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ゴール前の一点に合わせる点取り屋

FW 大島 秀夫

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”点”に合わせる点取り屋
横浜Fマリノス #15
FW 大島 秀夫


大島 秀夫(おおしま ひでお)
生年月日 1980年3月7日
身長/体重 184cm/78kg
血液型 O型
出身地 群馬県 伊勢崎市(伊勢崎一中)
利き足 右

〜経歴〜
前橋育英('95〜'98)U-18
横浜フリューゲルス('98)
京都パープルサンガ('99〜'00)
モンテディオ山形('01〜'04)
横浜Fマリノス('05〜)




−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)

J1横浜F

'98 J1・6 天皇杯・1

J1京都

'99 J1・4 カップ・3
'00 J1・0 カップ・1

J2山形

'01 J2・43(12) カップ・2 天皇杯・3
'02 J2・38(6) 天皇杯・1
'03 J2・42(9) 天皇杯・3(3)
'04 J2・43(22) 天皇杯・1(1)

J1横浜Fマリノス

'05 J1・28(9) カップ・3 ACL・5(1)
'06 J1・25(4) カップ・8 天皇杯・3
'07 J1・30(14) カップ・9(4) 天皇杯・2(2)
'08 J1・29(7) カップ・8 天皇杯・2

J1新潟

'09 J1・ カップ・ 天皇杯・


新春ドリームマッチ群馬2009にて 大島秀夫、ザスパ松下、鳥居塚
右の15番が大島
実際見るとやはり大きい






■特別記事■

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2009年からは新潟へ移籍決定!!

横浜フリューゲルスからキャリアをスタートさせた大島が再び横浜に帰り、5年間もの間FWの軸としてマリノスに留まったが、いよいよ移籍となって2009年からは新潟での新天地で再スタートとなる。

このページでは2006年までの記事を載せていたので、2007年、2008年の総括をしつつ、2009年以降の新潟での展望を記述してみようと思う。



2007年、日本人得点王としてマリノスのFWの軸に

2006年までの間、マリノスはFWの軸に久保を置き、結果的にそれが失敗(久保自身はわずか5得点)。

その久保の代わりに日本人FWの軸として君臨したのが大島であり、14得点の大活躍を遂げる。
この14得点は神戸の大久保と並ぶこの年の日本人得点王であり、これによりまさにチームの軸、マリノス前線の象徴として扱われるようになる。

この年、あまりマリノスの試合は私自身は見られてないが、それまで前線で張るタイプだった大島にもハードワーク、運動量が要求され、それをこなした結果がこれだけの得点を引き出したのではないかと思われる。


とにかく、その正確なポストプレーは国内屈指とも言われ、日本代表にもリストアップされる噂も聞こえはじめた年だった。


2008年はゲームキャプテンに

そんな2007年の活躍を受け、2008年はマリノスのゲームキャプテンとしてFWながらキャプテンマークを巻くようになり、ますます前線での軸としての活躍を期待された。

しかし、ここ最近のマリノスの低調ぶりがますます顕著化する形でチーム自体がいまいち波に乗れず、特に攻撃陣ではロペス、ロニーといったブラジル助っ人がむしろブレーキ気味。
頼みの綱の山瀬兄の攻撃力もこのブラジル人達に隠れる形で潰され気味。

もともと個の力で切り開くタイプではない大島にとっては、攻撃陣の不振のあおりを喰らう形でなかなか点が取れず、やはりFWというものは得点できないでいると全体的に落ち込んできてしまうもの。


そのままマリノスは今季途中までは降格争いの位置まで下がる事となり、桑原監督が解任され木村監督に代わってからは、特に攻撃陣に大鉈を振るってメンバーチェンジ。

ロニーがガンバに移籍し、山瀬兄も怪我で離脱。
大島もスタメンの座を降ろされるようになり、2008シーズンで一気にマリノス攻撃陣の顔となったFW狩野、大卒23歳の兵藤、193cmの長身で22歳のキム・クンファンと若手がトライアングルを形成。

調子が良い方から使い、なおかつ若手育成も行うという木村監督の方針変更により大島は控えとしての扱いとなり2008シーズンを終えた。



2009年は新潟へ!!!

こういった2008シーズンの監督交代以降のチーム方針の変更により大島はオフに戦力外となり、移籍金がかからずに国内屈指のポストワーカーを手に入れられるとなって北から南まで複数のチームが大島を争奪戦を繰り広げたが、最終的に山形時代に大島をFWとして開花させてくれた恩師である鈴木淳監督がいる新潟へ移籍となった。


昨年までのマリノスはDF松田をはじめFW清水、そしてFW大島と群馬出身が揃っており私としても面白かったので、大島がマリノスから去る事は非常に残念だが、山形時代に大島を育てた恩師の元で28歳と円熟期を迎える大島が再び一花咲かせられるのなら、それもまた楽しみだ。

新潟のFWといえば代表にも何度か顔を出す矢野がおり、構想としてはこの矢野と大島のツインタワーが新潟のベースになるだろう。
鈴木監督も大島にラブコールを送る際に、大島を軸としたチーム作りを明言しているらしい。


新潟といえばMF田中アトムもおり、育英の大先輩に良質なクロスを送って欲しいものだ。

この田中アトムと大島は2009年のザスパとのドリームマッチに出場してくれ、大島は途中、リフティングでボールをキープするサービスも見せながら、国内屈指のポストプレーやゴールへの推進力といったものを見せてくれた。
生で大島を見るのは久々だったが、やはりJ1で結果を出す選手というものは凄いと感じたし、マリノスが大島を放出することは間違いだなとも感じた。


2009年、良い指揮官のもと、再び大島の活躍、具体的には二ケタ得点以上の結果を期待したい。




(09.02.09UP)






〜以下、2006年当時の紹介・応援文〜


神聖なる横浜ダービー

大島のプロでのキャリアは98年、前橋育英から横浜フリューゲルスに入団するやいなや始まった。
1998年3月21日の開幕、宿敵横浜マリノスとの横浜ダービー。
共に横浜国際をホーム地とするこの横浜の2チーム戦いほど、純粋にして熱いダービーマッチは未だに無い。

ちなみに大阪ダービーはホーム地がガンバが万博、セレッソが長居と違っている。
かろうじて味の素スタジアムを共に本拠地とするFC東京と東京ヴェルディの東京ダービーが現存する本当のダービーかと思うが、しかしヴェルディは川崎から東京に移ってまだ年数もなく、また東京という土地柄、どうにも地域性に乏しいため、あまり地域に根付いたダービーマッチには感じられない。

つまりは東京だからヴェルディを応援するのかというと、そういうわけでもない。
FC東京は西東京地区の地域に根付いたサポータが多いと思われるが、ヴェルディの場合は元の川崎であったり、その他読売クラブ時代からの全国区のサポーターが多いと思う。

もっとダービーマッチとは、同じ街に存在しながら、その街を2分するような互いの誇りを賭けた”内戦”であるべきだ。
普段は会社で机を並べる同僚同士が、ダービーマッチだけはライバル同士となるような、そういった地域性が伴わないとダービーマッチのあの独特の存在意義は薄れる。
そう、ダービーマッチとは互いに負ける事が絶対許されない、全てを賭けた戦いであり、今の東京ダービーにはそこまでの気概はまだ感じられない。

そういった事で共に横浜の名を冠し、三ツ沢というサッカー専用スタジアムからスタートし、まさに横浜と共に地域に根付いたチーム同士の真のダービーマッチは後にも先にもこの横浜ダービーだけだと思う。
(ザスパとホリコシがJFL時代に敷島のサッカーラグビー場で群馬ダービーだったけど、まあそういうアマチュアリーグ以下のローカルダービーは全国多いでしょうが)


その横浜ダービーからキャリアスタート

その唯一無二の、神聖なる横浜ダービー開幕戦に、なんと大島は高卒ルーキーでありながらスタメン出場を果たし、そのプロとしてのキャリアをスタートさせた。

(確かその試合、私も生観戦し、最後は現神戸の三浦アツが左サイドをゴールライン際まで切れ込み、マイナスのセンタリングから押し込んで決勝ゴールで勝った記憶がある。
あれは今でも忘れる事の出来ない最高の1日、最高のダービーだった。)


横Fの消滅により暗礁に

当時、横浜Fにはキャプテン山口素弘をはじめ、FW服部、MF佐藤一樹、そしてこのFW大島と多くの群馬出身プレーヤーを擁しており、それも私が横浜Fを愛する一因だったわけで、これら群馬出身プレーヤーと共に、大島、そして横浜フリューゲルスの明るい将来を確信していた。

しかし、この大島のルーキーイヤーの終盤、11月に突然発表されたフリューゲルスの横浜マリノスに吸収合併、というJリーグ史上最大のショッキングな事件によってそれらの展望が一気に崩れ落ちた。


チーム消滅後、各選手は方々に散り、当時遠藤弟、手島、辻本ら多くのフリューゲルス戦士を受け入れた京都に移籍となる。

しかし当時あまりに多くの選手の補強を行った京都は一気に選手層も無駄に膨れ上がり、まだまだ若手の大島はその中で埋没。

あまり日の目を見ることなくJ2山形へ移籍となった。

この辺などは、本来横Fが持続していたなら、もっと伸び伸びと横浜の地でさらなる成長を遂げた事だと思うが、全くもったいない事だ。


山形で絶対的なエースストライカーに

山形への移籍は大島にとって成功となった。

移籍直後からレギュラーに据えられ、その後4年間ほとんどの試合に出場することとなる。

特に得点というFWにとって一番大切な結果を積み重ね、ついには2004年、J2リーグの中での日本人選手最多得点の22点を叩き出す。
2004年のJ2といえば圧倒的な攻撃力で独走した川崎フロンターレが印象的だったシーズンだが、得点王はその川崎のジュニーニョの37点という化け物級の数字、2位もおなじく川崎の我那覇が22点と挙げた。
大島はその我那覇と共に得点ランキング2位につけ、現在広島で日本代表となっている佐藤寿人の当時仙台での20点以上の点を挙げたわけだ。

山形の頃、私は大島を大宮公園などで1、2回程度しか見る事ができなかったが、当時まだ決して強豪とはいえなかった山形においてこの得点は大島の得点能力の成長が伺える。


2005年、満を持して王者マリノスに

その得点能力を買われ、2005年、ついに大島は横浜Fマリノスへ移籍する。
実に6年ぶりの横浜復帰となった。

当時マリノスは2003年、2004年と連続Jリーグチャンピオンとなっており、そして目指すは世界に通用するクラブ作りだった。

世界への入口としてマリノスはJリーグチャンピオンとして2005年のACL(アジアチャンピオンズリーグ)に2年連続で出場が決定していた。
その前年の2004年は、やはりJリーグとの過酷な日程に苦しみ、ACLをあえなく予選敗退となっており、2年目の2005年、岡田監督は本気でアジアを狙いにいった。

アジアを制し、そして2005年から開催が決定した世界クラブ選手権(旧トヨタ杯)への出場権を掴み、そして南米やヨーロッパのチャンピオンのクラブと対戦するためだ。


そのためにはJリーグとACLを戦うための分厚い戦力が必要であり、2チーム分のレギュラー選手を揃えるために大島に白羽の矢がたったわけだ。


控えを超越した活躍

2005年のマリノスのFW陣といえばレギュラーは日本代表の久保と、韓国代表のアンジョンファン。

しかしこの2人はシーズン開幕から怪我がちであり、それに続くFW陣といえば横Fユースの出身である坂田と、前橋商業出身の清水、そしてこの大島となった。

特に久保に代わるポストワークを果たせるのは大島しかおらず、Jリーグに、カップ戦にと大活躍。

久保やアンジョンファンが復帰しはじめると出場機会は減ってはきたものの、Jリーグでチームトップの9得点、ACLでも5試合出場し1得点を挙げる活躍をみせ、実質2005年のマリノスのエースストライカーであった。


的確なポストワーク、1点で合わせる得点能力

J2の山形の頃まではあまりそのプレーを見る事ができなかったので何ともいえないが、マリノスに移ってからの2005年からはかなり大島のプレーを見ることができた。

まず、やはりその184cmという身長を活かしたヘディングやポストプレーに目が引かれる。
フォアザチームの精神のもと、今チームから求められているプレー・・・例えば前線の起点となることであったり、空いているスペースでボールをもらう事を狙いにいったり、パワープレイのためにゴール前で積極的にヘディングで競るなど、的確なプレーを行う。


そして、それ以上に大島の特技といえるのは、ゴール前に上がったクロス、パスに”1点”で合わせる能力の高さだ。

確かに大島は1人でドリブルで持ち込んで強烈なシュートを打つような、いわゆるブラジル人に多くいる、スピードとテクニックに優れたタイプの選手ではない。


しかし、その得点の実績が示すとおり、得点シーンにおいてのクロスなどに反応しそれを確実に点で合わせ決めていく能力は凄い。


久保にも勝るそのダイレクトシュートの感覚

例えば日本代表の久保と比べるなら、ポストプレーやヘディングの能力はどっこいどっこいの気がするが、久保はその左足によるシュートを得意とする。
それもダイレクトに合わせるよりも、少し自分でキープして、自分の間合いで打つ事が多い。

それに対し、大島は下手にキープしても相手にプレッシャーをかけさせる時間を与えてしまうだけなので、あくまで点で合わせダイレクトにシュートをすることを得意とする。


そのプレーのスタイルとしてはセレッソ大阪のFW西澤が近い気がする。
西澤は日本代表時代、かの有名なカサブランカの奇跡となったフランスとのハッサン2世カップ戦で、味方からのゴール前に落とすクロスに対し、ぎりぎりで追いつき、点で合わせゴールを決めた。

あのプレーが大島にもできると思う。
そして久保にはおそらくあのプレーはできない。

そこまでの過程でのゴールへの感覚、意識の土台が久保と大島では違うからだ。
久保ならば、もっと自分の足下へのボールを欲しがるだろうし、そこまでぎりぎりで追いつく身体能力はあるかもしれないが、そういう事にその能力を使うのではなく、どちらかというと自分でボールを持ってから相手DFを振り切るためにその能力を使う。


個の力の久保、チームに合わせる大島

確かに”個”の能力で点を取る能力の高い久保をジーコが代表の主軸に据えたい気持ちもわかるが、しかしそんなもの密着マークに合いスペースを奪われては威力も半減する。

対して大島はどんなにマークが付こうともあまり関係はない。
はじめから点でしか合わせる事を狙わないのだから、そのボールの落下点に誰よりも先に頭なり足なりを合わせていけばいい。
そこに何人ものDFがいようとも、関係がないわけだ。


これこそが大島がこれまで出してきた結果の理由だと私は推測する。


しかし、当然のことながらそのゴール前へのクロスが入らなければ仕方ない。
大島の弱点としては、どうしてもチームに頼る必要がある事だろう。
その点、マリノスは左サイドにはドゥトラ、平野、右サイドには隼磨、吉田と素晴らしい選手が揃い、その他にもボランチのMF上野、頻繁に攻撃参加するDF松田らもゴール前へのクロスは得意とするところだ。

これらチームとフィットした時、大島は更なる得点を挙げる事ができるだろう。


2006年王座奪還へ

結局2005年、JリーグとACLの二兎を追ったマリノスはどちらもあえなく逃す事となったが、まずは王者の座を奪還すべく2006年はレッズとの熾烈な首位争いを行っている。

久保は相変わらず持病の腰痛に悩み、代表にも呼ばれる。
この前の試合で今シーズンFW陣の軸となったFWマルケスも負傷をした。

まだ絶対的なマリノスのFWのレギュラーではないかもしれないが、大島は今後もマリノスに無くてはならないストライカーとして活躍する事だろう。





(06.04.13UP)




天使



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