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ORIXの”最低”の経営戦略

横棒


ORIXという最悪な親会社

私はプロ野球チームとしてのORIXは好きだったが、ORIXという会社は大嫌いだ。
ブルーサンダー打線が出そろった1988年から1989年までの出だしは良かったが、その後はファンの心を踏みにじる経営戦略を続けた。
まずは90年の8月13日にフランチャイズの神戸への移転と共に、新ニックネームを募集。
せっかく阪急からブレーブス(勇者)というチーム名を引き継いだのに、わずか3年も経たずにORIXブレーブスの名に終止符を”勝手に”打った。
あのいぶし銀の揃う、玄人好みの阪急のチームカラーをORIXという会社は必死に打ち消そうと躍起になった。
玄人好みから、女の子にキャーキャー言われるような明るいイメージの球団へ。
まあ気持ちはわかるが、阪急時代からのファンはさぞ悲しんだ事だろう。
今でもブルーウェーブよりはブレーブスの方が絶対いいと思うが・・・
(かろうじて”B”の頭文字はぎりぎり残ったが)


徹底された巨人人気への便乗策

ブレーブスの看板をおろし、同時に元巨人の土井を監督に招くなど、とにかく巨人の人気にあやかろうと必死だった。
常にオフシーズンには巨人とのトレードをしたがり、特に捕手の補強が常に課題であった巨人に対して、中嶋には毎年トレードの話が持ち上がった。
(結果的に考えると西武に行くよりは巨人に行った方が良かった気もするが)

他人のものまねしか能がない、まさに愚策といえよう。
一昔前のバブリーな考えだ。
今の時代はよく言うようにナンバー1よりオンリー1の時代。
あの玄人好みのチームカラーを、ブルーサンダー打線というオリックスにしかないチームカラーをなんとかうまく活かす手をもっと考えるべきだったのではないか。
そして何よりも阪急時代からずっと応援している一番大切にしなければいけないファンをこんなにもないがしろにする事が許されるはずがない。


歴史に残る汚点・土井正三

阪急時代の象徴であった上田監督から交代したのが巨人カラーの土井監督。
(1991〜1993在籍)
この土井さんという人はたいした経歴の持ち主で、巨人V9時代の名セカンド。
バッティングでも王、長嶋という大砲の陰でしっかりつなぎ役に徹する粘りのある打者だったらしい。
その点ではまさに玄人集団のオリックス好みの選手だったわけだ。

しかしそんな名プレーヤーもいざ監督で来てみたら、これが歴史に残るヘボ監督だった。
門田やブーマーは相次いでダイエーに売られ、石嶺、松永らも阪神へ。
とにかく徹底して脱阪急化を促進させ、選手達もオリックスという親
会社と土井監督に嫌気がさし喜んで移籍したのではないだろうか。

土井監督は徹底した管理野球だったらしい。
それはまさにV9時代の巨人の管理野球の側面だけをこり固めた方針であり、とにかく選手をがんじがらめにする、北朝鮮のような戦術こそ身上としたらしい。


イチローを飼い殺しした有名なエピソード

あまりに有名な話だが、イチローを飼い殺ししたのが他ならぬこの土井監督。
土井監督就任2年目でドラフト4位で入団した鈴木一郎は高校出たてで線も細く、そしてなによりもあの「振り子打法」という世にも奇妙な打法をかたくなに使い続けていた。

この振り子打法を土井監督は認めず、それをやめなければ1軍では使わない、と言い、イチローは、じゃあ使ってもらわなくていい、と返したらしい。

まあイチローらしい言いぐさだ。
そんな反骨精神旺盛なイチローを管理野球土井が使うはずもなく、土井が去る2年間はほとんど試合では使われなかった。

そしてあの名将・仰木監督就任。
登録名をイチローに変え、早速打率.385という驚異的な記録で一気に頭角を現した。

これほど野球の指導者にとって不運な事があるだろうか。
まさに土井は野球界での最低のレッテルを背負うはめになった。

その後翻意にされていた長嶋監督の時代に、ほそぼそと巨人の守備コーチになったりしたが、その後どうなったのかは今や野球ファンではない私にはあまり興味がない事だ。


西武黄金期のナイスアシスト

とにもかくにも土井就任の3年間、1991年3位(西武と18.5ゲーム差)、1992年3位(西武と18ゲーム差)、1993年3位(西武と3.5ゲーム差)と常に3位に甘んじ、特に1年目と2年目はなんと首位の西武と18ゲーム差以上が開くという、実質Bクラスの戦績だった。
つまり西武と近鉄以外みんな弱かったのが当時のパリーグであり、西武には負けるが下位球団にはある程度勝つというなんとも情けない典型的なダメチームにオリックスは成り下がった。

はっきりいうと、当時の森監督による西武黄金期はオリックスの土井抜きではあり得なかったのではないだろうか?この文章を書くにあたりいろいろとデータを見ているとそう確信するに至った。

その後就任した名将・仰木監督の奇跡の継投策や、黄金の外野陣の形成など、野球史を塗り替える数々の名采配を見るにつけ、本当に土井は選手を自分好みに管理しまくって自分のカラーに染める事ばかりを信仰するあまり、極端に無策だったと言わざるを得ない。

・・・その後もパ○チ佐藤なども度々口にする、「いや一時期某監督のところでやっている時は・・・」という皮肉った恨み節のエピソードの数々。その某監督って明らかに土井○三監督その人しかいないじゃないか。



ついに来ました、「合併」というチーム最終破壊

そして、ついにやっちゃったよ、近鉄との合併。
ここまで極めればたいしたもの。
他に親会社はいないのか?
もういい加減オリックスは野球界から手引いてくださいよ。
よっぽどライブドアが買い取った方がいいのでは?少なくともファンの事は大事にしてくれるでしょう。
この合併問題に関してはどの程度まで私は文章を綴っていけばいいかちょっと今の段階ではわかりません。私が元FLUGELSファンという事からも十二分にこの合併問題に対するファンとしての気持ちは分かって頂けると思います。
その点についてはまた場をあらためて文章を書く時があるかもしれません。

まあオリックスが全日空側でなく、日産側だったことがせめてもの救いでしょうか。
逆にいうと近鉄ファンにはお悔やみの言葉もありません。
せいぜい恨みましょう。
近鉄という会社を、現在のプロ野球界をここまでダメにした諸悪の根元達を。
自分はやはり巨人のナ○ツグがその象徴だとしか思えませんが。
それと無意味に巨人ばかり応援する自分の心には罪がないミーハーな巨人ファン。
(これは真の巨人ファンを指しているのではなく、なんとなく巨人さえ応援していればいいや、という日本人の大半の輩を指します)
それらを形成し、援助してしまった右にならえの日本のマスコミの体制。
全ての要素に等しく責任はあります。

そして、結局はFLUGELSファンや近鉄ファンなどの当事者、被害者にならないとたいていの人はその問題に気づかないのです。
それが今の日本なのです。
当たり前の事を当たり前に気づいて、できる事から実行する。
こんな当たり前の事から目をそらし続け日々淡々と事なかれに過ごしたいのが我々日本人なのです。

・・・話がどんどん哲学的に深くなってきたので、本当にここらでいったん締めます。




(2005.2.25UP)






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