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永遠の横浜フリューゲルスキャプテン
山口 素弘
H24.3.21 横浜FC監督就任発表!!



横棒


岸野体制3年目の必然の崩壊・・・

それはまさかの発表だった・・・



岸野体制3年目となる今季の横浜FC、略称というか愛称フリエ。

シーズン前の私の予想としても、これまで2年間の岸野監督のフリエでの采配をみる限り、もはや限界だろうと容易に予想。
ていうか、なぜ3シーズン目を岸野監督に託したのかフロントの考えが全く見えなかった。

走るサッカーといえば現代サッカーとして当たり前で、とりあえずまっとうな戦術とみえるが、結局その根本は根性論のみのものであり、理論的な戦術の植え付けは皆無。
選手達は目指すべき方向性を与えられず、ただ守備に攻撃にと走らされるのみ。

よくファンやサポータの間から、選手が走れていないという言葉を多く目にするが、私からすれば選手が物理的に走れないのではなく、理論的に走れない場合が多いとみれる場合が多い。

当然選手には守るべきゾーンというものがあり、与えられたポジション、役割がある。

そのポジション、役割を無視し、ただ単にボールに向かって走るだけでは逆効果であり、個人個人が走った時にチームがいかに連動して全体的に走る事ができるかが重要。

そのためにはチームで共通した戦術の理解が必要であり、監督とはいかにその選手達が動きやすい戦術を、方向性を示してやれるかがサッカーにおいては最も大事な事だと私は常に考えている。

だからこそ、ただ個の力、例えばブラジル人FW1人にとにかくボールを預け、その個人の決定力にチームが左右されるようなサッカーではなく、いかにチーム全体が走れる流動性が確保できるかをこのHPでも常に訴え続けているわけだ。

最近は特にこの流動性が成功している例が多くなり、例えば南アW杯でアンカーを置いた事で遠藤、長谷部の両セントラルMFの流動性が確保でき成功した日本代表、昨年ではFWラフィーニャ頼みから脱却し3シャドーシステムで終盤の快進撃を成功させたザスパや、4シャドーシステムで残留争いから脱却できた浦和レッズなどがある。


おそらく岸野采配ではこういった考えがそもそも無いのではと思える。

あくまで局面局面での個の力を重要視しした4−4−2のボックスシステムでの一辺倒。

たまに選手個人、例えば昨年の荒堀のような選手の煌めきが輝いた瞬間だけは点を獲れるが、とてもチーム全体でサッカーが出来ているとは言えない。


話があまりに長くなった。

とにかく走れ!だけではサッカーは出来ない。

どうやったら走らせてやれるかをサッカーの監督は常に考えてやらなければいけないということだ。





43歳での突然の監督就任

そして2012シーズンが開幕し、3試合を戦った時点で岸野フリエは1分2敗の最下位に低迷。
本当に案の定とはこのことであり、そしてフロントもある程度この事態を予想していたのか、わずか3試合だけ戦った後に意外に早めの手をほどこし、岸野監督を更迭。

何人かの監督候補がリストアップされる中、なんと新たな監督として発表されたのは、チーム最年長の三浦カズ45歳よりも2歳年下の43歳・山口素弘その人だった。


2007シーズンをもってして横浜FCから戦力外の通告を受けて現役引退してから4年。

その間は主に解説者としてフジテレビの「すぽると」ではTOKIOの国分と名コンビを組み、そしてJFAのアンバサダーとして普及、育成などの面でも活躍し、これまでとは別の角度からサッカー界に貢献してきた。

しかし、まさか正式なコーチ業に就かないままに、43歳という年齢で監督業に就く事となった。


正直、このファン、サポータから絶大な人気と永遠の信頼を得ている山口の招聘の裏には明らかな失敗といえる岸野体制3年目でシーズンに突入させてしまったフロントの責任逃れのための、ファンやサポータの目をサプライズで逸らさせようという魂胆が見え見えでならない。
開幕からわずか3試合目での監督交代の責任はあまりに重い。


しかし、このタイミングだからこそ、この早すぎるのではと思える監督業のオファーを山口が受けてくれたものとも言えるし、経緯はどうあれ私としても嬉しい事に変わりはない。





2006年の奇跡再来なるか?

ところで以前にもフリエではこれと同じ事があった。

2006年の高木監督突然の就任だ。

アジアの大砲・高木も現役引退後S級ライセンスをとったばかりの頃に2006年にフリエのコーチに就任。

そしてあろうことか開幕の試合でのたった1戦の敗戦を受けて当時の足達監督が電撃更迭され、その後釜としてコーチ業についてまだ1ヶ月だった高木コーチに白羽の矢が立ち、当時も最年長だった三浦カズより1歳下の監督就任となった。

最初はフリエサポータもこのやぶれかぶれのフロントの対応に抗議し、全ての応援行為をボイコットするなどの実力行使にうってでたが、その後高木監督はGK菅野を中心とした”ハマナチオ”システムを確立させ、とにかく滅多に失点しないチームに変身。
当然無失点なので負けるはずがなく、15試合連続無敗というとんでもない記録を打ち立て、結局その年のフリエはわずか6敗でJ2を優勝し、横浜FCとなってから初のJ1昇格を果たした。



このコーチ歴も無い若手監督の抜擢、それも共にシーズン始まって間もない時点での電撃就任という重なる事実が多い今回の就任劇は、否応なしに2006年の奇跡再来を感じずにはいられない。




山口監督としての力は未知数

しかし、冷静に考えれば当時は先に述べた奇跡のGK・菅野がいたし、カズ、城、そして山口素弘といったベテラン勢と、内田、中島、小野といった有望で運動量豊富な若手達、そしてそのチームに非常にフィットしたMFアウグストなどがいた。

それらの若手、ベテラン、助っ人外人などの絶妙な戦力のマッチングあった事は忘れてはいけない事実であり、そして高木監督のかつてのアジアの大砲らしからぬ、相手の戦力をとにかく分析し尽くし、その対策を緻密にとってハマナチオの鉄壁の守備を敷いた戦術がチームにマッチしたことが重なった結果ということは一応踏まえておく必要がある。


その頃とは既に年月も過ぎ、決して同じように守備的な戦術を敷いたからといって簡単に勝てるほどJ2リーグは甘くはない。

そしてわずか1ヶ月とはいえ、高木監督はコーチ就任の間に少なくとも自分のチームの戦力は把握できており、そのベースのもとで敵チームを緻密に分析できた。



だが山口監督はまず一から自分のチームを把握する必要があり、どう自分の戦術をチームにフィットさせていけるかを模索する事から始めないといけない。

就任1戦目からいきなり結果を出していった2006年の高木体制の再来というわけにはいかないだろう。



とにかく未知数だ。

現役時代はあれだけ実績を残したレジェンドたる山口素弘だが、監督業としての実力は誰も推し量れない。

智将・高木ですら、まさかアジアの大砲があれほどの緻密な戦術を組める監督になるとは誰も予想できなかっただろう。

ただ、あれだけ中盤の中で守備にも攻撃にも間合いというものを重要視するプレーに長けていた山口ならば、攻撃でも守備でもチームが目指すべきポイントというものは伝えやすいのではと思える。

そのポイントを明確にしてやる事こそが、冒頭で述べたチームの方向性を示し、選手を走りやすくさせてあげる事に繋がる。


果たして山口がどのような采配をしていくのかは、とにかくある程度長い目線で見ていくしかないだろう。





そしてまたこの三ツ沢から・・・

こうして誕生した山口監督だが、とにかく監督就任時の記者会見のコメントでもあったとおり、プロ選手を三ツ沢でスタートでき、そして最後も三ツ沢で終え、更に監督業もこの三ツ沢からはじめる事が出来るという事実には不思議な縁があるとしか思えない。


さすがはFLUGELS永遠のキャプテンにしてFLUGELSの代名詞たる男・山口。

フリエのモノは山口のモノ。
山口のモノも山口のモノ。


もはやフリエの命運は全てこの永遠の生けるレジェンド山口に託された。



とにかく2006年の高木体制の再来にばかり期待し、いきなり結果を求めるような事はしてはいけないだろう。

ある意味リーサルウェポンを早くも出してしまったといえるフリエフロント陣としては、良くも悪くも山口と心中する決意が必要だ。


最低3年は山口に時間を与えるべきだ。
それでダメなら、またもう一度コーチ業としての修行を積む期間を与えるべきだろう。


冷静なように見えて、その実は最も熱いハートを持つ、強烈なキャプテンシーを持つ山口の、その圧倒的なカリスマ性には、心中してもいいほどの資質がある事は間違いない。



我がサッカーの永遠の師・山口素弘が今度は監督業としてどのような教えを私にもたらしてくれるのか、これからが楽しみでならない。


もちろんJ2リーグではザスパ草津を一番に応援していく姿勢は変わらないが、その次にフリエの応援にも力を入れていきたい。






(12.03.24UP)












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