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ザスパ群馬出身メンバー紹介
元ザスパクサツ群馬 MF
”バイタルエリアに君臨する若き王”
横山 翔平


横棒


2019現在、クロアチア1部NKヴァルテクス・ヴァラジュディンでプレー!!!

横山 翔平(よこやま しょうへい)
生年月日 1993年8月9日
身長/体重 172cm/65kg
血液型 A型
出身地 群馬県(大泉町 大泉FC U-12・図南SC Jrユース)
利き足 左

〜経歴〜
前橋育英('09〜'11)

−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)

J2ザスパクサツ群馬
'12 J2・19(1) 天皇杯・1
'13 J2・31(3) 天皇杯・1
'14 J2・12
'15 J2・6 天皇杯・1

J2町田ゼルビア
'16 J2・ 天皇杯・1

クロアチア4部
'17 メディムレツ (約4試合出場)
'18 メディムレツ (27試合22得点)

オーストリア3部
'18 ドイチュランツベルガーSC (13試合4得点3アシスト)

クロアチア2部→1部
'19 NKヴァルテクス・ヴァラジュディン



MF14横山翔平
2013(H25).02.24 2013プレシーズンマッチ J2・ザスパクサツ群馬 VS J1・FC東京
ピッチを駆ける横山翔平






2019、クロアチア1部でプレー!!!

以下ページで書いたとおり、2016シーズンオフ、ザスパからも町田からも解雇となり、所属チームが無くなった翔平だったが、その後にクロアチアに渡り、そしてなんとこの2019-2020シーズンからはクロアチア1部で戦うというニュース、情報が入る。

所属チームを失ってから、この2年間でどのような経緯を経てクロアチア1部まで昇りつめたのか、本人のインタビューを元にした「KING GEAR」というネット記事(http://king-gear.com/articles/1085)での情報を元に、ここに記しておきたい。


ザスパ、町田から解雇を受けたその後にツテを頼ってクロアチアに渡り、ネデリッシュという田舎町のメディムレツという4部のアマチュアチームに入団。

4部というカテゴリーのため、とにかく得点を獲って名を上げるしかないと、自ら志願してFWに入り、アシストや得点で順調な船出となった矢先の4試合経過後に試合中に鎖骨を折るというアクシデントに見舞う。

そこで結局シーズンは終わり、最初の海外での挑戦は鎖骨の治療を含めて3ヵ月で一時帰国。

そして、日本でバイトをしながらお金を貯め、再びクロアチアに渡りチームの元に戻り、この2017-2018シーズンで27試合・22得点という大活躍となる。


その活躍を認められ、オーストリア3部のドイチュランツベルガーSCというクラブから声がかかり移籍となり、クロアチアはボールをこねて技術を魅せるサッカーだったところ、オーストリアはドイツ寄りな、縦に速いサッカーに転換。

そこでは2018年夏から年末までの半シーズンだけのプレーだったものの、サイドハーフをやって13試合で4得点と3アシストといったそこそこの結果を残した。

縦に速いサッカーによって、よりハードワークを求められ、裏へのスピード、切り替えの早さという面で鍛えられた様子。

いよいよ海外でのプレーに自信が付いてきた翔平は、早く上のリーグへ挑戦するために、クロアチア2部のNKヴァルテクス・ヴァラジュディンの練習に参加する。



1部残留、そして活躍していつかザスパ復帰へ!!

隣町のネデリッシュでの4部で点を取って知っていたことと、オーストリア3部での結果が評価されてのクロアチア2部のヴァラジュディンへの練習参加ということで、2019年1月、最後のテストマッチで得点し、そこで認められて契約に至る。


しかし、開幕して2週目に練習試合で足首を負傷してしまい、1ヵ月くらい痛みを我慢してプレーするもコンディションは落ち込んでいき、その後の1ヵ月はプレー出来ない状態に。

シーズン残りの1ヵ月で何とか復帰し、残り2試合に出て、結局は合計5試合程度の出場で、カップ戦で1点だけの結果となった。

この中で、クロアチア2部は21歳以下の若手を3人使う制約があり、翔平とはサイドハーフでポジションが被り、しかもEU圏外の選手は2人までしか試合に出られないので、かなりの制約があった中での試合出場と、かなりハングリー精神を学んだ事だろう。

その中で、チームは1部へ昇格となり、横山翔平もそのまま2019-2020シーズンではクロアチア1部でプレーすることとなる。

6月下旬からチーム練習に合流し、ボスニアでのキャンプ、監督や選手の入れ替えなどを経て、いよいよシーズンも開幕となっている。

この記事を書いている8月中旬時点で、第5節を終えたようで、ヴァラジュディンは10チーム中、2分3敗で現在10位の最下位。

やはり昇格したばかりのチーム、まずは1部残留が目標となるだろう。
ちなみに、クロアチア1部リーグは、最下位の10位が2部の1位と自動入れ替え、9位が2部の2位との入れ替え戦とのことで、少なくともヴァラジュディンは自動降格の最下位だけは脱したいところ。

翔平が現在どの程度試合に出ているかなどの細かい情報はわからないが、9チームとの4回総当たり、合計36試合とカップ戦をこなす1年のリーグ戦の中で、出番はあるはず。

翔平の活躍で見事1部残留を掴めるよう、活躍を遠い日本の地で願ってやまない。


もちろん、私の願いは横山翔平のザスパ復帰、その1点だけだ。
ザスパのキングダムサッカーの到来は、横山翔平が復帰することで現実のものとなる。

現在、ザスパはJ3の身でありながら、J2時代13年間を含めて最強の戦力を揃えている。
今のザスパに横山翔平という希代のファンタジスタが、それも東欧の地で一回りも二回りも成長した彼が入れば、ザスパはJ1昇格を狙えるチームとなるだろう。




(2019.07.11 第1部UP)
(2019.08.17 第2部UP)





2017、所属不明・・

以下に1年前書いたとおり、J2に復帰した町田ゼルビアにレンタルされた翔平だが、やはり町田の戦力の層は厚く、鈴木孝司、鈴木崇文の町田が誇るW鈴木をはじめ、中島祐希、谷澤のこの4人のレギュラー攻撃陣が壁がまず厚く、そこに更に戸島、中村祐也、久木野らの準レギュラー陣が加わり、とても翔平が戦力の候補に上る事は無かった。

シーズン前から、このメンバーでは・・・と危惧はしていたが、やはり予感は当たった。

更に悪い事に、町田はかつてはじめにJ2で戦った時のような、ポゼッションサッカーではなく、まずはしっかりブロックを形成してからの速攻を身上とする、堅守速攻サッカーへと、相馬直樹監督のもとまるで変わっており、そして2回目のJ2への挑戦となった2016シーズンはプレーオフ圏内に肉薄する7位とつけた。

J1ライセンスを持たないチームにとっては、まさに快挙といえるシーズンだった。


そして、出番の無かった翔平は、やはりレンタル切れとなり、所属元のザスパも数々の大卒ルーキーのエース級のアタッカーを加入させ、翔平はチームに帰還できなくなり、2017シーズンを前に所属がなくなる事となった。



いつかその、バイタルエリアで輝いてくれる日を・・・

町田がかつてのポゼッションサッカーをそのまま戦術としていたなら、翔平のバイタルエリアでボールを受ける巧さは活きた事だろうが、ザスパと同じく堅守速攻になってしまっては、その類まれなる翔平の能力は半減する。

結果として、もうプロを続ける道はいったん途絶えた形となっているわけだが、しかしまだ24歳、大卒2年目の年齢だ。

まだまだ身体能力としてもこれからのところであり、翔平としてもサッカーを諦めた感は無い。

JFLでもJ3でも、これからまた所属チームを探し、サッカーを続ける道を探っている事だろう。

今年ザスパに加入したMF村田や、昨年長野から加入し大活躍した高橋駿太のように、いったんJ2を離れようとも、また返り咲ける道は近年ますます広がっている。


所属無しの状況とはなったが、私は未だに信じて疑わない。

横山翔平という、バイタルエリアであれだけ輝ける稀有な才能を、バイタルエリアでクサビのボールを受けまくり、敵のDF陣をズタズタに切り裂くその輝ける姿を、またいつか見る日を。





(2017.01.28UP)





2015不遇のシーズン

約1年前に書いた下の記述のとおり、横山翔平という若きバイタルエリアの王を、一刻も早くザスパの不動の1.5列目に据えて欲しい事をこれまで切望し、そしてこのHPで1年を通じて強く訴えてきたが、その願いも通じず2015シーズンは横山翔平にとって散々なモノだった。

スタメンで起用された試合などたったの2試合ほどで、途中出場も含め全て左サイドハーフなど、全くもって私の意とは反するポジションでのプレーばかり。

それでも、どうにかポジションをスライドさせながら、ペナルティエリア付近のバイタルエリアに入っていったときは、やはりファンタジスタたる煌めきの片鱗をみせてくれたものだが、結局シーズン通じてそんなチャンスは数プレーのみとなった。

完全に2015シーズンから就任した服部監督は横山翔平をフィジカルが足りない二流のサイドプレーヤーとしてしか認識されなかったようだ。

何度もこのHPで言っているとおり、サイドのプレーヤーにはテクニック面よりも、むしろ縦のスピードと、守備もこなすフィジカルがより求められる。
スピードや運動量はともかくとして、小柄で線が細いタイプの翔平には、フィジカルの面ではどうしても劣る。


それに対し、中央、1.5列目に入る選手にはクサビのボールを受け、そして相手をいなしながらキープし、そして左右、縦に振っていくテクニックと創造性、閃きが求められる。
その天性のものを翔平は持っているわけだが、それを全くもって理解、評価されないまま、たったの6試合出場というプロのキャリアで最低最悪な1年となってしまった。

もはや服部監督の元では、翔平の才能が開花される事は不可能に近いと思わざるを得ず、私が一番ザスパから心が離れたシーズンが2015年だった。




2016はJ2に昇格復帰した町田ゼルビアに!!??

問題は翔平の去就だった。
大学と同じ4年間というプロのキャリアを終えた翔平を、クラブがどうするか。
2015シーズンの実績からすれば、地元出身のホープである翔平といえども厳しい可能性は確かにあったが、しかしシーズンオフの契約未更改の一覧に入らなかったのだけは幸いだった。

だが、年明けになり衝撃の発表があった。


2016シーズンからJ2に昇格復帰したFC町田ゼルビアにレンタル・・・


そして更に衝撃だったのは、翔平のサポータへのコメントが、通常若手選手ならば一回り大きくなって帰ってきます!といったものだと思うが、翔平のコメントの最後は「ありがとうございました。」だ。

明らかに片道切符的なレンタルじゃないのか・・・

そして、一部情報によると、通常レンタルの選手は出元のクラブとの直接対決には出場できない制限が契約上かけられるものだが、なんと翔平にはその制限が無く、ザスパと戦えてしまうのではないかということ。

非常に片道切符感ありありであり、結局、町田で良ければそのまま町田に移籍、ダメならばそのまま両チームから解雇、という流れではと思案してしまう。




新天地・町田で新境地を!!!

だが、レンタルはレンタル。
まだ私は翔平が真のザスパのバイタルエリアに君臨する王となる夢を諦めてはいない。

ザスパと戦えるのなら、レンタルで出した事を後悔させ、そしてシーズン途中に呼び戻させるくらいのプレーを見せつけてやればいい。


幸い、町田には多くの元ザスパ選手がいる。

一緒に移籍することとなったDF有薗慎吾、そしてGK内藤圭佑、DF星野悟、DF増田繁人、MF遠藤敬佑、MF宮崎泰右と懐かしく、そして記憶に新しいメンバーが揃っており、翔平を加えればなんと計7名が元ザスパだ。

しかもいずれもなぜ解雇・放出するのかと当時も疑問に思った実力者ばかり。

このままこのメンバーでスタメンを組ませたいくらい。


昨年までJ3だからといっても、かなり強力なメンバーばかりの町田ではあるが、相馬監督の起用次第では翔平が本来のトップ下で起用される可能性も高い。

そうなれば、翔平の驚くべき才能が一気に開花する事だろう。


正直、ザスパよりもよっぽど町田の陣容の方に魅力を感じてしまうところで、2016シーズンはどちらを応援するのか、いつぞやの山口素弘監督の頃の横浜FCと同じような状況ではあるが、とにかくこのレンタルが翔平という若き才能溢れるプレーヤーの飛躍のきっかけになってくれる事を強く願ってやまない。

新天地で頑張れ!!!翔平!!!!
自分はいつまでも信じて待っている・・・



(2016.01.09UP)





〜元Fファンの勝手な批評〜

前橋育英の10番を背負ったエースはザスパへ入団!

2011年11月13日、私が翔平をみた初めての試合は、群馬県高校サッカー選手権決勝の前橋育英VS桐生第一戦だった。

当時の翔平は前橋育英の10番を背負い、トップ下で堂々のプレーでチームの攻撃を一手に担う存在だった。

その試合は、翔平の積極的なシュートやドリブルにより立ち上がりから育英が有利に試合を進め、そして翔平のドリブルによるPKなどを含み前橋育英が2点先制した。

誰もが、今年も全国への切符は育英か、と思った矢先だった。

翔平に次ぐ主力であった左サイドの白石がまさかの2枚目のイエローで退場となると、風向きが一変し、桐生一の反撃がはじまった。

今思えば、当時の桐生一は現在のU−22、オリンピック代表世代のエースとして期待される新潟内定のFW鈴木武蔵をはじめ、中盤には魅惑の左を持つレフティー池田、セントラルMFには絶対的なキャプテン金田がいた。

相当に強いメンバーがいた桐生一は、育英の1人少ない体制が整わないうちにあれよあれよと同点に追いつき、そしてその勢いのまま逆転として、それまでの前橋育英と前橋商業の2強の牙城を崩す、桐生一初の全国進出の快挙を果たし、全国大会でも準々決勝まで駒を進めるに至った。

その桐生一の陰に隠れる形で、翔平はあと一歩で全国に行ける切符をフイにし、悔しい思いで群馬県決勝を後にしたわけだが、私には育英の10番を背負い、10人になって不利になった状況でも、自分1人でグイグイドリブルで勝負に挑み、どんな場所からでもシュートを狙っていく、そんな根っからのアタッカーの翔平に期待が持てた。

そして翌年には、当時まだザスパ草津だったザスパに入団した。



高卒1年目から上々のスタート

ザスパ入団1年目は、ソエジマ監督の3年目、ザスパもいよいよ昇格プレーオフ圏内に向けて、意気上がる時期だった。

しかし、前のシーズンで開花したはずの3シャドーをソエジマ指揮官は活かしきれず、高卒ルーキーの翔平はチームが不振にあえぐ中で後半の左サイド要員で、得意のドリブルよりも上下運動の運動量を期待されての起用ばかりで、得意の攻撃力が活きない起用の連続に、明らかに翔平自身がプロとしての自信を失っているのが目に見えた。


だが7月22日の町田戦、長いロスタイムで急きょ投入された翔平が、ついに中央寄りの位置で2人のマークに囲まれる中での反転から得意のドリブルを発動させ、もう1人のマークもかわして決定的な折り返しをゴール前に入れる輝きを見せる。

やっとドリブルを魅せられたMF25横山翔平
この2012年7月22日、やっとドリブルを魅せられたMF25横山翔平(中央25番)

結局、この日は1−1のドローで終わり、結果には繋がらなかった翔平も、ややうつむき加減にピッチを去ろうとしたが、私はそんな翔平に声を掛けないわけにはいかず、翔平!!と声を掛けると、翔平は顔を上げてくれた。

「翔平!!!今日のドリブル良かったよ!!!また次も行こう!!」

私の声は翔平に届いてくれたはずで、翔平ははにかんだ笑顔をみせてくれ、そして周りのサポータ達も暖かい拍手と声援を地元出身のこの若いアタッカーに送った。

そして、この日のワンプレーが翔平を変え、自信を取り戻した翔平はその後の試合でも自慢のドリブルを仕掛ける場面が目立つようになり、後半戦に入るとしっかりと左サイドのレギュラーの座を掴み、高卒1年目としては上々のプロのキャリアのスタートとなった。





そこそこ結果は出すものの、チームは指揮官の迷いに翻弄

2013シーズン、2年目となった翔平は、秋葉監督の1年目でのスタートとなり、秋葉ザスパの最初に選んだ3−4−3は、1トップの平繁が浮きがちになる失策でチームは降格争いの憂き目に合う。

しかし、後半戦に入って3−5−2という偶然の産物の答えを見つけ、チームは急浮上で降格争いから抜け出す事となり、翔平も31試合に出場し、3得点という、まずまずの結果を残した。


秋葉ザスパの2年目となった2014シーズン、3−5−2を軸にチームはいよいよプレーオフ圏内に・・・と期待がかかったが、しかしソエジマ指揮官と同じく秋葉指揮官もやはり戦術を見誤り、またしても平繁1トップの3−4−3で開幕を戦うなど、同じ過ちを繰り返し、結局3−5−2を信じ切れないまま、ファンソンスがアンカーとストッパーの位置をいったりきたりして4−4−2と3−5−2を中途半端に試合中に使い分けるどっちつかずの策に終始。


ソエジマ体制の頃と同じく、どうにもチームがうまく機能しないまま、翔平もその力を存分に発揮できたとは言えない3シーズン目を過ごそうとしていた。





突然目覚めた若き王・翔平

しかし、そんな中での第17節、6月8日の愛媛戦だった。

それまでなら、通常MF6竜樹がFWに入り、翔平はサイドか、1アンカーの脇の守備も負担しないといけないシャドーに入る事が多かったが、この日だけはなんとFWの2トップの一角として起用された。

もう1人の2トップの一角は、その後京都に移籍することとなるロビーニョなので、必然的にロビーニョが最前線で相手のマークを集中させ、翔平は1.5列目に入る格好となる。

その1.5列目に入った翔平は、それまでのシーズン、あまり活躍できていない鬱憤を晴らすかのようなキレた動きで、これまでのザスパの中では不慣れなはずのトップのポジションでも、積極的にボールを受けられるポジションに動いては持ち前のテクニックでクサビのボールを受け、どんどん相手の嫌なスペースに入っていく。

プロ入り以来、とにかく必死に走り、喰らいつき、そしてたまにスペースが生じた時だけどうにか得意のドリブルを発動させるのが精一杯だった翔平が、トップ下に入ったこの日だけはどこか落ち着きもある冷静さを保ちつつ、自信を持って自分が前線を作っているという風格のあるプレーが光っていた。

まさにそこには、私が翔平のプレーを初めて目にした前橋育英10番を背負った横山翔平の姿があった。


そして19分、すぐに結果は出た。

相手が左サイドでのパス回しを翔平とロビーニョが囲う形でロビーニョがボールを奪うと、ショートカウンターの形で一気に攻勢に。

ロビーニョは右サイドから中央の翔平に預けると、この日は風格漂う翔平、背を向けたまま巧みにボールをタメた後に、振り向きざまに左前方の縦にベストなボールをスペースに入れ、ここに左サイドから一気に走り込んでいたDF15瀬川が左足を一閃!!

この先制を機に、この日のザスパはエース河原らを擁する強敵・愛媛のアウェイで2−0での快勝を納める事となった。


自分にとっては、まさにこの日の翔平のプレーの数々は衝撃だった。

翔平という男は、決してドリブルで切れ込むだけのプレーヤーではなかった。

育英の10番を背負うに相応しく、あくまでトータルで攻撃力に優れ、相手のバイタルエリアのど真ん中で働かせてこそ活きる、まさに王様タイプのプレーヤーだった。

それなのに、これまでは翔平に、若いという理由だけであまりに無駄なサイドでの守備を求めすぎていた。

これほどまでに、このトップ下、1.5列目で活きるタイプのプレーヤーを、その可能性の無限さにわくわくできるプレーヤーを、ここ最近は目にした事が無い。

トップ下と言えば有名な中村俊輔や小野伸二、中田英寿、またかつてザスパの司令塔を務めた山口貴之や、島田らとも違う、横山翔平にしかない1.5列目に君臨する若き王の姿がそこにはあった。





理解されない翔平の1.5列目での実力

だが・・・

これ以降、非常に残念な事に、チームを率いる方の当時の秋葉指揮官や、現在の服部監督は、この事実にまだ気付いて頂けていない。

てっきり私としては、翔平がこの先ずっと1.5列目に君臨し続けるのだろうと思われていたところだが、この日の前半で結果を残した翔平を、なんと秋葉指揮官は後半になると翔平と宮崎のポジションを早々に入れ替えてしまい、根っからのサイドアタッカータイプである宮崎が相変わらず1.5列目だと何の仕事も出来ず、翔平はシャドーの位置で守備に追われるまま、この日を境に1.5列目に主に就いたのはなんと宮崎の方だった。
(しかも、その宮崎も、不慣れな1.5列目を務めさせられ続けた挙げ句、本来の力を発揮できないまま1年でチームを去る事になった。)


結局、翔平が1.5列目に就くのは試合が後半に入り、メンバーが入れ替わる中でのわずかな5分程度の時間の間だけであり、それでも翔平はそのわずかな時間で見所をしっかり作ってくれるわけだが、その重大な事実には誰も気付かない。気付こうともしない。


その後、2014シーズン後半になると翔平は大怪我を負ってしまい、シーズン半分を棒に振り、今期2015シーズンに久々に、無事ピッチに戻ってきて現在に至る。


つい先日、5月9日の大宮戦でも、サイドのポジションからたまたま試合の流れで中央に絞れた翔平は、相手のマーク3人に囲まれたバイタルエリアど真ん中でボールを受け、反転しながらのドリブルで切れ込み、そしてスルーパスまで送ってみせた。

翔平がバイタルでボールを受けると、必ずボールを下手な形では奪われず、何かしらのアクションに変えて見せる。

これが下手にボールを簡単に失うと、すぐに相手のカウンターに繋がったり、味方の攻撃参加の足止めになってしまうところだが、必ずタメなり、ドリブルなり、パスなり、シュートなりの、次のアクションに活かせるのが翔平の1.5列目としての最大の特徴だ。
自分本人も周りも活かせる、それが翔平の1.5列目のプレーの神髄である。

そのアクションに移るためにも、翔平はバイタルエリアに入っている時は、耐えず動くのを止めず、端から見るとウロウロと、小刻みにさまよっているように見える。

おそらく、現役時代の名古屋でのピクシー・ストイコビッチも、同じFWの1.5列目の位置で、このような動きをしていたのではないだろうか。

当時は、守備もせずに前線の適当な場所を自由な身分でうろつくだけの、一見サボっているようにも見えたものだが、この動きをしてこそ相手のマークも付きづらいし、そしてマークを外しやすく、ファーストタッチでの自分の間合いを確保出来る。

いわゆるポストワーカータイプのストロングFWが、フィジカルを活かしてドッシリと構えるポストプレーとは全く違う、クサビのボールを受ける特殊技術がある。

そして、そのクサビのボールさえ受ければ、自分からドリブルで切れ込んでも良し、得意の左足で積極的にシュートを放っても良し、0.5列先にいる1トップのFWや、両サイドに決定的なパスを送っても良し、何でも出来る。

言うのは簡単だが、これを実践できるプレーヤーはそうはいない。



翔平のキングダムサッカーが成就するその日まで・・・私は諦めない

おそらく、天性のものがある。

そして、かつて育英の10番を背負った翔平には、その天性が備わっている。


これほどまでに恵まれた天性を持った郷土出身の将来性溢れる若きプレーヤーがいるという事実を、その奇跡を、果たして何人が気付いているのだろうか。



横山翔平という絶対的な若き王をチームに擁しているという事実を今一度認識し、翔平を中心に据えたチーム作りに転換すべきだ。

もはや翔平をサイドで無駄に守備をさせるような事をさせてはならない。


いかに翔平に相手のバイタルエリアのど真ん中でクサビのボールを受けさせるか。

ザスパというチームが、翔平を中心としたキングダムサッカーに生まれ変わった時、初の昇格という夢も見えてくる。

20年に渡ってサッカーを見続け、そして10年以上このHPを運営してきた私は、そう確信する。

これまでのサッカー観戦歴を全て賭けて良いし、これが間違いだというのなら、このHPの運営などあっさりとやめてみせよう。



翔平が本当の王様として君臨するその日を、私は決して諦めない。

そんな、本当のザスパの真の姿を、1日でも早く私は見たい。





(2015.05.19UP)





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