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2002日韓W杯ではベスト16というホスト国としてのノルマを達成し、いよいよ日本の実力を世界レベルに持っていけるか、と期待された次期世代。
その総指揮を任されたのはJリーグ元年からそのレベルの底上げに貢献してきたブラジルサッカー界の神様・ジーコ。
当初、中田、中村、稲本、小野の4人をジーコがブラジル代表にいたころと同じ黄金のカルテットと中盤を位置付け、なんとかブラジル式4−4−2を浸透させようとするが、いまいち結果が出ず。
日本国内でのホームではやたら勝てず、なぜか遠征に行くと強い、という珍しいチームだった。
その後3バックに戻し1トップなど試すが、良かったり悪かったりと結局チームの方針が定まらないまま2006ドイツW杯を迎える。
2005年当初に群馬の英雄・DF松田がジーコに背くなどの事件があり、松田がいなくなった後は身長170半ばのDF宮本をDF陣の軸に据えるという大失敗を演じ、GKもそれまでの楢崎ではなくリーチの短いエンターテナー川口を正GKに据えるという、起用の大間違いが後半は目立った。
結果的に方針も定まらず、起用する選手も大間違いの中ドイツW杯では1分2敗と完敗。
最後のコメントで日本人選手はどうしても高さが足りないといったコメントがあったらしいが、全くもって矛盾したコメントだ。
オーストラリア相手にあのメンバーで勝てると思う方が間違いだった。
結局、ジーコの日本代表はこれまでのように、こいつが守り、こいつが右、左、こいつが中盤の底でこいつが司令塔、そしてFWはこれで点をとる、といった軸が無い、なんだか頼りないチームのままW杯本番を迎えたわけだ。
最後までこのチームが日本の代表チームとは私は思えなかった。
唯一軸があったとすれば、それは間違いなく軍神・中田英寿ただ1人だった。
この情けないチームでの戦いが最後の戦いになったのはヒデという英雄に対して大変残念だ。
せめて小野や稲本らの黄金世代をもっと活かし、ヒデと共にチームの中核に据え、DFラインを中澤、松田で固められていたならば結果は少しは変わっただろう。
全くもって、選手の能力を活かせない不本意な結果に終わったジーコジャパンだった。
(06.7.13)
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