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元浦和レッズ・日本代表
そして遂に郷土チームザスパに凱旋!!
天才肌のボランチ 細貝 萌
についてのページ
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元浦和レッズ・日本代表 MF・DF
卓越したテクニック、サッカーセンスを兼ね備え
そして対人の強さへと進化した細貝
細貝 萌(ほそがい はじめ)
生年月日 1986年6月10日
身長/体重 177cm/64kg
血液型 A型
出身地 群馬県 前橋市(広瀬小・前橋七中)
利き足 右
〜経歴〜
前橋広瀬FC-前橋南FC−FC前橋ジュニアユース
前橋育英('02〜'04)U-16、U-18
浦和レッズ('05〜'10)
アウクスブルク(ブンデス2部、1部)('10-11〜'11-'12)
レバークーゼン(ブンデス1部)('12-'13)
ヘルタ・ベルリン(ブンデス1部)('13-'15)
ブルサスポル(トルコ)('15-'16)
シュトゥットガルト(ブンデス2部)('16-'17)
柏レイソル('17-'18)
ブリーラム(タイ1部)('19)
バンコクユナイテッドFC(タイ1部)('20)
ザスパクサツ群馬('21)
−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)
J1浦和
'05 J1・3 カップ・2 天皇杯・3
'06 J1・2 カップ・6 天皇杯・4 U-21
'07 J1・8 カップ・2(1) 天皇杯・1 ACL・5 クラブW杯・3 U-22(五輪代表)
'08 J1・26(2) カップ・4 天皇杯・1 ACL・3(1) 北京五輪・2
'09 J1・31(2) カップ・6 天皇杯・1
'10 J1・28(1) カップ・5 天皇杯・1 日本代表・3
ドイツ2部・1部 アウクスブルク
'10-'11 ブンデス2・7
'11-'12 ブンデス1・32(3) カップ・1 日本代表・7(1)
ドイツ1部 レバークーゼン
'12-'13 ブンデス1・17 カップ・2 日本代表・8
ドイツ1部 ヘルタ・ベルリン
'13-'14 ブンデス1・33 カップ・1 日本代表・7
'14-'15 ブンデス1・20 カップ・2 日本代表・5
トルコ ブルサスポル
'15-'16 スュペルリグ・20
ドイツ2部 シュトゥットガル
'16-'17 ブンデス2・10
J1柏レイソル
'17 J1・14 カップ・5 天皇杯・3
'18 J1・8 天皇杯・1
タイ1部 ブリーラム
'19 タイ1・27
タイ1部 バンコクユナイテッドFC
'20 タイ1・28(1)
J2ザスパクサツ群馬
'21 J2・6
'22 J2・20(1)
'23 J2・
日本代表では13番でお馴染みのMF細貝萌
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キャプテン細貝萌の活躍で残留を果たした2022シーズンの1年
2021.11.7 SC相模原戦 正田醤油スタ
開幕戦から類まれなる危険察知能力で次々と相手ボールを刈り取っていたMF33細貝
入団した2021シーズンのJ2は、コロナ影響のレギュレーションの暫定変更により、4チームがJ3に降格するという稀にみるサバイバルシーズンとなり、その残留争いが佳境に入ってきたラスト6試合にようやくコンディションを上げてベンチ入りし、そしてラスト3試合はスタメンに入り、MF8岩上祐三とのダブルアンカー体制でバイタルエリアに鍵をかけ、4試合連続引き分けの逃げ切りでかろうじて残留に成功し、細貝も一役を担った。
2021シーズンはあまりに残留争いが最後まで熾烈だったため、細貝フィーバーに浸る間も無かったが、翌年にはキャプテンにも就任し、本格的にザスパでの細貝萌が観られる!!と期待された2022シーズン、なんと細貝は第3節の仙台戦で、激しく相手のマークにいった際に左足関節脱臼骨折という重傷を負ってしまい、全治6ヵ月と診断されてしまった。
チーム自体は開幕ダッシュこそ成功し、10節を終えた時点で4位という、クラブ史上に残るほどの好調さを見せてきたが、その後は11試合で1分10敗といった暗黒の時代となってしまい、21位という降格圏に落ちるピンチとなった。
4ヵ月の奇跡の早期復活
だが、細貝のプロ意識は並大抵のものではなかった。
なんと全治6ヵ月のはずなのに、練習復帰からのコンディションの回復も含めたわずか4ヵ月後の7/10のホーム町田戦で、細貝はベンチに復帰してみせた。
最初は冗談だろ?と思ったものだが、リハビリに励んでいる間の細貝も、筋肉系ではなく骨折なので、くっつけば良いのだから復帰は大丈夫と自信を持っていたとおりだった。
いつかのベッカムがW杯前に骨折し、酸素カプセル入りながら2カ月くらいの脅威の回復で本戦に間に合わせた奇跡を彷彿とさせるものであり、やはりベッカムと同じく酸素カプセルやらなんやら、やれる手立ては全てやった結果の、まさに半端ないプロ根性からの早期復活となった。
この奇跡の早期復活は、細貝の長いキャリアの中でも、語り草にするべき伝説の1ページとなった。
細貝が戻った事でMF8岩上祐三とのダブルアンカーも復活し、チームのバイタルエリアでのブロック形成は畑尾らと共に強固なものとなり、まず守備の安定ありきである大槻采配の根幹を支え続けた。
守備が安定していることで、あとのチームの課題は著しい得点力・決定力不足だったが、右サイドにMF28長倉、左サイドにMF42高木友也、トップにはFW47川本リヨといった夏の途中補強が成功したことで攻撃も改善され、チームは最終節を待たずに残留を果たすことができた。
2022.9.18秋田アウェイ戦 中盤を引き締めたMF33細貝萌、MF8岩上祐三
特に2022シーズンの細貝として思い出深いのは第34節の栃木とのグリスタでのアウェイ戦、終始劣勢ながらもなんとか守護神櫛引の奮闘で1失点で守り切り、そして最後の最後、ラストプレーのCKで上がってきたGK櫛引のシュートが相手の手に当たりPKを獲得し、この緊張感みなぎる中でキャプテン細貝がしっかり決めて劇的なドローとなり、まだまだザスパはこれからだと奮起する試合となった。
ちなみに細貝としてはレッズ在籍以来となる10年ぶりのJリーグでの得点となった。
2022.9.4栃木戦 栃木グリーンスタジアム
細貝萌のJリーグ12年ぶりのゴールで奇跡の同点劇!!
劇的な同点ゴールに沸くMF33細貝を囲む選手達(サポータをあおるMF14白石智之)
細貝というレジェンドがピッチにいるということ
こうして2022シーズンのチームの残留に大きく貢献した細貝。
内容を振り返っても、本当に細貝の存在はピッチでも大きかった。
ベテランの域であるにも関わらず、危険だとみるや大怪我を負った仙台戦のように、わが身を顧みずに果敢に相手にアタックしていき、ファールも厭わず抑えるところは抑える姿勢は、まさにかつてザスパの中盤の底を支え続けた育英の先輩MF30松下裕樹の姿そのものであり、これぞ前橋育英のボランチの系譜かといったところを感じた。
あれだけ輝かしい経歴を持つレジェンドが、自分の身体も厭わずに、チームの誰よりも激しく、泥臭く相手にアタックしていくその姿は、まさにチームを引っ張るキャプテンの姿であった。
これが元代表のアンカー、中盤の守備のスペシャリストのプレーかと。
相手の流れを読み取り、ところどころでの効果的なパスカットもさすがであるし、縦パスが入るところにいち早く身体を入れていくなど、これぞアンカーというプレーばかり。
正直、タイのチームに移籍するあたりで、このページの↓の方ではピークアウト、という言葉も使ったわけだが、今思えばあまりに失礼な言葉であったと懺悔するほどに、35歳という年齢を感じさせないほどに素晴らしいプレーぶりだった。
2023シーズン以降も末永く現役を
チーム内でもハジさん、ハジさんと、レジェンドに対するチームメイトの信頼感は数々の選手インタビューからも伝わってくるし、細貝自身、意外に親しみやすい人間性もあり、チームメイトにも親しまれる精神的支柱となった。
プロとしてのキャリア最後の地として選んでくれた細貝は、ファンの数もチーム内でダントツ、桁違いであり、チーム内外でのその存在の大きさは計り知れない。
自分も職場関係で、ザスパといえば細貝がいるよね?と、普段サッカーを観ない人からも言われるほどだ。
そういった全国的な知名度のある選手が1人でもいるかいないかではチーム自体の認知度も全く変わってくる。
それはスポンサーの獲得などにもダイレクトに影響してくる。
30代後半となってくる中、年々どうしても体力的に厳しくなってくるところはあるだろう。
だが、細貝はいつまでも細貝であり、レジェンドだ。
いつまでも末永く現役を、そしてザスパにいて欲しいと願う。
2022.10.1大宮戦 MF33細貝萌のホーム戦勝利後の満足気な笑顔
(23.03.23UP)
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MF33細貝萌、敷島のピッチに帰る!!
2021.11.7 SC相模原戦 正田醤油スタ
群馬の地・敷島陸上・正田醤油スタに帰ってきたレジェンド細貝!!
ついにこの時が・・・細貝萌、郷土チームザスパに凱旋入団!!
2021シーズン、いつもと倍の4チームが降格するという史上まれにみるサバイバルシーズンを戦っている最中のザスパにビッグニュースが訪れた。
元日本代表のビッグネーム・細貝萌の電撃入団!!!
あの前橋七中のまさに地元、郷土出身ながら北京五輪や日本代表で活躍した前橋育英歴代の輝かしいボランチの正当なる系譜・細貝がついに!!!
元々、2015年にはベイシア西部モールにホソガイフットサルプラッツというフットサル場をオープンさせるなど、郷土のサッカー普及に尽力してきた細貝が郷土チームザスパに所属するという意味は非常に大きい。
たとえその所属が1年でも2年でもザスパOBの称号という事実はこの先ずっと刻まれ、将来的にもチームに携わり、そしてコーチ、監督などの可能性も十分に生まれる。
それは細貝にとっても、そしてザスパというチームにとっても一つのブランド、ステータスとして相乗効果を生むことだろう。
さて、問題は細貝が5月のタイのチームからの退団以来、実戦から遠ざかっていることであり、そしてザスパはボランチ陣は非常に充足しているということだ。
アンカーにはリーグ一の実力を誇るMF8岩上祐三を擁し、その相方はMF41中山とMF6内田が交互につく。
MF15ジャスティンはもはや右サイドバックに完全にコンバートされ、MF16久保田和音はボランチの任は完全に離れ、サイドハーフの軸と、他のボランチは他のポジションにコンバートされるほど余っており、奥村や天笠がベンチにも入れない程となっている状態。
そうなれば、細貝はタイでもボランチとセンターバックを兼任していたというので、怪我人続出で層が薄くなっているセンターバックでの起用が濃厚だろう。
現在レギュラーを張っているDF40大武やDF3畑尾らとのコンビは是非とも観てみたいし、最終ラインからの細貝のゲームの組み立てには非常に興味がある。
ちょっと戦力としては状況が複雑であるところはあるが、細貝萌という山口素弘、松田直樹に次ぐ日本代表プレーヤーの現役としてのプレーをピッチで観られる日を楽しみにしたい。
2021.9.25千葉戦ハーフタイム、MF33細貝萌の入団挨拶!!
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細貝 北京世代支える
コロナ禍でまだリーグ再開となっていない中の6月上旬、細貝の地元紙・上毛新聞には、来年2021に延期された2020東京五輪に向け、五輪代表を支えた郷土選手の特集記事がスポーツ面の1面に載り、2008年当時のかなり若いころの細貝萌の凛々しい写真と共に当時の活躍を讃えたエピソードが掲載された。
2020年6月上毛新聞に掲載された細貝萌の記事
当時の北京五輪にて、ナイジェリアやオランダ相手に全て1点差で惜敗となり3戦全敗で悔しい予選リーグ敗退となったが、その時の仲間・本田圭佑や長友ら、その後長い間日本代表を支えてきた”北京世代”の中に確かに細貝萌の姿もあった。
元々は前橋育英で10番を付けたトップ下として、天才肌のセンスから攻撃を司っていたものの、浦和レッズで背番号3を与えられ、センターバックなどで高卒直後から試合に出場し、そこで身に付いた対人プレーの強さ。
それが当時格上のナイジェリアやオランダ相手にも十分通用した。
ドイツ、トルコ時代
さて、この細貝応援ページのアップがなんと7年ぶりであるため、これを機に前回アップから今日時点までの細貝選手の経緯を軽くまとめておきたい。
2013年、更なる日本代表でのレギュラーの座を確固とするためにも、まずは所属チームでの確固たる自分の地位を掴んで試合に出続けて活躍することを求め、ベルリンのヘルタに入団し、ボランチとして活躍しながら日本代表との2足のわらじとなる。
その後、2年目はチームの不振と怪我もあって出場機会を失い、長友のガラタサライの一歩先にトルコへレンタル移籍。
その翌年、アウクスブルグ、ヘルタでの恩師であるヨス・ルフカイ監督のいるブンデス2部に落ちたばかりのシュトゥットガルトに移籍するも、そのルフカイ監督が電撃解任となり、怪我もありそのシーズンは鳴かず飛ばず。
その間に日本代表もいよいよ世代が交代となってきてしまった。
憧れの柏レイソルへ
日本代表でのレギュラー定着とするギラギラしたキャリアピークの頃が過ぎたとなれば、いよいよ海外にこだわる必要も無く、2017年、細貝は久々にJリーグに復帰となり、その移籍チームは柏レイソル。
小学校の卒業文集に柏レイソルに入ると書くほど憧れた柏レイソル。
そう、当時の柏レイソルには、同じ群馬出身(前橋南橘中−前橋商業)であの天性の司令塔・天才パサー大野敏隆がいた。
その2年間だが・・・当時の自分は2017年といえばザスパがあの悪魔の森下体制の元、リーグ最低記録をビシバシ塗り替えるダントツのJ3降格となり、そして1年での復帰を最低限の目標に据えながら、布体制の元でなかなか勝ち切れない取りこぼしの多さに泣いてJ2復帰を逃した2018年と、もう他の事に目をくれている余裕なんて無かった頃だった。
よって、残念ながらその細貝がJリーグに所属した2年間で細貝の試合をチェックできず、ここでは何も書く事は出来ないが、その後の本人のコメントからいっても、どうも納得のいく2年間というシーズンではなかったらしい。
タイで再びサッカーの原点へと立ち戻る細貝
既にピークアウトとなった細貝だったが、まだ33歳、サッカー選手としてまだまだこれからというところで、タイに移籍して奮起をかける細貝は、1年目を体調の悪化から出遅れたものの、27試合出場とそこそこの活躍をし、そしてバンコクに移籍した2年目は開幕から4連勝し、ボランチとセンターバックを兼務するような役割でチームの守備の主軸を担い、堅守からのカウンターというチームの軸となっている様子。
細貝という選手が守備の中心にいれば、相手からボールを奪った瞬間が最大の攻撃のチャンスと繋げる事ができる。
対人の強さを発揮しながら守備の中心をこなし、そしてそこからの攻撃へのスイッチを入れるという、本人も最高のやりがいと手ごたえを感じているとのこと。
是非とも細貝のプレーを観たいが、しかしタイリーグでは・・・
なんとかそのプレーを観たいし、出来れば一度はザスパに・・・とも思うが、まだまだ細貝の今後の活躍に期待したい。
(20.06.21UP)
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ドイツ4年目は代表レギュラーボランチ奪取のためにヘルタに移籍!!
北京五輪でチームの中心となって活躍し、所属クラブのレッズでは長谷部の海外移籍を契機にレギュラーに固定。
そして長谷部と同じく海外、それも同じドイツに移籍し、アウクスブルク、レバークーゼンでプレーしてきた細貝。
レバークーゼンはドイツの名門クラブで、来季もチャンピオンズリーグに出場する権利を持ち、細貝もそのままならばチャンピオンズリーグに出場できる可能性もあるわけだが、それを敢えて捨てて同じドイツの1部に復帰したばかりのヘルタに移籍となった。
その裏には、来年迎える2014ブラジルW杯への、日本代表レギュラーポジション奪取のための強い決意があった。
この紹介・応援ページももう5年以上更新しておらず、随分とご無沙汰をしてしまっていたが、細貝というサッカープレーヤーにとって、これからの1年が本当の勝負の年となる。
その勝負の1年を迎える細貝の、この5年間の経緯を簡単にまとめ、今後見据えるものを少し綴っていきたい。
レッズでレギュラーとなり、日本代表のアンカーにも
2008年、北京五輪での細貝は、チームは3連敗と不名誉な結果とはなったものの、ナイジェリアやオランダら、世界のフィジカル、身体能力を相手にも一歩も引かない強さを披露し、世界との戦いの中でその存在感を見せつけた。
クラブのレッズに帰ると、セントラルMFとしての最大のお手本であり、直接のボランチのポジションのライバルである先輩・長谷部がドイツに移籍となり、これまでのセンターバックやサイドバックでの起用ではなく、本職のボランチで活躍する事となる。
そして2010年8月、南ア杯でベスト16と、ある一定の成果を収めた日本代表は、更なる高み、本番のトーナメントで勝ってベスト4以上の高台へと進むべく、再始動となり、その新制日本代表に細貝は呼ばれた。
まさに日本をベスト16へと導いた最大の勝因となった、4−3−3への布陣変更、その要となったアンカー・阿部の後継として呼ばれたのが細貝だった。
これ以降は、日本代表でのアンカーといえば細貝、細貝といえば日本代表のアンカー、というイメージが現在の2013年まで完全に固定する事となる。
実はこの頃から自分としては違和感満載なのだが、いつの間にやら細貝は泥臭い守備、マークが身上のアンカー専門職というイメージが定着する事となる。
はて?いつから細貝はそんなにアンカー専門になったのか、と、この応援ページで天才肌と書いているとおり、育英でトップ下を張り、テクニックとサッカーセンス溢れる、将来の日本を背負うセントラルMFになるとばかり思っていたが、そんな私の細貝への評価とは逆に、どんどん細貝は守備力を買われていく。
結果的にはレッズ入団以来、センターバックなどをなぜかやらされた事で身に付いた守備力が、細貝を代表に定着させた。
まあ、私の望みとは少しズレたが、結果オーライと言えるか。
ドイツに移籍し、代表でも初ゴールを奪う!!
そして細貝は代表選出を機に先輩長谷部の後を追うようにドイツ・ブンデスリーガに移籍。
契約はレバークーゼンと複数年契約を結ぶものの、初年度はドイツでの経験を積むべく2部のアウクスブルクへそのままレンタル移籍。
翌2011-12シーズンに1部へと昇格したアウクスブルクにて、細貝はアンカーのレギュラーに定着し、特に2012年3月には首位を走るドルトムントとの戦いの中で、その中心プレーヤーとして活躍していた香川を激しいマンマークで抑え高い評価を得た。
こうして最大の目標であったアウクスブルクの1部残留に貢献すると、2012-13シーズンはレバークーゼンにレンタルから復帰となった。
代表でも2011年1月のアジアカップにて、準決勝の韓国戦、後半終盤から投入された細貝は、延長戦にて本田圭佑のPKが相手GKにはじかれたところに見事に出足鋭く詰めて、代表での初ゴールを奪う。
細貝萌ここにあり、と全国に代表としての細貝を知らしめた得点シーンとなった。
この頃から既に代表では、遠藤の高齢化、長谷部の所属クラブでの不振ぶりなど、日本代表の心臓とも言える2人のボランチに不安論が展開されはじめ、細貝はまさに次のブラジルW杯をにらんでの、次世代ボランチの一角として順風満帆に見えた。
レバークーゼンにて不遇の扱い
しかし復帰したレバークーゼンにて、2012-2013は前半こそ左サイドバックなどで出場していたものの、本職のボランチの枠はいっぱいで練習でもサイドバックとしての練習ばかりという苦しい環境に追い込まれ、更には後半にはベンチに押しやられるという展開に。
代表では、直接のポジション争いとなる先輩・長谷部が、所属するヴォルフスブルクで2011-12シーズンは細貝と同じく本職ではないサイドバックとして起用され、更に2012-13ではその扱いに苦言を呈した長谷部に対しマガト監督との軋轢が生じ、開幕から8試合ベンチ外という、試合勘もへったくれも無い状態。
遠藤も所属するガンバ大阪が2012シーズンになんとクラブ史上初のJ2降格を決めてしまうなど、決して2人のレギュラーボランチ2人が本調子ではなく、本来細貝としてはまたとない代表レギュラーボランチの座を掴むチャンスだったが、残念ながら細貝自身が好調とは言い難かったため、この機会を逃した。
代表へのこだわりから、ヘルタ移籍へ!!
これに対し、細貝としてはやはり代表へのこだわり、そして自身のキャリアにとって最も重要となるであろう、残り1年と迫った2014ブラジルW杯に向け、このままではダメだと最後の賭けに出る。
それが、2013-14シーズンからの同じブンデスリーガでのヘルタへの移籍だった。
本来、強豪のレバークーゼンにいれば、サッカー選手ならば一度は夢に見るチャンピオンズリーグへの出場のチャンスもあったわけだが、それを敢えて捨てて2部から上がってきたばかりのヘルタ・ベルリンに移籍。
このヘルタの監督がアウグスブルグ時代に細貝をボランチのレギュラー起用したルフカイ監督であった事が決め手であり、ブンデスリーガでのボランチとしての感覚を研ぎ澄ませるための、勝負の移籍となったわけだ。
そして2013年8月11日の開幕戦、2部から上がったばかりのヘルタでボランチとして先発出場した細貝は、古豪のフランクフルト相手に堅実な守備と奪ったボールからの素早い展開で得点にも絡み、地元メディアからは開幕戦でのベストイレブンににも選出されるという好スタートを切った。
以前から言われているとおり、遠藤、長谷部の2大巨塔にとって代わる事は並大抵の事ではない。
そして代表があくまでもW杯でのベスト4以上を狙う限りは、ベスト16に終わった南ア杯での遠藤、長谷部の代役ではダメであり、むしろ遠藤、長谷部のピーク時を超える事が必要だ。
もともとアンカーとしての泥臭い守備などのプレーでは定評を得た細貝だが、私が信じる細貝のサッカーセンスがヘルタ移籍によってより一層発揮され、攻撃力にも磨きがかかる事で遠藤、長谷部を超える事が期待される。
現に先の2013ブラジル・コンフェデレーションズカップにて、第3戦に長谷部の出場停止のために細貝がスタメン出場し、そして積極的な守備と、時折見せた効果的な攻撃参加で及第点のプレーを世界相手に見せたとおり、あくまでも今の代表の中での遠藤、長谷部に次ぐボランチの選手は細貝であり、あと一歩のところまで来ている。
そもそも、いつも私が代表の観戦記でも力説するとおり、本来セントラルMFの長谷部と遠藤が2人ともボランチに並ぶ事はチームの機能上、限界がある。
なぜ2010南ア杯で、アンカーの阿部を2人の後ろに置いた事で突然チームが機能するようになったのかを、今一度思い出すべきだ。
そう、細貝のアンカーとしての能力は絶対に代表に不可欠である事は明白だ。
そういった意味でも必ずや来年の2014年、ブラジルの地に細貝がボランチのスタメンとしてピッチに立っているであろう事を、私は信じて疑わない。
細貝の勝負の1年がスタートを切った。
(13.08.16UP)
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■特別記事■
2008北京オリンピックでの戦い 観戦記・戦評
(08.08.13UP)
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天才肌のボランチ・細貝
細貝のプレーを見るたびに、私はいつも天才肌だな〜と感じる。
前橋育英は昔から4−4−2を伝統的に敷いており、司令塔は実質ボランチの片割れが担う。
それがかつては現ザスパの松下であったり、現鹿島の青木であったりといった、守備も非常にハードにこなし、そしてロングキックでゲームを組み立てるといった、どちらかというと武闘派、闘うタイプの選手が多かったイメージがある。
しかし細貝は違う。
あくまでしなやかに、華麗にプレーをし、高いテクニックからボールをコントロールする。よって松下や青木のようなアンカータイプではなく、ACミランのピルロに代表されるようなセントラルMFがまさに細貝の本職だ。
他にこういったタイプのセントラルMFを挙げるならば、やはりレッズの小野伸二、そして長谷部(これについて詳しくは後記)、そして引退はしてしまったが中田ヒデなどもそうだろう。
いずれも天才肌のプレーヤーばかりであり、細貝はどことなくそれに近い雰囲気がある。
前橋育英の低迷を乗り越えレッズへ
さて、細貝の経歴を追っていくと、まずは嬉しい事に私と同じ前橋生まれの前橋育ちであり、広瀬SCからサッカー経歴をスタートさせた。
そして前橋エリアの有望サッカー少年のお決まりのコースとしてFC前橋、前橋育英とステップアップすることになる。(これは鹿島の青木と同じ)
前橋育英の頃、細貝は10番を背負いまさに司令塔として活躍し、U-16、U-18と各世代の代表に呼ばれ続けた。
しかし、よくある事ではあるが、そういった代表に呼ばれる事で前橋育英としての活動から離れる期間も増えてしまい、なかなか育英自体の強化に結びつかなかったようだ。
ちょうど細貝と入れ違いの前の世代の育英はザスパでも活躍する佐田、里見をはじめ、大谷兄弟、相川ら多くのJリーグ内定者を抱えた名実共に”タレント集団”であり、全国選手権ベスト4まで進んだわけだが、その翌年、細貝が入ってからの3年間ははっきりいって育英の低迷期となってしまった。
1年と3年の時は永遠のライバル前橋商業に群馬代表の座を奪われ、2年の時の選手権でも出場こそするが1回戦で敗退してしまっている。
よって正直私はこの細貝の存在をあまり知らずに、とにかくレッズというビッグクラブに前橋出身者が入るという記事だけを目にしただけだった。
細貝は高校チームとしての実績こそ乏しいが、個人としては各世代の代表に呼ばれ、そしてレッズの強化指定選手に選ばれるなど、既に高校の頃からその資質を買われ、そのままレッズが青田買いをしたわけだ。
レッズ1年目はなんとDFで活躍!?
さて、いよいよプロの道へと踏み出した細貝だが、なにせレッズというチームでは先行きは険しいと感じた。
当時から既にレッズは確固たる常勝軍団として生まれ変わっており、そのためにはブッフバルト監督のもと、メンバーはかなり固定されほとんど若手の出番は与えられなかった。
毎年の金にものを言わせた補強はすさまじいものであり、若手を我慢して育てる余裕などレッズには無い、それよりも金を積めといわんばかりに今や懐かしいエメルソン、アレックス、ワシントン、ポンテ、トゥーリオ、最近では小野伸二、阿部など、”日本のレアル”としてトップチームのメンバーは中堅以上の一度は代表での実績のある選手でほとんど構成された。
そんなチームの中での高卒ルーキーの細貝はリーグでもカップ戦でもベンチにたまに入り、そして時間調整程度に何試合かピッチを踏んだのみ。それでも一応レッズで試合に出られるだけでもたいしたものだった。
そしてその1年目のシーズンも最後、12月の天皇杯の時期になって思わぬ形で細貝に出番が回ってくる。
その年のレッズはガンバとの熾烈なJリーグ王者の座を争い、結局は年間2位として惜敗したわけだが、その死闘の中でチームは疲弊し、特にレッズの屋台骨である3バックのDF陣に軒並み負傷者が続出し、誰か若手を1人ここに補強する必要が生じた。
なんとそれがなぜか細貝だった。
私も天皇杯をTV観戦して我が目を疑ったが、確かにあの天才肌の司令塔の細貝がなんと3バックの右DFのポジションに就き、立派に守備をしていた。
ああ、あれほどのサッカーセンスがある選手だと、結局GK以外ならどこでもこなしてしまうんだな、と感嘆した。
そして細貝がDFを務めるレッズはベストメンバーで無いながらもJリーグでの鬱憤を晴らすように最後のタイトルである天皇杯で躍進を続け、ついには元日の決勝をも制しJリーグ発足後初の天皇杯優勝を成し遂げる。
予想外なことに細貝はなんと浦和レッズというビッグクラブの中においてわずか1年目で早くも大きな仕事を成し遂げてしまった。
2年目もDFとして活躍し天皇杯を制覇
そして2年目となり細貝はゼッケンを32に代わりチームから新たな番号を与えられた。
その番号がなんとDFが付けるべき”3番”。
どうやら天皇杯でのDFとしての活躍から細貝はとりあえずDFとしてレッズの中では位置づけされたらしい。
しかし番号がどうであれ、レギュラー番号である一桁をまだ高卒2年目である細貝に与えられた事はほとんど若手が起用されないレッズの中ではまさに異例だった。
どれだけ細貝に期待がかかっているかがわかる。
3番というレギュラー番号を背負った細貝ではあったが、チームの状況としては1年目とさして変わる事は無かった。
レギュラーメンバーはますます固定化され、若手の起用はますます狭まる。
さすがは代表と外国人ばかりの日本のレアル。
高卒2年目ではとても太刀打ちできないあまりに次元の違う顔ぶれがスタメンに出そろい、なかなか細貝の入り込める隙間はない。
2006のレッズの顔ぶれを思い出すなら、FW陣は補強したばかりのワシントン、田中達、永井などが揃い、トップ下にはポンテ、ボランチには長谷部、啓太、左にはアレックス、右にはキャプテン山田、DF陣はトゥーリオ、坪井、ネネ、堀之内、内舘らが揃う。
そして控えにはサイドには右も左もこなせる平川、左の相馬、中央には酒井がおり、DF陣はそもそも多い。
レッズは攻守共に高い次元の控えを揃え、確かに若手など起用する必要もない。
そして決定的な事に途中からあの小野伸二がオランダから帰ってきた。
これによりトップ下もボランチもびっちりと隙間が埋まり、小野がベンチに座るといった他のチームでは信じられない贅沢ぶりだった。
どうせこれだけレッズでは出場の芽が無いのなら、なんなら地元チームのザスパにでも一時期でいいのでレンタルで行って、J2で実戦の経験を積ませては、という声も一部のザスパサポからはあったが、しかし浦和レッズというビッグタイトルを総なめにできるチームの中で、長谷部や小野などの希代のセントラルMF達を間近に感じ取れ学べる事は、例えベンチの中にいるだけにせよ細貝にとって大きな財産となったはずだ。
チームではほとんど出番のない細貝だったが、そんな中でもやはり若い世代での代表には呼ばれ続け、一時は同じレッズの若手同期のMF赤星と共に2ボランチを形成したりもした。
そしてまたしてもやってきたシーズン最後の天皇杯。
レッズはこれまたリーグ戦の死闘を勝ち抜け、ついにこの年Jリーグ初制覇を成し遂げたがその代償はあまりに大きく、またしてもDF陣が軒並み負傷がちとなってしまった。
そうなるとまたまたお鉢が回ってきたのが”DF”3細貝。
1年目と全く同じく右DFに就き、またしてもこれをそつなくこなしてしまい、そして2年連続の天皇杯制覇を成し遂げてしまった。
細貝は2年連続でこのビッグタイトルに右DFとして貢献する事となった。
この2回の天皇杯は今後の細貝を語る上で欠かせない要素となるのではないだろうか。
3年目はアジアでの戦い
3年目となり監督もブッフバルトからオジェックに代わり、さあそろそろ勝負の年、となってくる。
・・・はずだったが、しかしオジェック監督はますますもって中堅以上の実績ある選手を偏重し、メンバーはますますもって固定化。
やはりドイツ人というものは30代半ば過ぎまで現役で活躍するのが当たり前であるため若手よりも実績を重視するようだ。
2007シーズンはACL(アジアチャンピンズリーグ)もあり、かなりの過密日程となるため守備でも攻撃でも使える細貝はかなり重宝されるものだとばかり思っていた。
あまりACLの予選は見ていないためはっきりとはわからないが、どうやら思ったより細貝の出番は無かったらしく、あくまでリーグ戦と同様のベストメンバーにオジェック監督はこだわった。
それでも細貝はベンチには必ず座るようになり、コンディションが落ち気味となったキャプテン山田の代わりに右サイドでの出場機会が増え、アジアでの戦いを経験することとなった。
それまでは同世代との世界の戦いはやっていたが、アジアのトップレベルのチーム達との本気の死闘を経ることにより、細貝はまた一回り大きくなったことだろう。
五輪代表での戦い
さて、この3年目の細貝にとっては、レッズよりもむしろ五輪代表の方が慌ただしいイメージだった。
シーズン序盤は五輪代表のキャプテン伊野波が負傷欠場気味となったため、代役のリベロとしてこの細貝が選出された。
元来各チームのレギュラークラスで、コンスタントに出場していることが前提条件となる五輪代表の顔ぶれの中で、細貝だけは前述したとおりレッズというチーム事情からなかなかリーグ戦には出場できていなかったが、それでも細貝の才能というものを五輪代表は欲した。
前橋育英での同級生清水のDF青山がいるDFラインで細貝は伊野波の穴を埋め奮闘。
もちろん本職であるボランチも含め細貝は五輪代表で重宝されることとなった。
この辺は前橋育英の先輩である鹿島の青木と非常にかぶる。
何とも数奇な運命であると感じる。
その青木はトゥーリオの日本人帰化という大変動により惜しくも五輪本戦を前に落選となってしまったが、細貝にはそういうことはなく、ボランチからDF陣まで守備的なポジションなら幅広く埋められる細貝の能力は徐々にチームに浸透し、そして11月21日、五輪最終予選の最終決戦サウジアラビア戦、引き分け以上なら五輪進出、負ければ敗退という大一番において、細貝は本職であるボランチで登場となった。
この背景にはチームとしての様々な事情があったようであり、それまでボランチを務める事が多かった広島の柏木が最も得意なトップ下に就き、伊野波がDFラインに下がるというチーム事情もあり、結果的にボランチの席が空いた形だった。
いや、それは言い方が悪い。
細貝の能力がボランチの席をついにはこじ空けたのだ。
予選サウジとの最終決戦での活躍
実はいつかは載せたいと思ってきたこの細貝のページを満を持していよいよアップするきっかけとなったのがこのサウジ戦だった。
将来の参考のためにもここでその時のメンバーを載せておく。
20李 11岡崎
17柏木
8本田 7水野
6青山 2細貝
4水元 5伊野波 3青山
41西河
レッズではほとんど本職のボランチをやらせてもらえず、右サイドなどでの起用であまり輝きが無い細貝だが、この五輪代表の中でのボランチの細貝は輝いていた。
レッズの中で闘うという意味を十二分に理解し修得していった細貝は、まず球際での強さが際だった。
高校まではほとんど守備なんてしなかったと自らコメントしている細貝ではあるが、レッズでのDFとしての経験は確実に細貝を成長させた。
五輪に向け逆転進出のためには勝利しかないサウジの猛攻をしっかりと受け止め、精力的にプレスをかけ続けボールを奪った。
元々細貝にはDFラインの伊野波などが上がった後も、DFラインの中心に入りリベロの代役となる役割も与えられていたが、しかし細貝は守備での働きだけでは良しとしなかった。
厳しい守備の役割の中でも折を見て攻撃にも積極的に参加し、特に後半10分過ぎのペナルティ右サイドからのぽっかりスペースが空いた中での走り込んでのシュートは、この日大当たりだった相手GKワリードの好調が無ければ確実にゴールに入っているべきシーンだった。
(おそらくこの試合の中で1、2を争う決定機だった)
結局サウジとのこの死闘は0−0のドローとなったが、内容的には明らかにホームの日本が圧しており、2点はとっていていい試合だった。
重ね重ね、この日の相手GKの出来が良すぎた。
中東のGKは時折世界一のキーパーになり得る。
やはりその身体能力の高さゆえか。
この試合の中で、特に高評価を受けたのがこのボランチの細貝とそして広島の青山の2人だった。
この試合を見る限り、五輪本戦のボランチはこの2人でまず間違いないと確信させるものだった。
メンバー固定の弊害がまざまざのレッズ
それにしてもこれだけ五輪で頭角をあらわしてきた細貝だが、まだまだレッズでの障壁は高く、そしてオジェック監督のあまりのメンバーの固定化はいい加減弊害が顕著化されている。
やはりACL、リーグ戦とあまりにレッズ・オジェック監督は欲張り過ぎた。
自分も疑問に思うほどメンバーをほとんど変える事無くほぼ同じメンバーで平日のACLと週末のJリーグを戦い抜き、その結果ACLは準決勝、決勝と徐々に優勝に向けモチベーションが高まってきた中で、Jリーグの方は貯金もあったためかモチベーションがやや落ち、身体の疲労をカバーするモチベーションの低下はそのままパフォーマンスの低下に直結した。
特に中盤の啓太や長谷部の2人はどんな状況においても必ずスタメンフル出場であり、どれだけこの2人が優れていようとも、いい加減疲労の色は隠せなかった。
結果として、名古屋戦、川崎戦、清水戦と泥沼の3引き分けとなり、連勝の波に乗る鹿島に徐々に差を縮められ、ついには最終節一歩手前の鹿島との直接対決で10人となった鹿島に対し、流れの中から素晴らしいゴールを決められるという、レッズにとっては滅多にお目にかかれない失点をしてしまい0−1で敗戦。
このまさかの敗北により勝ち点差は一気に1に縮まり、早ければ2試合残して優勝が決まる可能性もあった独走レッズが、ついには最終節まで勝ち点1差でもつれ込むという波乱となってしまった。
疲労がたたりJ2下位の愛媛にも負ける
そんな最終節を間近に控えた中で11月28日に行われた天皇杯第4回戦でJ2の下位に低迷する愛媛と対戦したレッズ。
優勝のかかるリーグ戦最終戦に向け、FWワシントンやMFポンテ、MF平川、DF阿部、GK都筑を温存させたレッズの中で、細貝も右サイドで出場したわけだが、それでもMF啓太やMF長谷部といった軸は残した。
しかし、結局はこの辺のメンバーがあまりに疲弊しすぎていたようであり、J2で6連敗中という不調のはずの愛媛に対し、0−2という完敗で敗退となった。
どうせなら、もっと早い段階でこういった控え選手も含めたローテーションを行っておくべきだった。
急な選手の入れ替えは連携が不足する要因にしかならず、更に最も走らなければいけない中盤には最も疲弊してしまっている長谷部、啓太を起用したところで、ますますギャップは生じてしまう。
愛媛の監督からは、レッズは疲れていたようだ、とあり、トゥーリオのコメントからは、休ませるなら休ませるで中途半端すぎる、という言葉からもそれがにじみ出ている。
この愛媛のレッズからの大金星は3年前のJFLザスパのマリノス撃破に非常に似ている。
表立ってのメンバー的にはそんなに遜色ないはずが、やはり連携の差、モチベーションの差は個人の能力の差など打ち消してしまうのがサッカーというスポーツだ。
もっと柔軟な選手起用をすべき
もっと早く、勝ち点にまだ余裕のあったリーグ戦の中で啓太のアンカーの代わりに内舘を、長谷部のセントラルMFの代わりに細貝を併用し、この2人の主力をうまく休ませていれば、天皇杯の4回戦での敗退などあり得なかったはずだ。
リーグ戦の3引き分けという、不毛な戦いは全くの無駄だった。
負けなかった事が収穫とはよく言うが、結果的に1勝2敗と同じわけだし、それならもっと選手をうまく入れ替え、チーム全体のパフォーマンスを維持させることに務めるべきだった。
元来レッズはドイツ色の強いチームではあるが、しかしやっている選手達はドイツ人ではない。
日本人の身体はそんなに頑丈には作られていない。
結果として、過去2年の天皇杯の時期と同じく、キャプテン山田ら負傷者も続々出ている。
幸いにも今年はもう天皇杯はないので、元日まで戦う必要はないが・・・
もっと細貝らの控え陣の力を認め、来年以降は長谷部らの代役を堂々と任せる事を望む。
2008シーズンの展望
来年はいよいよ北京オリンピックという舞台が待っている。
予選での最終戦でいよいよその力を見せつけた細貝には、いよいよ五輪代表のレギュラーの座も確保できるだろう。
五輪での活躍は当然そのまま次期日本代表へと繋がる道にもなる。
特に現在の日本代表はあまりメンバーを固定もされておらず、オシム監督も残念ながら急病を患い監督交代の話も出てきたため、まだまだ2010年南アW杯まではメンバーが右往左往しそうだ。
五輪での活躍はレッズでのポジションの確保にもつながる。
レッズでレギュラーとなれば、自ずと代表の道も開ける。
プレースタイルからしても細貝は日本人らしい優秀な中盤の素質を秘めている。
それが冒頭に述べた、小野や中田ヒデらに通じる天才肌という資質だ。
つまり、将来海外で活躍することも十分可能性がある。
実際、来期以降はMF長谷部あたりが海外に移籍する可能性もある。
まあ代替の利きにくい長谷部のような選手に対してレッズがどう動くかも問題だが、長谷部自身にとっては、そろそろ海外というカテゴリーを経験しておくべき時期だろう。
そうなればいよいよもって長谷部の代役は細貝以外に考えられない。
小野はやはりオランダでの大怪我以降、機動力が減ってしまった。
小野、長谷部という目標であり越えるべき壁
細貝は今後、小野の超絶のテクニックであったり、長谷部の中盤の選手としての機動力、安定した守備と攻撃時のキレをなるべく身につけていくべきだ。
特に長谷部の機動力、運動量、そしてその動きの中での攻守に渡るプレーの正確さは現在の日本人プレーヤーの中において特筆すべきものであり、レッズで極端に酷使されない限りは必ずや日本代表に必要なプレーヤーだ。
どうも細貝は、レッズというチームの中ではまだ長谷部のように大胆にピッチを駆けめぐる事ができていない。
おそらく右サイドでの起用などで、まずは自分のポジション、役割をしっかり守るといった勝手な制約が働いてしまっているように感じる。
あのサウジ戦でみせた、攻守に活躍する細貝ならば、十分に長谷部の代役を務められる。
そうしてレッズでレギュラーの座を掴みとれば、めきめきと試合を通じてレベルアップしていく事だろう。
それがレッズのレギュラーであるという事だ。
細貝はそのレギュラーの座を自分の努力次第で手に入れられるポジションにいる。
だって細貝は現在のところレッズの中で唯一の若手プレーヤーなのだから。
多かれ少なかれ、あのオジェック監督が来季も指揮を続ける限り、今季以上の選手の疲弊は目に見えている。
日本代表の南アW杯の予選もはじまり、レッズのレギュラークラスは皆そちらにも呼ばれる。
上記したとおり、今のところサイド、ボランチ、DFと3列目以下ならどこでもポジションにつける細貝には絶対に出場機会が増える。
そのチャンスを逃さず、小野や長谷部を超えるような選手に成長して欲しいと願う。
(07.11.29UP)
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