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ザスパ草津 群馬出身メンバー紹介
NO.9 FW
”ワンダーボーイ”
・・・逮捕の報を受け・・・
後藤 涼
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ワンダーボーイも今やザスパの絶対的なエースストライカー
後藤 涼(ごとう りょう)
生年月日 1986年8月25日
身長/体重 171cm/61kg
血液型 A型
出身地 埼玉県、育ちは群馬(藤岡市立小野小・小野中)
利き足 右
〜経歴〜
前橋育英('03〜'05)
−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)
J2草津
'05 J2・16、天皇杯・2
'06 J2・19(1)
'07 J2・12
'08 J2・41(12)・天皇杯2(1)
'09 J2・45(9)・天皇杯1(1)
'10 J2・20(3)
'11 J2・26(5)・天皇杯1
'12 J2・21・天皇杯1
'13 J2・
前線にスルーパスを要求する後藤涼(H2009.10.10天皇杯2回戦SAGAWA戦にて)
(後藤涼の応援チャント)
ゴトオー リョウ ラ・ラー 華麗にフィールド舞っえー!
ゴトオー リョウ ラ・ラー オオオッオ オッオッオー!!
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後藤涼逮捕の報告を受け・・・
ああ、やっぱりだ。
私のHPのアクセス数が久々に100台にのっている・・・
仕方ない・・・とり急ぎ緊急アップします・・・
あくまでとり急ぎです。
あとでまた追加情報含めまとめます・・・
私がおそらく今一番ザスパで応援している選手であろう、FW9後藤涼がどうやら高崎の店で窃盗(万引き)で捕まったとか・・・
中古のブーツ2足で13万越え?
随分と高いブーツが世の中にはあるもんだ。
それを転売したから足がついたということか・・・
あまりに唖然とする内容ですが、真のザスパのエース・後藤涼のサッカー選手としての、あのオーラすら可視できたプレーは未だに私の中では色褪せません。
もちろん言い訳はできないでしょう。
だが、それですべてのこれまでの涼のプレーを、9年間のザスパでの功績を否定する事はありません。
今や、GK北、MF櫻田と含めたった3人の現存する、草津温泉で働きながらサッカーをやった経歴を持つ涼。
この3人だけは今やザスパクサツ群馬の魂でした。
とりあえず、他に情報が入るのも待ちたいが、とにかく残念なのは27歳の若さながら妻子があること・・・
う〜ん、同じく育英の茂原の時とは、また重みが違う・・・
しかし転売とは・・・
初犯じゃねえな、という他の意見も身に沁みます。
安いJ2の地方チームでの給料、本気で金に困っていたのかもしれない。
ここ近年はとにかく怪我に泣き、いい加減精神的なプレッシャーも強かっただろう。
正直、この件が無くても来シーズンの契約はかなり危うい、涼の功績から温情でもなければ、相当に厳しいとは私も覚悟していた。
なにせ、あの高田や佐田を切ってきたクラブだ。
そんな精神状態もあっただろう。
だが、たとえ解雇になっても、家族を支えるための次の道は絶対涼にならば用意されていたはずだ。
その、育英卒業以来9年間積み上げてきたものが、この一件で崩れるというのが残念でならない。
罪を憎んで人を憎まず。
私たち夫婦が人一倍応援していたFW佐藤正美とも、育英の先輩、後輩の仲ゆえか、一際仲が良かったのが涼だった。
相当に地元での人気が強かった選手だったし、そしてその期待に応える実力も持ち合わせていた貴重な選手だった。
正直、絶好調ならば、現在の絶対的なエース平繁にも匹敵するオーラが確かにあった。
今はただただ無念でならない。
(2013.10.23UP)
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後藤涼・2012年の総括
2011年、その背中をずっと追ってきたエース高田保則の引退により空いたエースの座を引き継ぐ形で、確固たるチームのエースへと成長した後藤涼。
2012年はエース、大黒柱としての活躍が期待された年でもあったが、2012年はチーム全体の攻撃陣の不振に巻き込まれ、そして怪我に泣かされた1年となってしまった。
まあ、そんな忘れたくなるような1年でしたが、とりあえず記録までに涼の2012年を軽めにまとめておきます。
シーズン序盤から3シャドー放棄でチーム全体が得点欠乏症に
ザスパは2012シーズン開始当初、2011年終盤の10戦負け無しの勢いをそのまま持続させようと、涼も含めた3シャドーで戦う。
開幕戦の大分戦こそ新加入のヘベルチの活躍もあって3−2で勝利を飾ったザスパだったが、その後は水没するピッチであったり、今年大ブレークした湘南を相手にするなどの巡り合わせの悪さもあって、どうにもうまく機能しない試合が続く。
私が昨年から危惧していたとおり、3シャドーは明確なトップ下などチームを組み立てる軸を持たないため、おそらく手詰まる時も来るとは予想していたが、3月早々に3シャドーと1トップのリンコンにクサビのパスを送るはずの熊林が怪我で離脱すると、あっという間に手詰まり。
そして、これまた危惧したとおり、新加入のブラジル人・ヘベルチを徐々に頼るようになり、3シャドーは早々にあっさりと放棄。
結局はいつもの4−4−2に戻してリンコン、チェソンヨンの2トップに頼る力押しの作戦などに安易に頼る姿勢ばかりが見られた。
そんな中でも涼は開幕からずっとスタメンで奮闘し、主に右サイドで機能しきれない攻撃陣をどうにか支え続けた。
だが、とにかく得点に恵まれない。
いや、涼だけでなく、チーム全員が点が獲れず、この得点欠乏症の酷さは今年のザスパの代名詞となっていた。
シーズン中盤、怪我で長期離脱
そして6月に入る頃に怪我がちとなりスタメンを外れ出す。
特に7月中旬から9月中旬まで、2ヶ月の間ベンチにも姿を見られないようになってしまい、その間にチームはヘベルチはセレッソに緊急レンタル放出、リンコンは起用法などの軋轢もあってか突然の帰国、先に杉本も重症で離脱など、チームの前線の層はガタガタとなった。
その間は前橋育英の先輩・小林竜樹がフル稼働状態となり、涼の分まで穴を埋めるように獅子奮迅の活躍。
結局、今シーズンのエースが誰だったかというと、間違いなく竜樹となるだろう。
しかし、その竜樹もFWで起用されると必ず前半途中から相手のマークが厳しくなってDFラインの裏でボールをもらえないようになり、なかなか得点には結びつかず、その後に竜樹が右サイド、遠藤が1.5列目に配されるようになってようやくチームの形が決まり、山形戦でチーム初となるハットトリックは決めたものの4得点に終わる。
やはり涼不在の影響は色濃く、シーズン中盤のこの2ヶ月間の涼の不在はあまりに痛かった。
終盤、右サイドバック起用で活路も、シーズン終了
そして9/14の湘南戦、久々に登場の涼は後半から右サイドバックとして投入される。
もともと今シーズンは開幕からFW杉本を右サイドバックにコンバートさせるなど、昨年のザスパ攻撃陣の鍵だった湘南からレンタルの古林に代わる右サイドバックを模索していたソエジマ指揮官としては、その杉本も、更に保崎も離脱の今、白羽の矢を立てたのが涼だったわけだ。
2012.9.14湘南戦にて、後半右サイドバックで復活する後藤涼
右サイドバックで起用された涼は、持ち前の運動量とスピードを遺憾なく発揮し、途端にザスパの右サイドを活性化させた。
特に山形戦では先輩・竜樹と共に右サイドを果敢に攻め、竜樹のマークを緩くさせた事が竜樹のハットトリックにも繋がった。
まだまだ楽しみな右サイドバック起用だったが、しかしやはり守備面では難もあり、チームも再び終盤は沈没しはじめた波に呑まれるように自分のサイドを破られる守備の洗礼も浴び、そしてシーズン終了。
結局、2012シーズンは涼にとっては大変煮えきれないシーズンとなったことは間違いないが、しかし右サイドバック起用時に見せたサイド攻撃の鋭さ、運動量、スピードなどはやはり素晴らしいものがあった。
何よりも涼のプレーにはやはり安定感が溢れる。
今シーズンオフ、得点欠乏症の責任を取らされるように、FW陣が軒並み解雇となっていく中、涼と竜樹の育英コンビだけは残った。
これに今年プチブレークした育英の後輩、横山翔平も合わせた育英トリオの活躍があれば、必ずや来シーズンは楽しみな攻撃陣が組めるはずだ。
そして涼を良く知る秋葉忠宏が監督として戻ってくる。
秋葉が涼の高い能力を使いこなしてくれるものと強く期待したい。
(2012.12.16UP)
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後藤涼・2010〜2011年の総括
2008年は12得点、2009年は9得点とFWとして覚醒した涼だったが、ここ近年は都倉やラフィーニャといった絶対的な個人技を持ったエース達の陰に隠れたシーズンだった。
しかし今年2011シーズンはそのラフィーニャが抜け、残った涼は高田の意志を継ぐものとして一気に再覚醒。
シーズン後半は10試合負け無しの快進撃の原動力となる、新エースへと変貌を遂げた。
そんな今シーズンの総括を書きたい。
ラフィーニャの陰に隠れた2010シーズン
2010シーズンはもっぱら新加入のブラジル人FW、ラフィーニャの陰に隠れた時期だった。
ラフィーニャが1トップで起用され、右サイドにはエース高田が入り、左サイドには山田晃平や熊林などが入る。
そのトップ下の位置に入る事が多かった涼だが、いまいちラフィーニャとの相性が良かったというイメージは無く、特にラフィーニャの1トップはたいてい相手DFの3人くらいに囲まれて、強引に左で撃ちにいってブロックされるといった単発が多く、涼の存在は完全にかき消された。
そしてシーズン終盤、衝撃の解雇が発表されたエース高田が完全に主役となり、ラフィーニャはスタメンから外れアレックスが高田の相棒となりシーズンは終了。
涼はコンディションの悪化などもあってか、ほとんど存在が忘れられたままに3得点でシーズンを終えた。
2010年は本当にラフィーニャ、アレックス、高田らの強い個性を持った新旧エース達の陰に隠れた不遇の1年だった。
2011シーズン、ラフィーニャ突然の移籍
2011シーズン、高田が抜けたザスパはますますラフィーニャ体制に一本化。
涼は高田の後釜としてラフィーニャと2トップを組んだり、右サイドに入ったりする事が多かったが、2010年同様相変わらず裏方的な役割ばかり。
ザスパの前線はやはりラフィーニャの強引な突破一本槍の負のスパイラルに陥り、なかなかゴール前に割って入っていく涼のシャドーストライカーとしての感覚が生かせないままシーズンは中盤まで進む。
しかし、7月になんとラフィーニャが突然のガンバへの移籍。
副島監督はようやくコンディションを上げてきたリンコンを新たな軸に据えた体制へと移行をはじめる。
散々ラフィーニャのチームへの悪影響に辟易としていた私としては、この移籍話は渡りに船であり、ラフィーニャのあの高い能力も遠藤などがいるガンバならチームとしてさぞや活きる事だろう、そしてザスパもラフィーニャ依存体質から生まれ変わるだろうと予感。
早速ラフィーニャは移籍早々から得点を重ね大活躍となった。
しかし副島ザスパは相変わらずラフィーニャから役割をリンコンにすげ替えただけで、一向に良い方向に持って行こうとしない。
この頃、涼も怪我で戦線を離脱する事となり、ますますチームはブラジル2トップ一本槍となっていったが、いつまでもリンコンとアレックスの個人技に頼る副島監督の無能さには本当に怒り心頭の毎日だった。
最悪の天皇杯の中、エースとして覚醒していた涼
最悪だったのは天皇杯だった。
天皇杯第2回戦、当時明らかに格下といえた岡山相手に、相変わらず同じ戦術で挑む副島ザスパ。
なぜこの退屈で点の取れない4−4−2に愚直にこだわるのか、さっぱり私には理解不能であり、このシステムだと2トップに入るアレックスや萬代ら特定の選手の決定力にチームの浮沈がかかってしまうという最大の弱点があった。
そしてこの岡山戦でも萬代らがあまりに決定機を外し過ぎ、そしてワンチャンスを決められる形で岡山に惜敗。
もはやチームの低迷もここに極まり、といった感だった。
ここでサッカーに造形の無い方々、マスコミ連中はかたやガンバで大活躍中のラフィーニャが抜けた穴が、とか単純に騒ぎ立てるのだろうが、そんなの全く問題ではなく、単純に監督の選択している戦術が悪すぎた。
私はもうシーズン開幕の頃から一貫して1トップに切り替えるべきだ、とこのHPでも叫んできたわけだが、なぜか今シーズンの副島監督は本当に愚直だった。
しかし、このどうしようもない天皇杯でも、涼だけは輝きが違った。
今シーズン、相変わらずなかなか観戦に行けなかった私だったが、久々に生で観た涼の姿には驚愕するほどのオーラがあった。
涼に少しでもスペースが空いただけで可能性を感じ、ドリブル、パス、キープ、どれをとってもパーフェクト。
もはやゴール前に飛び抜けてゴールをワンタッチで決めるだけのシャドーストライカーではなく、常に前線を引っ張れる、かつて高田が放っていたエースのオーラを完全にまとっていた。
2011.10.8天皇杯第2回戦、岡山戦で右サイドから一気にゴール前を狙う涼
まだザスパはいける。
この涼さえ怪我が無ければ、まだ今シーズン、何かがある。
そう強く感じた涼の新たなエースとしての覚醒だった。
転機となった千葉戦
そしてその予感は意外に早く訪れた。
最悪の天皇杯敗退となった翌試合の千葉戦。
昇格を争う千葉相手に、今のザスパが勝てる見込みなどあるのか?と絶望的になるほどの戦前の予想だった。
しかし、ここで涼のエース覚醒と共にたまたま奇跡的に2つのタイミングが重なった。
1つはリンコンの怪我からの復帰。
それまであまりに試合中の運動量が少なく、そして自らゴールを狙う意欲が乏しい、はっきりいって使えないリンコンだったが、この千葉戦で久々の復帰となった。
おそらくこれだけならば全く意味がない復帰だっただろう。
しかし2つ目の奇跡として、櫻田の怪我があった。
これまでは櫻田、松下の2ボランチが不動で、そこに熊林が左サイドに入りポゼッション能力を高めるのがザスパの作戦だった。
だが、その一角の櫻田が怪我で離脱した事で、熊林がたまたまボランチに回る事となった。
その前の天皇杯ではボランチに戸田を入れた事で攻撃がますます停滞してしまったという事もあった。
常々、なぜ熊林を左サイドに置くのか、明らかに中央でこそ活きる選手であり、1トップにしてトップ下に置くべき、と散々前から私も主張してきた事だった。
まあ結局トップ下に熊林を置くほどには副島監督も応えてはくれなかったが、熊林が左サイドという束縛から解放され、ボランチというセントラルMFの位置に入れた事は大きな収穫だった。
結果的に、明確な1トップであるリンコンを前線に据え、その他の前線、後藤涼、小林竜樹、林と3人が2列目に入る事で、その3人が自由にポジションを入れ替えながら攻守において千葉を圧倒。
この試合、涼は先制を跳ね返す貴重な同点弾、そして竜樹へのアシストとなるシュートを放つ大活躍で、チームも見事な逆転勝利を収めた。
圧巻の最終戦のゴール、そして絶対的なエースへ
この偶然の産物といえた1トップ3シャドーという形が結局ザスパの今シーズンの最終形となり、千葉戦を皮切りに10戦負け無しの6勝4分でシーズンを終え、最終戦の栃木とのダービーも制しなんと9位という好成績でシーズンを終了。
その10戦の間、涼は絶対的な前線のキーマンとして出場を続け、無くてはならない存在感を常に放ち続けた。
特に最終戦、今シーズン最も重要となった栃木とのダービー戦。
今シーズンは散々ライバル栃木に辛酸を舐めさせられ続けていた中での一発逆転の可能性を秘めたこのダービー戦で、前半から決定機の応酬となる死闘。
しかし後半立ち上がりに左サイドバック永田からのスルーパスをゴール前左で見事に抜け出て受けた涼は、そのままゴールを相手DFの足に当てながら流し込み拮抗を破る。
この涼のゴールが全てとなり、結局チームはその後怒濤のラッシュで4−0と圧勝。
本当にエースとして決めるべきところを決める、まさにエースの証となった先制ゴールだった。
常に相手DF陣にプレッシャーをかけ続け、そしていったんボールを奪うや完璧なキープで前線の選手を使い、いったん味方にボールを預けるや自分は一気にゴール前に顔を出し、一瞬の隙を突いて相手をどん底に突き落とす。
今シーズン、ボールを持った涼の背中がこんなにも大きなものだったか、と我が目を疑うほどのオーラはもはや確固たるものとなりつつある。
この覚醒が本物であり、そして高田の意志を受け継ぐものとして、更なる圧倒的な存在と為り得るか。
毎シーズン怪我に泣く事の多い涼だけに、本当に怪我だけには注意してもらいつつ、更なる飛躍を期待したい。
(2011.12.11UP)
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後藤涼・2009年の総括
FWに転向し2年目の2008年12得点を挙げ一気にチームの核となった涼は真価の問われる”レギュラーとしての2年目のジンクス”に挑んだ年だった。
結果的にはとにかく2009シーズンのザスパのFWは都倉の一言に尽きるので、どうしても他のFW陣は都倉の陰に隠れたと言う評価になってしまうが、それでも9得点を挙げやはり涼のFWとしての能力の高さを証明できた年だったと思える。
ただもう一息で二ケタ得点に届かなかったのは本当に残念だった・・・
そんな涼の2009シーズンを振り返る。
シーズン序盤からレギュラーに
シーズン開幕こそ都倉、高田に2トップの座を渡したものの、基本的に涼は2.5番目の扱いとなり、いきなりの連戦となる中で第5戦では都倉に代わり先発で起用される。
そして第9戦の愛媛戦で試合終盤に縦パス一本から都倉が落とし涼が決めるという都倉との凸凹コンビの組み合わせの良さもみせ、その後都倉に負けず劣らずの決定力で順調に得点を決め、5月までで既に4得点と、二ケタ得点に向け順調な滑り出しとなった。
この頃はエースFW9高田が怪我だったりレッドカードで重い処罰を受けたりで、ほぼ都倉と共にザスパの2トップを同じ年コンビで形成する事が多かった。
怒濤の6月、5試合連続得点!!!
そして6月が来た。
天敵・福岡戦でいつもどおり高田、都倉の2トップの先発となったが、なんと都倉が前半20分で肉離れで離脱。
福岡相手に大黒柱都倉をいきなり失うという大きなビハインドかと思われたが、代わって入った涼がここで大きな仕事を果たす。
投入されて10分後、縦パス1本で相手GKとDFラインの間に得意の動きで割って入り、ワンタッチでゴールを決めるという、まさに2008シーズンにも良く見られた神出鬼没のゴールで先制し、そして天敵福岡から勝利を手に入れた。
その後も肉離れの都倉に代わり先発出場を続ける涼は愛媛、水戸、熊本、横浜FC戦と5試合連続で得点を決めまくる。
まさに都倉の不在を補い余りある活躍でチームを救い、2008シーズンの神通力の再来を思わせた。
本当に涼のゴールシーンはどれも素晴らしい。
クロスの動きなどを多用し、常に相手のDFの視界から外すような動きで一瞬姿を消し、そして表れた時にはボールがぽっかりと空いたスペースに転がるところにいつの間にか侵入し、あっさりと脅威の決定力でゴールを決める。
まさにスナイパーというか、狩人というか、とにかく決定力が凄い。
当然前線からのチェイシングも運動量豊富にこなし、守備面でもチームを助けた。
なぜか得点から見放され・・・
これで6月までで早くも9得点となった涼。
なんだ、二ケタ得点なんて結構簡単なんじゃないか。
私自身、正直そういった欺瞞が生じた7月だったが、しかしここから涼のまさかの苦悩の日々が続いた。
高田が再び怪我がちとなり、8月までスタメンで起用される事も多かったものの、なぜかゴールシーンに見放され、この頃はチームもとにかくホームで勝てないという深刻なホームのジンクスを抱えこみ、それに呑まれるように涼も沈んでいった。
考えてみると、この頃チームは本当に絶不調で、ポゼッションサッカーにあまりにこだわるあまり、これまで涼の得点シーンの鍵でもあったGKとDFラインの間に入る効果的な縦パスも入らず、ボールを保持しているもののどんどんスペースが狭まり、涼らFW陣がボールをもらうスペースが潰されるという、ちょっと涼にとってはやりにくい時期に入ったものと思える。
先輩竜樹の加入で存在感も危うく
そんなどん底のザスパに湘南からレンタルで急遽追加加入したのが前橋育英の先輩、小林竜樹だった。
小さい身体ながら豊富な運動量で前線で活発に動き回り、そして一瞬のスピードで相手のふところに入り込み得点を決めるという、まさに涼と同じプレースタイルの竜樹だが、9月20日の甲府戦で先発出場を果たすと、貴重な決勝点を決め、昇格を争う甲府相手にまさかの大金星となり、この試合で一気に竜樹はザスパの救世主として存在感を増す。
その後も富山戦で1点、水戸戦で2点と、3試合で4得点決めるという脅威の決定力で竜樹が輝いていく程、なかなか得点チャンスに巡り会えない涼の存在感は危うくなっていった。
2010シーズンは再び復権の年に
なかなかゴールに恵まれない涼だったが、10月の天皇杯では久々に公式戦での得点を決め、とにかく残りのリーグ戦であと1点、悲願の2年連続二ケタ得点を!と期待したが、結局得点シーンは訪れず、その後11月は怪我から復帰した氏原がベンチ入りすることも多くなり、都倉、竜樹、高田の次の4番目のFWの座すら氏原に渡す形で涼はついにベンチからも外れていった。
そしてそのままシーズンは終了。
結局リーグ戦では6月までの9得点止まりと、なんとも後味の悪いシーズンとなってしまった。
しかし完全にザスパのFWの代名詞でもあった都倉も神戸に移籍し、竜樹もレンタル延長ならず、左サイドバックでの起用が多かった小池もレンタル終了。結局は高田、涼、氏原の3人がまたしても残る事となり、代わりに前田やラフィーニャといった新戦力が加入となっている。
相変わらずFW陣は結果を残してナンボであり、その結果によっては起用の優先順位が如実に変わる。
監督も変わり、今のFW陣は完全に横一列とも思えるが、しかしこの2年で残した12得点、9得点という結果はFW陣の中では明らかに抜き出た実績だ。
2010年、涼にはザスパのFW陣に後藤涼あり、と言わしめる活躍を期待したい。
(2010.02.04UP)
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後藤涼・2008年の総括
この後藤涼の紹介・応援ページについては半年前に立ち上げたばかりなので、まともに2008年の総括をすると前半は同じような文章になるため注意したい。
とにかく2008年は後藤涼にとってまさに転機となる、開眼の年だった。
ザスパの新たなエースといえるほど急成長を遂げた2008年の総括をし、2009年の展望を記述したい。
FW転向後2年目での初ゴールにより開眼
冒頭で述べたとおり、2008年の途中までは以下の紹介ページで書いたとおり。
FW転向後、怪我などもあって2007年はくすぶっていた涼は、やはり2008シーズンも控えのFWとして後半残り少ない時間での投入が多かった。
しかし、4月13日のアウェイ鳥栖戦で1点ビハインドで試合展開としてもかなり押し込まれている中で後半途中から投入された涼は、松下のクリア気味のロングパスのはね返った落下点にちょうど入り込み、相手もDFやGKの数は揃っていたものの、その間を縫って牛若丸の如く身を翻らせた涼は迷わずダイレクトにシュートを送り込み、これが奇跡的に決まる。
この貴重な同点ゴールこそがその後の涼のスターダムの始まりだった。
続く山形戦でも2試合連続のゴールを奪ったことで、植木監督もFWの軸、攻撃の切り札として涼を扱うようになり、しばらくは後半投入でのスーパーサブ的な役割に。
その後、2トップの一角・FW氏原が負傷による長期離脱となると、必然的に高田・涼の2トップに全てが託される事となり、植木監督としては本来はDFの裏をスピードで狙う涼はスーパーサブで使いたいもののスタメンでの出場が多くなる。
二ケタ得点という結果
そして涼はシーズンを通じてコンスタントに得点を挙げ、あまり好不調の波もなく結果的に12得点という二ケタ得点を叩き出して今シーズンを終える事となる。
この二ケタ得点という結果はFWに転向した涼にとっては非常に重要な成果だ。
だいたいにおいて二ケタの得点を取るいう事はFWとしての得点力、決定力を証明する1つの指標であり、2年や3年連続で二ケタ得点でもしようものならJ1のチームからお呼びがかかる。
(2008年も活躍した鳥栖の藤田や湘南の石原(いずれも2009年はJ1・大宮に)のように)
その得点のどれもが鮮烈なものであり、特に多かった場面としてはDFの裏を一瞬のスピードで抜き出てからのGKと1対1でまず外した覚えがあまりない。
あの簡単そうでいて、非常に難しいシチュエーションで軽々と決めてしまうあたりに非常に成長を感じる。
特に圧巻だったのは下記の紹介ページでも述べた6月29日の鳥栖戦でのゴール前でのDF2人を落ち着いてかわしてのゴール。
とにかく、何かに憑かれているんじゃないと思うくらい、昨年までとは別人のような落ち着きとゴールハンターぶりを発揮した。
そして、それが一過性のものではなく、あくまでシーズンを通してそつなく得点を挙げたという点が非常に評価できる点といえる。
2008年、涼は本当のストライカーとなった。
FW転向が正解であったことを証明してみせた。
逆に言えば、おそらく2008年で結果が出なければ契約更改も危うかっただろう。
2009年、競争激化の中で勝負の年に
さて、2008年はしっかりとFWとしてのポジションを確立させた涼だが、2009年は安泰とは言えない。
涼の他にエース高田、怪我から復帰した氏原の元からの3人に加え、昨年途中から補強され最後の最後で実力を証明し勢いにのる都倉、FWでの起用も十分あり得る玉乃や廣山らサイドアタッカーの加入、レッズからの涼にプレースタイルの近い小池のレンタル。
わずか2つしかないFWのポジションにこれだけのプレーヤーがのしかかる。
開幕時こそスタメンでスタートするとは思うが、おそらく調子がちょっとでも落ちれば即代えられる事だろう。
または高田、都倉といったところでスタメンを出し、後半に涼をスーパーサブとして起用するほうがセオリーともいえる。
そんな厳しいポジション争いの中、先に書いたとおり2年連続で二ケタ得点を狙うという事は涼のキャリアにおいて非常に重要だ。
プロである限り、ポジション争いに勝って、そして結果を残さなければいけない。
特にFWというポジションならば何よりも得点という結果が求められる。
涼のような生え抜きのストライカーがチームの軸として成長することこそが、ザスパのチーム力の向上にも直結するし、後の昇格への原動力ともなる。
”2年目のジンクス”など振り払って、今年もワンダーボーイとしての活躍と更なる成長を期待したい。
(2009.02.08UP)
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〜元Fファンの勝手な批評〜
2008年、ストライカーとして開眼の後藤涼
満を持してというか、ようやく涼の紹介文を打つ時がやってきた。
思えば2005年、ちょうどザスパがJリーグに上がる時に後藤涼は期待の地元出身の新人としてザスパに入団。
はじめはサテライトに位置づけられるチャレンジャーズチームにて草津の温泉地で働きながら修行を積み、トップチームが不振に喘いだこともあって1年目でJのピッチを踏む。
プロサッカー選手として順調な滑り出しに見えた涼だったが、その後控えとしてのポジションを打破できないまま3年目、ついには自ら志願してMFからFWに転向。
しかしFW転向1年目はかえってFWゆえの重圧からか得点から遠ざかる結果となり、泣かず跳ばずの状態が続き、なかなか私としても涼の紹介ページを書くタイミングを逸していた。
しかし、この文章を書く7月はじめの現在、ザスパは驚異の快進撃を続けており、その原動力となったのが紛れもなくこの涼だ。
今シーズン、FWとして、ストライカーとして完全に脱皮した涼の紹介をこのタイミングを逃さずにできればと思う。
1年目、チャレンジャーズチームからトップチーム出場へ
まずは涼の1年目の2005シーズンから追っていくと、前橋育英を卒業してすぐの涼はまずは草津温泉で活動するチャレンジャーズチームでその経歴をスタートさせた。
午前は温泉地で働き、午後にサッカーの練習というハードな日々の中、現在ザスパのコーチを務める佐野監督のもと心身共に鍛えられる。
そんな中、トップチームはJリーグの洗礼を浴び続けており、とにかく不振の一途を辿る。
全く勝てずに周囲の期待を裏切り続ける中、手塚監督の采配も定まらず、当然起用する選手も頻繁に入れ替わった。
途中でFW樹森やDF斉藤竜なども補強するが、チームとしての起爆剤には今一歩欠け、不振はまだまだ続く中、どうにもならなくなったところでいよいよチャレンジャーズチームから選手を引き上げ始める。
その第一弾となったのがこの涼であり、シーズン半ばから主に右サイドハーフを任され、攻守に渡り活きの良い動きを見せる。
この時期同じくチャレンジャーズチームから引き上げられたのが現在副将を努めるMF櫻田であり、育英の先輩であるMF佐田と共に彼ら若手はシーズン終盤になればなるほど珍重された。
やはり手塚監督としては停滞気味のチーム不振の打破に若い力を求めたのだろう。
ただ、涼としてはなかなかサイドの狭い限定されたスペースの中では持ち味の機動力を活かしきれず、縦への推進力がそんなにある方では無かったのでこのポジションではちょっとまだプロとして厳しいものも感じた。
結果として天皇杯を含め18試合出場した中で、得点はおろかアシストもあまり無かった結果は不満が残るものとなった。
それにしても今思えば、手塚さんはよく高卒ルーキーをあそこまで使ったものだ・・・
試合に出られた事自体は良かったと思うが、チームは最後まで不振に喘ぎ、それに埋没する形で涼もかなり喘ぎ気味のドタバタのルーキーイヤーはこうして幕を閉じた。
2年目、プロ初ゴール!!
2年目2006シーズン、植木監督が予想外の早期復帰となりシーズンはスタート。
涼も1年目に引き続きスタメンの座を獲得したかったところだが、右サイドのポジションには植木監督の秘蔵っ子であるMF山崎渡が開幕からスタメンとなる。
しかし第5節で早くも右サイドのスタメンに復帰すると、その次の第6節、山形戦ではなんと涼を3トップの左サイドで使うという奇策に打って出る。
この策が功を奏し、前半半ばにセンターライン付近で混戦となる中、前線に出た縦パスに涼1人だけが反応し、そのままのスピードでGKと1対1となり見事に先制ゴールを決める。
これが涼の記念すべきプロ初ゴールとなり、それもまさに涼の特性を物語る、いつまでも涼の経歴の中でも代表すべき素晴らしいゴールとなった。
(ちなみにこの日の試合では育英の先輩であるMF佐田、FW正美も追加得点し、育英トリオの3得点で3−1の勝利を収めるという記念すべき試合だった)
右サイドでは活かされない涼
しかしこれで波に乗るかと思われた涼だが、結局起用されるポジションが右サイドハーフばかりであり、なかなかここでは力を発揮できない。
シーズン中盤まではほぼ山崎渡の控え的な位置づけとなり、ほとんどスタメンで出られない試合が続き、そしてシーズン後半は左サイドにDF寺田が復活したこともあり、DF佐田が本来の右サイドに復帰。
ここで右サイドのポジションも埋まってしまった結果となり、涼は出場するポジションを失う。
結果的にスピードと運動量を併せ持つ機動力を買われ、主にスーパーサブとしての起用が多くなる。
なかなか控えの壁を打破できない、2年目のジンクスというようなシーズンだった。
3年目FW転向
3年目2007シーズン、涼は自分の能力を最大に発揮できるのは、自由に動ける前線ではないかと見いだし、FW転向を直訴。
やはりプロ初ゴールの山形戦のイメージが強く影響したのかもしれない。
しかし、この年は昨シーズンからエースとして君臨する高田に加え、補強された高さのある氏原、スピード抜群の松浦、そしてキャプテン正美と既に4名のFWがしのぎを削っているポジションであり、FWに転向したての涼は必然的に5番目に位置するFWということになる。
その前のシーズンまで起用の多かった右サイドはこの年ベテランMF鳥居塚が鉄人の異名のとおりほぼフル出場を続け、もはや涼にポジションも無かった。
そんな苦しい状況ではあったが、正美は怪我で出遅れ、松浦は完全にスーパーサブとしての扱いであったため、ここで涼のFWとしての順位は繰り上げとなり、エース高田がなかなか得点できない不振の時期もあったため、シーズン前半はスタメンやベンチからの出場の機会を何度か得る。
前線で起用された涼はやはり持ち前の機動力を活かし激しく前線からチェイシングをかけてプレッシャーを与え、そして攻撃時には常にDFラインの裏を狙ういい動きを見せ前線を掻き乱した。
その動きから高田など他の選手にスペースが生まれ、得点機を作ったりなどもした。
シーズン後半は負傷のため休養に
動きとしては相手の嫌なスペースを常に狙い続ける質は非常に素晴らしいものだったが、しかしFWというポジションにはやはり得点という結果が求められた。
そして残念な事に、このチャンスの時期に結局涼は得点することが出来ず、加えてエース高田が8月からは絶好調で得点を重ねる完全復活を遂げ、同時期にFWカレカも途中補強されてくるともはやベンチに座る事すら難しい状況となった。
そして秋に入り、涼は自らも所属する山崎会・会長である山崎渡が大怪我を負ったのと時を合わせるように負傷を癒すための休養に入って幕を閉じてしまった。
結果としてFW転向1年目は正直厳しいシーズンとなってしまった。
ただ、常に相手の嫌なところに入っていき、狭い中でフリーでボールを受ける動きなどは非常に評価できる部分もあり、得点こそ無かったもののチャンスメーカーとしては可能性を見い出せたシーズンであった。
4年目、FWの駒不足というチーム事情
そしてこの記事を書いている4年目、2008シーズンがスタートする。
この年になると過剰気味だったFW陣からキャプテン正美、スピードスター松浦が退団となった事で一気にFW陣の人数が減る。
そしてチーム構成の上で植木監督の最大の誤算であったであろう、カレカのセレッソへの引き抜きにより、カレカが当然いるものとしてチーム編成を行った計算は大きく破綻し、シーズンぎりぎりで韓国系ニュージーランド国籍のレオ・シンという新たなスピードスターFWは補強するものの、結局計算できるFWはエース高田に長身の氏原、そして涼だけという極端なFW陣の駒不足でシーズンはスタートする。
そして結果的にはレオ・シンはこの原稿を書く少し前にその姿をピッチに現す事無く退団となってしまった。つまりは完全にFW3人体制というプロチームとしてあり得ない状況に。
そしてそして、当然高田と共にFWの軸(というか3人しかいない中の2トップだが)であった氏原は昨年から患っていた足首の調子が今ひとつ芳しくなく、あまり満足に試合に出場できないまま、その後全治3ヶ月の大怪我を負って現在は完全休養となっている。
つまりは執筆現在、ザスパにFWは高田と涼しかいない状態に陥っている。
(その他に昨年高卒で入った長身の岩田はいるが、どうもまだプロとして満足に計算できる段階には無いらしい)
得点を重ねる事で深まるFWとしての自信
そんな中、エース高田とFW転向2年目の涼はFWの駒不足と言われないためにも能力以上の活躍を現在していると言える。
高田はシーズン序盤は得点欠乏症に悩み、一時期はベンチを外れ休みをとるなどしたものの、古巣である魔の平塚でのジンクスを突き破る決勝点を挙げるなど、どの試合でも貴重な勝ち越しゴールを決めるなどまさにエースとしてチームを牽引する。
そして涼は4月に早くもFW転向後初の得点を挙げると、その後順調に得点を積み重ね、どんどんFWとしての決定力に磨きがかかっていっている。
6月までの5得点はいずれも相手DF陣の間をすり抜けるように裏をとる動きで、縦パスから抜け出てGKとの1対1を冷静に決めてきたものばかりであり、ようやくその良質な動きに決定力という結果も備わってきたといえる。
そして圧巻だったのは先の6月29日、鳥栖戦での前半ロスタイムでの決勝点。
この場面はこれまでのようなGKとの1対1ではなく、クロスからのヘディングでの折り返しをゴール左サイド外で受けて、相手DF2人のスライディングを冷静に、瞬時の判断で切り返し、かわしてからの冷静なシュートをゴール逆サイドに流し込むものだった。
このシーンをみることで、涼は本物のストライカーへと遂に生まれ変わったと私自身、確信できた。
それまでのやや幸運な部分もあっての縦パスからのワンチャンスを決めてきたラッキーボーイから、本物のワンダーボーイへと変貌を遂げた証であった。
ここまでの6得点はエース高田と並ぶ成績であり、上背もありヘディングでも点が取れる高田に対し、あくまで足下での短めのシュートのみでエース高田と並ぶ得点を挙げているという事実はここまでの涼の驚異的な決定力を物語る。
特筆すべき前線での動き
涼の今シーズン見せている驚異的な決定力はもちろんだが、その他でも前線の起点となる動きについてもやはり見逃せない。
特に前述してきたとおり、相手DFの嫌な、ちょうど中間のポジションに身体を入れては、嫌な位置でのクサビに入り、そこから司令塔島田らが前を向いて仕事が出来るようになる。
当然涼も素早く反転して相手の背後を狙う。
先の今季6点目のシーンも、もともとは涼がクサビを受けてから島田が展開した場面からのゴールだった。
この動きながらのクサビを受ける能力はかなりのモノであり、まさに涼の特性が最大限に活きたプレーといえる。
また、前線での激しいチェイシングももちろん涼の特性であり、熊本戦では相手GKと激しく競り合ったことで、相手GKは涼にばかり気をとられ背後に潜んでいた高田の存在を忘れてしまい、不用意にボールを転がして高田が背後からかっさらってゴールを決めるというお膳立ても作った。
今シーズンはこういった他の選手へのお膳立てが多いのも涼の特徴であり、他の選手を活かしながらも自分自身もゴールを決めるという、好循環を作り出している。
もちろん、涼らの前線での献身的なチェイシングあってこその現在のザスパの粘り強い守備が成り立っている事も忘れてはならない。
チームは驚異的な快進撃に
この涼と高田の2トップの好調が手伝い、ザスパは現在驚異的な快進撃を続け、初の連勝のあとに首位広島に1敗、そして4連勝して岐阜との引き分けを挟んでまた2連勝と、爆発的な勝ち点を荒稼ぎし、ついには昇格争いにガッチリ食い込む5位までポジションを上げている。
この快進撃は、まさに涼の活躍あってこそ。
チームの快進撃と共に、涼もまた快進撃を続けている。
ところで昨年までの涼の紹介文には決まって書かれる文句があった。
それが現在オリンピック代表に名を連ねる清水のDF青山と浦和のMF細貝と前橋育英で同級であるということ。
この2人の名前があまりに大きいため、涼は常に青山、細貝と同級の・・・という枕詞から離れられないでいた。
しかし、もはやそんな事は忘れさせるほどの活躍を今シーズンは成し遂げており、本人の言う、2人のプロフィールにザスパの後藤涼と同級の・・・と書かせられる日もそう遠くはないかもしれない。
今シーズンはまだ半ばを過ぎたところであり、植木監督もあまりのFW陣の層の薄さを懸念し外国人FWの補強を公言している。
しかしその補強はこれから訪れるであろうチームが不振に陥った際のカンフル剤になるべきであり(監督もそう言っている)、それまではこの涼とエース高田の好調2トップがチームを牽引することとなる。
現在の好調をいかにキープし、結果を積み重ねる事ができるか。
FWはやはり得点で判断されるものであり、このままのペースで2桁得点を狙って今後の涼の活躍を願う。
(2008.07.01UP)
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