボロボロの状況で帰国となってしまった。
細貝はこのオランダ戦でも身体を張って中央、サイドを問わずに相手のマークへ腐心し、そして丹念にパスを繋げたが、結局両翼をもがれた形の3戦目の日本が得点できる気配は少なく、そしてワンチャンスのPKを決められての敗戦となった。
急造システムの未成熟
第1戦、第2戦を見る限り、谷口を1.5列目に置くこの変則的なシステムがそんなに悪いとは思わない。
本田圭を右サイドで使う意味もそれなりにあるだろう。
ただやはり、今一度問いたいのは、本当にこのチームが2年間の集大成なのかということ。
それまで、あれだけチームの司令塔として活躍してきたMF柏木や、MF青山、DF伊野波、DF青山らを外し、土壇場にきて新戦力に頼った反町監督の賭けはいったい何だったのだろうか。
内田や安田らの有力なサイドバックがいて、そして香川や本田圭らの攻撃力を活かしたい。
そのためにこれまでの3−5−2を捨てて4−5−1に切り替えたのだろうが、そのシステムにこだわるあまり、結局は一番大事な得点と失点の場面でチームとしての力が生きなかった。
つまり、本当にこの4−5−1で戦いたかったのなら、もっと早くからこの戦い方でやるべきだった。
3バック、2トップという形から4バック、1トップというシステムへの切り替えは大きな隔たりがある。
どちらが優れているか、どちらを採用すべきだったかというよりも、とにかくその戦い方、システムでもっとチームとしての熟度を上げるべきだった。
チーム力を上げられなかった反町監督の揺らぎ
結局はそれが谷口の後一歩でのシュート逸失などに繋がった。
もっとチーム力が上がっていれば、谷口も得点できたかもしれない。
しかし、やはり谷口にしても本職のボランチから2列ほどポジションが上がった1.5列目でのこのゴールに飛び込む仕事はあまりに荷が重かったと容易に想像がつくし、そのためにはもっと長い時間でのチームとしての経験が必要であるはずだった。
招集できなかったFW大久保やMF遠藤らオーバーエイジ枠などの協会の不手際などにも翻弄されたわけだが、それ以上に反町監督のこの心の揺らぎこそが今回の敗退の一番の原因であった。
谷口は2、3年ほど前からフロンターレでの活躍は中村憲剛と共に有名であり、今更発掘した人材でもない。
また、最後までどうしても清水の青山よりも吉田らを選んだ意味が分からなかった。
この世代の選手をJ2、大学通して誰よりもよく見てきた自負のある反町監督だが、その選手選考があまりに直前までかかりすぎた。
フル代表やJリーグ優先という厳しい日程は今にはじまった事ではないわけだし、それを踏まえた上でどの時期からチームを固めなければいけないかの現実的な視野が必要だった。
本当に彼らは納得のいく戦いが出来たのだろうか。
アジア最終予選まで戦い抜き、そして切り捨てられてしまった半数の仲間達の分まで戦えたといえるだろうか。
あそこまで一体感を持ってやってこれたチームが本番直前で解体され、そして短い期間で編成された新チームは本当に日の丸を背負うべきチームだったのだろうか。
いったい、このオリンピックは日本にとって何だったのか、何とも煮え切らない思いが渦巻いたまま、こうして日本サッカー男子・五輪代表の戦いは終わった。
せめて細貝の今後の糧となるよう
私は最終予選のサウジ戦で見せたような、細貝と広島の青山のボランチのコンビが攻守に渡り躍動しながら試合を動かす様を見たかった。
細貝にしてみてもこのオリンピックの舞台で、連携も乏しい新しい顔ぶれに対しどのようなパス交換を行っていいものか探りながらの本番だったと思う。
しかし、レッズで培った厳しい中でのボールの競り合い、身体のぶつかり合いなどのプレー一つ一つの経験は大きな糧となった事だろう。
肋骨を痛めているにも関わらず、ナイジェリアの身体能力、オランダのフィジカル相手にも細貝は一歩も引いてはいなかった。
どん底の結果となったこの北京五輪だが、これをせめて細貝の今後の大きな糧となることを願ってやまない。
(08.08.14UP)
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