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ザスパ草津 群馬出身メンバー紹介
NO.6 MF
鳥居塚 伸人
〜2008年で現役引退、2009年からコーチ就任〜


横棒


群馬サッカー界のカリスマ・とりい

鳥居塚 伸人(とりいづか のぶひと)
生年月日 1972年8月7日
身長/体重 166cm/63kg
血液型 A型
出身地 群馬県
利き足 右

〜経歴〜
前橋商業('88〜'90)
東海大('91〜'94)
コスモ四日市('95〜'96)
札幌('97〜'98)
図南('99〜'02)
ザスパ('03〜'08)
ザスパコーチ就任('09〜)

−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)

J1札幌
'97 JFL
'98 J1・10

図南SC
'99 群馬リーグ
'00 群馬リーグ
'01 関東リーグ
'02 関東リーグ

J2草津
'03 関東2部・14(1) 天皇杯・3 全国地域・5 全国社会人・6
'04 JFL・28(2) 天皇杯・4
'05 J2・35 天皇杯・1
'06 J2・42 天皇杯・2
'07 J2・48(4) 天皇杯・2
'08 J2・34(3)

新春ドリームマッチ群馬2009 鳥居塚
引退試合となった新春ドリームマッチ群馬2009最後のキャプテンマークを巻き、現役引退とは思えないプレーの数々で魅了する鳥居塚





2008の鳥居塚の総括、そして現役引退、コーチ就任へ

2008年12月、36歳になる鳥居塚との2009年の選手としての契約を更新せず、コーチ就任の要請を行った事がクラブから発表された。
その要請をいったん鳥居塚は保留し、あくまで現役Jリーガーとしてまだプレーを続けられるチームを求めたが、年が明けた1月、引退試合となった群馬出身Jリーガーチームとのドリームマッチ後、コーチとしての就任が発表された。

まだあと2年くらいはいけるのではと個人的には思っていたし、予想より少し早めの現役引退となってしまったが、2008年の鳥居塚の選手としての総括を記録しておくと共に、今後のコーチとしての活躍を願いたい。


島田、熊林の加入により2008年は控えに

2006年、2007年と、カードでの累積欠場以外ではほぼ全試合に出場し、”鉄人”の異名もとった鳥居塚だったが、MF島田の再度のレンタルでの獲得とMF熊林の移籍により、2008年は控えとしての出場が多かった。

ボランチでもシーズンスタート時は負傷で出場を見送っていたMF松下も復帰し、第2クールからはDF喜多がアンカーとしてボランチの列に入る戦術が定着し、4席の中盤の席はぎっしり埋まり、その中でも鳥居塚はスタメンとベンチスタートを交互に繰り返すように出場し、植木監督のこのベテランへの信頼の厚さが垣間見られた。


控えに回れど、最高のパフォーマンス

その中でも6月8日の甲府戦、続く6月15日の湘南戦と、いずれも難敵相手の劣勢の中で後半投入の中決めた逆転ゴールは鮮烈だった。

特に湘南戦はアウェイ戦であり、平塚のジンクスを突き破る貴重な逆転ゴールだった。

スタメンを外れようとも、常に最高の状態でいつでもプレーできるように、最高のプロとしての準備を行う。

そんな鳥居塚のプロフェッショナルな姿勢を何よりも植木監督は高く評価し、まだまだ若いチームに鳥居塚の教えは非常に重要だといったコメントを残した。


鳥居塚は総じて、身長のハンデこそあれど、それを補って余りある老練なテクニックを持ち、2006年のリベロ起用にもあったとおり守備力も十分。

ほぼ中盤の選手としてパーフェクトな理想的な選手であり、それゆえにFWからDFまでほぼ全てのポジションで監督の要求に応え続けた。



鳥居塚というプレーヤーとの決別

そんな鳥居塚だったが、2008年をもってチームからは引退宣言が出された形となってしまった。

これは鳥居塚にこれまで頼り続けてきざるを得なかった”けじめ”とも言える苦渋の決断だったと思う。

ザスパの監督に復帰し3年で9位という位置にまでチームの順位を上げた植木監督だったが、その指揮をコーチの佐野さんに譲り、そして自分のチーム作りの象徴ともいえた鳥居塚というベテランも一緒に戦列から外す。

これによって2009年からのザスパが佐野監督のもと、新たな成長を遂げられるという判断なのだろう。


そして裏を返せば鳥居塚に頼らずとも9位にまで順位を上げられたというチームの成長を証明する鳥居塚というプレーヤーとの決別だった。

鳥居塚に頼らない、鳥居塚の後継を育てなければいけない事はJリーグに上がってからのチームの課題であったが、ついに2008年、その課題をクリアできたという判断でもある。


コーチとしてこれからもザスパの成長に

プレーヤーとして鳥居塚と決別したザスパだが、これからも指導者として鳥居塚の力を欲し、めでたく2009年からはコーチとしてこれからもザスパの一員として鳥居塚は戦っていくこととなる。


一度アマチュアに落ちて働きながら群馬リーグで戦い、Jリーガーへの復帰が絶望的だった時代を味わった鳥居塚だからこそ、本当のプロフェッショナルを知り尽くしている。

そのプロとしての精神を、若いチームに植え付けていくのがまずは鳥居塚の役割であり、プロであるということ、プロとしてやらなければいけない事を叩き込むこととなる。

これまではどちらかというと、お手本として姿勢で示してきた鳥居塚だが、これからは指導者としての難しさに立ち向かう事となる。

まだまだ鳥居塚のサッカーに対する挑戦は続く。

その鳥居塚の成長と共にザスパも成長していくこととなる。


これからもザスパと共に。
”ミスターザスパ”鳥居塚伸人、本当に素晴らしいプレーヤーだった。
これからも素晴らしい指導者として期待しています。



新春ドリームマッチ群馬2009 鳥居塚
引退試合となったドリームマッチ群馬2009の戦いの後、最愛の息子から労いの言葉をもらう鳥居塚







2007の鳥居塚の総括

ザスパに入ってからというものの、年毎にポジションを変えられてきたベテラン、コーチ兼任の鳥居塚。
2006シーズンは3バックの真ん中、リベロとしてDFを立派に務めた鳥居塚だが、2007シーズンからついに攻撃的MFにポジションを戻す事となった。

JFLでも経験しなかった攻撃的MFにJ2・3年目で復帰した鳥居塚は、果たして攻撃の面でどれほどの勘が取り戻せるかという心配はあった。
しかしそんな心配は全くの無用であり鳥居塚は本職のポジションを立派にシーズンを通して務め通した。

年々その存在は大きなものとなっていたが、右サイドの攻撃的MFとして、時には中に絞り、時には逆サイドに回り、前線からの激しいチェイシング、要所を抑えた守備から一転して安定したキープ力、パス能力で攻撃の繋ぎ役となった。


やはり、現時点において鳥居塚を外せるような人材はまだ見あたらない。


公式戦48試合全てにスタメン出場した事が裏付けるとおり、改めて印象付けた1年であり、シーズン途中に付けられたニックネームのとおり、まさに”鉄人”だった。



ところでもう35歳を過ぎた鳥居塚だが、2002年まで県や関東リーグの図南SCに所属し、ザスパに30歳で移籍後の出場試合数は15、32、36、44、50と尻上がりに増えていっている。

まさに鳥居塚というサッカー選手にとっては30歳からが本当の現役だったと言える。


30過ぎてもサッカー選手として十分大成できる。


このような選手の存在は他の地域リーグに所属している選手なども含め、サッカー選手みんなの励みとなる事だろう。




全て左足で挙げた劇的な4得点

さて、攻撃的なポジションに戻った鳥居塚を評する上で、まずは得点シーンを振り返りたい。
ここで意外だったのはまだ過去2シーズンJ2での得点が無かった鳥居塚だった事であるが、このシーズンでは見事な4得点をマークし、そのいずれもが際だった得点だった。

いずれも後半のクライマックスの場面で挙げた印象の強いゴールばかりであり、第4節鳥栖戦のJリーグ初ゴールからはじまり、第6節湘南戦で早くも2得点目を決め、その後得点の機会は少なかったものの、第4クールに入り第46節愛媛戦、第51節徳島戦と4得点ではあったがどの得点も印象に強いものだった。

事実、鳥居塚が決めた試合は2勝2分といずれも勝ち点に直結しており、特に今季7勝しか挙げられなかったうち、2勝は鳥居塚のお陰でとれたという結果はさすが。


そのゴールの中でも特に第51節徳島戦のセンターライン付近からの美しい超ロングシュートは明らかに今季のザスパの得点シーンの中で最高のものだった。


ところで余談となるかもしれないが、私の記憶と記録に間違いが無ければ4得点は全て”左足”で挙げたゴール。
あの超ロングシュートを左足で決めたのも凄いが、あくまで利き足が右の鳥居塚にとって、なかなか右足での得点が決められなかった点はやや痛いところ。

2008シーズンは右足で得点を量産させる事ができれば、チームの勝利数も自ずと増える事となる。



時折利用されたユーティリティー性

ところでゴールをなかなか挙げられなかった時期について、その時期である第2クールは負傷離脱したDF7佐田に代わり右サイドバックを務めた事などが挙げられる。

その他にも1、2試合だけ2006シーズンと同様リベロで起用される事もあるなど、リベロ、サイドバックなどのDFから攻撃的MFやボランチ、3トップのサイドなどが出来る鳥居塚は試合中でも柔軟にチームの戦術を変えられる貴重な人材として活用された。


しかし右サイドバックの起用については最初こそなかなかの機能は果たしたものの、数試合もした後にやはりスピード不足が祟り、度々鳥居塚の右サイドから相手が切り崩すようになり、第2クールの不振にも繋がったので2008シーズンはいい加減これは無くなるのではと思う。
(DF5チェも加入したし)


2008シーズンもますますの活躍を

こうして2007シーズンも攻守に渡って大活躍した鳥居塚は、ますますもって外せない人材となってきているわけだが、しかしコーチ兼任でもあるこのベテランにいい加減おんぶに抱っこは通じない。
ユーティリティー性もある鳥居塚をどこでも投入できる控えとして、他の若手、中堅メンバーがこの鳥居塚をベンチにおしやる実力を付けなくてはザスパに明日は無い。

果たして2008シーズンもこのベテランに頼る布陣となるか、はたまた鳥居塚を貴重なバックアッパーとして温存する余力を付ける事ができるか。

もちろん2007シーズンのあの運動量、プレーぶりを見る限り、鳥居塚自身まだまだ他の選手には負けないという自負も強い事だろうし、そういう事も含めたチームの底上げが2008シーズンはますます期待される。


2008年もザスパと鳥居塚のますますの活躍を期待したい。






(2008.01.29UP)







2006の鳥居塚の総括

2006シーズンは鳥居塚にとってここ近年忘れる事のできないほどの活躍した年となった。

ザスパに入るまでは攻撃的MFが本職で、そのパスセンスにより前商を全国ベスト4、札幌をJ1に昇格させるなどの活躍をしてきた鳥居塚だが、ザスパに移りJFLからはMF山口貴之の補強によりボランチにポジションを下げ、それ以降は下がり目のポジションが定位置になってしまった。

私からすると鳥居塚には司令塔こそが相応しいと常々思っていたが、2006シーズン、なんと身長166cmの鳥居塚がDF登録となり、植木監督より与えられた新しいポジションは”リベロ”だった。


新境地となったリベロ鳥居塚

この鳥居塚のリベロ案については、初めこそ衝撃を受けたものの、私としては非常に興味深いものがあった。

鳥居塚のような司令塔タイプのテクニックに優れる選手がリベロをやることによるチームの機能性については昔から考えていた事であり、それがまさか自分が応援するチームで実現する事になるとは思わなかったからだ。

これに関して詳しくは当時の記事を参照して頂きたい↓

 2006.02.20 鳥居塚リベロ起用について一考UP! (06.02.20UP)


そして鳥居塚はまさにこのリベロのポジションで新境地を開いた。

3バックに固定し、両サイドにフィジカルに優れたDF4斉藤竜やDF17尾本、DF25田中らを配し、鳥居塚は彼らストッパーの網をかいくぐってきた敵の攻撃選手をことごとくカットしまくった。

それはまさに、鳥居塚が今まで培ってきた経験と勘のたまものであり、意外にも鳥居塚のテクニックよりも、正確無比なスライディングが光りに光った。
これには自分としても意外だったが、鳥居塚は本来ファールになりやすく、またかわされやすいという2重の危険性を持つスライディングタックルを、いともたやすく扱い、そして確実に敵のドリブルやシュートを止めまくった。

まさに最後の砦と呼ぶに相応しい活躍ぶり。


やはりか。
やはりこの作戦は有効なんだ。

自分がかつて考えた作戦がある程度実証されたと同時に、それを本当に実行してしまう植木監督には脱帽の思いだった。



そのボールに対する執着心、気迫、集中力

ただ、先ほど述べたとおり自分として意外だったのは、鳥居塚のリベロは決して攻撃面ではそんなにプラスにはならなかった事だ。
自分の思い描く理想のリベロとしては、やはりかつてのドイツの皇帝、ベッケンバウアーのような、自分で守ってからそのまま攻撃に入り、決定的な仕事をしてしまう、といった本当のリベロを想像しており、鳥居塚はそこまでの仕事はあまりしなかった。

あくまで守備の達人として、クレバーに敵の攻撃の芽を摘みまくった。


なぜテクニックよりも守備力の方が光ったのか。

結局は小手先のテクニックではなく、本当に重要なのはボールに対する執着心だ、という事だろう。

鳥居塚は中盤でこそテクニックを駆使するが、実はいざ守りに入った時は、チーム内の、いや、敵も含めた22人の誰よりもボールに対する執着心があった。
そして凄まじいほどの気迫に満ちあふれていた。

その気迫により相手をも呑み込むような強烈でいて、ボールを決して外さないスライディングができるのだ。

そのプレーに迷いは無い。
気後れも無い。

あるのはただ、ボール1点のみに集中すること。

鳥居塚はかねてからこの集中する事、ボールに執着心を持つことの重要さについてチームに示し続けてきた。
そしてリベロというポジションを得て、いよいよその事の重要性をはっきりと示したわけだ。


守備の要・トリイ

34歳を過ぎた鳥居塚は肉体的にはピークを過ぎた頃のはずだが、しかしチームの誰よりも鍛錬を怠らないプロ意識の固まりである鳥居塚の肉体はまだ進化を続けているという。

そうでなければ、前述してきたような気迫溢れるプレーなどとてもできないはずだ。

そして鳥居塚はシーズンを通して、軽傷を負ったシーズン序盤とイエローの累積出場停止以外は全ての試合に90分間出場し続けた。


攻撃の司令塔・島田と、守備の要・鳥居塚だけは外せない。
いつしか、誰もが自然とそう思うようになった。
鳥居塚のいない守備ラインを想像しただけでゾッとするようなシーズンが続いた。
それだけ鳥居塚を除くザスパの守備陣は不安定そのものだったからだ。


シーズン後半は3ボランチの真ん中に

しかし、鳥居塚1人の奮闘ではやはり限界も出てきた。
常々私がこのHPで嘆いてきたとおり、中盤にアンカーが不在だったからだ。

いい加減他のチームからも分析され、鳥居塚がサイドに引っ張りだされてから、空いた中央で決められるといった失点も目立ってきた。

とにかく中盤に安定感が全く不足した。
やはりDF5チカのボランチではボールを失いやすいし、MF15中井では守備が軽すぎるのだ。
攻守に渡り安定感のある中盤がいなかった。


そのため鳥居塚はシーズン後半からポジションを元のボランチに戻る。
中盤の安定のためにはやはり鳥居塚しかいないと植木監督は判断したのだ。

はじめは3ボランチの右などで起用された鳥居塚だが、結局はシーズンが終わる頃には3ボランチの真ん中が固定の位置となり、この位置だと鳥居塚が下がればシーズン序盤のリベロのポジションに戻る事もできるため、守備も安定するし、鳥居塚がチームの真ん中にいることで攻撃の繋ぎでも安定するわけだ。

とにかく2006シーズンの鳥居塚はチームにとって欠かせない存在だった。


やはり3バックのリベロが・・・

2007シーズン、鳥居塚は再び攻撃的MFとして据えられている。
4−4−2となり、左右に開く攻撃的MFのうち、右のポジションを任されているようだ。
まさにJFL時代より前によくやっていたポジションだ。


しかし自分が思うには、鳥居塚はもう前線へ飛び出す事が求められるこのポジションを務めるには、ちょっとスピードが足らなくなってきていると感じる。
当然、クレバーなプレーでそれを補って余りあるプレーはしているが、やはり2006シーズン前半の鳥居塚の気迫あふれる軍神たる活躍ぶりを見てしまっていると、鳥居塚は3バックのリベロこそが天職であると思ってしまう。

もしかすると植木監督も同じ思いなのかもしれない。
しかし、確かに35歳になる鳥居塚1人に頼るような、最後の砦をいつまでも鳥居塚にやらせるわけにもいかないのだろう。

2007シーズンは、もっとレギュラーも控えも無い、チーム全体での戦いを植木監督は意識しているようだ。

そうなれば、鳥居塚がいなくては機能しないようなシステムはできれば避けたいのだろう。


鳥居塚の後継者は・・・

徐々にだが、鳥居塚の後継者たる人材が見え始めた気がする。
まず第一人者は副キャプテンにも任命されたMF18櫻田だろう。
小柄ながらテクニックに優れ、攻守に渡っての活躍ぶりは既にその資格がある。

そして待望のアンカー、MF30松下裕樹が加入した。
キャプテンシーに溢れるこの男の加入により、ザスパの守備陣は今年一気に安定する事だろう。
そう、鳥居塚抜きでもザスパが強くなれる道筋が見えてきた。

5年以内でのJ1昇格。
それを叶えるには、鳥居塚を越える若手の台頭が必要だ。
櫻田や松下のような、これからチームの中核を担うべき人材の活躍に期待していきたい。


あくまで現役で

だが、もちろんのこと、未だ体力の全く衰える事の無い鳥居塚には、自分の納得いくまで、それこそチームがJ1に昇格するまであくまで現役にこだわって欲しい。
その姿勢こそがチームに対する最大のお手本となるのだから。

現に横浜FCは現役にこだわるFWキングカズ39歳やMF山口素弘36歳らの超ベテランに牽引されJ2を優勝し、J1に昇格した。
やはりここ一番の時に、経験豊富なベテランの力は絶対不可欠なのだろう。

鳥居塚のコメントからも、まだまだ力の衰えは一切感じない。
未だにチームの誰よりも走り切れる自負があるのではないだろうか。
まだまだ鳥居塚の現役のプレーを見ることができそうだ。




(2007.02.27UP)





〜2006シーズンオフの記事〜


 2006.02.20 鳥居塚リベロ起用について一考UP! (06.02.20UP)


2005の鳥居塚の総括

札幌を離れ群馬に帰り、前商OBの集まる図南クラブでの地域リーグから始った鳥居塚の戦いは、ついにザスパでのJリーグ復帰という形で長い戦いに一つの終止符が打たれ、2005のJ2がスタートした。

キャプテンとして、不動のボランチとして開幕からフル出場。
相変わらずベテランながらも運動量豊富に攻守に奮闘する。

しかし、一応監督であった手塚氏の采配には決定的に欠落した点があり、それが守備の”軽視”、というよりか”無視”だった。
2004年の植木監督の3バックを払拭すべく、4バックを採用したわけだが、そのラインの前に陣取る守備的MFになんとこの鳥居塚を指名する。


悪夢の鳥居塚1ボランチ

開幕時こそ#5氏家や#8小久保と組んでダブルボランチだったが、3トップの看板をおろし4−4−2になると、何を狂ったか鳥居塚を1ボランチに据える。

このDFラインの前での守備的MFというポジションはサッカーにおいて重要なポジションであり、いわゆるワイパー役、アンカー役と呼ばれるが、ここで相手を抑えておかないとそのままDFラインにスルーで攻撃され、すぐに1対1の場面を作られてしまう。

守備的MFが相手を一度捕まえてこそ、DFラインと挟み込んでボールを奪取するなど、安定した守備が実現される。試合を見ていると、ついCBが1人で身体を張ってボールを奪っているように見えるが、その前の中盤でのプレスがあってこその守備だということがわかってくるとサッカー観戦は断然面白くなってくる。

その守備的MFに鳥居塚は向いていない。
小柄であり、あくまでテクニックで勝負するタイプの鳥居塚は、このアンカー役には適していない。

ボランチと呼ばれる中盤、MF陣の下がり目のポジションには実はいろいろなタイプ、役割があり、上記で述べた守備を主に置く守備的MFがいれば、守備から攻撃への繋ぎ、キープと長短のパスを主とするセンターMFと最近注目を集める役割がある。

ダブルボランチの場合、たいてい、どちらかが守備的MFとして下がり目、どちらかがセンターMFとして上がり目になり、よくボランチを縦に組ませる、と表現される。

司令塔が本職である 鳥居塚は当然このセンターMFに適しており、決して守備的MFではない。


そして、この4バック+鳥居塚1ボランチという、ザスパ史上、後にも先にも最悪の布陣は大量失点の山を築いた。

鳥居塚を1ボランチに据えるのなら、最低でもDFラインは3バックにし、ストッパーか、リべロの#32斎藤竜を前でディフェンスさせる事が必要なのだが、手塚氏はそうはしなかった。


チーム低迷の中、奮闘するキャプテンとりい

あっという間に連敗が続き、ダントツで最下位となる中、キャプテンである鳥居塚はほとんどの試合にフル出場を続け、最後まで奮闘する。

激しいディフェンス、プレスでボールを奪い、相手ペナルティエリアまで攻め込み、結果的には得点にはならなかったが積極的に鋭いロングシュートを放つ。
いいクロスもよく上げ、結局シーズンを通してまともにクロスを上げる事のできた選手は#24酒井とこの鳥居塚だけのイメージがある。

J2の壁にあたり、よくアマチュア時代から脱却しきれていないと、選手のプロとしての姿勢も非難されてきたが、少なくとも鳥居塚はプロのサッカー選手であり、それをピッチの外でも中でも体現し続けた。


シーズン終盤、突然のベテラン外し

シーズンを通して、累積警告や登録ミスなどで出場できない他は途中交代もほとんどなく、フルに試合に出場し続けたのが、この鳥居塚と#9山口貴之の両ベテランだった。

しかしシーズンも第2クール、夏になると互いに身体のキレが悪くなってきたように見えた。
確かにこの2人のプロとしての姿勢はザスパにとって必要不可欠だったのだろうが、ベテランの体力を考えても、あの連戦での酷使は見るに耐えなかった。
もっと#8小久保や#5氏家などとうまく入れ替えていけば、コンディションを維持できたはずだ。少なくとも、後半30分を過ぎてバテバテの貴之をなぜか引っ張りすぎる傾向があり、この時間帯には攻撃にならない試合も何試合かあった。
この辺に、手塚采配の硬直した面がよく見てとれる。


そして、シーズンも終盤に入った第4クール、手塚氏はついに最後の切り札を切る。

それが一か八かの若手起用、思いきったシステム変更だった。
この10月22日の湘南戦以来、鳥居塚と山口の姿はベンチからも突然消えた。

せめてこの両ベテランを天皇杯で使えば、その高いモチベーションと、休養により回復したフィジカルで活躍してくれただろうに、ついには最後の最後まで使う事はなかった。
多くのサポータはいい加減この2人を復帰させて欲しいと切に願ったにもかかわらず・・・
しかもこの2人を外してから、ザスパは記録的な7連敗を喫したわけだ。
呆れて言葉にならない。
今思い返しても、いったい昨シーズンはなんだったのだろうか。
虚しさと、たくさんの矛盾点を残しただけだったか・・・


2006、司令塔での鳥居塚を強く望む

シーズン終盤の鳥居塚は、アウェ−ではあったが最終戦の札幌戦で後半に投入された。
まるで引退する選手に最後のはなむけを送るかのような起用だったが、その時鳥居塚は2005のシーズン、最初で最後の司令塔のポジションを与えられた。

見ていないのではっきりはわからないが、FMぐんま笹川アナの文からも随分と活き活きとプレーし、改めて鳥居塚を司令塔で起用する有効性を確認できたらしい。

エース山口の他、#10高須、#8小久保、#24酒井、#30樹森と、司令塔役が軒並み放出となり、現在のところ明確な司令塔が不在だ。

今のところ、補強の内容をみると大宮からレンタルの島田が第一候補にみえるが、キャプテン#14正美、#20吉本、そして福岡から新加入の長身の太田などのFW陣の充実ぶりをみると、湘南から移籍のFW高田はおそらく中盤での起用だろうが、トップ下というよりかは左サイドが有力ではないだろうか。

たいしてボランチの層はセレッソから加入の中井に加え、いよいよ開幕からの復活が期待される#19大谷圭志、魅惑の左足を持つ#25櫻田と昨年よりは充実している。

ここはやはり、鳥居塚の司令塔がベストの選択に思えてならないし、山口貴之を放出した今、鳥居塚以外にチームの真ん中を任せられる男が他にいようか。


コーチ兼任、ザスパ、そして群馬サッカーのために

今シーズンから鳥居塚はコーチ兼務となったらしい。
そのため、ずっと、当たり前のように続いていたキャプテンの座をFW正美に引き継いだ。

このコーチ兼任ということは、つまり監督と選手の橋渡し役という事だろう。
また、キャプテンというものはとかく自分のプレー以外に、ピッチ外での仕事が多い。
毎日のようにTV、ラジオ、新聞、雑誌等の取材責めにあう。

このキャプテンという重責から外れたことで、鳥居塚のまるで1人で責任を背負っているかのようなプレッシャーは和らぐだろうし、選手の橋渡し役としてこれほど適した人物はいないだろう。

若手が多いザスパの選手の中には、どうしても素行の悪さがあるらしい話は漏れ聞くところだし、練習に取り組む姿勢、試合への入り方など、鳥居塚はお手本としてだけでなく、コーチの立場として今後はもっともっと指導していって欲しい。

もちろん、そのテクニックの数々もまだまだ荒削りの部分が多いザスパの若手に伝授していって欲しい。
つまり鳥居塚という存在がどれだけザスパに、群馬サッカー界にとって大きいか、という事だ。

5年間、地域リーグで戦った男にしかわからない世界がある。
そしてついにJリーグ復帰という夢を実現させた男にしかわからない事がある。
鳥居塚のあの鬼神のようなプレーぶりと、過去の経緯が頭の中でラップする時、自然と熱いものが込み上げてくる。

鳥居塚という財産と共に、群馬サッカー界は今後も成長する事だろう。





(2006.01.22UP)




〜2005シーズン当初の紹介文〜

前商から現在までの群馬のカリスマ・ローカルスター

前橋商業時代は司令塔として元横浜Fの得点王FW服部と共に最強のホットラインを形成し、2人の活躍でベスト4まで進出した。
(その頃私は野球ファンだったのでよく知りませんが)

そして札幌などのプロチームを歩みながらも、1999年の図南SC移籍以降、群馬に初のプロサッカーチームをつくるべく奮闘してきた。
当時はザスパ草津はまだ発足しておらず、前商OBを中心に形成された図南SCは群馬県内で最強を誇り、関東リーグなどでも奮闘した。
しかし最もプロチームに近いチームではあったが、やはり完全アマチュアチームの限界か、残念ながら力及ばず、JFLまでの道のりが果てしなく遠かった。

そしてザスパ草津発足。
本気でJリーグ入りを目指すそのチームは元鹿島のDF奥野や群馬を代表するサッカー選手・元代表GK小島なども加入させ、群馬全体の機運が高まった。

鳥居塚はそれまで必死で戦ってきた図南SCであくまでもプロ入りを目指したかったであろうが、やはり己の年齢も考慮に入れる必要もあり、自分が現役のうちに再びJリーグで戦える唯一の、現実的な可能性を持ったザスパ草津に一縷の望みをかけた。

そして2005年、ついにJ2へ。
鳥居塚は念願叶い、自らの力でJリーグへの復帰を果たした。

図南での奮闘などは我々群馬サッカーファンには記憶が新しく、Jリーガーの力を十分持っていながらもアマチュアチームで頑張る鳥居塚の姿には全てのファンが魅了された。
現段階、群馬でのカリスマ的サッカープレーヤーは誰か?
それは間違いなく鳥居塚であろう。

もちろん群馬には山口素弘や松田直樹などメジャースターはいる。
だから鳥居塚は群馬限定のカリスマ・ローカルスターと言える。
その人気は元代表のGK小島よりも高いかもしれない。
(全国テレビとかじゃ全然取り扱われないけど・・・だからローカルスター)


チームきってのテクニシャン

本職が司令塔なだけにそのテクニックは折り紙付き。
ザスパでは当初は左攻撃的ハーフなどを任されたものの、JFLに上がってからはMF山口の加入もありボランチに定着。
32という年齢は関係ないらしく、キャプテンとしてほぼ毎試合常にフル稼働の精力的な運動量でチームの中盤の守備を支え、ボールを奪えばそのテクニックでキープしつつ、前線にボールを送る。
まさに中盤の鏡のようなプレーヤーだ。


もっと攻撃に比重を置ければ・・・

しかし鳥居塚の本職はあくまで司令塔。
ボランチの守備の際にはどうしてもその体格があだになる時も多く、中盤の守備の安定感では欠ける。
そこで途中から加入した圭志により、圭志がしっかり守って、鳥居塚がキープ、攻撃の起点となる関係が上手くかみ合った。
2005も鳥居塚にはボランチでも前の方でプレーして欲しいし、相方には圭志のように守備に安定感のあるプレーヤーが望ましい。
問題としては、その役目は今のところ圭志しかいない事だが・・・
圭志が怪我から復帰する間、その点をどうするかが課題だ。
(#19圭志の紹介文でも述べているとおりの対策が必要と感じている)


今後の鳥居塚

これまで鳥居塚はコーチも兼任であったが、Jに上がった2005は選手に専念だろうか。
今後年齢の壁もどうしても出てくるだろうし、チーム内の中盤のポジション争いはチームの成長と共にどんどん激化していく。
ザスパのためにももちろん世代交代は必要だし、鳥居塚のテクニックがうまく若手に伝導していければいいと思っている。
しかし鳥居塚もようやくJリーグに復帰できたわけで、まだ数年は頑張る予定だろう。
若手と切磋琢磨しつつ、今後も選手として、そして将来的にはコーチなど育成の立場として、末永くザスパの精神的主柱となって欲しい。


(2005.02.17UP)





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