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まさかの2007Jリーグ鹿島逆転優勝
まさか現実のものになるとは・・・
今年2007年のJ1のこの最後の結末は今後もずっと語り継がれる大事件となった。
夏を過ぎたところで首位浦和レッズとの勝ち点差は10。
3勝+アルファ分のこの点差は、当時の滅多に星を落とす事のないレッズの強さ、堅実さをみれば、もはや誰の目にもレッズの優勝の可能性が高く、ましてや4位の鹿島の優勝の芽など無いも同然に見えた。
つまり残り試合でレッズが3敗する可能性もかなり低く見えたからだ。
そんな絶望的な状況からわずか3ヶ月間での出来事だった。
MF青木擁する鹿島は破竹の9連勝を成し遂げ、そして首位浦和はラストの5試合をあろうことか3分2敗とわずか勝ち点を1勝分しか上乗せできず、勝ち点10が逆転、まさかまさかの鹿島アントラーズ2002年以降久々の、本当に久々のタイトル奪取となった。
”現実は小説より奇なり”、とはよく言ったものだが、本当に、もしドラマか映画にするなら「出来すぎているよ」とあまりの出来すぎた話に辟易させられるようなストーリーだ。
どんな素人脚本家だって、ここまでの話は書けない。
おそらくあまりのひねりの無さに才能を疑われ、モノ書きとしては路頭に迷うところだ。
しかし、そんな誰もが「ホンマかいな」と関西人でなくても関西弁が出てしまう”小説よりも奇”な現実が実現してしまった。
これ以上のドラマはこの先そうは再現できないだろう。
最近はザスパ草津を中心にもっぱらJ2ばかりを見てきた私だが、遅まきながら2007年のJ1リーグをMF青木の所属する鹿島を中心に振り返りたい。
青木の2007シーズン
MF15青木の2007シーズンは決してチーム内でポジションが確約されていたわけでは無かった。
シーズン開幕こそ同い年のMF16中後と共に2ボランチを形成し、順調な滑り出しとなったが、その後DFファボンやDF4大岩らが怪我などでチームを離脱がちになったことで2006シーズン同様センターバックとしての起用が多くなった。
その後ファボンらが戻ると再びボランチの座に復帰し、中後や増田らと2ボランチを形成していたが、7月の中断期間に元日本代表小笠原が海外から戻ってきたことで、一気にチーム内の構成が変わった。
それまでセンターバックとしてどちらかというとボランチより守備、DFとしての扱いが多かった青木は必然的にボランチの座を小笠原に明け渡す形となり、小笠原の相棒はしばらくの間、中後が務める。
そうして8月を主に控えとして我慢の時期となった青木だが、8月末のガンバ大阪戦が一つの転機となった。
小笠原も復帰し一気に波に乗っていた鹿島だが、このガンバとの上位陣直接対決でなんと1−5という大敗を喫し、オリヴェイラ監督は守備陣の見直しを図ることとなり、手を付けたのが中後から青木へのアンカーの交換だった。
そもそも中後は大学卒業後、鹿島で2年目のシーズンとなった昨年の2006シーズンから前任のアウトゥリオ監督に見出され、ボランチとしては青木よりも珍重された選手であり、オリヴェイラ監督の中では中後と青木はおそらくイーブンな存在だったため、それならば、と小笠原の相棒に青木を試したくなったのだろう。
また、中後はどちらかというと正確な右足からのキックをメインとしたセントラルMFが本職だと思う。
ということはそもそも小笠原とプレースタイルがかぶるわけであり、小笠原の相棒はどちらかというとセントラルMFではなくアンカータイプが望ましい。
以上のような背景もあり、センターバックも務める事が出来る青木のアンカーとしての能力は小笠原の相方として適任だった。
青木がアンカーに据えられたことで、続く川崎フロンターレ戦で4−1という好結果となりいよいよ青木の固定が確定。
その後カードでの累積欠場が明けてからシーズンが終わるまで青木は小笠原の相棒としてアンカーに定着し、そしてチームの9連勝を支えた。
鹿島の絶対的なアンカーとなった青木
今シーズンの活躍により、鹿島のアンカーといえば青木、という定説が出来上がった。
何よりもJリーグの優勝という成果は果てしなく大きい。
優勝チームのレギュラーであるという価値がどれほどのものか。
当然日本代表の候補にも挙がってくるわけだし、青木の年齢を考えるならばまさに次回南ア2010W杯に向けうってつけの人材だ。
センターバックもできるというユーティリティ性は今の日本代表のスタイルにも合っている。
最近は阿部を本当にセンターバックでの起用でいいのか、という疑問の声も多いし・・・
ライバルレッズの事情
ところでこの逆転優勝は9連勝した鹿島ももちろん凄いが、当然独走体勢にありながら勝手に急失速したレッズにも原因の半分以上がある事は書き留めておかなければいけない。
川崎フロンターレと共にACL(アジアチャンピオンズリーグ)を勝ち抜き、ついにJリーグ勢初の予選リーグ突破を成し遂げたレッズ。
9月から始まった決勝トーナメントは準々決勝からのスタートとなり、ひと月にホーム&アウェイの2試合が11月の決勝までの3ヶ月間Jリーグや天皇杯の合間を縫って食い込んだ。
この連戦続きとなった9月から11月までの3ヶ月間、レッズのオジェック監督はなんとメンバーをほぼ固定し、全く戦力の入れ替えを行わないまま強行させた。
それでも10月頃まではJリーグでもしぶとく勝ち点を積み重ね、ACLではアウェイで引き分けに持ち込み、真っ赤に染まるホーム・埼玉スタジアムできっちり勝つという常勝パターンで決勝まで順調に駒を進めた。
やはりその背景にはホームでの圧倒的な雰囲気と圧力で相手を包み込んでしまう世界トップクラスのレッズサポータの威力があった。
ここ数年、レッズは滅多なことではホームでは負けない。
そんなホームでの安定した強さがレッズの原動力だった。
オジェック監督の強行策
しかしオジェック監督はそんなレッズの強さを過信しすぎた。
時には標高1600mのイランで平日にアウェイを戦い、そしてその前後のJリーグでもほとんど同じメンバーで戦う。
そんな気が狂っているとしか思えない、監督のあまりの偏重、固執した采配はついに11月にきて徐々に崩壊しはじめた。
10月末の名古屋戦でのスコアレスドローを皮切りに、川崎戦、清水戦と得点力不足で泥沼の引き分けに持ち込むのがやっとの戦いが続き、しかしその間のACLは絶対に負けられないという危うい状態が続いた。
結局、そんな紙一重の精神状態は11月14日のACL優勝という快挙により一気に解放され、そして崩壊した。
その頃の優勝争いのライバルであったはずのガンバ大阪がレッズと共に足踏みをしてしまったため、まだまだこの時点では勝ち点差に余裕があり、あとはなんとか残りのJリーグをしのいでJリーグとアジアのW制覇を成し遂げるだけ、という青写真が誰の目にもできあがってしまっていた。
レッズVS鹿島の直接対決
そして迎えた11月24日真っ赤に染まる埼玉スタジアムに、7連勝と絶好調の鹿島を迎え撃つ事となった。
この時点で鹿島との勝ち点差は4。
この試合含めて残りわずか2試合の状態では、これに仮に負けてもまだレッズが有利という状況。
しかもレッズの最終節の相手は早々に降格が決まっていた絶不調の横浜FC。
この勝ち点差が結局はレッズ側には慢心を、鹿島には捨てるものがない大いなる勇気を与えた。
勝利しかあり得ない鹿島だったが、あろうことか前半に左サイドバックの絶対的なレギュラー新井場が2枚のイエローを受けて退場。
もはやここまでかと思われたが、これがまた引き分けに持ち込めばいいレッズと、それでも勝利しかない鹿島の両者に対し更なるモチベーションの格差をもたらした。
後半に入っても、全く1人少ない事がわからないほどのチーム全体での運動量、気迫で攻め込む鹿島、そして連戦に次ぐ連戦で疲労のピークをとっくに越え、燃えかす状態で足取りの重いレッズ。
そんな中、鹿島の左サイドからの鮮やかな速攻が決まり、レッズは守備陣の人数が揃っていたにもかかわらず鹿島の縦へのスピードにつききれず、MF野沢の鮮やかな左サイドからの豪快なシュートを許す事となる。
この一発が全てだった。
試合は終わり鹿島は埼玉スタジアムというレッズの強固な牙城を崩し、勝ち点差をわずか1に縮めた。
天皇杯でJ2愛媛にも惨敗のレッズ
しかしレッズは最終節にダントツ最下位の横浜FCにさえ勝てば良かった。
そしてそれはつい1ヶ月前ならば、ほぼ確実に、99%の確率で勝てる相手だった(はずだった)。
このJリーグの最終節の前にレッズはACLのため延期されていた天皇杯を戦う必要があった。
相手はJ2で下位に低迷する愛媛。
ほぼ無名の選手が揃う愛媛に対し、レッズオジェック監督は念のためにレギュラー陣を半分スタメンに投入した。
特に11月から明らかに運動量とパフォーマンスが落ちてきている中盤の要・鈴木啓太と長谷部をこの天皇杯でも投入したのは絶対に間違いだった。
以前にもこのHPで書いたとおりだが、確かに長谷部のパフォーマンスはレッズというクオリティーを保つのには絶対不可欠なのかもしれないが、しかし長谷部だって生身の人間だ。
いかに長谷部、啓太が優れていようとも、こんな無茶な使われ方をされては実力の半分も出せない。
結局、愛媛側から「レッズは疲れていたようだ」と同情されるほどの動きの悪さで、愛媛のアタッキングサッカーに翻弄され0−2で完敗。
確かに愛媛は世間一般では無名ばかりだが、このHPでの観戦記で書いているとおり、活きのいいアタッカーが豊富に揃っており、チーム全体で連動して攻撃できるため、波に乗るとどんなチーム相手にも攻め立てられる実力も備えている。
アジア王者と戦えるという願ってもないこのチャンスに、この格下チームのモチベーションはマックスまで上がり、そして天皇杯でもなぜか戦わないといけないというレッズレギュラー陣のモチベーションの低下はピークにきていた疲労を加速させた。
このまさかの天皇杯敗戦はもしや・・・という不安を最終節の前にもたらした。
最下位横浜FCにまさかの敗北のレッズ
それからわずか3日後、結局その”もしや・・・”は現実のものとなった。
大勢の赤いサポータが押し寄せた日産スタジアムで、前半のうちにキングカズに左サイドを破られゴール前にクロスを送られ、そして走り込んだ根占がまさかの先制。
横浜FCからの解雇が決定していたMF山口素弘も、この日レッズのプレスが弱いあまり自由に中盤を支配し、一級品のパスでレッズのスペースを崩した。
横浜FCは最後の試合になって昨年のJ2での強さを取り戻したかのように、中央でのDF小村、GK菅野を中心とした堅い守りで鍵をかけ、そしてサイドの選手はよく動いた。
もっと早くこのサッカーを取り戻せていたら・・・とサポータも残念がる試合だったが、しかしそれも結局は追われるだけの立場の満身創痍のレッズと、捨てるもののない横浜FCの吹っ切れた勇気がもたらした結果だった。
結局疲労がピークをとっくに過ぎ、アジア制覇によりモチベーションをも低下したレッズは横浜FCにも0−1と敗戦し、天皇杯も含めまさかの公式戦3連敗となった。
もはやそこにアジア王者の貫禄は無かった。
そして鹿島は最後の試合も清水という難敵を相手に3−0と勢いの差を見せつけ、ついには9連勝。
鮮やかな逆転優勝劇はこれにて閉幕となった。
レッズオジェック監督はやはり名古屋戦、清水戦や天皇杯あたりでもっと控えの選手を信じ、もっと柔軟に選手をローテーションさせるなりチーム全体の総合力で戦うべきだった。
天皇杯にすらレギュラー陣を出してしまったことで控えの選手のモチベーションも下げ、そして酷使させられるだけのレギュラー陣にしてもいよいよ監督への不信を募らせる結果となってしまった。
DFトゥーリオの「中途半端すぎる。休ませるならきちんと休ませないと」という最後のコメントが全て物語る。
2008以降の展望
何はともあれ、Jリーグ優勝という効果は何かしらの影響力を必ずもたらす。
優勝チームから1人も現役代表がいないという異常さはすぐに見直され、田代、野沢らの勢いのある若手や、U−22でもあるDF内田、センターバックでいよいよ安定感を発揮しはじめたDF岩政らにも注目が集まるところ。
そして先に書いたとおり絶対的なアンカーMF青木だ。
ボランチが本職でキープもできてロングボールの精度も高い。
センターバックをやらせれば阿部よりも計算でき、アンカーとしても啓太よりも高さという武器が加わる。
まだフル代表に呼ばれた事のない青木だが、いよいよ出番が近づいたという予感はする。
また、鹿島の黄金期復活という声ももっともだ。
本山、小笠原、柳沢といったかつての黄金期を支えたベテランも健在な中、田代、野沢、増田、中後、内田と若手がいよいよ成長し、誰が出てもレギュラー陣とあまり遜色がない層の厚さを形成。
センターバックが大岩、岩政の控えがまだいない状態だが、今後も青木がセンターバックとしても成長できるのならそれもいいだろう。
レッズは未だに若手の有望株がMF細貝1人のみという状態で、この層の薄さはオジェック監督が指揮を執る限り来年以降も必ずや弊害をもたらすだろうし、その意味では鹿島は有利だ。
そしてJリーグを制覇したことで、鹿島は来年レッズと共にACLに出場する事となる。
先に述べたとおり、これだけ層が厚い鹿島ならば、そしてそれを柔軟に使いこなすことのできるオリヴェイラ監督ならばこれは期待できる。
そしてその采配の中心には青木が必ずいる。
怪我にだけは気を付けて、来年はアジアで、世界の舞台で青木の活躍を目に出来そうだ。
(07.12.03UP)
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