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・・・悔やまれる引退・・・

ザスパ草津 群馬出身メンバー紹介
NO.22 GK
小島 伸幸


横棒


代表歴は伊達じゃない、圧倒的な経験値・守護神小島

小島 伸幸(こじま のぶゆき)
生年月日 1966年1月17日
身長/体重 187cm/85kg
血液型 O型
出身地 群馬県前橋市
利き足 右

〜経歴〜
新島学園('〜')
同志社大('〜')
フジタ('〜')
平塚('93〜'98)
福岡('99〜'01)
ザスパ('02〜)

−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)

J1平塚
'93 J1・
'94 J1・
'95 J1・
'96 J1・29
'97 J1・21
'98 J1・34

J1福岡
'99 J1・29
'00 J1・30
'01 J1・8

(・・・福岡時代以前はまだまだ調査中(時代が古すぎて調査しきれない))

J2草津
'02 群馬1部・6 天皇杯・3
'03 関東2部・12 天皇杯・2 全国地域・5 全国社会人・4
'04 JFL・26 天皇杯・5
'05 J2・23 天皇杯・1


−日本代表歴−
'95〜'98(5試合)
('98フランスW杯)

 
H25.01.20 松田直樹メモリアル新春ドリームマッチ群馬2013
この試合では思わぬロングタイムでの出場となったGK小島



〜元Fファンの勝手な批評〜

・・・小島の親分、惜しまれつつも、2005をもって現役引退・・・

平成18年1月23日、2006年の現役続行について様々な思惑が飛び交う中、その長い現役生活に終止符を打つ事が正式発表された。

今後はクラブのアドバイザースタッフとして契約、サッカーの普及活動などに関わるという事なので、ザスパ関連の様々なイベント、サッカー教室などに登場するという事だろう。
残念ながら新しいGKコーチは既に決まってしまっていたため、暫定スタッフといったところか。


J1・代表の頃

小島のプロでのスタートは当時J1リーグで超攻撃的なスタイルでJリーグに旋風を起こしたベルマーレ平塚(現・湘南)からスタートし、同じくJ1の福岡に移籍。
J1リーグ出場239試合を数えながら、日本代表では初のW杯進出で国内中が沸いたフランスW杯の第3GKとして選出。

当時の代表を争うGKといえば、マリノスの川口とフリューゲルスの楢崎が歳も近い事もあってガチンコ勝負を演じている時だった。
(当然私は圧倒的に楢崎派)

小島はその若き2人のGKを陰から支えた立派なW杯戦士であり、イングランド戦などでも活躍し代表では5試合に出場。

特に前への飛び出しに自信を持つ攻撃的なプレースタイルで、川口などと違いハイボールの処理も得意とした。


そして故郷・群馬に戻り創世期のザスパへ

時は経ち、35歳を超え、いよいよJ1のトップレベルから遠ざかりつつあった頃、小島はまだ群馬リーグにいたザスパにやってくる。

2002年、リエゾン草津からザスパ草津と改名し、新たなスタートを切ったザスパで、鹿島から来たDF奥野(監督兼任)と共に、チームの大黒柱として活躍(コーチ兼任)。
やはり元日本代表で、群馬出身の小島の加入は名実ともザスパを一気に表舞台に押し上げた。

小島の目標はただ一つ。

もう一度Jリーグの舞台に立つこと。

そして関東リーグ、JFLと順調にカテゴリーを上げていったザスパはついに2005年、悲願のJ2入りを果たした。


怪我を押しながらも見事23試合に出場

しかし2004年のシーズン終盤、あの伝説の横浜マリノス戦で被った左膝の負傷は2005年シーズンが明けてもまだ完治しなかった。

シーズン序盤は期待の若手、ジュビロから移籍してきた(神戸からレンタルの形)前橋育英黄金期メンバーの岩丸が務める。

岩丸自体は決定的なピンチを寸前に止める反射神経に優れ、かなり良かったものの、チーム自体の守備への比重が崩壊し、3月、4月は大量失点での負けが続く。

そして5月、小島は怪我から復活する。

チームも2005年までの3バックに戻り守備が安定。
小島も念願のJリーグの復帰に活き活きとプレーを続ける。

しかし8月、再び膝を痛めてしまい戦線を離脱。

そして11月最初の天皇杯新潟戦にて復活。

この頃一応監督である手塚氏はチームを一気に若返らせ、ベテランを排除した4−4−2に切り替えていた。

しかしそれではまとめ役に欠けていたため、GKに経験のある小島を据え、そのままシーズン最後まで小島はザスパのゴールマウスを守り、念願のJリーグの舞台で堂々の23試合の出場(プラス天皇杯1試合)を成し遂げた。


怪我に泣いた1年、2006年こそはと期待されたが・・・

しかし怪我明けの小島のプレーにはかつての輝きは無く、明らかに今までなら止められていたところであっさり失点を許すような場面がかいま見えた。
私のHPでも酷評せざるを得ない事が度々あった。

加齢も確かにあろうが、それ以上に膝などの具合が悪化していたのだろう。
自らのイメージよりも前に出る事ができない、高く跳べない。GKにとって、この身体とイメージのズレは大きかったはずだ。
最後にはゴールキックもまともに蹴られなくなり、見ていて痛々しい所もあった。

結局2005年のシーズン終盤から始まった怪我と、その再発により泣いた1年となった。

2005年末、本人はまだまだ現役続投を希望しており、多くのファンはそれを願った。
小島の後継として期待された岩丸もレンタルでの移籍だったことが仇となり、福岡に移籍。
かといって岩丸ほどGK陣に力の入った補強もない。
これは小島の続投は絶対必要かに見えた。

しかし12月からぱったり小島親分の姿を練習場で見なくなり、てっきり平塚の自宅で長い休暇をとり、1年間分の家族サービスをふるまっているのかと思われたが・・・


悲しみにくれるファン

今回の事で多くのファンが泣いている。
昨年親しくメールを交換させて頂いている湘南ファンの方も、ずっと小島選手の事を応援し続け、それが縁で私のHPに辿りつき試合のビデオを交換貸与するなど親しくなる事ができた。

何よりも小島親分のいつ何時もファンの前では笑顔を絶やさず、1人1人に非常に丁寧に接してくれ、選手達の中でももちろん率先してムードメーカーとなった。

プレーでもそうだが、それ以上にその人柄に魅了されたファンは多い。

また、若白髪とヒゲの独特の風貌から中年層の励みとなったのか、圧倒的な支持を受けていた。
(実際は見た目より若いのだけど、あだ名は常にオヤジだった)


今後も群馬サッカー界の発展に期待

今年1年、しばらくは長い現役生活で戦い続けた身体を休ませ、また家族にもその笑顔を還元してもらいたい。

そしてたまにイベントやサッカー教室の場で小島親分の顔を、サインを、写真を撮らせてもらえればと思っている。


今後は自宅のある平塚と、地元の群馬という立地条件との兼ね合いもあるだろうが、群馬サッカー界の更なる発展に寄与して頂ければと、ますますの活躍を期待する。


まずはいったんここで

本当にお疲れさまでした
小島選手



(06.01.24UP)




たくさんの声援
鳴りやまない小島コール


平成18年3月11日(土)2006J2ホーム開幕戦の前に小島選手の引退フレンドリーマッチ&セレモニー開催

名物だった小島の顔入り弾幕の他に、”オヤジFOREVER"のこの日限定特別弾幕が・・・


(06.03.18UP)





〜2005シーズン当初の紹介文〜

チーム1の人気者・小島の親分

ザスパが群馬リーグからスタートした当初より草津にやってきて、3年間ザスパと共に歩んできた現・正GK。
小島は日本代表の第3GKとしてフランスW杯にも行った大変実績と経験の豊富なザスパの大黒柱的正GKであり、人気もチーム内で1、2を争う。
メディアがザスパを取り上げる時はやはり元代表のネームバリューが凄いため、必ずこの小島の名前が挙がる。


立ちはだかる年齢の壁

しかしいい加減年齢が如何ともしがたく、2005.2現時点で39歳。
正直2004シーズンのJFLリーグではもはやピークを過ぎた感が否めなかった。
いや、確かに元代表としての実力は確かなのだけど、それらのプレーを昔から見てきただけに、最近のプレーにはやはり衰えが見える。
超ベテランなだけに安定的な守備をするのかと見えそうだが、実は積極的な守備、一部では超攻撃的GKと言われるほどのプレースタイルが得意であり、そのための瞬発力、判断力などが年齢と共にズレが出てきているのではないだろうか。

しかし、そんな中でも天皇杯、セレッソ戦、マリノス戦で見せた奇跡のセービングの数々は素晴らしいものだった。やはり大一番での経験値が並みではない。


GKコーチ兼任

そんな小島の親分はザスパのGKコーチも兼ねるのだが、2004シーズン、なぜか教え子達に実戦の場を与えずに、常に小島は試合に出続けた。
もっと第2GKの北あたりを積極的に使うべきだったのではないだろうか。

そんな世代交代があまり進んでいなかったザスパGK陣だが、ついに小島の後継者、岩丸がやってきた。
小島の親分もこれで安心してGKコーチに専念してもらえればと思っている。

もういいだろう、小島。
ゆっくり身体を休めてくれ・・・
この地元・群馬のためにあなたが残してくれた事、伝えてくれた事、全ては2005年、J昇格によって具現化された。
これからが草津、群馬が全国に名を轟かせる番だ。
岩丸をはじめ、群馬出身のキラ星達があなたの意志を継いでくれる事だろう。
Jに行くまでは頑張りたいと言っていた小島。
J2でも最初のうちは正GKとしてピッチに立つだろうが、徐々に岩丸にスイッチしてもらえる事を願う。


代表の系譜

小島の豊富な経験を岩丸達に、その全てをたたき込んで欲しい。
各世代の代表だった岩丸は将来代表にもなれる器だと個人的には信じている。
(それまでにザスパがJ1に昇格する事が条件だろうが)


小島は今後も群馬サッカー界においてそのカリスマ的な存在を誇示し続ける事だろうし、その名は永遠に群馬サッカー界に刻み続けられる事だろう。



(2005.02.17UP)





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