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元ザスパ群馬出身メンバー紹介
J2ザスパクサツ群馬 DF
坪内 秀介

〜坪内秀介現役引退、神戸のスクールコーチへ就任〜

横棒


センター、サイド両方OKの守備のユーティリティー

坪内 秀介(つぼうち しゅうすけ)
生年月日 1983年5月5日
身長/体重 180cm/75kg
血液型 A型
出身地 群馬県(高崎市・高松中)
利き足 右

〜経歴〜
前橋育英('99〜'01)
J1、J2神戸('02〜'07)
J1札幌('08)
J1大分('09)
J1大宮('10〜'12)
J1新潟('12〜'14)
J2磐田('14〜'15)
J2ザスパ('16〜')



−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)

J1、J2ヴィッセル神戸
'02 J1・1
'03 J1・10 カップ・4 天皇杯・1
'04 J1・21 カップ・2
'05 J1・9 カップ・1 天皇杯・1
'06 J2・46(1)
'07 J1・13 カップ・5 天皇杯・1

J1コンサドーレ札幌
'08 J1・30 カップ・6

J1大分トリニータ
'09 J1・20 カップ・5 天皇杯・1

J1大宮アルディージャ
'10 J1・26(2) カップ・3 天皇杯・2
'11 J1・19 カップ・1
'12 J1・5 カップ・1

J1アルビレックス新潟
'12 J1・9(2) 天皇杯・2
'13 J1・6 カップ・4
'14 J1・ カップ・2

J2ジュビロ磐田
'14 J2・8
'15 J2・7 天皇杯・2

J2ザスパクサツ群馬
'16 J2・34(2) 天皇杯・2
'17 J2・8 天皇杯・1
'18 J3・12 天皇杯・2


DF4坪内秀介
H26.04.09 2014J2・ザスパクサツ群馬 VS 京都サンガ
キャプテンマークを巻き、DF陣を率いるDF4坪内(左)






〜坪内秀介現役引退、神戸のスクールコーチへ就任〜

松下裕樹と同じ高崎市高松中出身の坪内は、ジュビロから2016シーズンに移籍し、3年間でザスパを去る事となってしまった。

松下と共に、神戸時代から坪内の動向を見続けてきた自分にとっては、松下に次ぐリーダーシップの持ち主として、松下の後継としてチームを引っ張る役割を期待してきた。

実際、坪内がDFラインに入ると、安定感がグッと増すイメージがあり、その経験から裏付けされたカバー能力などはさすがのモノがあり、ザスパに移籍した2016シーズンはDFリーダーとしてセンターバックに君臨し、キャプテンとしてもチームを引っ張った。

だが、2年目の森下体制になってからガラッとチームは変わってしまい、コリアントリオにセンターバックを委ねるなど、森下指揮官の采配もブレブレで、坪内が力を発揮しきれる事無くチームはJ3に降格してしまった。

今シーズンは開幕シーズンはスタメンだったが、シーズン途中で4バックから3バックに戦術が変わると、坪内はスタメンから外されてしまい、1−0で勝ち切る布戦術に変わってからは、1−0で試合終了間際を迎えた残り5分で投入され、絶対に1点を守り抜くというクローザーの役割を担わされた。

そして、結果的には1年でのJ2復帰叶わず、チームはJ3に2年目となってしまった。

やはり松下らと同じく、J2に復帰できなかった来シーズンは、ベテランで家庭持ちの坪内を雇う給料は無いのだろうと覚悟はしていた。

だが、やはり現実のものとなるとあまりに寂しいものがある。

今シーズンは坪内と前橋育英で同級生の元ザスパ選手・里見さんの声かけにより、坪内秀介後援会も結成され、まだまだこれからという所だった。

これもチームが昇格できなかった反動によるものではあるが、それにしてもこういった地元を愛する生粋の郷土プレーヤー達がチームを去るのは寂しくてならない。



第二の人生・指導者への道は、神戸からスタート!

そして2月に入り発表されたのは、現役引退と共に、古巣の神戸でスクールコーチに就任した、という記事だった。

DF4坪内秀介
2019.2.1上毛新聞 掲載記事


現役引退にあたり、坪内は以下のようにコメントしている。

「2018シーズン限りで引退することを決断しました。まず、プロになるまで不自由なくサッカーをさせてくれた父と、身の回りの世話などしてくれた母に感謝したいと思います。ありがとうございました。FCイーグル、高松中、前橋育英の指導者の方々の愛のある指導おかげで夢だったプロになることができました。そしてヴィッセル神戸、コンサドーレ札幌、大分トリニータ、大宮アルディージャ、アルビレックス新潟、ジュビロ磐田、ザスパクサツ群馬と、たくさんのチームでプレーすることができました。それぞれクラブのチームメイト、サポーター、クラブの関係者の皆さん、スポンサーの方々、本当にお世話になりました」

「17年間、もがき続け毎日必死にやってきました。悔しいことや辛いこと、貢献できずにチームメイトやクラブに迷惑かけてしまった方が多かったプロ生活でしたが、その思いが強い分、数少なかったですが結果が出てホッとしたことや嬉しかったこと、仲間に恵まれ幸せな瞬間に立ち会えたことが、悔しかったことを含め何事にも代えがたい素敵な思い出となってくれています。どんな時も笑顔で支えてくれながら二人三脚で一緒に闘ってくれた妻と、毎日笑顔で頑張ってと送り出してくれた子供たち、家族みんなのおかげで最後まで走りきることができましたし、一緒に喜怒哀楽を共有できた事がなにより幸せでした。 これからの人生、自分に矢印を向けて笑顔で謙虚にひたむきにやっていけたらなと思います。今までかかわっていただけた方々に感謝の気持ちしかありません。本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします」


家族も養わなければいけない中、J1のチームから声がかかるというタイミングでの第二の人生への切り替えは正解と言えるだろう。

まだまだ、現役でのプレーも見たいのがファン心理ではあるが、この指導者への道が坪内秀介にとって最良の選択であるよう、また新たに祈りたい。

そして、また近い将来、群馬に戻って指導者等でザスパに関わってくれればと思う。



これまで数々のJ1チームで戦ってきた坪内選手が、ザスパに来てくれて、色々なモノを残してくれて、本当に有難うございました。


戦〜え〜、坪内〜
あ〜つ〜き〜ハートで〜
群馬の〜ために〜
戦〜え〜、坪内〜






(2019.02.03UP)





〜元Fファンの勝手な批評〜

松下と同じ高崎市高松中出身の坪内

DF坪内秀介といえば、高崎は高松中出身。
つまり、MF松下裕樹の直属の2つ下の後輩にあたる。

その松下裕樹は同級の佐藤正美や茂原らと前橋育英時代に、2年連続ベスト4という偉業を成し遂げたが、2つ下の坪内も、同級の鹿島のMF昌司、FC東京のMF圭志の大谷兄弟(双子)、札幌のFW相川、広島のMF須田、そして後にザスパで活躍したDF佐田聡太朗、HONDAからザスパで活躍したMF里見など、おそらく史上最ものJリーグ内定者を出したであろう、名実共に史上最強のタレント集団と共に、当時ベスト4まで勝ち進んだ。

そのベスト4となった準決勝では岐阜工相手に1−2で惜敗したわけだが、当時、キャプテンだった大谷圭志が怪我で大会に出られなかった事が未だに心残りでならない。

のちにザスパでの圭志のあのプレーを観る限り、圭志がいれば準決勝も必ずや勝って、史上初の群馬県勢の決勝進出を成し遂げた事だろうと、未だに確信する。


この頃の前橋育英は4年間で3回全国選手権でベスト4に行くという、一時代を築き上げたものだが、その同級生の中でただ一人現役を続けているのが坪内秀介という事になる。

松下も35歳になる歳でザスパで現役を続けているわけで、この2人の郷土出身、それも共に高崎市高松中出身の2人が共にザスパのキャプテンマークを巻いて戦うという偶然は、偶然とも言い切れない運命的なモノを感じる。



神戸でキャリアをスタート

そんな坪内のプロでのキャリアはまず神戸から始まり、これまでの渡り歩いたチームの中で、最もこの神戸が長いので、自分も未だに坪内の神戸でのイメージが根強い。

特にプロ5年目は神戸がJ2に来たので、ザスパとの直接対決で何度も坪内に熱い視線を送ったものだ。

その神戸での坪内は、主に左サイドバックを務めていた。
180cmの大型DFながら、若さもあってサイドバックでの機動力も兼ね備えた坪内の存在は、神戸というチームカラーにも合っていたイメージがあり、特にJ2だった2006年は完全レギュラーとして固定され、その他のシーズンではおボランチを務めた器用さも持っている。



降格請負人の汚名を返上

その後はJ1だった札幌に2008シーズンはレンタルされ、ここでも主に左サイドバックで主力としてプレー。

やはり坪内の守備のユーティリティとしての能力は他のチームも注目し、同じJ1の大分が引き抜く形で同じくレンタルで2009シーズンは大分でプレー。

そして2010は大宮へ移籍となり、ここでついに本職のセンターバックでのプレーとなり、1年目は主力として活躍するも、2年目、3年目と徐々に出場回数を減らしていき、3年目の2012シーズン途中に新潟に移籍。

この新潟がこのシーズン、降格の憂き目にあっており、そして坪内は2005年神戸、2008年札幌、2009年大分と、既に3回の所属チームの降格を経験していたため、降格請負人と陰でささやかれるようになっていた。

その坪内は、この2012年の34節札幌戦で、右サイドバックで先発すると、貴重な先制点を叩き込むなど、ラスト2試合を2連勝で飾り、新潟の奇跡の残留に大いに貢献した。

坪内のプロのキャリアにとって、この快挙は大いに坪内の歴史に刻まれる事実となった。



プロ最後のキャリアとして故郷ザスパへ

だが、新潟で30歳を迎え、ピークを過ぎてきた坪内にとって、なかなかJ1での戦いの壁は厚く、新潟でも出場機会を失っていき、2014シーズン途中にJ2に落ちたばかりのジュビロ磐田に移籍。
2015シーズンのヴェルディ戦では、初のマンオブザマッチに選ばれるなど、まだまだ健在であるところをアピールできた。

そのジュビロがJ1に復帰した事もあり、そして坪内としてもプロのキャリアとして、そろそろ骨を埋める場所を、と選んだのが地元のザスパクサツだった。

これまで6チームものチームを渡り歩き、守備的なポジションならば、左右のサイドバック、センターバック、ボランチと、どこでもこなしてきたその経験値は圧倒的だ。


そしてザスパでは人生初というキャプテンを、直属の先輩の松下裕樹から引継ぎ、今シーズン、ここまで不動のセンターバックとしてチームを引っ張っている。

その読みの鋭さによる相手への的確なマーク、インターセプトといった守備面、そして既にセットプレーでも1点挙げているとおり、高さ、強さでも申し分なく、そこを活かした試合を読む力はさすが。

攻守に渡って非常に高い次元のプレーを魅せる坪内の存在により、今シーズンここまでザスパの守備陣は大崩れする事無く、なかなか勝てない中でも安定感は増している。

未だにザスパに松下がいるように、それに続き坪内も入った。

なるべく永く、松下と共に高松中コンビがザスパの軸になってくれることを願う。



(2016.05.05UP)





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