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ザスパ草津からFC東京に移籍・・・ 群馬出身メンバー紹介
FC東京 NO.31 GK
”紺色の十本指”
常澤 聡


横棒


長いリーチでザスパの新守護神に君臨もFC東京に移籍

常澤 聡(ときざわ さとし)
生年月日 1985年7月31日
身長/体重 186cm/78kg
血液型 A型
出身地 群馬県(藤岡市立東中・立美九里東小学校)
利き足 右

〜経歴〜
前橋育英('01〜'03)

−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)

J1東京ヴェルディ
'04 J1・0
'05 J1・0
'06 J2・0
J2草津
'07 J2・0
'08 J2・1
'09 J2・16 天皇杯・2
'10 J2・27 天皇杯・1
J2FC東京
'11 J2・


ザスパ草津GK21常澤聡
ハイボールを待ちかまえるGK常澤(H2010.9.5北九州戦にて)


H23.2.27GK31常澤聡(左)と山岸GKコーチ(右)
H23.2.27のザスパとのプレシーズンマッチでFC東京移籍後さっそくの敷島凱旋となったGK31常澤聡(左)と山岸GKコーチ(右)





〜2010シーズンオフ、FC東京に移籍決定・・・〜

守護神常澤、まさかの電撃退団、FC東京への移籍

本当にこのニュースには驚かされた。

ザスパ草津の絶対的な若き守護神・常澤の突然の退団、そしてその後のFC東京への移籍・・・

最初、なぜ常澤が地元チームであるザスパ草津を突然退団しなければいけなかったのか、何が裏があるとしか思えないショッキングなニュースであり、ベテランのエースFW高田を無情にも突然解雇したチームへ嫌気がさしたかと思ったが、当然何も無しに突然退団することはないだろうし、水面下ではFC東京への移籍話は進んでいたのだろう。


それにしても、まさか同じJ2に落ちる事となったFC東京か、とやはり驚きは禁じ得ない。


だが、最近アナウンスされた追加情報で、常澤と一緒に退団となっていたGKコーチ山岸氏も揃ってFC東京に移籍ということで、おそらく山岸氏にはじめ話があり、一緒に山岸氏が連れていく形での常澤の移籍となったのだろう。
そう考えれば、この突然の移籍劇も納得がいく。

この激動の2010シーズンを少し振り返りたい。





常澤の2010シーズンの総括

2009シーズンでチームを去っていった正GK本田の後を継ぎ、若き新守護神となった常澤。

そのシーズン開幕時に与えられた応援歌は、なんと本田の時と同じ”紺色の十本指”だった。

この応援歌には私も深く感動し、この地元出身の有望な若きGKに対するサポータの絶対的な期待感を信頼感を感じ、私もこの常澤の応援・紹介ページをいよいよ立ち上げる事を決意した。


その応援歌を背に受けてゴールマウスを守ってきた常澤だが、ザスパ草津の2010シーズンの総括でも書いたとおり、常澤以前の問題でザスパDF陣には大きな欠陥があり、それを修正しきれないまま悪夢の開幕5連敗を喫してしまう。


守護神常澤もこの連敗の責任の一端を担うような形で第6節にはGKの座をセカンドGKの北に渡し、その後は怪我もあったのかベンチにも入らない試合が続く。

そのうち肩を痛めた北に代わって出場した育英の後輩、GK伊藤が今度は活躍する事となり、この頃からチームはようやく復活の軌道に乗り始めるも、不運なPK献上などもあって3連敗を喫す。



第2クールで堅固な守備陣を形成

そして第16節の札幌戦で久々のスタメン復帰となった常澤は、至近距離での反応速度と、スパイダーマンの異名を持つほどの長いリーチを活かしたハイボールの処理、そしてザスパの特徴である高いDFラインの位置取りゆえの、その裏に空いたスペースを鋭い出足でカバーするという役割を完璧にこなし、強敵、難敵相手に失点を1点以内に抑え続けた。

その後、第2クールも正GKの座を守り続けた常澤は、センターバックに有薗が固定となった事もあって守備陣の連携を上げ、御厨、田中らも加わって堅固な守備陣を作り上げた。

この頃チームは攻撃陣に致命的な決定力不足という課題がのしかかっていたものの、守備だけは安定し、そうは連敗せずに着実に勝ち点を積み上げていくというしぶといチームとなれ、守護神常澤の安定したセービングはザスパの終盤の快進撃を支えた。



残念な地元有望プレーヤーの流出

そんな常澤のシーズン終盤でのまさかの退団情報、そして山岸コーチとのFC東京への移籍というニュースは大変残念な事だ。

そもそもヴェルディをクビになり、半ば拾われる形で入団となった常澤が、山岸コーチの元ですくすくと成長し、はじめサードGKだったにもかかわらずついには不動の守護神にまで成長してくれた事は、郷土出身のプレーヤーという事もあって大変嬉しく、そしてその思いが紺色の十本指の応援歌にのって、いつまでも敷島(正田醤油スタ)のスタジアムにこだますものと信じていた。


やはりチームの貢献者であるFW高田を切るようなチームが、こういった有望な若手を引き留められるほどの説得力は持てない。

なぜザスパというチームはここまで成長させた有望地元プレーヤーを引き留めておけないのか。
昨年のMF佐藤穣(みのり)の時もそうだったが、本当にこのザスパというチームの情けないところだ。

こういったサポータ側としてあまりに脱力してしまうような騒動は本当に勘弁して欲しい。

やはり、もっとチームが選手にとっても魅力あるものに変わっていかなければ、こういった人材の流出はまだまだ続くということだ。



FC東京での活躍はいかに

さて、2011シーズンからはJ2リーグでの敵となるFC東京に移った常澤だが、もちろん個人的に応援していくことに変わりはない。

だが、そもそもこのFC東京というチームでのGKの層の厚さもまた問題で、特に正GKであった塩田を押しのけ昨シーズンから急成長したGK20権田がFC東京にはいる。

昨年の10月にはザッケローニ就任後のフル代表にも呼ばれ、2012ロンドン五輪では正GK候補No.1の絶対的な注目株。

その裏にはもちろん塩田も健在だし、もう1人廣永もいるなど、GKの層はとにかく分厚い。

こんな中で今シーズンチャンスが回ってくるのかもわからないが、しかしGKコーチが山岸さんという事がとにかく常澤にとっては大きいのだろう。
たとえ試合に出られずとも、山岸コーチの元ならば自分が成長できる、そういった信頼感がなければ、なかなか正GKの座を得ている地元チームから出番がない可能性の高いチームになんかそうは移籍しない。
GKというたった1つの座を争うポジションならばなおの事だろう。


まずは今の状況に満足することなく、1つ上のチームで更に自分を高める事を選択した常澤の決断を受け入れ、見守りたい。
おそらくほぼ100%の確率でFC東京は1年でJ1に復帰する事だろう。
そうなれば常澤のJ1でのプレーも近い。
今後の活躍にまだまだ期待したい。



(2011.01.23UP)





〜元Fファンの勝手な批評〜

受け継がれた紺色の十本指

ときざ〜わ さ・と・し〜
ときざ〜わ さ・と・し〜
紺色の十本指
我らが守護神
紺色の十本指
我らが守護神
ときざ〜わ さ・と・し〜
ときざ〜わ さ・と・し〜



2010年、ホーム正田スタでの開幕戦で高らかにサポータから歌い上げられたこの応援歌は、2009年までの炎の守護神・本田の応援歌をそのまま受け継いだものだった。

このことは朝日新聞の伊藤記者の記事で私は初めて知ったが、こんな事があるんだな〜と感慨深い。

それまで凄まじい気迫でザスパゴールを守り続けてきた本田の後を若き常澤が継ぐ事をサポータが認めたわけだ。

やはり常澤が地元出身の有望GKである事も影響しているだろう。
そういえば同じく藤岡出身の後藤涼と共に後援会も立ち上がったという。
ところで、この地元出身というものは案外重要なもので、例えばキャプテンのMF30松下などは昨年までの攻守に渡る活躍で他チームからも声がかかるようになっているが、しかし多少の条件の良さ程度ならば松下自身も地元という土壌のアドバンテージは捨てがたいわけで、今年もザスパに留まってくれている。
地元出身の選手というものはそれだけチームに長く貢献してくれる事が期待できる戦力であり、だからこそ私もこうして地元出身の選手の応援ページを書いている。

ということで2010シーズンから新たな若き守護神として期待がかかる常澤の応援&紹介ページを満を持して立ち上げる事とします。




ヴェルディでの下積み時代

群馬の名門サッカー校・前橋育英を卒業した常澤は、これまた名門の東京ヴェルディに入団しプロの第一歩を踏む。
しかしヴェルディには絶対的な守護神・弁慶高木が君臨しており、セカンドGKにもベテラン水原がいたため、サードGKである常澤に3年間ついに出番は与えられなかった。

やはり経験が重要視されるGKというポジションにおいて、なかなかヴェルディほどのチームのゴールマウスを守るチャンスが巡ってくる可能性は少なかった。
GKというポジションはサッカーというスポーツにおいて唯一たった1つしか無い特別なポジションであるがゆえの宿命ともいえ、私も早く常澤に出てきて欲しかったが正直厳しいな〜と感じていた。


だが、今でこそ落ちぶれたが、当時の名門ヴェルディで高木や水原などから肌で感じてきたプロのGKとしての経験はきっと貴重なモノだっただろう。



ザスパでも下積みは続き、ついにデビュー戦

3年間出番の無かった常澤はヴェルディを解雇され、そして地元に戻る形でザスパ草津に入団。

ここでもまだまだ若く、出場の経験も無い常澤にとってはサードGKとしてのポジションが待っており、ザスパの正GKには同時に神戸から移籍してきたベテラン本田が就く事となり、セカンドGKにもJFL時代からザスパを支えるGK北がいるため、なかなか出番は回ってこなかった。


しかし2008年8月17日横浜FC戦で、セカンドGK北が負傷している中で本田が出場停止となっていたため、ついに常澤に出番が回ってくる。


キックオフ直後にエースFW9高田がいきなりの先制弾を決め、Jリーグデビューとなった常澤を助ける大きな一発となったが、そのわずか12分後に相手FWアンデルソン1人にザスパ守備陣は2,3人で囲もうとするもうまく身体を入れられ、ペナルティライン上からゴール右隅の見事なコースに決められてしまい同点とされてしまう。

この失点は常澤の責任よりもアンデルソン1人にやられてしまったザスパ守備陣の守りのまずさに原因があったが、しかし常澤自身はアンデルソンの体制から、あと半歩右に位置どっておけば指先が届いたと大いなる反省点とした。
(これも朝日新聞の伊藤記者の記事から)


だが、この1点以外はほとんど危なげなくゴールマウスをしっかり守り、1−1のドローとした常澤のデビュー戦はまずまずの及第点となり、そしてこの年はこの1試合のみの出番だけとなり、この1試合だけだったが、貴重な経験を更なる糧として再び常澤の下積みは続いた。




2009年、終盤に若き守護神に

そして大きな飛躍となった2009年、守護神本田の負傷によりセカンドGK北とサードGK常澤の2人にザスパのゴールマウスは託される事となり、基本的には北が新守護神となってゴールを守ったが、調子によっては常澤にもチャンスが与えられる事となった。
特に2009年は夏までホーム正田スタでまったく勝てないという嫌なジンクスがザスパを襲い、守備陣もGKを含め試行錯誤の状態だった。


その後夏過ぎに守護神本田が復活したが、負傷の間に勘が鈍ったのかどうも振るわずに失点が嵩み、そうした内にまたしても負傷した本田に代わって9月20日の甲府戦にチャンスが与えられた。


昇格に燃える甲府相手に引き分けすら難しいと思われたこの試合で、常澤は必死にザスパゴールマウスを守り、そして後半9分には相手FWキムシンヨンの至近距離からのシュートを奇跡のファインセーブ。

このビッグセーブが奇跡を呼ぶ事となり、常澤と共にこの日先発のチャンスを与えられた湘南からレンタルの、前橋育英の同級生・FW小林竜樹のカウンターからの貴重な1点で先制し、この日非常に悪かった甲府のシュートの精度にも助けられ奇跡の1−0での勝利を収める。

確かに甲府のシュートの精度も悪かったが、シュートのところできちんとシュートコースを絞ったDF陣や常澤の的確なポジショニング、そしてこの試合に賭ける気迫が与えたプレッシャーも相当なものだった。




この勝利以降、竜樹が救世主となって点をとり、常澤が長いリーチと至近距離での鋭い反応でゴールを死守するという攻守における若き2人の活躍でザスパは近年になかった第3クールでの尻上がりの好調を掴み、常澤は若き守護神の座を確固たるものとした。



更なる経験を積み、絶対的な守護神へ・・・

シーズン終盤はチームを去るベテランGK本田にポジションを譲ったものの、その本田もチームを去る事となり、2010年以降は常澤と北、そして同じく地元出身の伊藤にザスパゴールマウスは託されている。

その中でいったん後輩の伊藤にゴールマウスを譲ったものの、この6月に再び先発に復帰した常澤は今後も経験を積んで絶対的な守護神に成長することが期待される。


186cmという高身長の上、スパイダーマンの異名のとおりそれ以上に長い手足のリーチの長さを活かした制空権の支配力と、至近距離での反応の鋭さ、DFラインの裏をカバーする鋭い飛び出しなどで今後もザスパゴールを守ってくれる事を期待する。



紺色の十本指に込められたサポータの思いは強い。
守護神としての自覚を胸に、常澤の成長はまだまだ続くだろう。





(2010.06.27UP)





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