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元・横浜マリノス MF8
文武両道の天才セントラルMF 中町公祐
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横棒


元・横浜マリノス MF #8
頭も良ければサッカーも出来る
頭脳派の天才セントラルMF中町


中町 公祐(なかまち こうすけ)
生年月日 1985年9月1日
身長/体重 174cm/74kg
血液型 O型
出身地;埼玉県与野市・育ち;群馬県 前橋市(荒牧小、南橘中)
利き足 右

〜経歴〜

前橋ジュニア、FC前橋
高崎高校('01〜'03)
湘南ベルマーレ('04〜'07)
慶應義塾大学体育会ソッカー部('08〜'09)
アビスパ福岡('10〜'11)
横浜マリノス('12〜')


−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)

J2湘南
'04 J2・11 天皇杯・3
'05 J2・12(1)
'06 J2・34(1)
'07 J2・9

慶応大
'08 関東大学選抜、全日本大学選抜
'09 関東大学選抜、全日本大学選抜、ユニバーシアード日本代表

J2・J1福岡
'10 J2・35(10) 天皇杯・3(1)
'11 J1・24(2) カップ・1 天皇杯・2(1)

J1横浜
'12 J1・20(1) カップ・3 天皇杯・4(1)
'13 J1・33(1) カップ・10(1) 天皇杯・5
'14 J1・23 カップ・1(1)
'15 J1・14(2) カップ・2 天皇杯・1
'16 J1・31(6) カップ・4 天皇杯・3(2)
'17 J1・22(2) カップ・3 天皇杯・2
'18 J1・16(1) カップ・8(1) 天皇杯・2

アフリカ・ザンビア・ZESCOユナイテッドFC
'19 

横浜マリノス#8中町公祐







アフリカ・ザンビアに渡った中町の中間報告

もう1ヵ月前の上毛新聞の記事になるが、不定期掲載の中町公祐のアフリカダイアリーの記事が載った。

記事を見る限り、昨年2019年9月半ばの練習中に右太ももを痛めてしまい、3カ月間試合に出られなかった様子。

その3カ月ぶりの試合となった2019年末の試合で左からのセンターリングによりアフリカに移籍して初のアシストを記録したとのこと。

そのけがの防止のためのフィジカルコーチがいないため、自分で調整しなければいけないとのこと。


その、2020年1月12日の上毛新聞に載った記事は以下の通り。
2020年1月12日上毛新聞 中町公祐のアフリカダイアリー



中町の地元、ザスパ選手との交流関係

面白いのは、記事の後半は上毛新聞ということで、前橋市出身の中町の交友関係が書いてあること。

特に今年2020シーズンからザスパに復帰したGK清水慶記とは小学校の同級生ということで共に前橋ジュニアでプレーもしており、実家の電話番号を覚えているほどの親友と呼べる仲だったらしい。

他にも歳が近い渡辺広大ら、今年のザスパは33、34歳のベテランが多いので、一緒に戦ったりしたメンバーは多い事だろう。


不定期掲載のアフリカダイアリーが、次にいつ更新されるか。
アフリカに渡って2年目となる中、プレーはもちろん、NPO法人の活動も加速させたいということで、今後も中町の活躍に期待したい。





(20.2.29UP)









33歳の中町、なんと2019シーズンからは日本とアフリカの架け橋に?

名門横浜マリノスに7年間在籍し、8番を背負い中盤を支え続け早33歳になる中町公祐が、なんとマリノスに別れを告げ、アフリカに行くという宣言をした。

2018シーズンは、いよいよ控えに回る事が多くなった中町だったが、なんとマリノスは2年間の契約延期を申し出てくれたというのに、それでもその申し出を蹴ってまでアフリカ行きを決めた中町。


やはり、かつて現役をすっぱりと引退した中田英寿と同じく、文武両道、慶応出身の中町にとっても、あまり長い間、Jリーグでプレーする事は、それほどの意味を持たないのかもしれない。

いよいよ控えに回ってきた、己の体力も当然考慮に入っているのだろう。

このまま体力の衰えと共に、あと2年間Jリーグで現役を続けるよりも、本当に己に出来る事、自分にしか出来ない事を考えた時、中町にとってこれが最善の選択だったのだと思う。


天才はやはり天才だ。

サッカーの視野も広いが、それ以上に常人では見えていない世界が中町にはある。



中町公祐の言葉

ここで、中町公祐の公式インスタグラムに上がっている文を引用し、ここに記録しておきたい。


「この度私中町公祐は横浜Fマリノスを退団するという決断に至りました。思えばトリコロールのユニフォームを纏い、トリコロールの一員として闘かったシーズンは7シーズンに及びます。Jリーグ開幕当時から、マリノスに憧れ、マリノスのグッズを集めていた少年が、その憧れのチームに足跡を残せたことは自分にとってかけがえのないものになりました」

「今回、契約最終年である私にチームは2年契約延長オファーを出してくれました。
とても愛情を感じます。33歳になり、充分でない今シーズンの試合出場時間からしたらありえない提示でしょう。これまでのマリノスは少なからず、OBやクラブ貢献者に対しての別れ方が上手くなかったように思います。その都度様々な要因があったことは計り知れますが。ただ今回自分も感じたように、マリノスは良い意味で変化しています。自分が功労者だとは思いませんが、そうやって将来的にマリノスに属した選手やマリノス愛を持った選手がどんな形であれ、マリノスに貢献するという形になっていくことを切に願っています」

「2019シーズンより、アフリカのチームに移籍をします!そう、アフリカ大陸のアフリカです(笑)ザンビアという国です。というか移籍する予定です(笑)」

「まだ契約も締結出来てないですし、その契約もどうなるか未知数な部分が多いので、もしかしたら契約が出来なくてフリーになってしまう可能性も大いにあるという。マリノスには最大限待ってもらったのですが、チーム編成上リミットはあって」

「私は2013年より大学の同級生が代表を務めるNPO法人を通じてサッカーボールを送るという活動を始めました。遠いアフリカの地で靴も履いてない子供達が今まで見たことのない綺麗なボールに目を輝かせ笑顔になる姿を見てきました。プロサッカー選手中町公祐にやれることはなにか。この移籍で日本とアフリカを繋ぎたい。自分がサッカー選手であることの意味を最大限考えた中で下した決断です!もちろんアスリートとしてまだまだ活躍出来るという自信もあります。この年齢での海外挑戦、ましてや身体能力に長けたアフリカ人を相手にすることのハードルの高さはあるでしょう。しかし色んなリスク、弊害を乗り越えてでもこの移籍の意義はあると思っています!」

「1人の日本人選手として行きますよ。1人の日本人選手として行きますけど、、勝手にマリノスを背負って行きますよ。それぐらい自分にとってマリノスは大きいクラブだから。特別なクラブだから。いつでもマリノスファミリーとしてマリノスに関わる人達が自分のことを応援してくれてると思ったら、どれだけ遠くても、思うように事が運ばなくても、頑張れる様な気がするんです!その愛情をこの7年間で感じましたから!」

「プロアスリートとして、一社会人として、何かを伝えれる立場にある以上やれることを最大限やっていくことがプロサッカー界でも他の競技でも、スポーツを通じて人を豊かにする道だと思っています!」

「沢山の方に出会い支えられ、かけがえのない仲間や一生の付き合いになるであろう友人達にも出会いました。この移籍を支援して頂く企業様もいます。皆様の力を借りながら、自分の可能性を信じ、新たなる挑戦にトライしたいと思います!」


・・・こうして、中町は己のキャリアの実質上の終着地点として自分を7年間在籍させ、なおも33歳の自分に2年間の延長を申し出くれた、愛してやまないマリノスに別れを告げる事となった。

文中に出てくる大学時代の友人というのは、まさに同じ慶応の友人であろうし、やはり高いレベルで世界を渡り歩いている方々の行動力、決断力は素晴らしい。

これからは、サッカー選手としてだけではなく、おそらくマネジメントの方でも活躍の場を広げていく事だろう。

文武両道の中町公祐も、いよいよ活動の場を自らの運動ではなく、頭脳の方にシフトしていく事となる。

アフリカと言えば、アジアに次ぐ、次の時代の成長分野であり、日本もエチオピアなどへの企業進出に力を入れているところ。

そんな日本とアフリカの架け橋に、己しかできない、サッカーというスポーツの文化を通じて、中町は挑むこととなる。


これからも、群馬、前橋が育んだ、この類まれなる天才の活躍に期待したい。






(19.1.30UP)









文武両道、頭も切れればサッカーも切れる中町

まさに文武両道とは彼の事を指す。

他県の人ではわからないかもしれないが、群馬県内随一の進学校である高崎高校に入学し、そしてサッカー推薦などではなく、普通に学力で慶応大学に入学。
しかも、その入学と同時にJ2リーグの湘南ベルマーレにも入団を決め、現役慶応ボーイながらJリーガーという、通常ではJリーガーになるのも、慶応大に入るのも難しいところを、2つとも同時に成し遂げてしまった慶応ボーイJリーガーという、おそらくこの先にもそうは出てこないであろう、稀代の選手、それが中町公祐だ。


生まれこそ埼玉県与野市の中町だが、育ちはれっきとした群馬の県都・前橋。
ザスパのホームがある敷島公園のお膝元である南橘地区で過ごしながら、FC前橋という県下の名門クラブで切磋琢磨し、そして高校に進学した先はサッカーの前橋育英でも、前橋商業でもなく、”高崎”高校。


おそらくサッカーのみに特化した前橋育英などへの進路は中町のサッカー選手にしては切れすぎてしまう頭脳、成績の良さも考慮しての家庭の事情もあって許されなかったのだろうが、しかし進学ならば高崎高校と肩を並べる進学校である地元・前橋高校でいいはずだ。


だが、前橋高校は正直サッカー部は強くは無いが、高崎高校のサッカー部はなかなかの強豪だった。
ここに中町公祐が選んだギリギリの選択が見え隠れする。

そして関東トレセン大会にて、前橋育英や前橋商業らの強豪校の選手と共に群馬県国体選抜として静岡国体で準優勝をおさめ、この実績を引っ提げプロ入りを決めると同時に、慶応大への入学も決めてしまうという、いったいどうやってサッカーと勉強を両立させたのか、と全国の親が是非とも我が子に見習わせたい文武の両立を果たしてしまう。


おそらく、単に頭が切れるだけではない。
夜まではサッカーをやりながら、その後に短時間で集中して、身体を休ませながら頭では勉学を吸収してしまうという、とにかくサッカーでも勉学でも吸収力、集中力が半端ではない証だろう。


この点においては、もはや中町公祐という男の存在自体が既にレジェンド化していると言っても過言ではない。




中田ヒデの後継を期待されながらも、残念ながら湘南を解雇

こうして現役慶応ボーイにして、湘南ベルマーレでJリーガーも務めるという二足の草鞋を履く事となった中町は、当時の湘南フロント陣からはかつて19歳にして日本代表にまでなってしまったチーム歴代No.1の選手である中田英寿の後継としての期待を寄せられた。

勉学でも見られるとおり、その他人とは全く一線を画く戦術眼の高さから、将来のチームの全権を委ねるプランすら用意されていた訳だ。


特に3年目の2006シーズンはチームの主軸としてボランチを務めるものの、その後はボランチにポジションを代えたキャプテン坂本の影響などもあり、2007シーズンはすっかりと出番が少なくなってしまい、そしてシーズンと共に契約継続が無くなる。
この時の湘南の選択は無理もない。
それまでFWだった坂本のボランチのポジションからのゴール前までの攻め上がり、そして決定力はさすがであり、自分の目から見ても湘南は坂本のチームと化していたし、そして坂本に全権を委ねてもいいほどのパフォーマンスの高さを坂本は示した。
この点では、同じく攻撃参加が信条でもある中町にとって、経験の差もあって坂本を追い抜く事は当面できそうになかった。

この頃までの湘南は中町の他に高崎経済大出身の石原直樹(現・広島FW)、渋川出身で帝京高出身の田村雄三という、3人とも群馬県出身ながら、前橋育英や前橋商業出身ではないという異色の選手が集まっており、当然育英、前商以外でも群馬県出身のJリーガーを等しく応援している私としては、この高崎高校出身という異色中の異色の中町も含め、当時の湘南はかなり注目していたチームであって相当に期待をかけていたわけで、この中町の湘南解雇の報はあまりに残念でならなかった。


だが、ここでの中町のコメントは違った。

「来年からは慶応大学に戻る事となりましたが、サッカー選手としての中町公祐が終わったわけではないので、今後も変わらず応援お願いします。」

そうか、中町には慶応大ソッカー部という名門チームの道がまだ残っていたか。

この時のコメントは、表面上ではこの慶応でも引き続き大学サッカーを頑張るという意味に見えたが、しかし自分にはこのコメントの裏には、大学を卒業したら必ずやまた戻ってくる、という不思議な力を感じた。


とにかく、解雇される選手のコメントとして、中町のコメントの内容はやはり異色だったのは間違いない。

とても解雇される選手のコメントではなく、まだまだこれからだ、という中町ならではのビジョンが見えた。



奇跡のJリーグ復帰、そして国内屈指の強豪マリノスへのステップアップ

そして、2008年、2009年と2年間慶応大ソッカー部を1人で引っ張ってきた中町は、なんとJ2福岡に入団という、一度解雇になった選手としては奇跡とも言える復活を遂げる。

この福岡では、相棒として同時に入団した末吉という機動力に長けたアンカーを得て、中町はまさに自由にピッチを駆け巡り、ボランチのポジションながら10得点という脅威の成績を残す。

ザスパとの対戦時には、なかなか点を取れない前線のために試合後半にはトップ下かFWの位置くらいまでポジションを上げさせられ、その中町の攻撃のキレ味は相当なモノであったため、私としても中町の水を得たような動きの良さには敵チームの選手ながら目を細めたものだった。


この中町と末吉の若く攻守に機動力を発揮する2ボランチの活躍によって、福岡はその年に昇格を決め、中町は入団1年目にして最高の成果を挙げる事に成功した。


J1に上がって福岡はチームの成績こそ振るわなかったものの、中町の力は対戦相手のJ1チームの目にも止まり、ついには国内屈指の強豪マリノスに入団を決めるというステップアップを果たす。





今シーズン、マリノスの優勝争いに貢献、そして代表の道も・・・

当然、強豪マリノスではポジションなど約束されてはいなかったが、中町はその強豪チームの中で存在感をみるみる発揮していき、1年目から15試合でのスタメンを獲得してマリノスの躍進に貢献すると、2年目となった今年2013シーズンは開幕から主軸としてレギュラー固定となる。

中町の加入と共に、その輝きを一気に増した中村俊輔だが、明らかにその裏にはこの中町の功績がある。


俊輔が上がればしっかりと後ろをケアし、そして俊輔がお得意のキープに入るとみると、一気に前線に上がりパスコースの一部となって俊輔の選択肢を何倍にも広げる。

守備でも決して相手のペースに振り回される事無く、とにかくその時いるべきポジションを冷静に、しかし運動量豊富に確実にそのスペースを埋めていき、攻守に渡ってセカンドボールを支配。

相棒には冨澤、小椋といった優れたアンカーもいるため、中町のセントラルMFとしての能力は遺憾なく発揮される。


正直、今の日本代表には遠藤の後継が未だに見当たらない。
同じく前橋出身の我らが細貝も、今やアンカーの第一人者であり、遠藤のようなセントラルMFではない。

私が思うに、来年の2014ブラジルW杯を睨んでの、現段階で本当にベストな日本代表の2ボランチを選べというのなら、この中町と細貝を選べば問題ないと正直思う。

以前から問題である、遠藤、長谷部という、アンカーではないセントラルMFがボランチで並ぶことの、チームの骨格としての危うさの点において、中町と細貝ならば何の問題もない。

おそらく今の中町は既に選手としてのピークを過ぎてしまった感のある長谷部の攻撃参加の能力を超えているし、更に今の中町には的確な守備力もある。


本田、香川と稀代の攻撃陣が並ぶ今の日本代表の前線を攻守の面で支えられるのは、この中町しかいない。

なぜピークを過ぎたはずの中村俊輔やマルキーニョス、ドゥトラといった往年の選手が名を連ねるマリノスが、現在優勝争いの第一人者になりえるのか。


その答えは中町に他ならない。


ザックは目の前に突き付けられているこの現実を直視すべきだ。

2014ブラジルW杯に選択すべき答えは中町にある。


この群馬が育てた稀代のセントラルMFの活躍に今後も大いに期待したい。








(13.10.14UP)



天使



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