TOPへ戻る>>ザスパクサツ群馬のページへ




ザスパの一ファンが考える
”キングダムサッカー”とは


横棒


キングダムサッカーとは何か

2016年6月8日の北九州とのアウェイ戦で、ザスパが魅せたサッカー、それがエース瀬川を冠するキングダムサッカーだった。

最近になっても、私がよくHPで書くこの「キングダムサッカー」とは、では一体何なのか。

正直、キングダムサッカーという言葉に明確な定義があるとは思えない。
漫画などの中から生まれていき、じんわりとサッカー好きの間で広まっているものの、解説者、評論家などの、いわゆるサッカーで食べているプロの人の口から、このキングダムサッカーという言葉が出てきたところは聞いた事が無い。
よって、サッカーを語るファン、サポータ、それぞれの思い思いのキングダムサッカーがあるだけだと思う。

ここで書くのは、そんないろいろなキングダムサッカーの中で、あくまでザスパクサツ群馬の一ファンが、今、現時点で考えるキングダムサッカーというものを書きたいと思う。


まず、キングダムサッカーという言葉が世に出たのは、やはりかの有名なサッカー漫画「シュート!」で2000年から始まった第4部での、奇跡の左を持つ伊東ヒロを中心とした九里浜学園のサッカーを称して、「キングダムサッカー」と漫画の中で名が付けられた事が初めだろう。

それは1986年のメキシコW杯でのディエゴ・マラドーナを中心とし、そして見事優勝を獲ったアルゼンチン代表を重ね合わせてのキングダムサッカーという名称だった。
(伊東ヒロも、マラドーナと同じく、左足しか使わないという特異技を持つので、明らかにマラドーナを意識したシュート!第4部だった。)

”キングダム”、、、和訳すると”王国”
つまり、王を冠しなければ、王国とはならない。
キングダムサッカーとは、王が君臨するサッカー、という直訳になる。


一般的な定義としては、マラドーナのような圧倒的な存在感を持つメイン選手にとにかくボールを集め、そこを起点としてほぼ全ての攻撃を展開していく、それがキングダムサッカーの分かりやすい一般定義だろう。

特にメキシコオリンピックの時のマラドーナは、代表チームにおける選手選考にも影響を与え、マラドーナのためにプレーし、走れる選手ばかりを集めさせられたため、あのマリノスでも活躍したラモン・ディアスは、自らの得点を追うという、FWとして当たり前の精神が強すぎるあまり、マラドーナから敬遠され、代表から外されるという有名な逸話までも作った。


そう、キングダムサッカーとは、とにかく王様が全て。

チームは王のために存在し、王が120%の力を発揮するために、周りの家来たちは献身的なプレーを求められる。

それが一般的にキングダムサッカーに求められる条件の一つといえるだろう。




アニマウ・エジムンドの2002年ヴェルディ

そのマラドーナのアルゼンチン代表以外に、私がこれぞキングダムサッカー!と感嘆したサッカーが過去に一つある。

2002年のヴェルディだ。

そのヴェルディが2001年、J1からの降格の危機に瀕していた時に、急きょ補強したのが、ブラジル代表で名高い、アニマウ・エジムンドだった。

エジムンドはシーズン終盤の5試合で2得点と早速結果を残し、ヴェルディの奇跡の残留に大きく貢献すると、翌年の2002シーズン、ヴェルディはまさにエジムンドのエジムンドによるエジムンドのためのチームとなった。


もうだいぶ記憶もあいまいなので、当時の記憶に鮮烈に残っている印象だけで書く事になるが、通常エジムンドといえば世界最高峰のストライカーなのでFWもFW、最前列のセンターフォワードで起用するわけで、ヴェルディも当初はそうやって起用してきたが、シーズン途中であえてエジムンドを1.5列目や2列目に配したその布陣は、当時の自分にとっても本当に鮮烈で、斬新で、画期的だった。

通常の起用方法であるセンターFWにつかせれば、相手はそれこそ2人でも3人でもマークを厚めに配置し、エジムンドを抑えにいくであろうところを、2列目に置かれてしまっては、DFラインなのか、ボランチ、アンカーなのか、そもそものマークにつくべき人間があいまいになる。

もともと当時のヴェルディには、マルキーニョスや平本、桜井といった優れたFWがいるため、まずはそこのマークだけでも手を焼くのに、エジムンドが2列目にいられては、そのFWへのマークと、エジムンドのマークとでギャップを生じさせられてしまい、そして何より相手にとって恐怖なのが、エジムンドが最前線でのポストをしないで済む事で、エジムンドが常に前を向いてプレーをしてしまう事だった。


マルキーニョスや平本らが落としたボールを、前を向いて受けたエジムンド・・・

ようやくフランスW杯の頃からW杯にも出場するのがやっとで、まだまだ世界が遠かった当時のJリーガー達にとって、これは本当に恐怖だったことだろう。

左サイドバックには相馬直樹、右サイドバックには田中隼磨という、リーグ屈指のサイドアタッカーにボールを散らす事も出来るし、FWや、2列目から出ていく永井秀樹、小林大悟、山田卓也らにパスも出せる。
そんな多くの選択肢を持ちながらも、やはり真骨頂は、アニマウの名に恥じない力強いドリブルで2、3人のマークをものともせずに突破していってしまう強さ、そして、ピッチの誰よりも優れた得点能力により、まさにシャドーストライカーとして点を常に狙う、まさに野獣。

このサッカーを観た時、単純に得点能力が高い選手を最前列に配置すればいいだけではない、サッカーの奥深さを知り、あえてそういった選手を1.5列目や2列目に隠すように配置する事の重要性を認識した。


まさにこれぞキングダムサッカーであり、エジムンドを冠した当時のヴェルディのサッカーはまさに痛快そのものであったため、未だに私が追い求める一つの理想像でもある。



永井秀樹を冠した1998シーズン最後の横浜フリューゲルス

他にもキングダムサッカーと呼べるチームは無かったかと思い返すと、浮かんできたのは私の人生で未だに色褪せる事の無い、後にも先にも唯一つの最高のチーム、1998シーズン奇跡の天皇杯優勝を遂げた、あの横浜フリューゲルスの最後を飾ったチームだ。

そう、あのフリューゲルスの中にあって、3−5−2の司令塔にただ一人据わる事の出来た人物、それが永井秀樹だった。

ボランチ王国の当時のフリューゲルスの中にあって、チーム事情もあったが、永井以外にあの司令塔の位置に就ける人間はいなかった。
未だに、もし永井の兄貴が途中で怪我でもしていようものなら、あの奇跡の天皇杯優勝は無かっただろうと思う。


決っして点取り屋タイプでも、パサータイプでもない、根っからのドリブラーである永井の兄貴が、キングダムサッカーの王様?

正直、自分も今に至るまで、あの当時のフリューゲルスがキングダムサッカーと被るイメージは無かった。

しかし、冷静に考えれば、あれも紛れもない、キングダムサッカーの一種と定義できる。

まず当時のベスト布陣であり、天皇杯決勝最後のスタメンは以下の通り↓

吉田 久保山

永井秀
三浦アツ      波戸
サンパイオ 山口素

薩川 原田 佐藤尽

楢崎

(※ちなみに、他の試合ではほとんど原田の代わりに前田がDFリーダーだったが、私は原田の大ファン)


まず2トップの吉田、久保山のストライカー2人は、本当に流動的に前線をかきまわし、相手DFに的を絞らせない動きで翻弄し、そしてフリューゲルスの代名詞である両ウィングの左のアツ、右の波戸がとにかくしつこいほどサイド攻撃を繰り返す。
ボランチのサンパイオと山口素弘師匠の2人は、まさに2人とも舵取り役として攻守の繋ぎを完璧にこなしながら、3列目からゲームを組み立てる。

そんな中、司令塔の位置に入る永井の兄貴だけは、まるで1人、相手のバイタルエリアで孤立するかのような広大なスペースを与えられる事となる。


2トップと両サイドのマークに奔走させられる相手の目の前で、バイタルエリアでボールを受けた永井の兄貴のドリブルのキレは異常だった。


そして、その安定したドリブルから放たれるシュートやパスの精度の高さたるや、どんなストライカーにもパサーにも負けはしない。

ドリブラーのイメージが強い永井の兄貴は、結局のところ全てのプレーが凄かった。


そんな、まるで永井が好きにドリブルをするために存在したかのような当時のフリューゲルス、考えてみれば、これはまさにキングダムサッカーだ。


相手はまず、目立つ点取り屋の2トップや、アツ、波戸の両サイドに気を配らなければならないが、かといってバイタルエリアに少しでもスペースを空けてしまうと、そこに永井の兄貴が好きにドリブルで入り込んできてしまう。

かといって永井にマークにつこうにも、そもそも明確に役割を与えられていない永井の動きが神出鬼没過ぎて、なかなか明確なマーカーも付けにくく、気づいたらボールを持たれてしまい、そしてドリブルをさせられてしまう、といった状況。

そして、いったん永井の間合いでドリブルされてしまうと、2人でも3人でもマークに費やさる事となり、そこにマークが集中した分、吉田らのマークが甘くなり、簡単にパスを出されてゴールされてしまう、という、本当に相手の嫌な存在となっていたのが永井秀樹だった。


当時、私はこの永井システムを称して、ドリブラー司令塔の確立、と銘打ったが、言い方を変えれば、理屈的にはまさにキングダムサッカーだった。






その他、ピクシー、そして横山翔平も・・・

他にも、あの”ピクシー”ストイコビッチが君臨していた名古屋グランパスも、やはりキングダムサッカーといえるだろう。

当時、世界的なMFであったストイコビッチは、オーソドックスな名古屋の4−4−2の布陣ならば、通常右ハーフにでも入るところを、当時のベンゲル監督は、当時では画期的なことにストイコビッチをFWで起用した。

そして、これまた今思い返せばだが、明らかに当時のストイコビッチの配列は1.5列目だった。

FWというポジションにいながらも、決して最前列に立っていたイメージは無い。

常に前線近辺でウロウロし、積極的にロングボールを受けるセンターFWでもなく、相手にプレスを仕掛けるわけでもなく、とにかく自分がベストの状態でボールを受け、バイタルエリア内でベストな仕事をする、その1点に集中していた。


当時、まだそういったバイタルエリアや、クサビのパス、といった単語もまだ浸透しておらず、自分の中での定義付けがなかなかモヤモヤしていた当時のピクシーだが、なるほど、今になって思えば、ごく当たり前のプレーに徹していただけの事がわかる。

やはりこれも、先のエジムンドや永井秀樹と同じく、キープレーヤーを決して最前線やサイドに置かず、真ん中の、少し後ろ側、つまりバイタルエリアでいかに仕事が出来る位置に置くかが、絶対的な共通事項という事が見えてくる。


長くなってくるので、そろそろザスパの方に戻りたいが、そのピクシーのバイタルエリア近辺で、ウロウロと動き、ベストな状態でパスを受け、そしてターンなり、パスなり、ドリブルなり、シュートなりを仕掛けられる男、それを出来た最初のザスパ所属での選手が、現在町田ゼルビアにレンタルで出されてしまった、前橋育英出身の横山翔平だ。


翔平のこのバイタルエリアでの秀逸な働きに関しては、既にザスパページ内の翔平の紹介・批評ページで書いているとおりだが、それまで単なる左利きの若手サイドプレーヤーでの扱いでしか無かった翔平が、偶然に近い形でこの1.5列目に配置された時のプレーはまさに目から鱗だった。


ここまで挙げてきた数々の王たる資格を持つプレーヤー達を、サイドに置いた場合の凡庸さといったら、サッカーを知る方ならばおわかりだろうが(マラドーナやピクシー、エジムンドらが単なるサイドハーフ?まさに狂気の沙汰だし、実際、永井英樹がマリノスでプレーさせられたサイドハーフでの扱いはひどいものだった。)、翔平もまさにサイドではなく、中央、バイタルエリアで起用してこそ光る選手だった。


翔平が中央の位置で起用された試合はわずか2、3試合に満たないくらいのわずかな試合しかなく、この点に注目しているのは私くらいしかいないのだろうが、とにかくこのHP上で必死に訴え続けたとおり、翔平は昨年の服部体制の1年の中では、ただの1回も中央で使われないまま、あえなくレンタル放出となってしまった事は、今でも残念でならない。



そんな落胆していた今シーズンの私の目に、ようやく光が差したのが、今シーズンのザスパの新エース、MF26瀬川が1.5列目に入った、6月8日の北九州アウェイ戦だった。




2016シーズン、ザスパで起死回生となったエース瀬川のキングダムサッカー

この文章を書いている2016シーズン当初の瀬川は、右サイドハーフでほぼ固定だった。
新エース瀬川の凄いところは、上記に挙げた王様達以上に、サイドでも輝けることだ。

いざ右サイドでボールを受けると、2人のマークを受けようとも、スピードを活かした縦への突破で瞬く間に相手のゴールライン際まで突破してしまい、そして決定的なマイナスの折り返しをこれでもかと相手ゴール前に入れていってしまう。
その突破率の確率が異様に高く、私がこれまで目にしてきたサイドアタッカーの中でも、1、2を争うほどの縦へのスピード突破力があるし、そしてテクニックがある。

その特技を活かして、開幕戦で決めたいきなりの2得点はザスパファンに鮮烈な印象を与えた。


だがその後、FW陣の軸であった常盤聡に怪我があったり、小牟田がなかなか得点という結果を出せず、そしてマテウス、ボカといったブラジル人達が案の定木偶の坊であるといったチーム事情と、なによりもなかなか勝てなくなってしまったカンフル剤として、瀬川が1トップの位置で起用されはじめた。

当初は同期である山岸との2トップによる、前線からの激しいプレスなどもハマり、1勝1分と結果を出したものの、その後のアウェイ清水戦では1トップの瀬川に執拗なマークを付けられ、ほとんどプレーをさせてもらえず沈黙し、0−8という歴史的大敗を喫した。
この試合では、途中から小牟田を投入し、瀬川を右サイドに戻す事で、瀬川がサイドアタッカーとしての実力を清水相手にも見せつけたが、やはり単に1トップにエースを配すればいいだけではない、サッカーの難しさを思い知らされた。

日本平IAIスタジアムでのMF26瀬川
5/28のアウェイ清水戦、抑えられた前半に反し、後半は右サイドで良いクロスを放つエースMF26瀬川


そういった流れの中で、再度の前線の構成変えの結果、北九州戦で採用されたのは、FW小牟田を1トップに置き、瀬川を1.5列目に配置する新布陣だった。


ポストプレーとしては小牟田が絶対的な存在となるので、瀬川はバイタルエリアにいてもいいし、得意のサイドに流れてもいいという、自由な位置を取れ、また得意のスピードを活かしたプレスにしても、1トップという呪縛から逃れられた事で、遊撃的に、神出鬼没に相手の陣地内で大暴れでき、北九州DF陣は全くこの瀬川の動きに対応できなくなった。

そして試合開始まだ序盤の12分、自陣左サイドからの高瀬の長い縦パスを、小牟田の陰から飛び出した瀬川は見事なペナルティ内でのワントラップの後、左に切り替えてのシュートで先制を決め、さらに43分、今度は相手のミスからの速攻から、高瀬のクロスにこれまたスピードを活かした頭からの飛び込みで追加点を奪い、試合を決めると、試合終了間際にカウンターからハットトリックを決め、歴史的大敗を含む連敗のショックから一気にチームを引っ張り上げた。


これまでの、どの組み合わせでも成し遂げられなかった、この完璧なキングダムサッカーの形。

やはり、その答えは小牟田という優れたポストプレーヤーを最前列に配置し、瀬川という絶対的なプレーヤーを中央の1.5列目に置く。
まさにキングダムサッカーに必須の条件が揃った事で、この起死回生の快勝劇は生まれた。




瀬川システムの確立のために

翔平のレンタル放出により、遠い夢に消えたかに見えた、我が愛するザスパの一つの理想形であるキングダムサッカーが、この奇跡の大卒ルーキーのエースの存在により実現され、私は個々の中で感涙し、この瀬川を冠したキングダムサッカーを、瀬川システムを信じて続けていさえすれば、必ずやザスパは降格争いなどという不毛な、馬鹿げた戦いから早々に抜け出し、プレーオフ圏内を狙うところまで一気に駆け上がれると確信した。


だが、その次の試合となった熊本とのホーム戦では、予想外にこの瀬川システムが不発となってしまった。


理由は、バイタルエリアを熊本のDFラインと中盤が徹底した運動量とコンパクトな陣形を保つことでスペースを埋めてしまい、小牟田や瀬川に全くスペースを与えず、徹底マークに成功した事だった。

更に、瀬川もこの熊本戦では随分と裏に抜け出す色気ばかりを出し、熊本が潰したバイタルエリアのスペースを早々に諦めてしまった事も一因であると私は見ている。

瀬川のスピードを考えれば、裏を狙うのも決して悪くはないが、それでは小林達樹を1.5列目に起用すると、いつもこれを狙っては不発に終わってしまうのと同じ二の舞となる。

ここぞという裏を狙えるときは抜け出せばいいが、通常時の瀬川は王様らしく、バイタルエリア内に絞ってクサビのボールをいかに受けるかに集中すべきだ。

翔平ほどこの位置でボールを受けるのに適正が無いのかもしれないが、しかし瀬川のテクニックと粘りは、他の王達と同じく、決して簡単にボールを奪われ、致命的な相手の速攻に繋げられるようなミスをしない共通項がある。

チームも瀬川も、まずはこの中央の位置でクサビのボールを受けられるのかを第一の選択肢とし、あとは小牟田にいったん当てるなり、サイドに散らすなり、裏のスペースを狙うなりの選択をすればいい。


いかに正確に、この瀬川システムの真なる意味を共有し、そして磨きをかけられるか。


瀬川システム、キングダムサッカーの成否は、今後の瀬川とチームの意識にかかっている。


そしてもちろん服部監督自身も。


なぜ小牟田と瀬川を組み合わせたおかげで、北九州戦のような成功があったのか。

いくら小牟田が点を決められないからといっても、だからといって安易に常盤聡や山岸らと交代させればいいというわけではない。

むしろ自分からすれば、右サイドに固定しようとしている山岸が、果たしてこの瀬川システムにとって有用なのかと疑いも持っているし、常盤を起用するのならば、この右サイドでもいい。

また、瀬川、山岸と同期のボランチ中村駿も、もっと瀬川システムをサポートすべく、このシステムを信じて前に出てくるべきだ。

王様・瀬川へのマークがきつくなった分、中村駿が動けるスペースは出来るはずだし、いったん瀬川にクサビのパスを入れ、そして中村駿が上がるといった形を作れれば、大きな武器となるだろう。







真のキングダムサッカーを

とりあえず、現時点でのキングダムサッカーに関しては、以上のとおりでまとめておきたい。

一言でキングダムサッカーとはいっても、王様が誰になるかで随分と内容が変わるものであり、時代とともに定義も微妙に変わっていくだろう。

とにかく、王様をいかに自由にプレーさせてやれるかということ。

現代サッカーにおいて、死語のようにも思える、この個人第一主義に見えるシステムだが、しかし個の力を活かすことで、チームとして機能できる、合理的かつ、現代だからこそできるキングダムサッカーの形も必ずある。

何よりも、何の軸も持たずに、とにかくただ単に縦にボールを入れるだけ、速攻に賭けるだけのつまらないサッカーより、キングダムサッカーから生まれるチーム全体での流動的なオープンサッカーの面白さたるや、まさにサッカーの真骨頂といえるものだ。


この先もこのキングダムサッカーのページは定期的に見直すなど、私の持つサッカー理論の重要な部分として大事にしていきたい。


そして、我が愛するザスパが、真のキングダムサッカーで躍進できる事を今後も願ってやまない。







(2016.06.16UP)





TOPへ戻る>>ザスパクサツ群馬のページへ


inserted by FC2 system