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ザスパ草津 群馬出身メンバー紹介
NO.19→8(現役引退)MF
大谷 圭志


横棒


チームの引き締め役・ボランチ圭志

大谷 圭志(おおたに けいし)
生年月日 1983年4月17日
身長/体重 175cm/65kg
血液型 A型
出身地 群馬県伊勢崎市
利き足 右

〜経歴〜
前橋育英('99〜'02 '02ベスト4(怪我)・キャプテン)
FC東京('02〜'03)

−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)

J1FC東京
'02 J1
'03 J1

J2・JFL草津
'04 JFL・13(1) 天皇杯・2
'05 J2
'06 J2・4




〜元Fファンの勝手な批評〜

2006末、圭志無念の現役引退表明

それは本当にまさかのニュースだった。

1年でザスパ監督に復帰した植木監督は、1年目となる2006シーズン当初、最低10勝以上のノルマと、更にシーズン途中には目標の上方修正をし、2007シーズンにつなげるための12勝をノルマとあらたに設定しなおした。

しかし第4クール、横浜FCからの1勝の後にザスパは低迷し、植木監督は現有戦力での来季に向けての戦いに見切りをつけ、11月末、選手の大量の入れ替えを図った。

その放出リスト12人の中には驚くべきレギュラー級の選手の名前も多くあったが、私としては一番の衝撃はこの大谷圭志の放出に他ならなかった。

その後、私などの圭志ファンとしては他チームでの活躍、そしてゆくゆくはザスパから頭を下げて再度チームに復帰してほしいと願ったが、12月中旬過ぎにはネット上などで現役引退を表明。

まだ23歳であった圭志にとってはここが人生の分岐点。
家族を養う責務もあり、ここでサッカーに見切りを付ける事は確かに正解であろう。

大変残念な事であるが、圭志の今後の人生にエールを送ると共に、この圭志紹介・応援ページの最終回として2006シーズンの総括と、放出、現役引退までの事を綴りたいと思う。


2006、活躍しかけた圭志だったが

さて、実はもう既に圭志放出が発表されてから12/1に2006の総括については記述してしまっている。
同じような事を再度書き直しても仕方ないので、その時アップした文章を以下に貼りながら総括としたい。
(以下「12選手との来季の未契約を決定、レンタル2選手との契約継続ならず・・・2006.12.1UP」のコピー文を中心に、一部加筆修正)


2005シーズンは大怪我の影響もあり出場機会が与えられなかった圭志だが、2006シーズンは番号もレギュラー番号8に変更され、なおかつ2004シーズンの活躍をよく知るはずの当時の監督である植木さんが監督に復帰した事で否応なく活躍が期待された。

第2節のホーム第1戦でDF5チカの負傷退場から思わぬJリーグ初デビューを飾り、10節湘南戦ではスタメンを果たした。特に第3クール・ヴェルディ戦での司令塔MFマルクスを完璧に封じ込めたのは鮮烈であり、自他共に満点の出来だった。

いよいよこれから圭志がチームの軸となり、ザスパに一気に安定感が出てくるだろう、そう期待した矢先だった。

突然のライバルチーム徳島からのベテランMF30秋葉の加入。
これが圭志の全てを奪ったといっても過言ではない。

ヴェルディ戦の活躍は全て無かったかのように圭志の存在は忘れられ、秋葉はやはりシーズン途中からの加入のためか出来が今ひとつで何一つ結果を残さないにも関わらず絶対スタメン固定。
もともとザスパのボランチ陣はチーム内でも一番層が厚かったため、その後レギュラーに固定されてきたMF18櫻田などにもおされ出場機会が全く無くなってしまった。


繰り返されてしまったアンカー圭志の不在によるチームの不振

あの一連の流れは、このHPでも散々訴え続けてきた事だが、全くの不可解。
今年のザスパの一番のマイナス要素だった。

何よりも、結果が全てを物語るのではないだろうか。
圭志が全く出なくなり、秋葉が絶対固定された第3クール終盤から現在に至るまで、急にチームの勢いは失速、勝利はわずかに1勝のみ。
チームは全く安定感を欠き、ベテラン秋葉自ら決定的なミスを連発しチームを危機においやった。

もしこれが圭志だったならどうだっただろうか。
少なくとも、最終戦を残して未だ10勝目をとれていない今の状況よりは、2、3試合は勝ちを拾えていたのではないだろうか。(たら、ればはスポーツの世界では禁句ともされるが、これは個人的なHPだ)
まさにあの、2004年JFL時代、圭志が怪我で離脱してからチームは一気にもたつき、そしてついにはHondaFCに大逆転で2位の座を無惨にも奪われたあの悲劇と全く同じだった。



ザスパの中で唯一安定したアンカー役を務める事ができる圭志のこの放出はあり得ない。
本人も自信を持つ左右の正確な中長のキックにより、もっとザスパ得意のサイド攻撃も活きた事だろう。

圭志は間違いなく近い将来のザスパの次期キャプテンとして長年にわたってチームを支える存在となり得たはずだ。


これも運命か・・・怪我に泣いた選手

本当に怪我に泣いた選手だった。
自らキャプテンを務めた前橋育英が全国ベスト4まで進んだ際も、圭志は怪我で選手権を出る事ができなかった。

これが運命なのだろうか・・・

まだまだ若い圭志には新天地で是非とも復活して欲しい。
できることならザスパから頭を下げて戻ってきて欲しいとお願いされるまでに見返して欲しい。

本当に・・・アホかフロント。
これほどの地元出身の有望株を手放すとは。
この圭志の放出という事実1つだけでザスパのチーム作りは今年で逆にマイナスになったと私は断言する。
何が育成重視だ。
どこが育成だ。
何がチームに残り、何が来年に繋がるんだ。
この大罪を越えるミスはもうしばらく無いだろう。許しがたい。


圭志の第二の人生に幸あれ

まだまだ大学新卒の年齢層にあたる圭志の、現役引退、転職への選択。
これからは自分のサッカー選手としての生活から、家族を守るための生活へと変わっていくのだろう。

これまでのFC東京での下積み、ザスパJFL時代での草津での経験、そして2年間のJリーグでの経験はこの先長い人生の中で活きていく事だろう。

地元のサッカーチームなどでサッカーは続くかもしれないし、これからはもう圭志個人としてそっとしておく他ない。


圭志に才覚があったのも確かならば、怪我に泣かされた事もまた確かな事実だ。
就職倍率が愛知、東京に次ぐ3位に位置づく好調な群馬では、本人の頑張り次第で仕事は多種多様に選べる事だろう。
今後はまた第二の人生に頑張ってもらいたい。




(2007.02.03)






(以下、2005年以前の紹介・応援文)


2005の大谷圭志の総括

2004年11月5日、J2昇格を目指しJFLで死闘を繰り広げていたザスパは、昇格の条件となっていた2位以内を確保するために非常に重要な、首位大塚製薬(現・徳島)との天王山をホームで迎えた。

その戦いは2−0で快勝したわけだが、試合途中、圭志が全治8ヶ月という重傷を負い、その後圭志の離脱と共にザスパは戦績を落とし、結局はぎりぎり3位という結果になってしまった。

まさに2004年は圭志の加入と共に戦績を延ばし、圭志の離脱と共に戦績が落ちたという、圭志の存在の大きさを示す上で象徴的な1年であった。


圭志不在のまま苦戦するザスパ

怪我が完治しないまま迎えたJ2入り1年目の2005。
圭志はとにかくリハビリにつとめ、そしてサテライトリーグで調整などを続けた。
てっきり夏のうちには復帰するものと思われた。

チームはというと、シーズン序盤から攻撃的な作戦を打ち立てた手塚氏のプランが見事に崩壊し、大量失点による敗戦が続いた。

特にボランチのポジションでの人材難はこのHPでも当初から懸念していたとおり深刻で、シーズンを通してキャプテン鳥居塚が務めはするものの、本職が攻撃的な司令塔である鳥居塚では守備の要としてはなかなか機能しない。

鳥居塚をセンターMFとしてパスの配球役、守備から攻撃への繋ぎ役に徹っしさせるためには、もう一人のボランチとしてアンカー役となる守備的MFが必要だ。


その守備的MFがザスパにはいなかった。
鳥居塚以外となると#8小久保か#5氏家となるが、小久保は鳥居塚同様、本職は攻撃的MF。
対して氏家は好不調の波があり、好調な時は驚くほどのパフォーマンスを攻守に渡ってみせるが、この不安定さは守備的MF向きではない。

そもそも圭志が怪我で離脱する2005シーズン、この補強の内容では苦戦するのが目に見えていたのに、そのまま放置されてしまった結果だった。


夏、秋と過ぎていくが・・・

もはや圭志の復帰以外にこの問題の解決はないと見ていたが、なんと夏になっても圭志がトップチームで出場する事はなかった。

試合の日には顔を見せる本人の姿や、サテライトでの結果をみると既に復帰しても良さそうなのだが、しかし起用されない。

まだ完調ではないのか?と思ってもいたが、秋になると紅白戦などにも出るのに、それでも起用されない。

この頃になるともはや私も我慢の限界を通り過ぎたわけだが、10月になると決定的なショッキングな発表があった。


サテライトチームに合流

なんと10月19日、圭志含め5名のトップ選手がサテライトチームに合流となった。
つまりは2軍落ちだ。

この時期に、この合流の意味するところはただ一つ。
残りの試合ではこの5名は起用しない、ということだった。

もうこの頃は圭志は試合に出られるほどコンディションも上がっていたはずなだけに、この発表はショックだった。

もはや呆れてものも言えない事だった。

なぜ、これほどの選手を擁しながら試合に使わないのか。
チームがうまくいっているのならともかく、これだけ成績も悪いというのに。

この頃はもはや自分も手塚氏に対する期待も何もなく、ただただ、シーズンが終わり、早く来シーズンを迎える事だけを願う日々となっていた。


そして圭志は草津で半日働きながら、半日チャレンジャーチームでサッカーをするという日々を送り、シーズンを終えた。
チームもこの発表の後、シーズン終了までの7連敗という最悪の結果で幕を閉じた。


2006の圭志の展望

2005年は圭志にとって非常に我慢に我慢の年となってしまった。
まあ2004年の怪我を思えば、これくらいの足踏みは仕方なかったのかもしれない。

ザスパのボランチの層は#8小久保と#5氏家の放出によりますます薄くなり、#6鳥居塚、チャレンジチーム上がりの魔法の左足を持つ#25櫻田、そしてセレッソ大阪から新加入のMF中井となっている。

櫻田も鳥居塚同様、守備的MFとしての役割は担えないため、実質中井と圭志の一騎打ちといったところか。

更に言うなら、2004年の実績を見る限り、植木監督は圭志をボランチに据える事を当然考えていることだろう。

2005年という実戦からのブランク次第ではあるが、問題がなければ当然開幕のスタメンを担うべき男だろう。


圭志がボランチに固定され、チームに安定をもたらせば、自ずと結果はついてくるだろう。

圭志がいること。
それが2005年と2006年のザスパの大きな違いと言えるだろう。
それはもはや違うチームである、とさえ言える。

生まれ変わったザスパの象徴として、圭志のフルシーズンでの活躍が期待される。



(06.01.19UP)






〜2005シーズン当初の紹介文〜


2004ザスパに飛来した救世主・圭志

2004シーズンのザスパはシーズン当初は好スタートを切り、連勝街道を突き進んだ。
が・・・5月23日、鬼門の群馬FCホリコシとの群馬ダービーで引き分けて以来、5〜6月は魔のシーズン(2敗3分)にはまった。
山口、小久保、鳥居塚の中盤3人のバランスが崩れはじめ、特に足りなかったのが中盤での効果的なプレスだった。それもそうだ、3人とも本職が司令塔なのに、そのうち2人がボランチにならないといけない。だからプレスをかけても何か単独でいっているだけの印象が目立った。

そこに登場したのが、圭志。
まさにJ2に上がるためにFC東京からレンタルで招集され、圭志がボランチに入る事で中盤の守備が突然効率化された。縦に組む形となったキャプテン鳥居塚は前目のポジションをとる事ができ、そのテクニックを発揮できるようになった。やはりもともと守備の選手ではない。

初戦の佐川大阪戦(6/26)での名刺代わりの一発を入れてからは圭志は守備に専念した。
ファンからするともっと攻めて欲しい気もするが、しかしその代わり鳥居塚が攻めで機能でき、事実結果がついてきたので、やはりその戦略は正しかった。


歓喜の大塚戦の陰に・・・突然の重傷

圭志加入後、13戦のうち、負けはわずか群馬ダービーでの1敗だけという、驚異的な記録をザスパはうち立てた。
同時期に頭角を現したエース・吉本の功績をたたえるファンも多いが、やはり圭志抜きにはこの快進撃は語れないだろう。

そして迎えた大塚との天王山。(11/5)
独走となっている大塚、そしてJ2では再び相まみえる大塚をホームに迎え、しかもアウェイでは負けているザスパは絶対負ける訳にはいかない。もし勝てれば2位以内の確保に大きく前進できるという最重要なこの試合の前半、圭志に突然の悲劇が襲った。

利き足である右足の右前十字靭帯、内側副靭帯断裂、外側半月板損傷で全治8カ月という、あまりの突然の重傷となった。
試合は2−0で快勝しファンは歓喜したが、その陰にここまでの犠牲が出ようとは・・・


圭志の離脱がザスパ3位の原因?

その後、ザスパは勢いに乗り、天皇杯でJ1のセレッソ大阪にも勝つという快挙となった。
しかし、ここでチームの緊張の糸が切れ、あと1勝さえすれば2位以内確定となった残り3戦、ザスパはなんと1分2敗となり、しかも最終戦の3位HondaFCとの直接対決ではご丁寧にも0−3という3点差をきっちりつけられ、まさかまさかの3位転落となった。

この原因が圭志の離脱でなくして何だろうか?
圭志はまさにチームの引き締め役だった。DFラインからいくら引き締めても、チーム全体が引き締まなくては守り切れない。
圭志という中盤の底での役割は引き締め役に絶対必要なポジションだ。
再び守備に重点を置かざるをえなくなったキャプテン鳥居塚も、その役目は果たしきれなかったという事だ。
正直なところ、圭志と鳥居塚の体格差を見ればある程度は分かるのではないだろうか。

圭志の守備の貢献度

本当のぎりぎりの球際でのボール奪取、人に対する強さ、厳しいプレッシャーを受けた中でのキープ、それを要求されるのが、圭志のポジションであり、結局2004のザスパの中では圭志以外にいなかったわけだ。

これは決して鳥居塚が悪いわけでなく、圭志の穴を埋めきれず、周りのフォローもなかったチーム全体に原因がある。
自分ならばリベロの”草津の壁”小田島を2人のストッパーの前に置き、重戦車としての圭志の守備面の役目を担わせ(横浜マリノスの松田をイメージ)、鳥居塚にはテクニックを活かし繋ぎ役として圭志の攻撃面を担わせるといった考えが思いつくが、まあ所詮素人の考えであり、シーズンの真っ最中にそんな方針変更ができなかったのだろう。

8月に1−3でホリコシに惨敗した後も、6月の時のように不調に陥る事なく、ザスパは惨敗の影響を全く見せずに連勝した。
その6月と8月のザスパの違いはやはり圭志がいたか、いなかったかだろう。
圭志はそんなチームの不調時でも踏ん張れる力がある。
まさにチームの引き締め役として、どれだけ重要だったのかがわかり、結果論だが、圭志がいたならば少なくとも残り3戦、勝ちがなかったとしてもあんな悲惨な結果にはならなかっただろう。
佐川大阪戦は引き分けにできた可能性が高いし、HondaFCに3点もとられる可能性もほぼなかっただろう。
結果論、「たら、れば」と重々わかっていても、これだけは言わずにはいられない。


2005の展望

このとおり、絶対的にチームに必要な圭志の力。
しかし全治8ヶ月という事は、早くても夏のうちに復帰できるかどうかだろう。
筋力は否応無しに衰えるし、本人の想像を絶するリハビリの日々が夏まで続くだろうし、そのリハビリ次第で復帰は全く違ってくる。

その間、チームはJ2で頑張らなければいけないが、まず穴を埋めるであろう選手は大宮から加入のMF氏家(元横浜FLUGELS)。
ただ私からしても氏家が守備面で安定的な力を発揮するとはとても思えない。
(氏家は前目の攻撃で力を発揮するタイプだと私は見ている)
やはり上記で述べたような小田島の前目のポジションでのリベロ守備など、チーム全体で中盤の守備を考えなければいけないだろう。
ただ単に氏家に圭志の代わりを任せるだけではJ2相手に通用するとはとても思えない。

2005のザスパの最重要課題だろう。
そもそも守備陣に補強がないのはどういうこった?
そんなに今の守備陣は堅固か?
絶対固定か?

私は”草津の壁”小田島以外は決してJ2で十分通じる守備陣とは思っていない。
豊富すぎる攻撃的MF陣、FW陣(あとGK陣)に対して守備的MF陣、DF陣はあまりに手薄だと思っているし、ザスパファンのほとんどがそう感じているだろう。

課題だ・・・



圭志、早く帰ってきて欲しいが、とにかく怪我をしっかり治してくれ。
そして、鳥居塚の後のキャプテンは・・・おそらく圭志だ。圭志が適任だ。


余談・双子の弟・圭志

この事は圭志を語る上で避けて通れないが、圭志には双子の兄、昌司(鹿島→新潟に2005レンタル)がいる。
圭志が守備的MFに対して、昌司は攻撃的MF。
弟の圭志は育英ではキャプテンだったが、'01-'02選手権では怪我で残念ながら欠場となった。
しかし圭志のいない守備の穴を兄のMF昌司や広島に行ったMF須田、そしてザスパで再会したMF佐田ら、”タレント集団”と呼ばれたチーム全員が攻撃的な姿勢で埋め、ベスト4にまで進んだ。
しかし当時の育英はあまりにチームがバラバラという感じだった。
2004の圭志のプレーを見るに、もしあのチームに圭志がいたなら、きっと全く違うチームになっていたのではないか?
群馬県勢悲願の初の決勝進出ももしかしたら・・・

圭志はキャプテンとしてチームに安定をもたらすあまりに大きい存在だったのだろう。
そして今のザスパにもそれが言える。


(2005.02.08UP)





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