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2000シドニーオリンピック 決勝トーナメント第1戦
2000年9月23日 アメリカ戦
(2−2(PK4−5))

横棒


トルシエ監督率いる五輪選手達のメダルを賭けたトーナメント第1戦

この観戦記を書いている2009年7月から遡ること早9年。
日本のオリンピック代表は中田ヒデをはじめとする黄金世代の台頭によって近年希にみる最強メンバーを築き上げ戦いに望んだ。

ただ問題だったのは当時日本を率いていたトルシエ監督。

フラット3という独自の(今では別にそんなに独創的でもないか)システムを元に、両サイドにサイドバックタイプの選手を置かないその起用法はいろいろと物議を醸し出し、私もあまりに自分のプランに縛られるその柔軟性の無さからトルシエには批判的だった。


しかしその指揮官の迷采配とは裏腹に、当時の黄金世代の戦力はやはり凄かった。
そしていよいよグループリーグを2位で通過し、決勝トーナメントの第1戦。
これに勝てばとりあえず3位決定戦までは進めるわけであり、念願のメキシコ五輪以来のメダルが見えてきた。しかも相手はサッカーの世界では当時全くの無名だったアメリカ。

これはもう勝つしかないっしょ、という試合で、日本国民の誰もが準決勝進出までを当然のように思い描いた。

そしてこの試合は確かトルシエの大きな過ちがはっきりと露呈した試合であったと記憶し、それまで声高らかにトルシエの素晴らしさを語っていた盲信者達の意見が大間違いであったことをはっきりと証明した試合であったと記憶している。
それについては下記の観戦記の終盤の方で書きたい。


その試合から9年経った今、湘南サポの友人Mさんから偶然にもこの試合のDVDが贈られてきた。
当時はまだこのHPもやっていなかったので観戦記も書いていなかったが、これは何かの天命であろうと感じ今更ではあるが観戦記にまとめておきたいと思う。






フラット3がベースに、左SH俊輔起用の日本

日本は当時主流だった3−5−2。
特に3バックはフラット3とトルシエ自ら呼ぶシステム。
まだ4バックでのラインDFと3バックでのリベロ・スイーパーDFが使い分けられていた当時、3バックでフラットラインDFというのは画期的でもあった。

まあ2009年の現在はフラットDFは当たり前。
そしてやはりフラットDFは4バックの方が主流となっている。
国内でも世界でも。

思えばもうあの当時から早9年か・・・(遠い目)



このU−23のチームにおいてチームの絶対的な支柱中田ヒデだけが海外組で、ローマ所属。
ローマといえば、あの中田の活躍でスクデッドを獲った最高の栄誉が未だに記憶に新しい。

ちなみにオーバーエイジ枠としてGK楢崎、DF森岡、MF三浦アツが選出。


そしてトルシエ流の特徴として、左サイドに司令塔タイプを置き、攻撃の主体とすること。
最初のうちはMF本山が務める事が多く、このころはMF俊輔、そして後のW杯の時はMF小野がここを務める事となる。



17高原 13柳沢
7中田
10俊輔         12酒井
6稲本 8明神

3松田 4森岡 2中澤

1楢崎


ベンチはFW9平瀬、FW15西、MF14本山、MF11三浦アツ、DF16中田浩二、DF5宮本、GK都筑




オーソドックスな4−4−2のアメリカ

アメリカはオーソドックスな4−4−2でまずはピッチ全体のスペースを埋め、個人個人の競り合いでは絶対負けないというフィジカルがベース。


16ウルフ 17ケーシー

9オルソン       11オルブライト
5オブライエン 10バゲナス

4アグース          6ヘジュック
8カリフ 3マッカーティー

1フリーデル




立ち上がりからポゼッションするも得点できず

試合開始から押し込むは日本。
どんどん2トップにクサビのボールを当てては押し上げる。

3分、左サイドの俊輔を機転に柳沢に当ててから後方からヒデがシュートするも、これはGK正面。

6分、MF10バゲナスからのスルーパスにFW16ウルフが抜け出ようとするも、これを事前に察知していたDF3松田が力強くカット。

9分、またしても左サイド俊輔がボールを受けてから中に絞り、柳沢がクサビのボールを落としたところでヒデが抜け出てチャンスを作るも、惜しくもGKに潰される。


立ち上がりからポゼッションしチャンスを作る日本だがなかなか得点には結びつけず、日本の攻撃に慣れてきたアメリカも徐々に包囲網を前へと上げていく。

14分、日本のDFライン深くまでプレスにいったアメリカに対し、GK楢崎のキックはセンターラインでカットされ、そのままMF9オルソンがペナルティ左まで持ち込んでシュートも、これはDF2中沢が身を呈してブロック。


18分、再び日本は人数をかけて攻撃に入り、MF明神が右サイドから中央に絞りながらドリブルで持ち込むと、最前線のFW高原に当ててヒデを経由し、再び明神のミドルシュートは上にふかしてしまう。
ボールはポゼッションしているのでチャンスは作るも、最後のところでアメリカのフィジカルに強い壁を前になかなかフィニッシュまでいけない。


19分、センター付近での相手のFKの際に、ボールをわざと前に投げて遅らせたということでDF松田にイエロー。



俊輔のFKから柳沢が叩き付け先制!!!!

20分くらいからはアメリカがCKなどで押し込む場面も出てくる。


21分、アメリカはCKの流れから左サイドでFW16ウルフがボールをキープし、マークに合いながらも中に絞ってから右足でのシュートはバーの右上。


24分には右サイドからMF11オルブライトからのクロスにニアでFW16ウルフに合わせられるも、バーの左上を越える。


26分、中央でクサビのボールを受けようとしたヒデに対しDF3マッカーティーが後ろから強烈なチャージをしてイエロー。


27分、中央左寄りの位置までDF松田があがったことで起点となり、右サイドに展開。
ここでMF酒井がDF8カリフをかわしてペナルティ内にはいろうというところでオブストラクション(進路妨害)のファール。

このペナルティ右サイド手前からのFK、左の俊輔、右のヒデと並び、蹴りにいったのは俊輔。
いったんは壁に当たったものの、それをゴールライン際で拾い、再度クロスを上げると、ゴールファー側でFW13柳沢がヘディングを叩き付け、これが見事にゴール左上に入る。


GOOAAALLLLL!!!!


風向きがややアメリカに流れつつあった中での貴重な先制ゴールが決まる。

それにしてもそもそもこのゴールの起点となったのは左からあがったDF松田。
2009年の今でこそマリノスでボランチをつとめ、攻撃の起点となる事も多い松田だが、よく見ればこの頃から既にDFながらもゲームを組み立てる建設的なパスを出せていた。

結局はそれが前目のリベロで積極的に相手の攻撃を摘み、そのまま攻撃に繋げるという松田特有のリベロへと昇華したわけか。


1点リードで前半折り返し

まさかの失点を受けたアメリカとしてもこのまま負けるわけにはいかない。
32分、左CKを得ると、一度はGK楢崎がパンチングも、再度ペナルティラインからシュートを撃たれるがこれもかろうじてセーブ。


35分もMF11オルブライトが右サイドでファールを受けFKを得ると、MF10バゲナスからのキックがゴールファー左で合わせられるも、これはDF陣ブロック。


43分、2トップに当ててからヒデが左サイドに切れ込みシュートもバーの上。
柳沢と高原の2トップは共にポストプレーがうまいのでよくボールが収まり起点となるため、こういったヒデのゴールに向かったプレーがよく引き出せている。

後方にはバランスの良い守備力ならば並ぶものがいない稲本と明神がいるため、ヒデの守備の負担は極限に少ない。

なるほど、どうりで当時のオリンピック代表は強いはずだ。


44分、右サイドから酒井のクロスにファーポストでFW17高原が頭で落とし、後方から上がっていた稲本が絶妙のトラップでGKの前でキーパーをかわすようにゴール上を狙ってシュートするも、これはわずかにバーの上。
これは惜しい!!!
今思えばこれが入っていれば日本の勝利はかなり手堅いものとなっていただろう。


その後のアメリカの攻撃も明神らの粘りのある守備で止め前半はタイムアップ。
1点リードで折り返しとなる。



後半立ち上がりから攻め続ける日本だが追加点入らず

アメリカはやはり負けられないという気迫が采配にも出て、後半頭からMF9オルソンに代えMF13ドノバンを投入。
3トップの形にして中盤を厚くしてくる。


後半開始早々、ペナルティ手前左寄りでヒデが後ろからチャージを受け、FKのチャンス。
右のヒデが最初囮となって、その後方から俊輔が左で鋭くゴール右を狙うも、これはわずかにバーの右に逸れる。
いや〜惜しい!!
当時から俊輔のFKの威力は凄い。


続く2分、高原が前線で起点となり、左を走る柳沢にスイッチすると、柳沢、これを巧みに落とし、後方から稲本のミドルシュートはバーのわずか右下の外を転がる。

前半終了間際の惜しいシュートもそうだったが、やはり稲本の後方からのこういった攻撃参加は貴重な武器だ。
この頃から好きだったな〜稲本。今でこそ成長した遠藤、長谷部らの壁が厚いけど・・・


後半立ち上がりから圧倒的に攻める日本。

7分にはペナルティ左でFW柳沢がつぶれながら落としたボールをヒデがつなげ、右から高原のシュートはバーの左。

先制点を決め、なおもこれだけ攻めているのになかなか追加点が奪えない日本。


11分も圧倒的にボールを回し続け、ついには右サイドをFW柳沢が抜け出し、決定的なセンタリングをゴール前に転がすも、これには高原反応できず。
詰めが甘いんだよな〜どうも。



アメリカの流れとなりアツが投入される

13分、いよいよアメリカも反撃の流れを掴み出し、左サイドからの2トップが落としたボールをMF13ドノバンがシュートするも、これはバーのわずか左。


17分、アメリカはセカンドボールを奪って右サイドから展開したところからクロスを送り、ゴール前でMF13ドノバンに頭で叩き付けるシュートを撃たれるも、これは楢崎の正面。

続く18分にも今度は右からのショートクロスにFWケーシーが競りにいったところで楢崎がなんとか身を呈してブロック。


19分、今度はカウンターからFW16ウルフが右サイドからそのまま中澤相手に切れ込み、強烈なシュートを放つもコースを切っていた楢崎がっちり抑える。


アメリカに流れがいったところで日本も交代。
20分、FW13柳沢に代えMF11三浦アツを投入。

アツはやはり左サイドに入り、高原1トップの俊輔とヒデの2シャドーの形に。


アメリカ、CKから同点に

22分、アメリカは右サイドペナルティ外でFKのチャンスを得ると、その流れで右CKに。
しかしこのCKも2度ほど跳ね返すも、セカンドボールをFW16ウルフに拾われ、ペナルティ外右サイドからシュートを撃たれると、これがゴール左隅に決まる。


・・・・・・・・・・・・!!!!!!!!!!!??・・・・・・


やはりいつまでも追加点を取れなかったのが響いた。
セットプレーからではどうにもならないところもある。
加えて、やはり反撃に出たアメリカのフィジカルを前提としたセカンドボールの奪取率は凄いものがあった。


俊輔のピンポイントクロスから高原ゴール!!!

24分、投入されたアツが左サイドから切れ込み、得意のマイナスのセンタリングをゴールニアに送るもぎりぎり潰される。

26分、左サイドから右サイドへとサイドチェンジし、酒井からパスを受けた俊輔がペナルティ右隅外から落ち着いて得意の左足でピンポイントクロスを放つと、これにゴール正面で高原がヘディングを放つと、いったんGKにはじかれるも、再度右足で詰めてゴールに突き刺す!!


GOOAAALLLLL!!!!


同点にされてからのすかさずの追加点。
まあ今思えばだが、同点にされる前に欲しかった追加点だった。



アメリカの猛攻も楢崎ファインセーブで止める

アメリカの再度の反撃がはじまる。

27分、アメリカの右サイドからのスローインからDF6ヘジェックに対しMF11アツがファールしてしまいイエロー。

この右サイドからのFK、DF4アグースが右足で送ったボールにゴール正面でMF10バゲナスが頭で折り返し、ゴール右からDF8カリフがヘディングシュートを放つも、これは楢崎の正面!!!
かなり危ないシーンだった。


30分、MF10バゲナスの微妙なクロスがDFラインの裏に送り込まれ、アメリカのFW17ケーシー、MF11オルブライトの2人の抜けだしに対し、このボールをクリアしようとヘディングにいったDF中澤と積極的に前に出てきたGK楢崎が衝突!!こぼれたところをゴール左角度の無いところからMF11オルブライトが無人のゴールを狙うもバーの上を越す。
この時、本来はペナルティの外ということもあって中澤に任せるべきだったかもしれないが、戦術的に前に出るという意識があって中澤が相手をブロックしたところで楢崎がヘディングでクリアにいったらしい。
結局、中澤、楢崎の双方の積極的なプレーがもたらしたアクシデントだった。

この接触プレーに対し、時間稼ぎでも無いだろうが楢崎しばらく起き上がれず。
スタンドではこの間観客達によるウェーブが繰り返される。


後にわかった事だが、この時中澤の後頭部と衝突した楢崎は、実は左前頭蓋骨亀裂骨折の重傷であることが判明。
鼻血が止まらず、鼻に詰めても血が滴り出る。
その血を袖などでぬぐった楢崎の黄色いGKユニフォームは真っ赤に染まる。

普通なら当然交代すべき重傷だったが、しかしGKという、最も代えずらいポジション、そしてオーバーエイジ枠で選ばれているという楢崎の責任感、また痛みに元々強いという楢崎の特性から、その後も楢崎はピッチに立ち続けた。
まさに楢崎はこの後本能のみでプレーを続行したという。


プレーが再開された34分、FW17ケーシーがセンターライン付近からぐいぐいと力づくでドリブルで突進し、ペナルティ左に入ったところでシュートも、GK楢崎左下で片手1本ではじき返す。
楢崎はこの試合、日本の守護神に相応しいファインセーブの繰り返しだった。


残り時間も少なくなってくる中、日本は守備ではしっかりと中央を堅め、攻撃ではサイドにアツや俊輔が左右に開いてボールを受けアメリカゴールを脅かすという盤石の戦いぶりで時間を経過させていく。

さすがにアメリカにも左右からクロスを送り込まれる事も多くなるが、3バックをはじめとするDF陣がしっかりと身体を寄せシュートまではさせない。



痛恨の酒井が与えたPKで再度同点に

結果こそ知っている私だが、さすがに9年前の試合の得点経過までは覚えていなかったわけで、本当にここからロスタイム入れてあと5分くらいの間にアメリカに点が入るのか??と訝しんだ44分だった。

キーパーの送ったFKからペナルティ前でヘディングで落とされ、これにFW16ウルフが抜け出ようとしたところを自分の前を斜めに横切られた酒井が思わず後ろから倒してしまう。

なに〜!!!???
なんともったいないファールだろうか・・・
あのままコースを切りながら右から身体を寄せれば楢崎も落ち着いてコースを絞れた間合いだっただけに、気が先にいってしまった酒井のこのミスはあまりに痛かった。

そうか・・・こんなドラマがあったんだっけか・・・


このPK、MF10バゲナスが落ち着いて決め同点に。


試合はそのまま5分のロスタイムへ。


なんとか決勝点を取ろうと攻める日本、ロスタイムも4分を過ぎる頃、高原がペナルティライン中央で落としたボールをヒデが左サイドからシュートするも、これはキーパー左横跳びで抑える。

そして試合は延長戦へと移る。




延長突入・・・本山の投入は???

延長戦に入り1分、アメリカは2人目の交代、MF11オルブライトに代えFW14ビクトリーニを投入。

そのFW14ビクトリーニが早速2分、中央から左サイドに抜き出て、中澤のマークもモノともせずに左足でクロスを上げると、ファーポストでMF13ドノバンのヘディングシュートはゴール左上を捉え、これにGK楢崎がファインセーブで片手一本で外にはじき出す。


ドノバンもそうだが、アメリカは投入されたフレッシュな選手が攻撃で効いている。


そうなると待てよ??
日本にはあの本山がいるじゃないか???



当時の本山といえば確かアントラーズでもスーパーサブとなることが多く、小笠原が堅実に、逆に言うとおもしろみの無いプレーで後半途中までゲームを作り、相手DFの足が止まったところで後半20分くらいに本山が投入されては、キレキレのドリブルフェイントで何度でも相手DFを左右に揺さぶり、いい加減足がもたなくなったところを冷酷に抜き去ってフィニッシュの仕事を完遂させるという、悪魔のようなプレーを何度も目の当たりにしてきた。

当時アントラーズが大嫌いだった私が言うのだから間違いない。
相手にとって最も恐ろしいタイプのスーパーサブが当時の本山だった。


そうだよ、本山だよ。

早く、早く本山投入してアメリカに止めを刺してよ。



当時の私はいつもならあまりに憎たらしい本山に対して、その恐怖を敵チームを応援する身として十分に理解していただけに、延長というこの絶好のシチュエーションにして最適の人材の投入を切望したものだった。


しかし・・・交代の合図は告げられない。
その気配すら無い・


6分、左寄りから攻め入ったヒデから、ペナルティラインで柳沢が落とし、俊輔が出したスルーパスにペナルティ右隅から高原のシュートはバーの右へ逸れる。

惜しいシュートだったが、あれだけの流れた体勢からならばどうしてもシュートは右に流れる。


11分、中盤の底からの縦パス1本に高原が抜け出てペナルティ左サイドに切れ込むと、なんとか苦しい体勢ながらもこれを落とし、後方のペナルティライン際からヒデのグランダーでのシュートはゴール右隅に飛ぶも、これまたGKファインセーブでかろうじてバーの右外に掻き出す。


この場面一つ見ても、もはやアメリカにはまともに上下運動で帰ってこれるDFがいない。
薄氷のような中で守っている。
今こそ本山を・・・そして決着を・・・


14分、ペナルティ内に抜け出ようとしたFWウルフに対し中澤が後ろからボールを奪い、ウルフ倒れるもこれはボールにいっているとしてノーファール。

疲弊しきった守備陣に対し、2人のフレッシュな選手で活性化されている前線はまだまだ脅威。


早く!!!早く本山を!!!!!!



そして延長前半15分も終わり、最後の後半15分へ。





結局2人の交代枠を残しタイムアップ

延長後半1分でまたしてもアメリカは選手交代。
MF5オブライエンに代えてMF15ホワイトフィールドを投入。


おいおい!!!??
アメリカは交代枠をきっちり3人使ってきたぞ????

なんでまだ日本は1人しか交代させてないんだ?????


あまりに不可解なトルシエ采配。
もはや残された時間は15分から刻一刻と減っていく。


延長後半4分、ヒデが左サイドから速攻でドリブルで上がり、DF6ヘジュックが対応にあたる中、後一歩のフェイントができず挟まれ潰される。
FKは獲得したものの、本山ならばあのDFが戻りながらの守備のシーン、ほぼ確実に高速フェイントで抜き去っていったはずだ。
あんな潰される時間など相手に与えなかったはず。

ヒデは代えずらいにせよ、俊輔と代えて本山投入でOKじゃないか?


9分、アメリカがCKを得た際に、足がつりだして足を伸ばすアメリカ選手も出始める。
やはり110分以上戦ってきた選手達の足は限界だ。

今だ・・・今でいい・・・絶対に本山のあの悪魔のフェイントについていける足など、アメリカのどの選手にも残ってはいない!!!



疲弊しきったアメリカの守備陣を補うように、MF13ドノバンが自陣のゴールライン付近までサイドの守備に追われるシーンも目立つ。

13分、再びFW16ウルフが足をつったようなしぐさ。

時間はただ経過していく・・・


14分、日本はカウンターから俊輔のパスにペナルティ左までヒデが押し込み、囲われたところで戻したボールをアツを経由して俊輔が左足でシュートを放つも、バーの上。



そしてタイムアップ・・・・・・・

日本はなんと延長30分を戦いながらも2人の交代枠を余らせるという不可解な終わり方をした。


悪夢のPK戦

結果を知っている自分としてはどうでもいいPK戦だが、一応記録しておこう。

1人目、俊輔は右に決め○
アメリカはMF10バゲナスが左に蹴り、楢崎も手に当てるもゴールインで○

2人目、稲本は左に決め○
アメリカはDF4アグースが右に蹴り楢崎も読んではいたがこれを決め○

3人目、盛岡が右で右上に決める技ありで○
アメリカはMF13ドノバンが右で右に豪快に決め○

4人目、     ああ、これか、、、、、
そう、大黒柱ヒデが左ポストに当ててしまい、両チーム初の×

アメリカはFW16ウルフが左に決め○

5人目、明神が右で右に決め○
アメリカはFW14ビクトリーニが右を狙い、楢崎も反応して触ったがゴールインで○



かくしてPK戦は4−5で日本の敗退となった。



弱虫指揮官トルシエ

観戦記であるにも関わらず、延長に入ってからは試合に出てもいない本山という1人の選手に特化したレポートで申し訳ないが、それでも書かずにはいられない。


なぜトルシエは延長30分もの長い間、互いに選手が消耗戦となっている最中で2人もの交代枠を余らせたのか???

現に延長に入ってからのチャンスは前半と後半に1回づつだけと余りに少なかった。


確かに、あのメンバーで戦っている限り、日本は大方ポゼッションできるし、まず失点の危険性は少なかっただろう。
引き分けで良しとするなら、あの戦い方でもいい。


しかし、試合内容からしても、日本は勝つべき試合だった。

アメリカなど所詮、攻撃の連携面がまだまだの稚拙なフィジカル主体のチームだった。

ロスタイムでの酒井のPK献上は単なるアクシデントであり、きっちりその過ちを延長戦で精算させるべきだった。


結局、ああいった場面で選手を交代できない理由はただ一つ。

失点が怖い。
負けるのが怖いからだ。


最低限、まずは引き分けを確保し、あわよくば今のメンバーでどうにか1点とれれば、、、という淡い期待の元での采配だ。

しかし、そもそもあの酒井が与えたPKだって、それまでの後半の圧倒的なアメリカの攻撃に翻弄されてきた日本DF陣の体力の限界が招いた事も一因であり、後半30分過ぎ以降に本山を投入し、攻撃面で守備陣を助ける事ができたなら、あんな紙一重での守備で耐える必要も無かった。

本当にほぼすべての選手が体力の限界だった。
そういう明らかな消耗戦だった。
そもそもフィジカルで勝るアメリカにあれだけ押し込まれたのだから当然だろう。
これだけの消耗戦でなおかつ2枠も交代を余らせる馬鹿がどこにいるというのだろうか。
積極的に3人代えていって、あくまで試合を取りに行ったアメリカとはなんと好対照な事だろう。

結局はその勢いの差がPK戦に出たまでだ。
決して最後にPKを外して、トルシエ監督の迷采配ぶりを隠す形でマスコミの矢面に立たされたヒデがどうのこうのではない。


この試合でトルシエという指揮官の本性がはっきり出た。
とてもこの指揮官のもとでは、日本は大きな仕事が最後の最後で出来ない。
そしてそれは後の日韓ワールドカップでも証明された。

あの黄金のメンバー、そしてホスト国という圧倒的なアドバンテージを背にすれば、決してあんなところでトルコに負ける事などあり得なかったはずだ。
そう、まさにヒディングという名将が率いたライバル韓国のベスト4という結果との好対照は鮮烈だった。
その後、韓国からはパク・チソンというチャンピオンズリーグの決勝の舞台に立つほどの選手まで登場したが、私はあれが本山にとって変わっていたとしても、全く不思議とは思わない。

本山はこの国際大会という、世界にアピールする絶好のプレゼンタシオンの機会をトルシエという1人の臆病な指揮官によって永遠に消されてしまった。

そう、松田という最高峰のDFがジーコという無能なペテン師に抹殺されたように・・・
全くもって、日本サッカー界において、残念な結末だ。



それにしても、やはり中田ヒデをはじめとするこの黄金世代の個々の力は凄かった。
その後、これだけの戦いを国際舞台で堂々とやってのける代表チームはこの後現れてきていない。
(それだけにこの五輪チームでメダルを逃したのはやはり大きな損失だった・・・)


最近は私もザスパという地元チームを得てからはすっかりと代表離れが続き、全くもって代表に興味をもてなくなってきているが、この頃の日の丸を胸に付けて戦うというプライドを持ってまだ未知の世界を相手に戦っていた頃が懐かしいと感じる。

これぞ日本を代表するチームと心から応援できる、そんなチームに今の岡田ジャパンも成長して欲しい。










(2009.07.30UP)
(2009.09.04楢崎の怪我などについて加筆修正)








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