TOPへ戻る>>ORIXのページへ




伝説のブルーサンダー打線
ORIXブレーブス1989年の頃

横棒


ブルーサンダー打線とは?

1988年、日本野球連盟の創設メンバーでもあった老舗球団の阪急ブレーブスが、オリエントリース(現オリックス)に譲渡されオリックス・ブレーブスとなった。
この時オリックスの金によりホークスの主砲・門田を目玉補強し、そのあまりの豪華な打者達が揃った、12球団史上最強の打線を、ブレーブスのチームカラーのブルー(青・紺?)と重ね合わせ「ブルーサンダー打線」と名付けられた。
後の近鉄の「いてまえ打線」、日本ハムの「ビッグバン打線」などのニックネームの走りと言える。


1989年のブルーサンダー打線

百聞は一見にしかず。
とりあえずそのブルーサンダー打線の顔ぶれによる戦績を見て欲しい。
(たまたま1989年のデータがあったもので・・・)

守備 名  前 打席 打率 HR 打点
松永 浩美 左右 .309 17 60
福良 淳一 .259 8 47
ブーマー .322 40 124
DH 門田 博光 .305 33 93
石嶺 和彦 .277 20 77
藤井 康雄 .292 30 90
本西 厚博 .302 5 33
中嶋 聡 .234 5 26
小川 博文 .247 5 32


この9人だけでHR数は163本、打点582点!
打率も含め、まんべんなく打つブルーサンダー打線をよく表している成績だと思う。
1番から9番、どっからでも点が獲れる途切れ目のない恐怖打線。
それがブルーサンダー打線だった。
(1989年は特にブーマーが爆発して凄い事になっていますが)


打線以上のいぶし銀揃い

実はこのブルーサンダー打線は戦績だけだとそんなに大したことはないと思う。
(後に書く2003年のダイエーや2001年の巨人などと比べると)

しかし打つ以上にこの打線の良いところはみんな昔ながらのいぶし銀、玄人好みの選手が揃っていた事だ。
みんな実は若い選手もいたが、顔立ちが地味(失礼。)で、とても女の子からキャーキャー言われるような選手はいない。(いたかもしれないが、私はあまり球場でオリックス見てないので・・・)

誰でもまんべんなく、しぶとく打てる9人がしぶ〜く打席に立ち、無表情にジッと相手の投手だけを見据えるその光景は、何か言葉に表せない独特の威圧感を感じさせる。
そんなすごみを利かせた、いぶし銀の打者達が1番から9番まで続くものだから相手の投手はたまったものではなかっただろう。

ここでは史上最強と謳われたブルーサンダー打線の9人がどんな選手達だったのか、記憶に残っている限り綴っていきたい。


特攻隊長
1番 サード 松永


ブルーサンダー打線はまず1番松永以外にはあり得ない。
そもそも松永は3番だったのだが、スラッガーだらけのブルーサンダー打線が出そろった事で1番に移ったらしい。
(私は阪急のファンではないのでよく知らない)
おそらく松永抜きならば最強打線と呼ばれる事もなかっただろう。
逆に松永という1番バッターの概念を破壊する核弾頭がいたからこその最強打線といえる。

貴重なスイッチヒッターであり、現役を通じて常に3割をキープし、常に首位打者を争う安定感抜群の希代の1番バッター。
松永を超える1番バッターはイチローか同じスイッチヒッターの松井稼頭央くらいだろう。(パ・リーグの中では)
1993年には阪神へ移籍したが、そこで3試合連続先頭打者ホームランという偉業を打ち立てた。松永の1番バッターとしての規格外ぶりをよく表している記録だと思う。
ちなみに1番の割にあまり走らない印象だったが、1985年に36盗塁をマークし盗塁王をとっている。


連続無失策の偉業
2番 セカンド 福良


福良といえば誰しもがまっ先に挙げる記録が1994年7月31日に達成した、二塁手連続無失策守備機会836の新記録。
836ノーエラーって・・・気の遠くなるような数字だ。まさに守備の神が舞い降りていたとしか思えない。
まさにいぶし銀揃いのORIXの中でも2番らしく随一のいぶし銀ぶりを示す記録だが、犠打も224という数字を持っている。惜しくも歴代10位には入らないが(当然川相の520という世界記録は別物)、そもそもブルーサンダ−打線の頃は犠打なんて必要あったのだろうか?(あったか)
この福良だが、私の調べた限りなんとゴールデングラブ賞をとっていない。
同じ時期に西武黄金時代の辻がいたからだ。
さすが地味中の地味な、地味さなら誰にも負けない福良。
審査員に忘れられていたのだろう。
この事実からもゴールデングラブ賞が守備とはなんら関係ない事をはっきり証明している。あれってそのポジションで一番打って活躍した人がもらう賞でしょ?グラブなんて名前外して、賞の名前変えればいいのに。


史上最強の助っ人
3番 ファースト ブ−マ−


ブルーサンダ−打線で最も怖い、歴代で6人しかいない三冠王(1984年)の助っ人打者。
1983年から1991年まで随分と長いこと君臨し続けた。とにかくそのタイトルの数々は圧巻。

1984年ホームラン王(37本)
1984年打点王(130打点)
1984年首位打者(打率.355)
1987年打点王(119打点)
1989年打点王(124打点)
1989年首位打者(打率.322)

思い出すのはまだ私が中学生か高校に入りたてだった時、前橋市にある敷島球場に日ハム戦(なぜかその頃前橋は日ハムの第ニのホームだった)で来たブ−マ−が打ったホームラン、敷島球場が狭いばかりに軽〜く場外ホームランになったあの球筋は今でもはっきり覚えている。
オリックス史上、ブーマーを越える助っ人はもう出ないだろう。


名球会入りの大打者
4番 DH 門田


1971年打点王(120打点)
1981年ホームラン王(44本)
1983年ホームラン王(40本)
1988年ホームラン王(44本)
1988年打点王(125打点)

通算本塁打567本(歴代3位)
通算打点1678(歴代3位)
通算犠飛95本(歴代4位)

成績が示すとおり名球会に輝く大打者。この門田を南海ホークスから獲得した事がブルーサンダー打線と名付けられた由縁。
現代ではもう見る事のできない打撃専門の重量級バッター。
(でも若き日には外野手として1ゲーム10刺殺という記録はありますが)


犠秘の帝王
5番 レフト 石嶺


1990年打点王(106打点)を西武のデストラーデと共に獲得。

自分の石嶺の印象はなぜか犠牲フライ。
あの独特のバットを極限まで長くもつフォームから狙う、その犠牲フライの妙技は相当なものだったと今でも鮮明に目に焼き付いている。
とにかくフォームがきれいで、バットコントロールが抜群だった。全く無駄がなく、力みもなく、軽〜く振り抜いたそのバットから放たれるボールはいとも簡単に外野に運ばれた。

しかしなぜか犠牲フライの通算記録には反映されていない。通算犠飛52本もそんなに歴代という数字ではない(ただし1991年の年間11本は球団記録)。1990年の打点王も渋く犠牲フライで稼ぎまくって決めたと思っていたが・・・案外10本も打っていないんだな。

おそらく石嶺の場合は犠牲フライの”打率”がいいのではないのだろうか。
そもそも犠牲フライは3塁に走者がいてノーアウトか1アウトの状態でしか狙えないので、本人だけではどうにもならない。
その数試合に1回しか訪れないチャンスに石嶺はきっちり、確実に、さも当然のように犠牲フライを決める。
というか石嶺が犠牲フライを失敗した場面は全く記憶にない。果たして石嶺が犠牲フライを失敗した事があったのだろうか?そんな記録どこにも残ってないだろうけど。
でも、私は野球経験がないからわかりませんが、難しいですよね?外野深くに球を飛ばさないといけない訳だし。高校野球とかだと犠牲フライの成功率って5割くらいのイメージがある。

とにかくそんな犠牲フライを何気なく決めてしまう「犠飛の帝王」、それが私の石嶺に対する称号だ。
ところで当時は「サッサ」というニックネームもあったらしい。
塁上のランナー達をサッサと片づけてしまう、まさにクリーンナップの鏡のようなその様子から付けられたとか。やはり犠牲フライを含めた石嶺のチャンスを逃さないバッティングあってこその評価だったのだろう。

そんなORIXにぴったりのいぶし銀のバットマン石嶺を私は大好きだ。
唯一のタイトル、1990年の打点王もデストラーデと渋く分け合った。いかにも石嶺らしい。


ミスター・ブルーウェーブ
6番 ライト 藤井


まだまだこの頃は若手だった藤井もその後長年に渡りブルーサンダ−打線の唯一の生き残りとしてオリックスの主軸として活躍し続けた。
そしてついた称号は「ミスター・ブルーウェーブ」。
今、歴代のオリックスの中で人気投票をしたら、1位はこの藤井かもしれない。
ポジションがライトであり、イチローが出始めた頃はイチローは今のようにライトではなく、センターをやっていた。
余談だが、イチローなどの台頭で外野の守備をおろされ、ファーストを守らざるを得なくなった時も、藤井は確かファーストミットを使わず使い慣れた外野用のミットを使っていた。


外野のスペシャリスト
7番 センター 本西


本西というとどうしても「外野の守備なら日本一」という称号が似合う。
本当にこの本西にしてみても福良にしてみても、このブルーサンダ−打線というものは別に打つほうがウリだったのではないんじゃないのか?と思うほど、職人が揃っている。

本西を外野の守備のスペシャリストに仕立て上げたのは名将・仰木監督。
そもそも本西はサードもこなせる職人だったが、あのオリックスファンの伝説ともなっている(であろう)1996年の日本一となったシーズン中、本西は世にも珍しい外野のストッパーとしてほぼ毎試合活躍した。
外野のストッパーとはおかしな表現をここでは使用したので説明しよう。当時オリックスの外野陣にはイチロー、田口という現メジャーリーガーの2人のずば抜けた若手が揃っていた。この2人は足も速く、守備力も誰もが知っているとおり抜群。
しかしもう1人の外野としては藤井か高橋智のスラッガーであり、特に高橋智あたりは正直守備に不安があった。
そこで8回か9回の終盤、オリックスがリードしている試合では必ず仰木監督は投手のストッパーと共に外野のストッパーとして本西を守備固めのために送り込んだ。
当然守備固めで入るのだから、普段イチローが守るセンター、真ん中に本西は入り、イチローはライトに移る。思えばこの頃からイチローはライトというイメージになった。
よく内野陣、特にサードやファーストだと(セカンド、ショートは交代によって逆に守備のリズムが崩れる)守備固めのために交代することは当時でもたまに見られたが、外野陣でそれを、しかもほぼ毎試合やり続けたチームが他にあるだろうか?

その仰木マジックに職人・本西は見事に守備でこたえ、まさに鉄壁の守備陣を外野に敷いた。
人はこの田口、イチロー、そして本西を加えた3人の外野陣を「黄金の外野陣」と名付けた。
後にも先にもこの外野陣を超える守備力を持った外野は有り得ないだろう。
現在日本を代表し活躍する2人のメジャーリーガーと共に外野の守備で一時代を築いた本西。
渋い・・・渋すぎる。
外野のスペシャリスト・本西。なんて玄人好みなんだろう。


”打”のキャッチャー
8番 キャッチャー 中嶋


やたらと打つキャッチャー中嶋。それが自分に残っている印象だ。
いつだったか忘れたが、高田、三輪など他のキャッチャーがスタメンの時でもあまりにバッティングが好調なため、なんとDHで起用された時があった。確か当時は古田も真っ青の打率3割7分以上をキープしていたと思う。(さすがにシーズンを通して維持はできなかった)
その後西武に移籍した際は正捕手・伊東を押しのけて松坂の女房役を努めた。

当時、ファミコンゲームでは肩が”S”最高ランクに設定されていた。
確かに1989年にはゴールデングラブ賞もとり、強肩の定評はあった。
少なくともエース星野よりは明らかに球が速い。
なぜか盗塁阻止率にそんなに反映されないのは、技術面に問題があるのだろうか?
だから自分としては強肩の中嶋というよりは、ブルーサンダ−打線に相応しい、”打”の捕手というイメージが強い。


どこでも守れる職人
9番 ショート 小川


1989年、小川はルーキーだった。
と、なるとブルーサンダー打線は1988年だから、生粋のブルーサンダー打線のメンバーとは言えないか?
でも私にとっては、その後2000年まで長いことオリックス一筋で活躍したこの小川こそがタイムリーに応援してきた選手なので、ここで敢えて9人の中に入れておきたい。
168犠打(歴代33位)、54犠飛(歴代30位)、と渋い記録が多く、一時は3番にも座るほど打力もあるブルーサンダ−打線の9番に相応しい打者。もちろんチームの要のショートをはじめ、内野、外野どこでも守れる。
横浜に行ってからも打率を常に2割後半をキープし続け、どこでも守れるというこの小川は、チームにとって貴重なバックアッパーとして長い事重宝された。
福良、本西と並ぶ、職人3人衆といったところ。



残念ながら史上最強は2003年ダイエー?

ところでこのページを作成している2005年現在、ブルーサンダー打線を明らかに凌駕した打線があるので、ここで述べておきたい。
それが2003年ダイエーホークスであり、
チーム安打 1461(史上1位)
チーム打率 .297(史上1位)
チーム打点 794(史上2位)
・・・という数々の記録を打ち立てた。

いわゆる100打点カルテット(井口、松中、城島、バルデス)が揃った打線であり、2004年に謎の巨人への移籍をした主砲・小久保を怪我で欠きながらのこの成績は奇跡と言う他ない。
これに小久保が加わっていたならどんな成績が残った事だろうか・・・?


それと2001年の巨人打線も凄いな〜
まだ松井がいて、二志、清水、江藤、松井、清原、由信、元木、慎之介の8人でHR171本、打点568点。DHがセリーグに無いのが残念な限りの成績だ。


まあ打点やホームラン数だけでブルーサンダー打線を語る事ができないのは上記に書いたとおりで、むしろそれより玄人をこれだけ揃えたこの打線を越えるものはないと勝手に個人的に思っているわけで、それでもこういう打線もあったという結果、事実は公平に扱うべきかと思いここに記した。
結局2001年以降は私も野球ファンではなかったので、あまりここら辺には関係ないな。



(2005.2.24UP)






TOPへ戻る>>ORIXのページへ


inserted by FC2 system