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〜2012シーズンをもって現役引退表明〜
ザスパ草津 群馬出身メンバー紹介
NO.7 DF(MF)
”蒼き疾風”
佐田 聡太郎


横棒


スピードが武器のサイドの職人

佐田 聡太郎(さだ そうたろう)
生年月日 1984年3月18日
身長/体重 175cm/65kg
血液型 O型
出身地 群馬県前橋市
利き足 右

〜経歴〜
前橋育英('99〜'02 '02ベスト4)
サンフレッチェ広島('02〜'03)

−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)

J1・J2広島
'02 J1
'03 J2

J2・JFL草津
'04 JFL・19
'05 J2・26(2)、天皇杯・2
'06 J2・45(4)、天皇杯・2
'07 J2・39、天皇杯・1
'08 J2・10 天皇杯・1
'09 J2・44(1) 天皇杯・1
'10 J2・25(1) 天皇杯・1
'11 J2・13 天皇杯・1

JFL長野
'12 JFL・13(1)

ザスパ草津DF7佐田聡太郎
右サイドを駆け上がる佐田





JFL長野に移籍も、1年で現役引退表明・・・

2011年のザスパ草津からの放出となり、佐田が移籍した先はJFLの強豪・AC長野パルセイロだった。

Jリーグ加盟に登録していないものの、並み居る強豪を抑えてJFLでの優勝を目指す長野の中で、佐田は開幕こそ左サイドバックでのスタメンで長野デビューを飾り、しばらくは主力サイドバックとして活躍したものの、シーズン中盤からは出場機会を減らしベンチに入る事が多くなる。

7月22日の高田保則引退試合でのザスパOBオールスター戦では、久々に元気な姿を披露してくれたものの、そもそもシーズン中に参加できるということは、レギュラーから落ちているという事実でもあった。


家族を群馬に残しての単身赴任、JFLというアマチュアリーグ、チームの中での環境の劇的な変化、それなのに、どんなに勝っても決してJリーグに上がれるわけではないという、非加盟チームゆえのモチベーションの維持の難しさなどもあるのかもしれない。

とにかく、なかなか佐田の力を発揮できないままにシーズンが終わりに来て、ついに引退を決意となった。


本人としては、ザスパを離れた時点で既にある程度の覚悟はあったのだろう。
家族と離れての長野での1年間はまさに自分と向き合った1年だったのでは無いだろうか。

この決意は決してマイナス方向ではないだろう。
30歳という節目を迎える中、きっぱりケジメをつけ、そして家族も含め将来をしっかり見据える。

男として決めた事だ。



松田メモリアルで元気なプレーを披露!!

そして年も明けた2013年1月20日、松田直樹メモリアル新春ドリームマッチ群馬にて、群馬出身チームで久々の敷島で元気な姿を披露。

鋭い一瞬のスピードを活かした縦への突破など、果敢に右サイドを蹂躙し、現役時代では最近潜めつつあった伸び伸びとしたプレーを見せてくれた。


 
さすがは、ほぼ現役のキレを魅せたMF7佐田聡太郎

 松田直樹メモリアル新春ドリームマッチ群馬2013 群馬県出身チームでキレの良い動きで活躍の佐田!!(13.1.20) 




やはり佐田というプレーヤーは良い選手だった。

ザスパでの8年間、主にサイドバックながら本当によく似合った7番を背負い、蒼き疾風の名のとおり、機動力の代名詞が佐田だった。

サッカーにおいて、この機動力こそは最大の武器だ。

未だにあの、天皇杯で新潟と戦った時の、恐ろしい程の上下運動、スピードで右サイドを制圧したあのプレーは忘れられない。

全盛期にはその機動力を活かし、神出鬼没に相手ゴール前まで上がり、伏兵的に見事なゴールを決めたりもした。


鍛錬がそのまま表に出るタイプのプレーヤーだった。

一時期は草津温泉で働きながら培ったプロとしての意志の強さには本当に敬意に表する。

この後、佐田がどういった進路を歩むのかはまだよく分からないが、きっとこれからも群馬サッカー界の発展に貢献してくれるものと信じる。





最後に個人的な事を書くと、佐田と前橋育英の2つ先輩であるFW佐藤正美選手を主に応援するために毎週のように練習場に行っていた頃、私の顔を覚えてくれ正美選手の場所を気さくに教えてくれたのが佐田選手だった。

まあ私にとっては育英ベスト4のタレント集団の一員である佐田選手も立派なお目当ての選手であり、その時は正美選手が来る前に佐田選手にサインや写真をお願いしようと近づいたわけだが、そういった求めにもあの爽やかな笑顔で快くいつも応じてくれた。
同じ生粋の前橋出身という事もあるが、間違いなく正美選手の次に好きな選手だったし、たくさんのファンから本当に愛された選手で、一昨年の天皇杯で久々に敷島のピッチでスタメンとなった時の佐田選手への歓声は一際大きなモノだった。


佐田選手、たくさんのプレーを有り難う!11年間、本当にお疲れ様!!




(13.1.23UP)







残念ながら2011シーズンをもって放出・・・

昨年のFW高田騒動に続いての衝撃だった。

2011シーズンをもって、DF7佐田聡太郎との未契約を決定・・・


確かに、予感が無かったかといえば嘘になる。

ここ近年、チェ・ソンヨンとのポジション争いに始まり、佐田は常に西澤や古林といったライバル達と熾烈なポジション争いを強いられた。

しかし、2008年にチェ・ソンヨンにポジションを完全に奪われながらも、2009年には実力で奪還し、2010シーズンも西澤とのポジション争いを演じながらも、やはり守備力は佐田の方が上であり、守備を引き締める際には必ず佐田が起用された。

2010年は結局、西澤の攻撃力を活かしながら、佐田の守備力、機動力を活かす形で佐田を左サイドで起用する事も多くなり、そこにDF田中、DF有薗、DF御厨を組み合わせた4バックはまさに4本の矢として2010シーズン後半のザスパ守備陣を支え、大変粘り強い守備陣を作り上げる事に佐田の力は活かされた。



そして2011シーズン、湘南から若い古林がレンタルされてきた。

開幕こそ守備陣の連携を重視しスタメンで起用されたものの、その直後の震災で中断となり、その間に古林にレギュラーの座を奪われる形で長い間ベンチを温める事となる。

その間、古林はメキメキとその攻撃力を発揮しはじめ、守備で致命的なミスを度々犯しつつも、そのミスを帳消しにするほどのオーバーラップからのクロス、シュートを放ちまくり、頭角を表す。


結局、夏場に左サイドバックの永田が怪我で離脱した時期の代役として起用され、しばらくは左サイドながら持ち前の守備力、機動力でチームに安定をもたらし、ラフィーニャ離脱ショックに揺れるチームをなんとか支えた。


しかし、その後永田が怪我から復帰すると再びベンチに戻る事となり、古林はますます佐田に代わるザスパの右サイドの代名詞として活躍。

その頃には熊林、松下といったサイドチェンジの名手達との相性もマッチする形で、相手の左サイドが少しでもスペースを空かそうものなら必ず古林がそのスペースを突き、決定的な起点となり続けた。

そして古林の攻撃力はラスト10戦の不敗の追い上げの原動力となった。



天皇杯でみせた佐田の高い能力

こうして古林にすっかりとお株を奪われてしまった今シーズンの佐田だったが、しかし10/8の天皇杯で久々にスタメンで起用された佐田の動きは秀逸だった。

その頃はチームの状況もどん底で、どうにか変革が求められた時期であり、未だ攻守に不安定感をみせていた左サイドバックの永田に代え、佐田が左サイドで起用。

その試合で佐田は岡山の貴重な武器である右サイドのFW7妹尾やMF2澤口らの攻撃を粘り強い守備でしっかり対応し、ほとんど崩されるという場面は無かった。

攻撃でもその機動力をもって積極的な攻め上がりをみせ、後半立ち上がりには本当に惜しい、決定的なシュートも放った。


佐田聡太郎、未だ健在。

試合には惜敗したものの、はっきりとそうアピールできたはずの試合だった。


DF7佐田聡太郎
H23.10.8天皇杯第2回戦 岡山戦で健在ぶりをアピールした佐田



人気、実力のある選手をなぜ切る??

実際、ここ近年フィジカルのトレーニングにも力を入れてきた佐田の守備力は相当なものだった。
逆サイドから攻められた時のクロスに対しゴールファー側で相手FWとヘディングで競らなければいけない場面が多いが、そういった場面で競り負けるという所は近年ほとんど見られない。

そのフィジカル、そして機動力を活かしたサイドでのいち早いチェック、絶対抜かれない集中力と、サイドバックの守備として近年の佐田は完成の域にあった。


天皇杯でも見せてくれたとおり、佐田の特徴である豊富な運動量、機動力からのオーバーラップも当然健在。

右サイドはもはや古林を外せずとも、佐田をベンチに置くのはあまりに惜しいので、やはり守備が不安な永田ではなく佐田を起用するか、もしくは古林を1列上げて3シャドーの一角に置く手もあるのでは、とこのHPでも書いてきた。


そんなもったいない能力の高さをもった佐田を、まだ28歳になるこのタイミングで切るか・・・


加齢と共に実力が厳しくなってきたのなら分かる。

しかし、昨年の高田の時も同様だが、なぜまだまだチームに多大な貢献をもたらし、なおかつサポータからも絶大な人気を誇る人気実力共に大きな戦力をわざわざ切るのか。

こういっちゃ何だが、だったら他に切るべきところはある。



特に佐田の場合、まだ年齢が20代ということもあり、まだまだ切るタイミングが最低2、3年早い。

そして左サイドバック寺田の時もそうだったが、古林がレンタル元の湘南に帰るのが確実だというのに、なぜ代わりの戦力の目処が立たずに切るのかさっぱり意味が分からない。

現に今も寺田の代わりの絶対的な左サイドは不在であり、昨年の佐藤将太や、今年の永田といった、1年しかいない若手をレンタルで連れてきている程度。

古林が湘南に帰る来年は、また未知数な若手達にその右サイドを託す事となるが、左サイドもこなせる佐田という貴重な戦力が不在で本当にいいのか、大いに疑問だ。



チームへの忠誠心、モチベーションの重要性

もう一度言うが、しかも佐田はチーム内でも相当の人気を誇る地元前橋出身の郷土プレーヤー。

JFL時代、草津温泉地で働きながら昇格を目指しサッカーをしてきた時代を知り、8年に渡ってザスパに貢献し続けてきた功労者。


こういった選手をまだ20代のうちに切るという事が、どれだけ選手やサポータらのチーム愛というものに不信を抱かせるか、本当に理解できているのだろうか。

こんな事では選手達も、いつクビを切られるか分からない不安定な中で、チームへの忠誠心も薄れ、モチベーションも上がらない。

その忠誠心、モチベーションといったものは応援する側も然りであり、実際私をはじめ昨年の高田切り以来、どうもザスパを心の底から応援できていないというサポータの声は少なくはない。




一部のサポータ、ファンはそういった選手を切っても、そのお金でより強い選手を連れてきて、昇格に向けて勝っていければまた人気も上がると安易に言う。


私にとっては、そんな意見など全くのナンセンスで浅はかな考えであると吐いて捨てる思いだ。


どんなに強い戦力を揃えようとも、絶対勝てるという保証が無いのがサッカーというスポーツであり、実際今シーズンのザスパも選手の総年俸は未だリーグ下位ながらも、9位という好順位でシーズンを終える事ができた。
逆に2倍はお金をかけているのでは、というチームがザスパよりも下にいる。


来年からはいよいよJ2にも降格の可能性が加わる事となり、チームは降格ラインに落ちないような強さと共に、本当の意味で芯の強い、クラブとしての強さを持つ必要が出てくる。

例えば、もし万が一J2からいったん落ちようとも、すぐさま財政難、チーム解散となるのではなく、変わらぬ人気を維持し、1年でJ2に復帰するような強さが求められる。



そこに必要なのが選手やサポータらのチームに対する忠誠心だ。

チームが苦しい時にこそその忠誠心が試されるわけであり、先に述べたような勝てばいいといった見てくれの応援では全く役に立たない。

その最たるものが最近チーム存続問題に揺れるヴェルディだろう。


強かった読売時代はあれほどの栄華を極めたヴェルディも、いざJ2降格といった転落が始まると、あっさり川崎を捨てるような根無し草体質もあって応援の基盤を無くし、今もあがき苦しんでいる状態。


あれこそ、強いヴェルディでなければあっさりと応援をやめるといった、根付いていないサポータ達との関係性が見えてくる。



ザスパはこんな顛末を迎えてはならない。

あくまでもまずは群馬県代表としてのクラブチームをしっかりと根付かせ、揺るぎない人気を獲得していかなければいけない。

そのためには、佐田のような有望な地元プレーヤーをまずは充足させる事が一番だ。


まずは選手、サポータ一体となったファミリーとしてのクラブ作りを目指し、忠誠心を獲得していく。


そして、昨年の高田切りや今年の佐田切りのような事を続けていては、とてもそんな忠誠心など得られるはずもない。



フロントはもう一度考えるべきだろう。

ザスパ草津というクラブが今後存続するためには、見てくれの強さだけを求めてブラジル人の補強と、1年しかいない若手のレンタルに腐心するべきなのか、本当にチームの血となり肉となる戦力をしっかりと獲得して育てるのかという事を。

このままブラジル人や若手レンタルといった助っ人にばかり毎年頼るチーム作りを続けていては、いずれ張り子の虎として風に飛ばされて消えてしまう事だろう。






佐田は現役続行を目指し、トライアウトにも参加している。

しかし、もしどこのJリーグチームとの契約にもならなかったとしたら・・・

佐田と再契約すべきだ。



あれほどの功労者で、まだまだチームに必要な戦力を、今切ってはいけない。

財産といえる戦力とは、まさに佐田の事だ。






(11.12.25UP)







佐田聡太郎2009の総括

元韓国代表のコリアンタイガー・チェ・ソンヨンの大型加入により2008シーズンは完全に控えという扱いで辛酸を舐めた佐田だったが、2009年は佐野新監督の元でレギュラーに復帰。

シーズン途中や天皇杯などはソンヨンに代わってもらったものの、ほぼシーズンを通してザスパ草津の右サイドバックの代名詞として復活を遂げた。

ここ最近のシーズンはあまり得点に絡めなかったが、このシーズンでは得点、アシストもマークし、積極的な縦への攻め上がりはやはりチームにとって不可欠な存在だった。

そんな佐田の2009年を総括として振り返りたい。



見事レギュラーに復権した2009開幕

1年前の2008シーズンが完全に元韓国代表のチェ・ソンヨンにポジションを奪われていたため、この2009シーズンも厳しいものになるのでは、と誰もが予想したが、しかし監督が佐野監督に代わった事でレギュラー争いが白紙の状態から始まり、その中で佐田は見事レギュラーに復権し2009シーズンの開幕を迎える。

2008シーズンの憂さを晴らすかのように積極的に縦に出ていき、クロスを上げまくる。
ザスパは中盤がポゼッション重視のメンバーであるため、必然的にサイドから縦に出て行くサイドバックが不可欠であり、まさに右の佐田、左の寺田という2人はこの縦へのスピードがある攻撃面で有効だった。
常々私が提唱する事で、ザスパのシステムにおいては両サイドバックが積極的に前に出て行かなければチームの形として成り立たない、と言っている事がまさにこの事。

チェ・ソンヨンは特に安定した守備面で定評があるものの、この縦への攻撃という点ではやはり年齢もあるせいか物足りない。
トータルフットボールをかかげ、特にサイドバックに攻撃力を求める佐野監督にとっては、佐田こそが右サイドバックのファーストチョイスに相応しい人材だった。
ちなみに左サイドバックはなんとレッズからのレンタルFW小池をコンバートし、早々に左サイドバックのレギュラーに定着させ、いかに佐野監督がこのサイドに攻撃力を欲しがっていたかが伺える。



チームは下降気味となる中・・・

開幕3連勝を飾りすっかりレギュラーに定着した佐田だったが、チームはその後徐々に下降気味となり、第1クール終盤にはあろうことかホーム正田スタで栃木SCとの北関東ダービーに敗戦するという、あってはならない事が起きてしまう。

これまであまりメンバーとやり方を変えなかった佐野監督も、これにはさすがにテコ入れをしないわけにはいかず、連戦の疲れもあって左の小池、右の佐田を代えて、寺田、ソンヨンを次の岡山戦で起用。

代わって入ったソンヨンはそれまでザスパに欠けていた守備の安定を発揮させ、3−0の勝利に貢献、更にこの勝利の勢いを持続させるべく、全くメンバーを代えずに挑んだヴェルディ戦でも3−0という大差で連勝を飾る。

だが、ソンヨンがこのまま佐田に代わってレギュラー復帰かとも思われたが、キャンプからの怪我がたたってソンヨンが一時リタイアとなり、再び2試合空けて佐田がスタメンに復帰。


その後も佐田の出場停止やシーズン終盤の疲労がたまってきた時期は何回かソンヨンにスタメンの座を明け渡したものの、ほぼシーズンを通して佐田は確固たるザスパの右サイドバックとしてレギュラーであり続けた。



守備力の向上が見える中、更なる攻撃の精度に期待

ここまで書いた文章からだと、守備のソンヨン、攻撃の佐田、という図式に見えるが、佐田の守備力はJリーグでの経験と共に日増しに増してきている印象がある。
左サイドバックにコンバートされ、守備に不慣れだった小池に対し、佐田は相手の左への攻撃の際にはファーポストで第3のセンターバックとしてしっかり相手にマークし、そう簡単にはクロスに対して得点を許さなかった。
当然自分の右サイドに攻め入られた時も、しっかりと相手の動きを見極め、得意の走力を活かして相手に食らいつき、サイドバックとしてほぼパーフェクトな守備をしていると思う。

ただ、やはり積極的な縦への攻撃参加こそが佐田の特長であり、そのために右サイドに穴が空く時はどうしてもある。
その点が守備の穴、欠陥というのはあまりに早計であり、それこそチームとしていかにフォローできるかが組織力というものだ。


その特長ともいえる攻撃力に関しても、2009シーズンの得点やアシストはあまり実績として多くない。
あれだけ多くの攻撃参加をし、クロスやシュートを放っているのに、数字的には寂しい。

そうなれば、やはり精度を上げるしかない。
あれだけの走力と攻撃センスがあるのだから、あとはキックの質、精度を練習の中で上げていく他ない。
本人もそこは十分に分かって取り組んでいる事だろう。


2010シーズン、新たなサイドバックの戦力も入り、監督も副島監督に代わるため、また白紙からの一からのスタートとなる。

そんな中でも、やはりザスパの右には佐田以外にあり得ないという確固たる存在感を示して欲しい。





(10.02.17UP)







〜元Fファンの勝手な批評〜


佐田聡太郎2008の総括

DF7佐田聡太郎
2008.10.12天皇杯第3回戦にて
右サイドで激しい上下運動も厭わない佐田



佐田にとって2008シーズンはかなり厳しいシーズンとなった。

シーズン前から懸念はしていたとおり、元韓国代表・チェ・ソンヨンの加入はやはり絶大なものだった。

しかし、だからといってサッカーとはポジションが1つしかないわけではないし、本当に佐田を控えのまま置いておくことが正解だったのか、最後まで疑問符の付く1年だった。

そんな佐田の2008シーズンの総括を書いておきたい。



立ちはだかったソンヨンという壁

2006、2007シーズンと、ザスパ右サイドバックの代名詞でもあった佐田だったが、2008シーズンに加入した元韓国代表で2度のワールドカップ出場というザスパの中でもずば抜けた経歴を持つチェ・ソンヨンという壁は予想以上に大きなものとなった。

開幕当初から当然のようにソンヨンが右サイドバック固定となり、ベンチがメインとなる。

3月末にはソンヨンが負傷をしたこともあって2試合フル出場となるも、ソンヨンが復帰してからはまた控えに回る事となり、4月は出番なし。

しかしチームも4月は良い成績が収められず、起爆剤として5月、佐田に出番が回ってくる。

ソンヨンをいったん休ませて右サイドバックで使われたと思えば、次の試合では左サイドバックで使われるなど、この辺はまだ植木監督もサイドバックの人選について迷いが見られた。


そんな中、5月6日の徳島戦では終盤に右サイドからクロスを送り、ゴール前でエース高田が押し込むという最高の形で3−2の試合の決勝アシストを決めるなど、佐田のシーズンはようやく始まった!!・・・かに見えた。



見せつけた機動力だったが??なぜ起用されない??

しかし、5月10日のセレッソ戦で完敗を喫すると、その試合を境に佐田の存在感が急に無くなり、あまり使われなくなってしまう。
まるでセレッソ戦での敗北の責任が佐田にあるかのような扱われようだった。


だが、5月25日の首位・広島戦で、植木監督は奇襲策を用い、佐田をなんとFWとして後藤涼と2トップを組ませる。

これは大変見応えのある作戦であり、佐田と涼の2トップは前線から広島に対し激しいチェイシングを仕掛け、本来劣勢であるはずの試合の流れをザスパの方に引き寄せた。

この試合、結果は前半終了間際のコーナーキックからの不運な失点により惜敗となるも、佐田の機動力はやはり控えにしておくにはもったいない!と再認識させられた試合だった。


・・・だったのだが・・・

その後の6月から7月頭にかけてはベンチには座るものの出番なく、そのまま9月20日のソンヨンのイエロー累積による欠場以外は出番が無いまま。

そして10月12日の徳島セカンドとの天皇杯で、ソンヨンを休ませる代理として出場し、そのままシーズンが終わってしまった。



プロの厳しさを感じた1年

総じて、佐田は佐田なりにかなり頑張った1年だったと思う。

しかし、これだけ頑張ったのに、なかなか思うように試合で使ってもらえない。
結果もそんなに残せなかったわけでもないのに、それでもレギュラーとしては扱ってもらえない。

そんな、プロの世界の厳しさを再認識させられる1年だった。


あの広島戦での佐田の機動力、そしてそれにより引っ張られて好パフォーマンスをみせたチームとの連動でもわかるとおり、佐田の機動力を活かさない手はないはずだ。

ソンヨンの右サイドバックが悪いとは言わないが、右サイドバック以外でも前線で使ってもいいし、後半の投入での起爆剤でもいいだろう。

とにかく、なぜここまで使ってもらえなかったのかが分からない。



2009年はレギュラー奪還を

はっきりいって、ソンヨンが絶対的な右サイドバックであるとは私は思っていない。

サイドのプレーヤーとしてはいい加減加齢もあってスピードも不足気味だし、アップダウンの運動量も試合を通じて発揮できるわけではない。
この辺はベテランゆえにうまくペース配分しているともいえるが。

確かにソンヨンのここぞという時の終盤の攻め上がり、そして骨太なクロスの精度には唸らせるものがある。


しかし佐田にはやはりあの機動力、スピード、運動量があり、2006シーズンに見せたような攻撃力だってある。

監督交代となった2009年はチャンスの年でもある。

ソンヨンからいろいろな事を盗み、そしてソンヨンを実力で上回るプレーヤーとならなければいけない。

結局、どんなに大きな壁であろうとも、それを乗り越えなくてはプロとしての成長はないし、プロとしてやっていけない。

確かに非常に苦しい時期ではあるが、ここを乗り越えて2009年を飛躍の年として欲しい。



やはりザスパの右サイドバックには佐田の姿がよく似合う。







(09.02.05UP)







佐田聡太郎2007の総括

植木体制のもと、2006シーズンに引き続き2007シーズンも右サイドのレギュラーとして固定されて起用され続けた年だった。

ただ、2006に比べると”完全”固定とまでは言えなかったのがやや残念。
そんな紆余曲折な要素がやや入った佐田の2007シーズンを総括したいと思う。


第2クールでの負傷離脱

シーズン序盤から佐田は当然のように右サイドバックに完全固定。
持ち前のスピード、運動量、クロス、守備にと奮闘し、第1クールの好調な戦績(4勝4分4敗)に貢献した。

しかしレッドカードや累積欠場などでややチームが乱れはじめた第2クールに入ったところで練習中に左膝に大怪我を覆い戦線を離脱。

あまりここまで大きな怪我をしたことが無かったという佐田本人にとってもショックな怪我であったらしく、チームとしても絶対固定されてきたこのレギュラーの不在は下降気味だったチームの不調を決定的なものとしてしまった。

しばらくの間はセンターバックのDF4田中や今シーズンは攻撃的MFで固定されていたMF6鳥居塚などをその場しのぎで右サイドバックに回すものの、田中ではサイド攻撃、クロスにどうしても難があるし、鳥居塚ではサイドの守備のスピードに付ききれない場面も目立った。


やはりザスパには佐田が必要だ。

そう強く感じる時期であった。
まあ、できればこの時期に鹿島からのレンタルDF16山本を1試合くらいは試して欲しかったが・・・


佐田の代わりの適正な右サイドの起用もないままチームの調子は落ち込み、この時佐田自身もコメントに残しているとおり、自分自身がチームに必要だということを痛感し、その後リハビリに努め、第2クールの最後の最後になって予定よりも早い復帰を果たす。





シーズン終盤、ベテラン喜多の謎のサイド起用

佐田が右サイドに復帰し、左サイドには寺田が固定されはじめた事でようやくチームの形としては理想型に近づく事となり、第3クール途中からは徐々にチームも内容が伴ってくる。

しかし最後の第4クール途中、ベテランDF喜多が飛び込みの形で中途加入となり、そのベテランの経験を強く欲した植木監督は喜多の起用に固執しがちとなる。

佐田の調子が落ちてきた事を理由に、11月の天皇杯第4回戦から急に佐田をベンチに置き喜多を右サイドバックで起用するようになる。
しかしいくら佐田の調子が落ち気味だといっても、だからといって喜多の方が良いというわけでは決して無く、攻撃にも守備にも慎重的なベテラン喜多のプレーはチームの勢いを殺すものとなった。

まさに2006シーズンのMF秋葉の補強の大失敗を彷彿とさせるベテラン起用の固執ぶりとなり、これはもはや植木監督の悪癖と諦めるしかないのかもしれないが、それにしても非道かった。


何よりも喜多のサイドの守備は使えない。
絶対抜かれまいと、セーフティーな間合いをとるのはわかるが、間合いをあまりに取りすぎており、簡単に相手にクロスを上げさせてしまう。
つまり、クロスを上げられるのは仕方ない、抜かれるのだけは避けたい、という完全受け身の守備であり、この点についてはやはり喜多はセンターバックなのだと感じる。

攻撃でもあまり役に立たない喜多の右サイドバック起用なのに、守備でもダメならじゃあなぜ起用するのかさっぱりわからなかったが、それでも喜多は最後まで右サイドバックや時には左サイドバックで起用され続けた。
2008シーズンはこの喜多のサイド起用だけは本当に勘弁してもらいたいと切に願う。



なぜサイドが攻撃参加する事が必要か?

なぜ右の佐田や左の寺田のようなスピードに優れる選手がサイドには必要なのか?

つまりはサイドにこそスピードが求められるからだ。
ザスパの4−3−3の場合、布陣はだいたい下のとおりだが、

高田
カレカ     鳥居塚
櫻田
秋葉 松下
寺田         佐田
チカ 尾本

本田


特に右サイドの場合、右攻撃的MFの鳥居塚は決してスピードで勝負するタイプでなく、どちらかというと中央に絞ってのプレーが多くなる。
中盤の3人のプレーヤーにしても鳥居塚と同じであり、決してスピードや機動力で勝負するタイプではないため、ここで絶対に佐田が右サイドをガンガンスピードで上がりまくる必要が出てくる。

そうでなければ右サイドの中央の広大なエリアは敵が自由に使えるスペースとなってしまい、必ず攻撃の起点に使われる。
もちろんザスパの右サイドをケアしなくても良くなった敵の左サイドの選手は、ほぼ攻撃のみに専念すればいいという事にもつながる。

よって佐田のような選手が右サイドを上がらない事は片腕をもいだ状態で戦いを挑むようなもので、非常に不利となる。
例えその攻撃が得点に直結しないとしても、それでもサイドバックが上がらなければ、攻撃的MFにスピード溢れるアタッカーが少ないザスパにとってはチームとしての形にならないのだ。
攻撃面だけでなく、サイドの攻防は守備面の強化にも直結する。

以上がこういったシステムの当然でいて当たり前の約束事のはずだが、それを無視しても植木監督はベテラン喜多の起用に固執した。
まあこの辺は植木監督ゆえの弱点であり、ある程度受け入れるしかないのがザスパの実情だろうか・・・
個人的には大変もったいない采配に思えて仕方ないが。



シーズン終わり、攻撃面が次期課題?

結局終盤は喜多の加入でやや起用がおかしくはなったものの、その後佐田は右の前線、ウィングの位置で使われる事が2試合続くなど植木監督もいろいろと模索し、そして最後はまた右サイドバックへと戻りシーズンを終える。


以上のとおり”完全”とはいえないまでもほぼ右サイドバックに固定され活躍した2007シーズンではあったが、やはり2006シーズンと比べると確かに運動量、攻撃のキレ、クロスの精度などはやや陰りがあったのかもしれない。

佐田のクロスから得点に直結するシーンが少なかったのは確かに事実だし、自身もゼロ得点と、なかなか得点シーンに絡めなかった。

先に書いたとおり、攻撃面での活躍がチームの浮沈の鍵を握る重要なポジションであるため、2008シーズンはますます攻撃面の磨きに期待したい。



2008シーズンは激しいポジション争いに

さて、その2008シーズンだが、佐田にとっては非常に窮地に立たされる事情が伴う事となる。

このページをご覧になっている方なら十分周知のとおり、元韓国代表DFチェ・ソンヨンが加入したのだ。

韓国代表ではボランチなどもやっていたらしいが、本職はもちろん右サイドバックであり、かつては突破力とクロスの精度で勝負するタイプだったらしい。

当然の事ながら植木監督の構想としては、まず右サイドバックはこのチェありきという事になるだろう。

基本的に今のザスパのシステムの中では佐田のポジションとしては右サイドバック以外は考えにくく(左サイドバックもあるが、左は新加入の石亀と寺田がいる激戦区)、まずはこのチェとのポジション争いを制する必要がある。

ほぼこれまで同じポジションのライバルがいなかった佐田にとっては劇的な状況の変化といっていい。


しかし、これはプロとしてはごく当然の事であり、こういった切磋琢磨無しでは成長もない。

2005、2006シーズンと見せていたあの圧倒的な運動量、スピード溢れる突破、クロスの能力を更に磨ければ、自ずとポジションは付いてまわる。


やはり佐田をベンチに置くわけにはいかない。
チェはボランチで使おうか。

そういった戦術の変更を監督に対してプレーでうながせるほどの実力を示せばいい。

確かに厳しいシーズンになるかもしれないが、まだまだ若い佐田の今後の成長のためにもここで一皮剥けて欲しいと願う。

(まあこれ以上剥かれて凄い選手になったら、ザスパがはたして給料を払えるかはわからないが・・・いや、それぐらい払えるようでなければザスパの今後もないか。)




(08.01.27UP)






2006の総括

今さら佐田に対し、わざわざこのHPで何かコメントする必要があるのだろうかと思うほどの2006年だった。

思えば2004年JFL、Jリーガーの補強として着目を浴びるものの、シーズン終盤には同じサイドバックの依田などにレギュラーを奪われ、2005年前半まではまるで出番なし。
そして佐田本人も忘れられない一番のゲームと称する7月29日の鳥栖戦での奇跡のスタメン、そして決勝ゴールを決めてからの絶対的なサイドポジションでのレギュラーを務めたわけだが、考えてみればまだ1年を通じての活躍というものは無かった。

そして植木監督が復帰した2006年、佐田は当然のようにサイドの絶対的なレギュラーとしてほぼフル出場を続けた。


攻守に渡る活躍

その活躍ぶりは凄まじいの一言。
攻めてはそのスピードで敵を振りきり、クロスの精度も年々上がっており、素晴らしいボールを上げるようになった。
もちろん切れ込んでや、タイミングをみてのゴール前への詰めも積極的に仕掛け、4得点を挙げている。

そして、それ以上に光ったのが守備。
やはりそのスピードは守備でも散々光りまくった。
ザスパ守備陣は高さには伝統的に強いが、スピードに対し脆い面がある。
しかし、その中でも佐田だけはスピードで走り負けた場面はまず覚えがない。
植木監督からもやはり佐田に対しての守備には絶対の信頼を置かれており、山形の佐々木や札幌の西谷など、サイドのスピードで勝負してくるタイプには積極的に佐田をマッチアップさせ、そして封じ込めた。


守備が崩壊したザスパだが・・・

佐田の守備の凄いところはスピードだけではないところだ。

2006シーズンのザスパはとにかく失点が多かった。
86失点はリーグワースト3位だが、2位の湘南が87失点、1位の徳島は92失点とさして大差ない。つまりはこの3チームはリーグぶっちぎりの失点の多さのおかげで下位に低迷したわけだ。
ボロボロだった悪夢の2005シーズンよりは得点はアップし最下位も脱出したザスパだが、失点の多さだけは変わらなかった。

この原因としてはセンターバック陣、ボランチ陣のあまりの守備の軽さ(MF中井、MF寺田とかね)、ファールの多さ&PK献上(DF田中とかね)、安定感のないミス(DF斎藤竜とかね)が響いた結果であり、守備はまず安定、セーフティーが全てと考える私としては全く話にならない守備陣のモロさ故だ。

まだDF6鳥居塚がリベロに入る時はこの頼りないDF陣の最後の砦として気迫のカバーリングでチームを救ったが、鳥居塚がボランチに入ってからは歯止めがかからなくなり守備陣の崩壊が目立った。
やはり守備的MF、アンカーの不在が大きかった。


佐田の守備の絶対的な安定感

しかし佐田だけは違った。
スピードでついていくだけでなく、じっくり構えてのディフェンスの時でもしっかり腰を据え相手と対峙し、不用意に抜かれるということはまずない。
佐田のところから何か仕掛けられ、絶対的なクロスやシュートをやられた記憶が無い。
(あったかもしれないが印象にない)

自分としてはこの佐田の安定感があれば、リベロでも十分つとまるだろうと考える。
できれば両サイドとリベロに1人づつ佐田がいれば、スピードと安定感のある守備でかなり強いチームが出来上がるだろう。
佐田が1人しかいないのが非常に惜しい。
(かつて日本代表で中田ヒデが3人くらいいれば、と言われたのと同じ)

対称的なのは左サイドの寺田であり、スピードがあるのでついてはいけるが、その後ワンフェイントで軽く抜かれてしまう守備の軽さがどうしても悪癖としてあるので、守備面ではなかなか計算できない。
まあその分寺田には佐田以上の攻撃のキレ、左足でのクロスの精度があるわけだけど。


やはり右サイドでこその佐田

前述までのとおり、攻撃でも守備でも高い能力を示す佐田は、それに加え運動量も兼ね備える。
守備と攻撃の切り替えの速さ、上下運動の多さはサイドのプレーヤーの必須条件であり、佐田はこの面でも非常に優れたプレーヤーだ。

攻めてよし、守ってよし、走らせてよし、果たしてこれ以上佐田に何を求めればいいというのだろうか。


更に、唯一の起用の課題点として、オールラウンドな佐田は右利きであるにも関わらず左サイドでも度々使われ、特に2005シーズンはほとんど左サイドで固定されてしまったので、なかなか左足からの精度の高いクロスはみられなかった。

2006シーズンも、やはり寺田の守備に懸念があり、佐田を左、山崎渡や依田を右に使う事が多かったが、シーズン途中から寺田は守備の不安をカバーするほどの攻撃のキレを見せ、左サイドに固定すると、佐田は右サイドで専念できるようになった。

やはり右で使った方が佐田は活きる。
特に攻撃の際にクロスの精度が違う。

途中からは佐田の右サイドがやはり良いと植木監督も感じたのか、寺田不在の際にも佐田は右で固定し、依田を左に使う時もあった。

さんざん2005シーズン、佐田を左に固定することのもったい無さを力説してきた私としてもこれは満足だった。


2007シーズンも!

だらだらと佐田の素晴らしさを書いても仕方ない。
とにかく私の目からすると、佐田は明らかにJ2リーグ、いやJ1リーグも含めてもリーグ屈指の右サイドプレーヤーではないかと思う。

よく、やたら攻撃的で攻撃の時は良い攻撃力を見せるサイドの選手は多い。
例えばかつての横浜F時代の三浦アツや平塚の岩本輝などがそうだったが、結局は攻撃的MFとして転身することが多い。

その点、佐田の場合はまず守備力が非常に高いのでチームとしての貢献度が高い。
自分が監督だったとしても、これだけ信頼できる選手がサイドを固めてくれる事は大きい。

正直よく他のチームから引き抜きのオファーが来なかったものだと思うが、とにかく佐田は2007シーズンもザスパにいてくれる。

2006シーズンの佐田の最も素晴らしかった点は、怪我をしなかったということだろう。
だからこそ累積停止以外は全試合出場を果たせ、チームに大いに貢献した。
怪我に注意してもらい、2007シーズン、更なる活躍を期待したい。



(07.02.17UP)






2005の佐田聡太郎の総括

2004シーズン、怪我の治療により一旦戦線を離脱した影響により、右の#4依田、左の#18寺田がすっかりザスパの両サイドとして定着し、2005シーズンはその流れのまま佐田はスタメンの構想から外れシーズンを迎えた。

3月から4月は2、3試合に1回程度の割合で途中出場(4/16だけスタメン)をするが、ほとんどが後半30分を過ぎたくらいでの交代であり、この残り少ない時間の中ではアピールもできない。
そもそもFWでもない佐田は短時間で点をとってくるようなタイプの選手ではない。

これが5月、6月になるともっとひどくなる。
ベンチに座る事すらほとんど無くなり、5月は出番なし。6月は1試合に出場するのみ。

そのわずか1試合の出場となった6/4の水戸戦では、後半26分に投入後素晴らしい右サイドでの活躍をみせ、チームの流れを変え、佐田の中央に切れ込んでのシュートから最後は#24酒井が押し込み同点となった。

しかし・・・訳が分からないのはその後7月末までの約2ヶ月もの間、佐田はベンチにすら座る事がなかった。

怪我という情報は聞かなかったし、あまりに不可解な起用だった。


7/29、奇跡の鳥栖戦

佐田の起用一つとっても全くのダメ采配が続く中、前半戦は終了。
3勝4分15敗のダントツの最下位でシーズンを折り返す。

そして後半戦1発目の7/29ホーム鳥栖戦。

なんとそれまで全く姿が見えなかった佐田が、この日はいきなりトップ下で起用された。

不動の司令塔#9山口の累積出場停止、キャプテン#6鳥居塚の試合前の登録ミスなどもあっての事だった。


神が与えたもうた奇跡的なチャンスだったが本来右サイドバックが本職の佐田のトップ下など見た事も聞いた事もない。

しかし佐田は己の持つ力をフルに活かせるよう、テクニックで繋げていく司令塔としてではなく、スピードとフィジカルと運動量でチーム全体を活性化させるプレーに終始専念する。


その作戦が見事にはまり、前半40分にDF籾谷が2枚目のイエローで退場となりながらも、後半13分、カウンターでの縦パス一本に一人反応した佐田は自慢のスピードを活かし独走しながらゴールを見事に決め、1ヶ月ぶりの勝利をチームにもたらした。

ちょうど籾谷が退場になり人数が減りながらも奇跡の勝利という事で、昨年の天皇杯・伝説の横浜マリノス戦を彷彿とさせる内容だった。


後半戦はフル稼働

この鳥栖戦が大きすぎるほどの転機となり、その後の後半戦はほぼフル出場を果たした。

その活躍ぶりはあまりに素晴らしく、とにかく運動量が多い。
ザスパのサイドを駆け上がり最前線まで攻め込んだかと思うと、一気に自陣のゴール際まで身体を張り守りに行く。

鳥栖戦により自信にも繋がったのだろうが、プレーの一つ一つが生き生きとしていた。


なぜか左サイドで固定?

しかし、なぜか佐田は右サイドでなく左サイドが定位置となっていった。

右利きの佐田は当然クロスを上げるのなら右サイドの方がいいのだが、手塚氏にとって右サイドでは#24酒井や#27後藤涼などを使いたがったらしい。


これによりザスパの後半戦はサイドからのクロス、というサッカーの定石ともいえる攻撃がほとんど見られなくなってしまった。
唯一#24酒井が右サイドハーフでたまに起用される時以外は。

佐田ももちろん左でクロスをあげられない訳ではないが、どうしても右足での精度よりは劣る。

それよりも左サイド起用の時は中央に切れ込んでの右足でのシュートの方が効果的であり、途中からはほとんどシュートで終わる事が多くなった。
しかしこれはチームの攻撃面での連携を遠ざけるものでもあり、ザスパの前線はますます孤立していった。

佐田を右サイド固定で使っていれば、あの魔の第4クールの2分9敗(うち最後は7連敗)という結果は少しはマシなものになっていたはずだ。


これまで散々チームをいじくり回し試行錯誤を繰り返してきた手塚氏だったが、なぜかこの佐田の左サイド固定だけは一切変えようとはしなかった。

変えてはいけないところを変え、変えなくてはいけないところを変えない。

まさにその繰り返しの手塚氏による最悪の1年だった。


2006の佐田の展望

2006シーズン、再び一昨年までの植木監督が戻ってきた。
佐田にとっての一昨年はシーズン最初はレギュラーだったものの、その後ばっさりと切られた後味の悪いシーズンであり、その再来とならないかは少し不安なところではある。

当時の植木ザスパは右の#4依田、左の#18寺田の固定がチームの根幹となった。
しかもその2人はしっかりと2006年も契約を継続した。
右サイドであれだけの素晴らしいプレーを見せてきた#24酒井や左のスペシャリストである#10高須を放出してでも、2005年、あまり活躍したといえないこの2人を敢えて残したという事は、やはり植木さんには一昨年のイメージが残っているという証拠ではないか。

システムも3−5−2と再び固定となり、サイドのポジション数は4−4−2の時よりもぐっと減ることになる。
(4−4−2なら、両サイドバックと両サイドハーフで4つもポジションがあるが、3−5−2だと両ウィングバックの2つしかサイドのポジションはなくなる)

この2つの席を狙って再びポジション争いは激しくなるが、2005の佐田の活躍を見れば、今のところはまずは安泰だ。

今や佐田はザスパのサイドに無くてはならない存在となっており、他の選手とは大きな力の差を2005シーズンで築きあげた。

植木さんなら佐田を右で使ってくれる事だろう。
そうすれば2006年は佐田の右からのクロスに中央で構えるキャプテン#14正美が押し込むという育英ホットラインによるゴールシーンが確実に増えるだろう。

今シーズンも佐田の活躍が期待できる1年となりそうだ。



(06.01.15UP)






〜2005シーズン当初の紹介文〜

サイドの職人、佐田聡太郎

とにかくポジションはサイド。右サイドが本職だが、過去の広島でのふれこみでは左でもこなせるらしい。ちなみに高校時代以前は普通に中盤もやっていたらしいが・・・まあプロの選手はみんなたいていFWやMFのひととおりのポジションは経験しているものだろう。
当然サイドの職人として必携のスピードが武器であり、サイドの突破からのクロスが持ち味となる。

余談だが、群馬で佐田というと佐田(さた)建設(本社・前橋)がやたらと有名だが、佐田は”さだ”と読むらしい。自分もよく言い間違える。


8月まではレギュラーだったが・・・

2004シーズン、佐田は当然の事のように最初からずっと右サイドハーフとしてレギュラーを張り続けた。途中の5〜6月魔のシーズン(2敗3分)も乗り越え、6月からは前橋育英の同期で共に選手権ベスト4まで勝ち進んだ圭志(ただし選手権の時は残念ながら怪我で不出場)も同じ中盤に加わり7月いっぱいまで連勝街道に乗った。

・・・ここまでは良かったが・・・
8月7日、群馬FCホリコシとの群馬ダービーに1−3の大敗を期し、植木監督としては何らかのメスを入れる必要を感じたようだった。

それがDF陣に籾谷を入れた現在の3バックの確立と、佐田から依田への右サイドの変革だった。

あれよ、あれよという間に・・・

正直言うと、この辺から9月、10月のザスパは私はあまり見ていない。
この時期、ホームゲームは南長野や草津で開催されなかなか行けなかったし、また天皇杯も始まったため、9月、10月は全く前橋で試合をやっていないからだ。ホームゲームはネットで観られたのかもしれないが、この時期は東京方面へJリーグを観に行っていたり、個人的にも引越しなどが重なり公私ともに忙しかった。

つまり、私としては佐田が不在の事実すらよく把握しないまま、いつの間にかシーズンは終盤へと来ていた。

そして気づくと佐田がいない!!?メンバーにいない!!?
どうした?どこにいる?
しかしベンチにはいる。いやベンチにもいない試合もある。

・・・とにかくその後2004シーズン佐田は試合には一切出場しなかった。
どうやら8月7日の群馬ダービーからの1ヶ月以上の一時リーグ戦中断の間に調子の悪い部分についてメスを入れていたらしい(つまり入院)。なぜかこれに関してはほとんど情報が無いし、あまり公表もしていないと思われる。よって少し推測になってしまうが、とにかく8月にきて何かしらの不調があったのは確かだ。
本人としてはこれを機にまた後半も頑張るつもりだったのだろうが、植木監督はこの思いもよらずにうまくいった依田の起用を結局はシーズンが終わるまで選択し続けた。
植木監督は右サイドとして佐田から依田に完全にスイッチしたという事だ。

2005の展望

2004年、入院を機にレギュラーから外れるという悔しい思いをした佐田だが、2005年も引き続き佐田の道はますます険しいものとなっている。
当面のライバルとなる依田は2004はDF登録であり、中盤起用の際は多くのファンを驚かせたが、その右サイドの非常に効果的な攻めは特にタイミングが良く(つまりチームにフィットし)、サイドの突破率は正直佐田より高かった。はっきりいってその攻めはDF登録ではない。2005はMF登録に間違いなく変更されるだろう。

また、佐田よりもゴールに向かう意識が強いのも攻撃的である特徴で、あの横浜マリノス戦の伝説の決勝弾(全国衛星生放送での「決めちゃいました」の歴史に残る名言)での得点は依田のチームの中での位置づけをかなり堅固なものにした。

チーム関係者にとってもサポータにとってもシーズン終盤から天皇杯にかけての依田の活躍はかなり凄まじいものであり、その印象は根深い。

右の依田、左の寺田

右サイドは依田がいるから、では左サイドは、というと、これまたザスパの絶対固定レギュラーがいる。それが寺田であり、なんと(私の調べたところ)2004年リーグ戦と天皇杯全てに出場している(カードの累積停止もなし)。これほどの扱いを受けている選手は攻守の軸、MF山口とキャプテン鳥居塚、DFの軸の小田島、小川のみ(GK小島親分もそうかな)。他のポジションはシーズンを通して流動的で目まぐるしく選手が入れ代わった(ザスパの2004シーズンの苦戦を表わしている)。それなのに寺田はその4人と同格の扱いを受けてきたわけで、2004年当初、あれだけ元Jリーグーを補強したザスパの中で、まさに生え抜き(阪南大学から入団)の寺田がここまで監督の信頼を得た事は特筆に値する。

ここまで書いてあらためて確信した事は、両サイドがかなり固定化されつつあること。もしかしたら今のザスパの中で唯一ポジションが確定しているのがこの両サイドかもしれない(山口、鳥居塚、小島と年齢の壁が見え始め、”草津の壁”小田島も失点がかさめば外人DFの補強という事もなきにしもあらず)。
私が監督でも現段階では佐田ではなく寺田、依田の2人を使うだろう。それだけこの2人はサイドとしての攻撃力、守備力、運動量に申し分ないからだ。おそらくJ2でも十分通じる。
この2人の絶対的なレギュラーを相手に佐田はまさに一からのスタートとなり、厳しいシーズン当初を迎えることとなった。

佐田、君には若さがある

しかし佐田は2005年、レンタルだった広島との関係を完全移籍という形でケリをつけ、いよいよ地元チームに本籍を移してJ2を迎える。
Jに返り咲きとなる今年からはまた一皮剥けた佐田を見たい。
どの選手にも言えることだが、チーム内にいいライバルがいる事は互いにとってプラスとなるだろう。日本一長期戦であるJ2の戦いは絶対厳しい戦いになるし、寺田、依田の2人が常にフル稼動できるわけではない。まずは3人目のサイドハーフの位置を掴み、試合に出て、そしてビルドアップしていけばいい。絶対に2005シーズン、チャンスはめぐってくる。例えば戦友・圭志が怪我から復帰するであろう夏過ぎくらいがターニングポイントとなるのでは?

圭志、小久保、正美ら育英メンバーがこれだけチーム内にいるのだから、そのコンビネーションはもっと磨けるはずだし、佐田自身、もっと得意な型にはまった自信を持ったプレーを身につけるべきだろう。
2004のプレーでは確かにチャンスメイクには多く絡むが、佐田からの決定的な仕事があまり無い印象だった。
やはりサイドからのクロスの精度をもっと上げられるだろうし、スピードを武器にした突破をますます磨けば、おのずと圭志らがそのスピードに合わせて早目のロングフィードを送り込んでくれる事だろう。

佐田の最も大きな長所の一つに”若さ”があり、まだまだ荒削りなだけに伸びしろが十分にある。私は大いに期待している。そして若さの他に佐田には”地元”という大きなアドバンテージがある。私のように無条件に応援する大勢のサポが佐田の復活を、成長を待っている。いつか草津を、群馬を、日本を代表するサイドハーフになるその日をいつまでも待っている。


(2005.02.07UP)





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