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2006年7月4日
孤高の革新児
中田 英寿 現役引退発表

横棒


MF7中田英寿
2013.1.20松田直樹メモリアル新春ドリームマッチ群馬2013にて、ナオキフレンズチームで先発
さすがのプレーとオーラで観客を魅了したMF7中田英寿

その試合の内容は下記の観戦記↓
 松田直樹メモリアル新春ドリームマッチ群馬2013 中田ヒデが初めて群馬のピッチに見参!!(13.1.20) 




突然の現役引退発表

今朝のニュースは衝撃だった。まさに青天の霹靂(へきれき)とはこの事だろう。

34歳を迎えたフランス代表MFジダンは大会前からドイツW杯での引退を表明し、いつその引退試合となるかで世界は注目。
ついには明日(明後日の未明)の準決勝までその引退試合は持ち越されているところだが、しかし29歳と絶頂期の中田がまさか共にこの大会で引退とは・・・

日本の誰よりも運動量が多く、守備でも攻撃でも圧倒的だった中田の今大会でのプレーを見る限り、いったい誰がこんな事を予感できただろう。

日本の誇る軍神であり、中盤の王様だった中田英寿の現役引退を受け、せっかく自分のHPをこうして持っている事もあり、少し綴ろうと思う。



日本のサッカー界の革新

今思ってみても、中田はそのデビュー当時から凄かった。
韮崎高校からベルマーレ平塚入りした中田は20歳で既に代表に選ばれていた。

フランスW杯を前にして、ラモスやカズなどのヴェルディカラー一色だった日本代表からの若返り、世代交代を表す革新的な、象徴たる選手がこの中田だった。

とにかくそのプレーの正確性でいうと、世界でもそうそう比を見ない。

全てのプレーとそのパスに意味があり、中田のパスが通らない時はその”キラーパス”のみだった。

中田のキラーパスの鋭さをいったら、どちらかというと敵よりも味方にとって脅威であり、どうやったらそのパスに追いつけるんだ、という速く、鋭いパスを前線に無言で送り続けた。

つまり、中田にとってみれば、このパスが通らない、受けられないのでは世界では到底戦えない、というメッセージが込められたものだった。

このパスについてこい。その為にはプレーやイメージのスピードをもっと上げる必要がある。


このまだまだ若造であった中田のエゴイストにも見えるパスに対しては賛否両論あったことと思うが、しかし、それまでW杯に行けなかった日本が脱却を図るための、まさに革新の存在が中田だった。



日本初のW杯・フランス1998

そして中田は21歳にして日本代表の大黒柱となり、日本代表初のW杯出場の原動力となった。

中田、名波、山口の中盤トリオは絶対固定となり、日本の生命線として初めてのW杯を戦い抜いた。
結果は3連敗と奮わなかったが、しかし中田は着実に日本を世界へと導いていた。


そしてついにセリエAへ

W杯出場により注目を得たこの若き司令塔は、21歳にしてセリエAのペルージャへ移籍。

いきなりユベントスから2得点するなど、33試合10得点と1年目にして弱小チームペルージャを中位まで上げる大活躍を遂げ、日本人が世界で通用することを証明した初めての選手となった。

この後、数多くの日本人選手がセリエAやプレミアリーグ、リーガエスパニョーラと海外のリーグに行く事ととなるが、その一番の要因は明らかに中田の功績による。

しかしその数多くの選手が海外でのプレーに限界を感じ日本に帰国する中、中田はより高みを目指した。


そうして1999年シーズン、ついにセリエAの強豪ローマへ移籍。
現在もイタリア代表のエースを張る王子トッティのいるローマへまさに鳴り物入りでの移籍だった。


スクデットの栄冠を獲得

当初、ローマではトッティが司令塔にいたため、中田はボランチとして起用され活躍する。

しかし、どうしても守備の面でのフィジカルなどで日本人は不利であり、徐々にポジションをキープできなくなる。

シーズンオフなどではその去就も注目されたが、しかし監督のカペッロは「中田がいなくては、誰がトッティの穴を埋められるというんだ」と明言。
中盤ならどこでもこなせ、特に司令塔の位置で輝きを放てる中田をカペッロはどうしても手放したくはなかった。

中田もこの事に納得し、絶対的なレギュラーではないものの、絶対にチームに必要な戦力としてローマに留まり、2シーズン目は主にトッティの交代要員となった。


しかし、この後半からの中田の活躍は凄かった。
この頃、トッティは波が大きい事が多く、トッティがほとんど何も仕事が出来ない試合でも、後半から代わって入った中田の活躍により逆転する試合が多く、いったいどちらがレギュラーなのか、と当時のサッカーファンは嘲笑した。

特に熾烈な優勝争いを演じたユーベとの直接対決では後半にスーパーサブとして入って、劣勢の中で逆転の一弾を放ち、結局はその勝利が大きく優勝争いに影響し、ローマに18年ぶりのスクデット(セリエA優勝)をもたらした。

この中田の成果はあまりに大きい。
このローマのスクデットは、中田だけのお陰とは言わないが、しかし中田がいなくては到底あり得なかった。
それほど当時のユーベは勢いがあり、そしてローマはトッティの不振などにより下降気味だった。
その劣勢を全て跳ね返したのが、なんとこの日本の若手MFだったのだ。


日韓W杯の頃

ローマでの活躍により中田の価値はまた上がり、これまた強豪のパルマに移籍。
しかし、それまでの豪華なタレントが並ぶ顔ぶれから、チームの経営不振により一気に若手中心のメンバー入れ替えとなり、中田はそのチームの変革の中でもがく。

その中でいよいよ日韓W杯が開幕。
パルマでは奮わないが、日本代表では中田は相変わらずの輝きを放ち、度々代表11人の中で1人だけ次元の違うプレーを見せつける。

そんな中田を軸とした日本代表はホスト国としてのノルマ、リーグ戦突破を果たし、ベスト16という好成績を残す。


しかし相変わらずパルマでは不振が続き、パルマも経営難から逃れるために、高額な中田を2003シーズン、ボローニャにレンタル移籍。

しばらくチームの不振のあおりをくらっていた中田だが、ペルージャの監督でもあったマッツォーネ監督率いるボローニャへのこの移籍は、再び中田に輝きを取り戻させた。

中盤で守備に攻撃にと自由に、まさに監督と以心伝心で動き回る中田は高いパフォーマンスを発揮し、来シーズンのボローニャが楽しみ、となったが、残念ながら中田の高額の移籍金、年俸を支払う金はボローニャにはなく、フィオレンティーナに移籍となる。


フィオレンティーナももはや昔の華々しい頃の面影は無く、パルマと似たりよったりのチームの不振の中、またしても中田はもがかされ、2005年、最後のチームとなったプレミアリーグボルトンに移籍となった。


そして引退へ

ボルトンでも中田は万能のセンターMFとしてなかなかいい輝きを放ってはいたが、しかしいまいちローマの頃などの評価を得るには至らなかった。

しかしやはり日本代表では正に軍神としての活躍。
一時期マスコミ不審によりわざと冷徹に振る舞っていた中田だが、代表のピッチ上では必至に他の選手に自分の得てきた経験を伝えようとチームを鼓舞し、時にはピッチで怒鳴り、そしてそれ以上に自分自身がチームの誰よりも走り、気迫で守備に攻撃にと活躍した。

私は2、3年前まではオランダのフェイエノールトで開花した小野伸二こそが現在の日本人No.1プレーヤーだと思っていたが、今回のドイツW杯での活躍を見る限り、やはり現在の王様は中田英寿しかいない、と認識を改めざるを得なかった。


中田の価値はまた次の段階へ

そこまで活躍したばかりの中田が、まさか突然の現役引退とはショックでならない。

なぜ、と思うばかりだが、こうして中田の経歴を振り返ると頷ける部分はある。

もはや中田の高額の年俸を払えるJリーグチームはそうそうなく、それに中田自身の価値としてもはやJリーグに帰る事はあり得ない。

そうかといって、海外のチームではもはやパルマやフィオの頃のように、チームの不振に左右され、またしても降格争いでもがいていても、それはそれで価値が下がる一方だ。

と、なればやはり中田の最大に価値の上がるチームはやはり日本代表であり、そしてその一番の舞台はもちろんW杯だ。
逆にW杯以外には世界的な価値は上がらない。

そうなれば次のW杯で33歳となることを考えれば、むしろ絶頂期である今身を引いた方が価値は下がらない。

もっとも、もし日本代表が決勝トーナメントに進出でき、世界から再度注目を浴びれたら、再び強豪チームに移籍し、現役続行もあっただろうが・・・



もともとサッカー一筋でこの先も生きていこうとは中田は思っていない。
度々、ビジネスの世界の可能性に多大な興味を持ち、そして関係を続け、実際中田はイタリア語、英語を日常レベルで使い、他にもスペイン語などでも会話が可能など、その語学力の高さは凄まじい。


中田にとっての挑戦はむしろこれからが本番なのかもしれない。
中田自身、これからが新たな旅と表現している。
日本サッカー界の革新児だった中田は、今後はビジネス界での革新児となるのかもしれない。


しかし、中田がサッカーの世界から完全に身を引く事はないだろう。

なぜなら今後時間が経過するほどに、その日本サッカー界においての中田の存在の大きさをあらゆる面で認識する事になり、サッカー界やその他の各界では中田を必要とし続けるからだ。


サッカーファンとしては非常に残念な限りだが、しかし今後の中田の更なる可能性に注目したい。


孤高の中田よ。
当たり前の事なのに、当然それが正しい事であることは明らかなのに、なぜか周りがつまらない先入観と常識にとらわれそれを行おうとしない時に、1人信じて実行する人こそが孤高であると私は思う。

これからもあなたの信じるとおりに。


最後にサッカーにおいて無限の可能性を教えてくれた選手達に対して私はいつもこの言葉を心の底から送っている。

ありがとう、ヒデ。





(2006.07.04UP)







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