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ザスパ草津 群馬出身メンバー紹介
2014シーズンで現役引退発表・・・
GK
岩丸 史也


横棒


ユース時代からのサラブレッドGK岩丸

岩丸 史也(いわまる ふみや)
生年月日 1981年12月4日
身長/体重 186cm/85kg
血液型 A型
出身地 群馬県藤岡市(藤岡西中)
利き足 右

〜経歴〜
前橋育英('97〜'00 '99、'00連続ベスト4)U-17,18
神戸('00〜'04.9)U-19,20,22,23
磐田('04.9〜12)
ザスパ草津('05)
福岡('06')
横浜FC('07〜'10)
熊本('11〜'12)
長崎('13)
 ザスパ('14〜)

−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)

J1神戸
'00 J1
'01 J1
'02 J1 カップ・1
'03 J1・1
'04 J1・6 カップ・2

J1磐田
'04 J1・7 天皇杯・3

J2草津
'05 J2・21 天皇杯・1

J1福岡
'06 J1 カップ・1

J1、2横浜FC
'07 J1 カップ・1
'08 J2・4
'09 J2・17
'10 J2

J2熊本
'11 J2 天皇杯・1
'12 J2・4 天皇杯・1

J2長崎
'13 J2・3

J2ザスパ
'14 J2

 
14.01.12新春ドリームマッチ群馬2014−remember松田直樹−
久々に敷島のピッチに戻ってきたGK岩丸



〜2014シーズンをもって現役引退発表〜

残念ながら現役引退発表・・・

8年ぶりにザスパに帰ってきた岩丸だったが、1年での在籍をもって残念ながら引退となった。

2014シーズン、ザスパのGK陣は激震が走った。

これまではJFL時代からザスパ一筋の摩天楼・北一真を軸とし、そこに内藤らが守護神のポジションを争う、というか流れによって交互に出るような感覚だったが、第3GKの位置にいた若手GK富居が、7月の天皇杯での栃木戦、特にPK戦を制した事で一気に頭角を表し、その後は天皇杯でのレッズ戦をはじめ、一気にポジションをゲットし、そのまま不動の正GKの位置を手にした。

いよいよ引退もあるかと思ったが、ベテランになる北一真は契約を更改したものの、内藤は契約更改なしとなり、そして結局富居の台頭ですっかりと存在感の無くなってしまった岩丸は、そのまま現役引退となった。


1月の松田直樹メモリアルゲームでは、まだまだ元気なプレーを魅せてくれていただけに、私としては岩丸がピッチに立つ姿が待ち遠しかったが、残念ながらの現役引退となった。

奇しくも、2015シーズンは前橋育英の同級生・松下裕樹がザスパに復帰するわけで、ダブル坊主のピッチでの姿を一度は観たかっただけに本当に悔やまれる。



本当に、2005シーズン、あのままザスパにいてくれたなら、本来の紺色の十本指の正当な継承者となったはずだったが、ザスパを離れたばかりにその活躍の場を失う形となり、どのチームでも控えGKの座を渡り歩く事となってしまったのが、本当に残念。

GKという特異なポジションの難しさが、岩丸の経歴をみるとしみじみ分かる。

サラブレッドの実力を持ちながら、その実力を十分には発揮しきれなかったGK人生だったが、苦労した人間だからこそわかる世界もある。

この先は指導者の道なども含め、まだ岩丸の活躍の場はあるだろう。

岩丸選手、15年の選手生活、お疲れ様でした。




(2014.12.24UP)




〜8年ぶりにザスパに復帰!!〜

お帰り!!岩丸!!!

まさにクリスマスプレゼントだった。
2005シーズンにザスパに在籍したGK岩丸がなんと8年ぶりのザスパ復帰。

思えば2005シーズン、GK小島の控え的位置づけでありながら、その小島の怪我をカバーするように21試合でゴールマウスを守った岩丸の姿はまさに鬼神だった。

ただし2005シーズンは神戸からのレンタル扱いだったため、てっきり1年での完全移籍はほぼ決定的だろうと当時確信していたが、なんと1年での放出となった。

やはりレンタルという契約がネックとなったのか、当時の私としてはせっかくのこの各世代での代表GKを務めてきた地元出身のサラブレットをここで手放してしまうのかと、非常にガッカリしたものだ。



だが、こうして再び岩丸の復帰が奇跡的に果たされた事に感謝したい。

再び岩丸の雄姿を敷島のピッチで観られるチャンスが来た。

その奇跡に感謝しつつ、少し岩丸のここまでの経緯を書きたい。



2006〜2013シーズンの総括

2006シーズン、神戸に移籍した岩丸は水谷に正GKの座を獲得し、出場機会を得られないまま福岡とレンタル元の神戸から戦力外通告を受ける。

2007シーズンには、J1に初昇格した横浜FCに移籍するが、当然このJ1の1年目はあの菅野がいた。
2008シーズン以降は菅野も柏に移籍したが、小山や大久保、そして2010シーズンにはシュナイダー潤之介と関の加入でセカンドGKの座すら厳しくなった。

そのまま2011シーズンからは熊本へと移籍となったが、ここにはあの南雄太がおり、2年間南の控えの扱いとなった。

2013シーズン、Jリーグ入りした長崎に加入し、いよいよシーズン当初は正GKの座を掴んだかに見えたが、開幕から連続でファンブルを犯すミスなど、どうも本調子ではなく、すぐに金山に正GKの座を奪われる事となってシーズンを終えた。


ザスパを出た2006シーズン以降、どうも岩丸は正GKを掴み切れないまま悔しいシーズンを送ってきたようであり、まことにファンとしても悔しい思いがある。




2014シーズン、北と内藤の壁を越えられるか

さて、ザスパに移籍した2014シーズンの見通しとなるが、ここ近年、すっかりとザスパの正GKは北一真が据えられている。
サポータからも正GKの証である”紺色の十本指”の応援歌を贈られ、その位置は不動のモノに見えるし、後藤涼もいなくなり、櫻田和樹も引退した今のザスパの中では、もはや草津温泉で仕事しながらサッカーの鍛錬をした経験を持つ男はこの北一真だけとなったわけで、古参のサポータからもその存在は圧倒的だ。


しかし、2013シーズンも一時そうであったが、どうしても北は安定感に欠ける。
調子が良い時はミラクルセーブを連発するし1対1にも強いが、調子が悪いというかメンタル面的なものがあるのか、致命的なミスが垣間見える。
忘れもしないが、左サイドバックでようやく活躍しようとしていた星野悟に対し、あの無茶ぶりなスローイングでのパスからの、カットされての失点は今シーズン一番のミスだ。
それもやはり、致命的にキックに自信の無い事が要因として挙げられる。


そんな時は守備の立て直しでは度々内藤がピッチに立った。
自分としては安定感では内藤の方が数段上ではないかと思っている。

つまり北一真もそこまで絶対的な正GKのポジションではなく、岩丸とどうポジション争いが行われるかが見ものとなる、

もう年齢も考えると、ここで絶対的な正GKを勝ち取る結果が欲しい岩丸。

2005シーズンに見せてくれた、あの数々の至近距離からの軌跡的なセーブをもう一度観たい。

常澤聡と同じく藤岡市出身で、前橋育英OBの岩丸にこそ、紺色の十本指の正当な系譜がある。





(2013.12.31UP)




〜元Fファンの勝手な批評〜

残念ながら移籍・・・ザスパでの岩丸の活躍を振り返る

非常に残念でしかたない。
大ベテラン小島が引退を表明し、今一番ザスパに必要な戦力がわずか1年で放出となった。

もともと岩丸は神戸からのレンタル。
このレンタルが仇となってしまった。

しかし、岩丸は本来は代表の器もある男。J2最下位のチームにいつまでいるべきではないことは分かっていた。
でも早いよ、岩丸・・・
せめてもう1年はいて欲しかった。

岩丸の移籍を惜しみつつ、昨年1年の間に見せてくれた岩丸の功績を振り返りたい。


2006の岩丸

川口不在のジュビロ磐田でしっかりと実績を積んだ岩丸は小島の後継者としてザスパにレンタルで移籍してきた。

2004シーズンまで正GKであった小島は未だ足の負傷が癒えず、開幕から岩丸はザスパのゴールマウスを守る。

しかしJ2に入ったばかりで浮き足立つザスパは、事もあろうに守備を固めるよりも攻撃でねじ伏せる作戦に打って出た。

常にすっかすかの4バックの真ん中を破られ、チームとしてのヘディングの能力が弱く、セットプレーでもフリーでシュートを打たれる場面が続く中、3失点、4失点の大量失点の試合を重ねた。


小島の復活でサブに甘んじる

守備が崩壊する中、3月、4月でなんと9試合で1勝8敗。

そして5月にベテラン小島が怪我から復活し、まるでこれまでの大量失点の責任をとらされるように、その後8月まで岩丸はずっとベンチに座る事になる。

皮肉な事に、この頃からザスパは3バックに戻り、守備が一気に安定。
引き分けや勝ち星をそこそこ稼ぐ事ができるようになってきた。

このタイミングの悪さから、やはりザスパのゴールマウスは小島、というイメージが定着し、岩丸の評価がますますマイナスに転じた。
そもそもGKというポジションが1つしかない事が不運であり、小島はザスパの恩人であり、その存在は内外ともに絶対だ。
地元出身であるにも関わらず、今一つサポの支持が高くなかったようにも感じたが、おそらくこの小島の人気の壁が厚かったせいもあったのかと今は思う。


小島の怪我の再発で復帰、そして活躍

そして8月、小島の怪我が再発し、再び岩丸に出場の機会が訪れる。

岩丸はこれまでの長いベンチ生活の憂さを晴らすように、そして世間に自分の実力を示すように、鬼神のごとくゴールを死守する。

しかし9月から#11FW御給が攻撃の核に据えられるといった悪夢のような時期が続き、攻撃陣は全く点が取れない。

岩丸の育英時代からの親友であり、この2006シーズンからキャプテンとなった#14FW正美がベンチで歯がゆい思いをする中、とにかく手塚氏の策の無さが災いし、無得点の試合が続く。
本当にこの頃のザスパの試合はつまらないの一言だった。


このようにチームが低迷する中、岩丸は1人輝き続けた。

とにかく1対1を止めまくる。
岩丸が前に詰め、相手攻撃陣にプレッシャーをかけた場面では、必ず岩丸は一発目のシュートを止めるか、必ず手に当てる。これを私はファーストコンタクトに絶対の強さを持つと勝手に言葉をつくって評価した。

攻撃が全く繋がらず、当然相手の攻めが延々続いたにもかかわらず、ほぼ岩丸の活躍だけで1失点以内に抑えた試合を重ね、スコアレスドローに持ち込んだ試合も2試合あった。
本当に、攻撃陣が点さえ取れば、岩丸の活躍はもっと光った事だろう。

9月24日のアウェ−横浜戦では0−1で負けたにも関わらずJ’sゴールのJ2ベスト11に選ばれたほどだ。

これらの岩丸のプレーを見れば、誰もが岩丸のその高い実力をわかった事だろう。
やはり岩丸は正真正銘のサラブレッドだった。


小島の復活でシーズンが終わる

これだけ岩丸が活躍をするなか、しかしチームはなかなか勝ち星を積めない。

攻撃陣を厚くするためか、10月5日の甲府戦では再び4バックにし、またもやあの悪夢の鳥居塚1ボランチ。
当然この試合は1−2で負けとなる。

このように手塚氏の采配はますます迷走。
10月はスコアレスドロー2試合の他は全て敗戦となる。

この低迷を払拭させるため、最後の切り札ベテラン外し(#9山口、#6鳥居塚)とチャレンジャーチームからの若手の起用による4−4−2の採用に踏み切り、ベテランを外した経験不足を補うかのように再び怪我から復活した大ベテラン小島を起用する。

しかし小島の怪我はどう見ても完治はしていなかった。
小島の持ち前である前への飛び出しや、ハイボールの処理に乱れが出る。

今までゴールを守ってきた岩丸ならギリギリ防いでいたはずの相手のシュートがいとも簡単に入れられてしまう。
小島のせいだけにはしたくはないが、しかし岩丸ならば防げた失点が何点もあった。

そうして岩丸がスタメン落ちしてからチームは6連敗。

岩丸は怪我という情報は無かったが、なぜかベンチにすら座らずにこのままシーズンを終える。


2006、期待していたが

結局岩丸の2005ザスパでの1年は、頑張りはしたが、チームの戦績にはなかなか繋がらず、正当な評価を受けなかった感がある。

2006は監督も変わりザスパの飛躍が期待されるが、当然GKには岩丸がいる事こそが私のヴィジョンには不可欠だった。

しかし、レンタルという契約形態も仇となり、J1に昇格した福岡に移籍となった。

小島のサッカーダイジェストのコメントにもあるとおり、間違いなく岩丸は代表の資質がある男だ。
いつまでもザスパという地方の弱小チームにいるべき男ではない。

J1に昇格した福岡への移籍は当然”栄転”だ。
おそらくJ2の試合での岩丸のプレーをみて、福岡のフロントも認めてくれたのだろう。

こんなにも早くお別れになるとは思ってもいなかったが、将来の代表を目指し福岡で更なる活躍を期待したい。

福岡には正美と同様、育英で全国連続ベスト4を一緒に遂げた同級生、MF松下がいる。
チームにもすんなり合流できる事だろう。

岩丸の未来の代表入りを期待すると共に、再び岩丸のような人材を迎え入れられるようなチームにザスパが成長する事を願いたい。

素晴らしいプレー、スーパーセーブの数々をありがとう。
そして、いつかまたザスパで。



(2006.01.27UP)




〜2005シーズン当初の紹介文〜

小島の親分の後釜・岩丸

まず現・ザスパ草津の正GK小島の親分の事についてはじめる必要があるだろうか。
小島は日本代表の第3GKとしてフランスにも行った大変実績と経験の豊富なザスパの大黒柱的正GKだ。
しかし年齢が如何ともしがたく、2005.2現時点で39歳。
正直2004シーズンのJFLリーグではもはやピークを過ぎた感が否めなかった。
いや、確かに元代表としての実力は確かなのだけど、それらのプレーを昔から見てきただけに、最近のプレーにはやはり衰えが見える。

そんな小島の親分はザスパのGKコーチも兼ねるのだが、なぜか教え子達に実戦の場を与えずに、常に小島は試合に出続ける。
もっと第2GKの北あたりを2004は使うべきだった。

そんな世代交代があまり進んでいなかったザスパGK陣だが、ついに小島の後継者が表れた。
それが岩丸だ。


各世代での代表

岩丸は前橋育英時代から数多くの、各世代での代表となっている。
やはりその恵まれた体躯と、資質を買われてのことで、U-17からU-23までその経歴は輝かしい。
もちろんその中には、マッスルFW正美、MF松下(広島→福岡)、MF茂原(柏→広島)らと共に勝ち進んだ2年連続高校選手権ベスト4(私はこの時を育英黄金期と呼んでいる)という実績もある。

しかし、結局はプロに入ったのち、現代表の川口や楢崎のように若いうちに頭角を現すことはできなかった。

そもそもGKというポジションはある程度の経験を必要とされ、若さというものが他のポジションでは武器になるのに逆にGKでは敬遠されがちだ。


神戸で不遇も、磐田レンタルで開花

よって何かのきっかけなどが無いとなかなかチャンスは巡ってこない。
神戸では長い間正GK掛川がいたのでそのチャンスが岩丸には来なかった。
自分としては岩丸が掛川に劣っているとは全く思わない。
(特に2002年の神戸は平野がいたのでよ〜く観ましたが)

そして2004シーズン、後半ではついに神戸と決別、ジュビロにレンタルが決まる。
正GK佐藤洋平の怪我により早速出番が回ってきて、すっかり定着した。
元祖・王者ジュビロで岩丸はフィットし、まさにトップチームでの経験と実績を積む事ができた。
2004はまさに転機の年といえるだろう。


その後年末に入り、天皇杯準決勝からは洋平の復活で再びベンチとなり、更に北欧を放浪していた川口がアジア最終予選となる2005での代表レギュラー定着のため、国内での安定した地位を求めジュビロに移籍。
(個人的にはずっと北欧旅していればいいんじゃないかと思ったが)


2005、いよいよザスパで岩丸の真骨頂

いよいよ岩丸やばいな〜と思っていた矢先に、ザスパへレンタル決定。
これはもう佐田や圭志と同じく、1年後の完全移籍はほぼ決定でしょう。


実力も実績も十分。
あとはチームでの安定したキャリアアップのみだ。
GKの層が厚いようで実は一番薄かったザスパにとっても、岩丸にとっても、互いに非常にいい移籍といえる。
元代表の小島の親分からきっちり教え込んでもらい、ゆくゆくは代表にも呼ばれるような選手になって欲しい。


期待しているぞ、岩丸。
これから末永く、ザスパのゴールマウスは任せた。



(2005.02.10UP)





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