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元前橋育英・ザスパクサツ群馬キャプテン
2019シーズンをもって20年間のプロ生活を引退!!
鋼のボランチ 松下裕樹
についてのページ

敷島・正田醤油スタジアム ザスパクサツ群馬VSジェフユナイテッド千葉 MF30松下裕樹
2017.9.10 ジェフ千葉戦 久々にホームで笑顔を見せられた、男・松下裕樹
横棒


元・ザスパクサツ群馬MF
鋼の肉体と自慢のキック力 松下


松下 裕樹(まつした ゆうき)
生年月日 1981年12月7日
身長/体重 174cm/70kg
血液型 A型
出身地 群馬県 高崎市(高松中)
利き足 右

〜経歴〜
前橋育英('97〜'99 '98-99,'99-00選手権連続ベスト4 キャプテン)U-18
サンフレッチェ広島('00〜'03)
アビスパ福岡('04〜'06)
川崎フロンターレ('06)
ザスパ草津('07〜'12)
横浜FC('13〜'14)
ザスパクサツ群馬('15〜'18)

−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)

J1・J2広島
'00 J1・2 天皇杯・1 U-19
'01 J1・1 カップ・2 天皇杯・1 U-20候補
'02 J1・13 カップ・2 天皇杯・1 U-21
'03 J2・13 天皇杯・2

J1・J2福岡
'04 J2・11 天皇杯・1(1)
'05 J2・25(3) 天皇杯・2(1)
'06 J1・3 カップ・2

J1川崎(福岡よりレンタル)
'06 J1・4

J2ザスパ草津
'07 J2・37(3) 天皇杯・2
'08 J2・36(2) 天皇杯・2 CAP
'09 J2・45(3) 天皇杯・1
'10 J2・33(3) 天皇杯・1 CAP
'11 J2・37(1) 天皇杯・1 CAP
'12 J2・37(3) 天皇杯・1

J2横浜FC
'13 J2・30(0) 天皇杯・1
'14 J2・27(3) 天皇杯・1

J2ザスパクサツ群馬
'15 J2・37(2) 天皇杯・0
'16 J2・41(3) 天皇杯・1
'17 J2・32(0) 天皇杯・0
'18 J3・17(1) 天皇杯・2

栃木シティFC
'19 関東1部・ 天皇杯・ 

敷島・群馬サッカーラグビー場 ザスパクサツ群馬 VS 駒澤大学でのMF30松下裕樹
2018.5.27天皇杯1回戦駒澤大学戦にて、この日も暑い中で奮闘したベテランMF30松下裕樹





第1回松下裕樹現役引退イベント!!!

栃木シティに移籍した松下裕樹が2019シーズンをもって現役引退を発表、群馬に帰ってきた。

その松下の20年間のプロ生活を労って、ザスパサポが引退イベントを立ち上げ、それに参加してきました(^^)v

松下裕樹現役引退イベント
2020.1.18 松下裕樹現役引退イベントでの松下

まずは松下の現役引退の経緯や、現役時代の面白エピソードなど。

松下と言えばイエローカード(^-^;、現役時代にもらったイエローカードはJリーグで大久保嘉人に次ぐ121枚のイエローをもらい、そのうち100枚がザスパ時代のものとのことでは・・・という話になったが、ザスパ在籍10年で100枚というと、年間10枚もらわなければいけず、いやいや、累積で4枚もらってだいたい2回休んでもやっと8枚だから、そこまでは無理では・・・といった話に・・・何の話をしていることやら(汗)

松下本人も、だいたい最後は2回目の累積欠場で2試合出場停止なので、最後は試合に出られないままシーズンが終わるのが常だったと・・・本当にそうでしたね(^-^;

でも本人いわく、今ならVARがあるじゃないですか、あれ導入されていれば、たぶん20枚くらいに減るはず・・・いや、大丈夫です、ほぼ全て完全にイエローです(^-^;


あと、熊林からの情報が入ると、あいつの言うことはほぼウソだからと・・・あの頃の櫻田らの仲間が一番しっくり来ていた様子でした。


松下裕樹現役引退イベント
会場にはプロのキャリアをスタートさせた広島時代から、自分も何度か敷島でも目にした福岡6番のグレーのアウェイユニ、そして半年だけ在籍したフロンターレ17番のユニも!

松下裕樹現役引退イベント
最後の栃木シティのユニまでがずら〜っと並ぶ


その後は、サイン入り色紙などの景品がかかった〇×クイズで、この日のために昨日バリカンを入れたかどうか・・・そんなの知るか!!でも気合入れるために〇じゃねえか?と思ったら、最近のバリカンは性能が良すぎて剃り過ぎるので、数日前に剃らないと当日良い感じに仕上がらないということで、×とのこと・・・わ、、、わからない、、、

また、松下裕樹おススメの本は「風の大地」である、〇か×か・・・
なに?風の大地って?と思ったらゴルフの漫画らしく、そんなの知らないと×だと思ったら、なんとこれが〇。
本当に素晴らしい本らしい。
そんなにゴルフ好きだったのか、松下って・・・本人いわく、必ず選手名鑑などに載せているはずということ・・・


そして、ザスパに移籍して初のゴールはPKである〇か×か・・・
うーん、今でこそ普通PKはなるべく得点を獲らせたいFWに蹴らせるけど、当時はより確実性を求めてプレースキッカーに蹴らせていたような・・・で、〇と思ったら、やっぱり〇。
これで・・・
松下裕樹現役引退イベント
足形入りのサイン色紙と記念缶バッチをゲットしました(´∀`)
おお!!ラッキー!!!

最後は松下裕樹の、チャント

オー松下
ラーラララ
オッオー松下
オー松下
ラーラララ GOGOGO!!!

・・・が大合唱され、松下も涙ぐむ場面で締められた。

本当に良いイベントであり、松下選手の、現役時代ではなかなか見られなかった打ち解けた様子にも触れられ大満足の引退イベントとなった。

これで第1回??
じゃあ第2回もあるの??


とにかくも・・・
山口素弘監督に呼ばれた横浜FCでの2年間を挟んだ10年間、よくザスパの、群馬のために戦ってくれて、本当に有難うございました。

これほどまでにザスパに尽くし、そしてサポータから愛された男はそうはいません。

今後はまずは群馬にいる、そしてサッカーを教える立場になるということで、おそらく県内のジュニアコーチあたりから指導者の道を歩まれるのでしょう。

またいつかはコーチ、そしてゆくゆくは監督で帰ってくることを願って、まずは育英を卒業してからの20年間のプロ生活、本当にお疲れさまでした。


身体を張ってハードに守れ、ポゼッションサッカーを支える足元のテクニックもあり、類まれなサイドチェンジの精度、強烈なプレースキックのキック力も併せ持つ・・・

私のアンカーとしての理想像を貫いてくれた松下裕樹よ、永遠なれ



(20.1.18UP)






ザスパの象徴・松下裕樹、栃木シティFCに移籍・・・

大変残念なことだが、ザスパに通算10年間在籍し、まさにザスパの象徴として活躍してきた大黒柱・松下裕樹がザスパを離れる事となった。

理由は簡単だ。

2018年、J3に落ちたザスパクサツ群馬が救済金9000万円増の収入があるうちの1年でJ2に復帰することが出来なかったから・・・

その1点に尽きる。

ザスパ最大の功労者である松下裕樹の、フリエから復帰した4年間を簡単に振り返り、そして松下裕樹の新たな展望を記して、せめてものはなむけとしたい。



フリエから復帰後も大黒柱だった松下裕樹

群馬サッカー界のレジェンド・山口素弘監督にフリエ(横浜FC)に呼ばれ、そして山口監督の解任までの2年間在籍し、そして群馬に、ザスパに帰ってきてくれた松下は、その後の2015、2016シーズンとチームでフル稼働し、まさに攻守の大黒柱として絶対的な存在として君臨し続けた。

それにしても、改めてこうして振り返ってみて、本当に松下という男は鋼(はがね)のような男だ。

結局のところ、この十何年、ほとんど怪我という情報が松下には無い。

無事これ名馬とは言うが、本当に松下は怪我を負わずに、チームに対しフルに貢献してくれる、まさに名馬だった。


この頃チームは熊林、櫻田、そして松下が去ってから、なかなかボランチを固定できずに、結局のところチームに復帰した松下裕樹が、再びそのままボランチの大黒柱として当てにせざるを得ず、この間に中村駿といった有望な若手も多少出てきたものの、すぐに引き抜かれてしまうというチームの体たらくもあり、なかなか後継者が育たないまま2年間が過ぎていった。

松下も30半ばに入ろうという中、いったいいつまでチームは松下という男に頼り切りにならざるを得ないのだろうか・・・

そんな危機感すら感じていた2017シーズン、森下体制になったザスパに変革が起き、森下監督は急に若返りを図り、山岸、岡庭という本来攻撃的なポジションの2人にボランチを任せる事を選択。

結果的に、このあまりに無謀な賭けは大いに失敗し、チームの守備力はガタ落ちし、崩壊に至り、そして歴史的な大敗続きで敢え無く長年在籍したJ2から陥落することとなってしまった。

結局、この最悪の2017シーズンの間、あまりにチームがガタガタなので、度々ベテラン松下も事あるたびにスタメンに復帰し、必死にチームの引き締めに奔走したが、そもそも監督があれなものだから、どんなに松下なり良い選手を入れようが、簡単に立て直せるわけでもなく、結局グズグズのままシーズンは終わった。



チームは1年でのJ2復帰に失敗・・・

失意のシーズンとなった2017シーズンオフ、この大敗をきっかけにチームは一気に変革の波が訪れ、奈良社長と布監督という一心された新体制でチームは再発進となり、2018シーズン、J3での新たな船出となった。

J3に落ちたばかりのチームには、急な減収に対応できるよう、リーグスポンサーのダゾーンから9000万円の救済金が出る。

チームはこの財政により、J2並みの資金を持って選手を集め、J3とは思えない分厚い戦力を揃えた。

特に、アキレス腱だったボランチ、舵取りとなるセントラルMFの位置に山形からレンタルの風間を補強したことが大きく、ボランチの位置からの高い攻撃力によるチームの牽引役となった。

松下はアンカーとして開幕シーズンはスタメンとなったものの、チームは戦術ジャンボの失敗によりこの開幕ダッシュにつまづいてしまい、布監督は早々にチームの変革に手を付けざるを得ず、松下もその波を受ける形で若手の吉田直矢らにスタメンの座を明け渡す試合も多くなった。

そしてシーズンも後半に入る中、決定的だったのが長崎からレンタルしたMF碓井の途中補強だった。

27歳と脂ののったこの中堅選手は、攻守ともに質の高い働きをみせ、守ってはゴールライン際まで粘って相手の攻撃に対応し、攻めては積極的にオフサイドラインまで攻め上がり、シュートまで放つ。
とにかくミスが少なく、その精度の高いプレーにより、もう一方の風間の攻撃力も活きるなど、シーズン後半はこの碓井・風間でボランチの座は埋まる事となった。

特に、シーズン後半に入りチームを一気に活気づけた3−1−4−2の”1”、1アンカーのポジションには、正直30半ばを過ぎた松下には体力的に厳しい部分があったが、碓井はなんなくその1アンカーをこなしてしまい、碓井抜きにはこの3−1−4−2はあり得なかった。


正直、この碓井との差を見てしまうと、松下裕樹という男の加齢によるハンデの差を感じざるを得ない現実を見る事ともなってしまったのは、高校の頃から松下裕樹を見続けてきた自分としても、少なからぬショックを感じたものだった。

かつて、1アンカーを任せられるといえば、松下裕樹、この男以外には考えられなかったものだが・・・

時代の流れの残酷さを感じるシーズンとなってしまった。


だが、この碓井、風間らの活躍を持ってしても、チームは岡田、岩田、星原、竜樹らのアタッカーを次々と怪我で欠く事となり、勢いを無くしていき、結局のところ最終節で一気に勝ち点をまくられる形で5位でシーズン終了となり、チームは1年でのJ2復帰に失敗してしまった。



ザスパ契約更新できず・・・だが、現役は続行!!!

J3、2年目となる2019シーズン、チームは救済金も無くなり、一気に9000万円の減収となる。
2018シーズンはそもそもJ2よりもホーム戦も少なく、アウェイサポからの収入も減り、実際は更なる減収となっているのかもしれない。

そうなると、チームとしてはまずやることは、サラリーの多い家庭持ちのベテランから切らざるを得ない。

松下と同じく長い間チームに在籍した小林竜樹(通算9年間)や、坪内、川岸ら地元出身の、本来チームとしては切りたくないはずの人材にも手を付けざるを得ず、当然その中には松下裕樹もいた。

おそらく、1年でJ2に復帰できれば、少なくとも松下や竜樹、坪内らは契約更新はできたのではないだろうか。
今シーズン、彼ら郷土出身のベテランプレーヤーはピッチ上以外の練習を引っ張るという意味でも、大いに貢献してきた。



年齢という壁を考え、そしてこれまでザスパに骨をうずめる覚悟でやってきたはずの松下の心情を考えると、ここが潮時か・・・
正直、上述したとおりの年齢の壁を感じてしまった自分としては、いよいよ松下裕樹という名プレーヤーの引退も覚悟した。


だが、松下という男の心には、まだくすぶるものがあった。

なんと、隣県の関東1部リーグのチーム・栃木シティFCに移籍となった。





栃木シティFCでの展望

正直、最初聞いた時にはどこのチーム?と思ったが、この2018シーズンまで栃木ウーヴァという名称で主にJFLで戦ってきたチームであり、これまでも練習試合で何度もザスパがお世話になってきた近場のチームが、この2019シーズンに名称を変えたものとのこと。

今回の松下移籍でちょっとネットで見たところ、どうやら2017シーズンについにJFLから関東リーグに降格となった際に、ザスパと同じくチームの変革があったらしく、日本理化という会社の若社長がチームの社長に兼任で就き、メインスポンサーとしてと共に、チームの運営にも貢献し、関東リーグのチームながらも、30名近い選手全員とプロ契約を結ぶという、J3以上の経営方針を貫こうとしているチームとのこと。

その変革後1年目となった2018シーズン、チームは関東リーグ1部を優勝したものの、昇格のかかった全国地域サッカーチャンピオンズリーグで惜しくも敗れてしまい、1年でのJFL復帰とはならなかったが、来シーズンこそはとの思いが強い。

実際、元ザスパのMF村田翔をはじめ、デカモリシこと、FW森島、MF高地、MF野崎と、かつて戦った強敵たちの名前がズラッとチームのメンバーに並ぶ。

来シーズン、戦力が若手主体にガラッと入れ替わり、正直どうなるかまだ未知数なザスパよりも、逆に近い将来性の見えるチームとも言える。

こういった、勢いのあるチームに真っ先に声を掛けられたのだから、ザスパで骨を埋めようとした松下の心が揺らいでも不思議ではない。

北関東道を使えば、群馬の自宅からもすぐに行ける立地条件もあるだろう。

ザスパのサポータにとっても、栃木市なら近く、応援にも行ける。

JFLへの復帰、そして当然そのままJ3への参戦と道が開けている栃木シティFCでの、松下裕樹の更なる活躍を期待してやまない。



松下選手、本当にザスパでの貢献、有難うございました。

あの初の連勝を飾った、アウェイ水戸戦でのラストプレーでの地を這うようなゴール左隅に突き刺さったミドルシュート、あの感動をザスパサポは一生忘れはしないでしょう。

これからも、現役を続ける限り、応援させてもらいます。




(18.12.24UP)






祝!!おかえり!マツ!!

そして漢は帰ってきた。

同じ高崎出身にして、前橋育英の大先輩である漢・山口素弘に、2年前、その漢は呼ばれた。
漢が漢に呼ばれた。
それはもう行くしかない。選択肢など、彼には無かったはずだ。そして私もそれは痛いほどよくわかり、絶対に手放してはならない戦力と知りながらも、その漢を泣く泣く見送るしかなかった。

残念ながら、もう1人の漢であり、師匠・山口素弘のフリエはJ1昇格は叶わず、師匠もいったんチームを離れる事となった。
そうなれば、漢はもうフリエという横浜のチームに居る必要も無くなり、”愛着のある”チームに帰る以外、やはり選択肢など無かった。

国内屈指のアンカーMF松下裕樹の復帰について、ここに記しておきます。



山口素弘フリエでの2年間

少しだけ山口師匠のフリエでの松下裕樹の2年間を振り返りたい。

山口師匠自ら声をかけヘッドハンティングされただけあって、移籍当初より主軸として起用され続けた松下だったが、山口フリエもプレーオフまで進んだ1年目と違い、2年目はどこか波に乗り切れないところがあり、低迷が続いた。

それまで固定としていた4−4−2システムに限界も感じてか、4−1−4−1を敷き始め、やはり松下はその”1”の1アンカーで奮闘も、逆にその松下の両側のスペースを相手に使われるなど、なぜかチーム全体がちぐはぐ。

そのうち後半戦には松下もスタメンから外れる試合が多くなり、怪我などもあり不本意なフリエ1シーズン目となった。


2シーズン目はまた心機一転、チームにも馴染み活躍が目立つようになり、ザスパ戦では2発のFKなどでチームを勝利に導くものの、チームは後半戦にかかり失速。


松下裕樹
2014.5.31ザスパvs横浜FC戦、右足から放たれたボールは、完璧なコースでゴール左枠ギリギリを捉え、見事にゴールイン!!!

松下も怪我などがあり戦列を一時離れるも、復帰後はセンターバックに新たなポジションを与えられ、後方からのロングパスでゲームを組み立てる新しいタイプのセンターバックとして攻守に渡り活躍し、やはりザスパ戦では拮抗したゲームを松下の攻め上がりによってザスパDF陣に風穴を開けさせ、貴重な決勝点を演出する活躍をみせた。

まさに2シーズン目の松下はザスパキラーだった。

しかし、フリエ自体は最後まで波に乗り切れず、プレーオフ圏内まで届かずにシーズンを終了。

山口師匠も多くのファンの未練を残しつつも、いったんチームを離れる事となった。

松下裕樹
2014.5.31ザスパvs横浜FC戦・右サイドからFKを蹴りに行く松下裕樹


山口素弘フリエでの2年間

山口師匠がいなくなったフリエだが、松下には3年目の契約の話が出るも、2年前、フリエに移籍を決めたように、今回も松下自身に迷いなど無かった。

愛するチームである、ザスパクサツに帰る。

両方のチームの公式コメントにこの言葉を残し、見事2年ぶりのザスパ復帰となった。

この2年間、明らかにザスパはアンカーの位置からのサイドチェンジなどのロングパスでの構築力が圧倒的に低下してしまった。
加藤弘堅らにその期待がかかったが、やはり松下と比較されては酷だった。


松下復帰により、ザスパにはロングパスでの攻撃の構築力と、ポゼッション力、そして最後の砦としての鋼の壁という3つの強力な力が復帰する事となる。


お帰り、マツ。本当にお帰り。
そして、もう一生離れないで欲しい。フリエで果たせなかったJ1昇格を、是非ともザスパで成し遂げて欲しい。





(15.1.1UP)






ザスパ草津 松下裕樹 2012.5.13栃木SC戦にて
2012.5.13栃木SC戦でFKを蹴りにいく松下裕樹

2012シーズンオフ、男・山口素弘に呼ばれ横浜FCへ移籍決定!!

2012年12月6日、ザスパ草津MF松下裕樹の2013シーズン来季の横浜FCへの完全移籍決定が発表された。

既に3週間ほど前から地元上毛新聞にもオファーが来ている事は出ており、ザスパも複数年契約を提示して引き留めにかかっていたらしいが、こういったニュースが新聞に載る時点でほぼ移籍は決定しているようなものだった。


最初は私もショックだった・・・


待望の松下のザスパへの加入、そして予想どおりの活躍の6年間

おそらく、忘れもしない2007(H19).2.21、松下裕樹のザスパ草津への加入が発表された時、誰よりも喜んだのは私だったのでは無いかと今でも自負している。

思えば、当時のザスパは現在でも主力の櫻田をはじめ、2013シーズンからザスパで指揮を執る事となった秋葉忠、群馬サッカー界のカリスマ・鳥居塚と他チームに勝るとも劣らないセントラルMFの宝庫だった。

だが、如何せん守備的MF、アンカーがいなかった。

セントラルMF達が思う存分攻撃に力を発揮するためには、縦の関係を築いて後ろでしっかりとDF陣の前で守備を行うアンカー、職人が不可欠だった。
そうでなければ、守備に足を引っ張られ持ち前の展開力、パス能力を活かせない。

そのアンカーについては、2006年までは攻守共に申し分ない存在として大谷圭志がいたが、私が散々このHPでも訴えてきた事も虚しく、怪我も重なり植木構想からは外れがちとなり、ついには圭志も解雇となった事で、あろうことかアンカー不在となった。


その時、2007シーズンもキャンプインが始まり、もう各チーム陣容を固めてきた中での2月下旬の発表での松下加入の報・・・

当時、私はどれだけ喜んだ事だろうか。

思えば2000年1月、準決勝での市立船橋戦、当時の史上最大の堅守を誇った市立船橋相手に、松下がどんなに良いパスを佐藤正美らの待つ前線に供給し、攻めても攻めてもどうしても点が獲れない中、ついに松下は右サイドからのCKで、右足でアウトに蹴って直接ゴールを狙うという荒業を用いた。

しかも、惜しくもゴールこそならなかったものの、そのアウトサイドからのロベカルもかくやといわんばかりの球威がこれまた素晴らしかった。

今でも前橋育英史上に残る名場面といって良いだろう。(ああ、ビデオが残ってないのが今でも悔しい・・・)


高校サッカー、それも全国選手権の準決勝という舞台でアウトサイドでのCKで直接ゴールを狙いにいった選手がお他にいただろうか。

それほど松下は当時からキック力に非常に自信を持っており、現に結果を出してきた。


そのキック以来、私の心の中には常に松下がいた。

広島でどんなに不遇の時代を過ごそうとも、しかし私は松下の力を信じて疑わなかった。

あれだけの守備をこなし、そしてあれだけの正確で強力なキックを放てるアンカーが活躍できないわけがない。



その松下裕樹がついに郷土・ザスパに来た。

実際このページの(かなり)下に書いたとおり、当時からして私はサッカー観戦歴の全て、このHPの存続を賭けて、松下の加入がザスパに対し絶対的に成功となる事を断言した。


そして、事実2007シーズン途中からガッチリとレギュラーの座を掴むと、その後はのべ3年間キャプテンも務めるなど、チームの絶対的な主軸として君臨。


その強靱な鋼の肉体によるハードな守備力、中長距離の正確無比なサイドチェンジ、リーグ屈指のポゼッション力を熊林や櫻田らと共に支えたキープ力、パス能力の高さなど、まさに中盤の底の選手として何一つ欠けたものが無く、そして何よりも折れないハートが素晴らしい。
当たり前の事だがザスパだけでなく、どんなチームでも必要不可欠な男であることは明白であり、疑いの余地もない。

更に、名選手である事の必須条件ともいえる怪我への強さもピカイチで、ほとんど怪我で離脱した記憶が無いほどの鉄人ぶり。

どうしてもポジションとしての相手のカウンター、速攻を止める際にカード覚悟のファールで止める場面も多く、カードコレクターの側面もあり、累積欠場が多かったのも確かだが、それは全てチームのために己の自己犠牲の精神が高いからこそ。
だが松下が欠場になる度に、どうやってメンバーを、戦術を組むんだと常にハラハラしなければいけなかったが、それほど6年間の松下のザスパでの存在感は絶大だった。

当然の事ながら、近年は毎年のように他チームからオファーが来たが、しかし福岡を出され、レンタル先の川崎でも拾ってもらえなかった当時の松下を、契約の前からキャンプに帯同させるなど快く迎えてくれた地元チームザスパ草津への恩義と思い入れが強い松下は、どうしてもザスパ以外のユニフォームを着る自分がもはや想像出来ないと、男気溢れるコメントでザスパに残ってくれた。




今でも伝説の、初の連勝を決めた水戸戦での決勝点

松下のザスパでの一番の思い出といえば、やはり2008年5月21日の北関東ダービーでの水戸戦。

これまた下でも書いたとおりだが、Jリーグ昇格以来、3年以上に渡ってどうしても連勝が出来ない悪しきジンクスがあったわけで、この試合でもロスタイムを過ぎるまで1−1での引き分け濃厚だった。


だが、あのロングスローからのこぼれ球から、松下が放った一直線のゴール左ギリギリ隅へのシュート・・・


まさに、ああなると技術云々の問題ではない。

松下の魂の叫びがそのまま敵味方あれだけ混戦する中で誰の足にも当たらずに、奇跡的にゴールまですり抜けさせたのだ。

あの試合では結局松下の得点2発により2−1で競り勝ち、チーム初のJリーグでの連勝を、それも北関東ダービーで当時最大のライバルだった水戸から決めるという、最高のシチュエーションも重なり、まさにザスパの歴史に永遠に残るであろう伝説の一戦となった。


何よりも、あの試合での松下の勝利への執念は異常なものだった。

誰もがあの死闘の中で力尽きていく中、どこからそんな力が残っているのか不可解なほど、時間の経過を追う毎に松下は執念で攻撃に上がっていった。

あの勇姿こそ、まさに男の中の男、そのものだった。


あの試合の後、感動のあまり私はこう最後に締めくくったものだった。




ザスパ草津に松下あり
松下いる限り草津は落ちず




この言葉は、かつて上州(旧群馬)の上野箕輪城を守っていた長野業正が、武田信玄の数々の猛攻をことごとく追い払った事から、信玄に業正(なりまさ)いる限り上野は落ちず、と言わせた言葉からとったものだったが、まさにこのセリフがピッタリの男が松下だった。



山口素弘を男にするために・・・男が男に呼ばれた

もう、いつしか松下はザスパに骨を埋めてくれるものだと、近年は当たり前に思ってきた節もある。

そして、松下がいてくれる限り、ザスパはそう簡単には陥落しないと、ある種安心感、油断のようなものもあった。

それだけ松下がザスパにいる事は当然の事であり、そして累積欠場や怪我でも無ければ常にピッチに立ってくれる事も当たり前の事と勝手に思っていた。



その松下が来年いなくなる・・・


本当に、先月のニュースを読むまで予想だに出来なかった事だったが、しかしそれは現実のものとなった。


松下と共にダブルボスとしてチームを引っ張ってきた熊林も現役引退となり、永遠のキッド、櫻田も30を迎える。
そしてようやく2年目で実力を発揮したばかりの山本弟もなぜか解雇し、いったい誰が松下の後釜となるのか、今は全く先が見えない。



だが・・・

だが、行く先が我がサッカーの師匠と崇める山口素弘の元ならば仕方ない。


あのどん底の最下位から、火中のクリを拾う形で急遽フリエ(横浜FC)の監督に就任した山口は、その後己のサッカー歴の全てを賭けてチームに注力し、ついには4位までチームを上げた。

惜しくもプレーオフでは千葉に敗れたものの、もしあの勝率でシーズン始めから山口が率いていたならば、2位で自動昇格を決められるはずだったほど。

これほど1年目、それも途中交代で名将ぶりを発揮してくれるとは、私の予想も遙かに凌駕した。


先日のTV番組(山口師匠が監督就任直前まで務めた”すぽると”)での山口特集での数々の師匠の言葉が私の胸には突き刺さる。


特別な選手もいない
特別な戦術もない

サッカーをやるのは君(選手)たち
責任をとるのは私(監督)
だから君(選手)たちは思う存分に力を発揮してくれればいい



監督はチームのために、そしてそんな監督を男にすべく、チームは一致団結して監督のために精一杯のサッカーをする。


まさにレジェンド
圧倒的な、絶対的な、そのカリスマ


こんな男に率いられるチームが強くならないわけがない。



そのカリスマ、レジェンドと郷土を同じく(群馬県高崎市)し、そして前橋育英の後輩である松下裕樹は、この男に呼ばれた。



男が男に呼ばれたんだ。


行かないわけがないだろう。

男・山口素弘を本当の男にするために、そして己のサッカー人生の全てを賭けて、最後のJ1への挑戦を手にするために、男・松下裕樹は決断した。




もはや、もっとクラブとしての環境を整える方に投資しなければいけない赤字状態のくせに、何も残さないブラジル人を未だにリストアップしているという、どこぞのアホな地方チームの事など、一時は忘れてくれていい。

とにかく、今は山口監督の元で思いっきりその持てる能力を発揮して欲しい。


高地をはじめ、帰ってきた内田智也、佐藤謙介と、フリエにはたくさんの強力なボランチが揃っている。

ザスパでは唯一絶対的な存在であった松下も、決してポジションが約束されている訳ではない。

調子の良い選手から使うのが信条の山口ならば、松下といえども調子次第ではメンバーからあっさり落とす事もあるだろう。



だが、今はとにかく山口素弘を信じ、そして己のサッカー人生の全てを賭けて欲しい。

そして、来年は絶対にフリエをJ1に昇格させて欲しい。


ザスパはザスパでどうにかするだけだ。
監督もあの最悪のソエジマ体制がようやく3年でピリオドとなり、来年からは松下の戦友でもある秋葉忠が監督として帰ってくる。
ザスパクサツ群馬と名称も変わる新生ザスパは、松下や熊林がいなくなった今、また新たなサッカーを目指すだけだ。



そして思う存分J1で活躍した後は・・・出来ればまた帰ってきて欲しい。

松下は山口、松田、細貝ら数々の代表歴任者に並ぶほどの、群馬が誇る偉大なプレーヤーであるのだから。

群馬はいつでも松下の帰りを待っている。


まずはその時まで


山口素弘の元で思う存分力を振るう松下の戦う姿を、今から楽しみにしたい





(12.12.6UP)






2010〜2011の松下裕樹の総括

ザスパ草津 松下裕樹
2010シーズン、再びキャプテンマークを巻く松下裕樹

昨年はこのページの更新はいろいろ多忙な事もありお休み(さぼり)したため、2年ぶりに更新しておきたい。

ただ、なぜこのページの更新をしなかったのかというと、もはや松下に関しては特段書く事もないほどに、常に安定した働きをし、そして常にキャプテンとしてチーム内で不動のポジションで黙々と働き、そしてザスパを支えてきただけで、2009年までに述べた事を更に強調して書くことしか出来ない。

そんな当たり前の働きをごく普通に、当たり前にこなしてしまうキャプテン松下。

しかし、そんな当たり前の事がどれだけ凄い事なのかを改めてここで実感すべく、おさらいのために更新しておこうと思った次第だ。



2010年、熊林、櫻田らとのトライアングルで圧倒的なポゼッションサッカーを確立

2010年は大型補強として元日本代表のMF戸田が加入した年だった。

明らかにポジションが松下とかぶる戸田だったが、しかし当然の事ながら松下の位置づけは全く変わる事はなかった。

チーム内で、松下のポジションだけはもはやアンタッチャブル、聖域であり、他に代えようも無い。

よって戸田が起用される時は松下との2ボランチとなるが、そうなると両方ともアンカータイプが並ぶ事となってしまい、セントラルMFとして攻撃を組み立てる能力が低減するため、なかなかチームとして機能しづらかった。

そういう事もあってか戸田は当初センターバックの一角として副島構想にはあり、かつて五輪代表の頃はセンターバックだった戸田だったが、その後W杯の頃などアンカーとしてのキャリアを重ねてきた戸田にとって、久々のセンターバックはなかなか感覚が戻っていない感じで、センターバックとしての肝心な安定感を欠き、肝心な場面での決定的なミスが目立った。

つまり、元W杯戦士の戸田といえども、松下がいるザスパに来てしまっては松下の控えでしかない事をまざまざと証明したシーズンだった。


そんな元W杯代表プレーヤーをも超える絶対的なアンカーとして君臨した松下は、熊林、櫻田とのトライアングルを形成し、リーグ屈指のポゼッションサッカーを支えた。

このトライアングルの中だけはバルセロナもかくやと言わんばかりのダイレクトショートパスを多用し、相手のどんな強烈なプレスもかわしまくり、熊林や松下が一気に空いたサイドのスペースへサイドチェンジのボールを送り打開していくという戦術がザスパのスタンダードとなった。


松下はアンカーという役割で守備面でしっかりと相手の攻撃陣をブロックしていくという役割の他に、こういったハイレベルなパスサッカーに順応してしまうというテクニックも兼ね備えている。
その点が本当に素晴らしい。


鋼のボランチとしてあれだけのハードな守備を出来ながら、攻撃の際にはほとんど相手にとられる事のないパス回しをこなしてしまう。

そして自慢のキックの威力は相変わらずで、近場のFKは熊林、そして遠目のFKは松下とはっきり役割分担され、各対戦チームがマークする無回転シュートの持ち主として名を馳せた。


特に2010シーズンで印象深かったのは2010.4.29の富山戦。

前半の強烈な向かい風の中、30mほどある距離のFKをまさかの直接シュートで狙っていき、強烈な風に逆にぶつける格好でゴール手前で急激に落ちるボールを名手GK中川も穫れずにゴールに突き刺した。

相手GKの手をも振り切る弾丸シュート、まさに漫画の世界のような強烈なシュートだった。

結局その試合はその後同点とされるも、再び松下の強烈なFKでGK中川がはじいたところをラフィーニャが押し込んで勝利するという、まさに松下のFK2発で勝った試合だった。


松下裕樹、弾丸フリーキック
2010年3月13日、愛媛戦で弾丸フリーキックを放つ松下



2011年、出場停止1試合を除きフルタイム出場

そして2011シーズンは副島監督も続投という事もあって戦い方は継承。

相変わらず副島監督は戸田をアンカーに組み入れる構想を捨てきれず、またもや戸田と松下の2アンカーという愚策で開幕戦の栃木戦で完敗。

震災明けの再開からは戸田の怪我もあり櫻田との2ボランチに熊林が絡むポゼッションサッカーが復活し、ラフィーニャらの活躍もあって戦績はある程度の成果を収めた。

その後、後半は櫻田の怪我もあって熊林がボランチに移ると、熊林がセントラルMFとして司令塔の能力を本格的に発揮し、松下もアンカーの役割をきっちりこなしてリーグ屈指のボランチコンビとなった。

とにかくどの局面においても、ザスパに松下がいない事はもはや考えられない。

全ての戦術が松下という男がアンカーにいるという大前提から始まる。

現に今シーズンは累積出場停止の1試合を除き、37試合全ての試合でフルタイム出場という偉業を遂げ、多少の怪我、コンディション不調でもチームを支え続ける鉄人ぶりも披露した。


まさに大黒柱。

おそらく松下以上の大黒柱は今後ザスパの中でもなかなか出てこないだろう。

30歳をいよいよ越える事となる松下だが、本人いわく、全く若手に負ける気がしないと、その能力には衰えなど全く感じない。
松田という前橋育英の大先輩を亡くし、ショッキングな年となったが、その松田の分までこれからも群馬サッカー界の代表として活躍がいつまでの続く事を願う。




(11.12.24UP)






2009の松下裕樹の総括

まさにザスパ草津に松下あり、と言わしめるほどのシーズンが2009年だったと思える。
シーズンを通してカード累積以外はほぼフル出場。
松下が不在の試合は明らかにザスパは別のチームとなってしまい、やはり攻守両面への松下への依存度、重要性がよく分かるシーズンだった。

特にシーズン中盤から松下が吹っ切れるようにそれまでのポゼッション一辺倒からロングボールを使ってゲームを組み立てはじめた時のザスパの目が冴えるような復活ぶりは鮮烈だった。

まさにハードなタックル、マークによるアンカーとしての資質と、近代サッカーにおけるアンカーに必須となっているロングボールでの組み立てという両面を高いレベルでこなせる絶対的なアンカーであり、なおかつザスパのポゼッションサッカーの礎となれるキープ力も申し分ない。

2007年、松下が加入した際に、私はまさに手放しに喜んだ。
絶対にザスパは強くなる、攻守両面でそれは効いてくると。

それを絶対的に証明してくれたシーズンだった。
そんな松下の2009シーズンを振り返りたい。



開幕からレギュラー固定もチームはどん底

開幕から当然のようにスタメンレギュラーとして出場した松下。
2009シーズンのボランチの相棒は2008シーズンは控えに落ち込み、見事に復活したMF6櫻田であり、このダブル坊主コンビは2009年ザスパの象徴となった。

開幕3連勝と波に乗り、今年のザスパはやるのでは・・・と思われたが、どうしてもゼロに抑えきれない守備陣、ポゼッションにこだわる窮屈なサッカー、先制されたら同点にすら追いつけないメンタル的な弱さとシーズン中盤までは本当にチームの弱さに苦しめられた。

松下自身もこのシーズン中、唯一チーム内で絶対的な主力であった熊林、櫻田ら3人の中の1人としてこれには責任を感じ、必死に走り、身体を張って守備陣の手前で守り抜いたが、しかしチームのどん底ぶりに変わりは無かった。

特に夏の終わりまでホームで勝てなかったジンクスは重傷であり、かなり選手達もナーバスになっていた時期だった。



ミドル3発という結果

そんなどん底の中でも松下の3得点という結果はやはり評価されるべきだろう。

特にシーズン1点目は開幕3連勝の後の1分4敗というどん底の状態の中の4/18の愛媛戦であり、左サイドから櫻田、涼と繋いで落とされたボールを見事に右足を一閃させ、いきなりの先制点を決めライバル愛媛相手に貴重な久々の勝利を手に入れた。


2得点目の7/18の札幌戦でも貴重な追加点で札幌相手の大金星となる決勝点を得意のセットプレーからの後方からのミドルで決めた。


シーズン3点目は8/2の鳥栖戦。
この試合は前半で失点し早くも勝負が決まってしまった惨敗だったが、それでも右サイドからの見事なミドルはさすが松下と絶賛すべきものだった。


2010年はこのミドルがもっと決まってくれればチームも助かる。
どうしてもバーの上を越えてしまうことも多いが、松下でしか入らないレンジからのシュートをもっとビシバシ決めて欲しいものだ。
アンカーの位置の選手のミドルが枠を捉え出すと、相手のDFラインは下げられなくなり、その結果後藤涼らFW陣が裏に抜け出せるスペースが出来る。



第3クール、吹っ切れたかのようにロングボールを使う

第2クールの終わりでようやくホームで勝てない呪縛からも逃れたものの、第3クールに入り5戦は1分4敗とまだまだチーム状態はどん底だった。

そんな中で迎えた9/20のホーム甲府戦。BR>
誰がどう考えても8割、9割方負けると思われた試合だった。
勝てる要素など見あたらなかった。


そしてザスパは唯一の選択肢ともいえる、とりあえず目の前の相手の攻撃に耐え抜く、守るサッカーを貫く。

田中らセンターバック陣が、松下らボランチ陣がガッチリとボックスを形成し相手の中央からのシュートをことごとくブロック。

そして止めると前線の都倉やこの日加入してはじめてスタメンとなった小林竜樹らの前線にとにかくボールを送る。

そこにはこれまで頑なに守ってきたポゼッションなどという言葉はどこにもなかった。



そしてこの吹っ切れたシンプルな戦いが功を奏し、都倉、竜樹らは甲府DF陣に対し効果的なプレッシャーを与えつつ、守備陣は甲府の強力な攻撃に耐え、甲府のこの日の異様な決定力の悪さにも助けられ、ついには竜樹の値千金の1発によって1−0で逃げ切った。



この試合を転機に、竜樹が救世主となると共に、守備陣ではGK常澤が新たな若き守護神として覚醒し、その中で松下が効果的にサイドにロングボールを散らせるかで試合の流れを大きく左右するようになった。



2010年は再びキャプテン就任に!!

こうして攻守で存在感を見せた松下は第3クールのチームの復活の中心となり、松下が不在の試合はやはり守備の面で特に不安定さが目立ち、代役でボランチに下がる事の多かった熊林はいつもの司令塔としての能力は鳴りを潜め、無理なタックルによるイエローを累積させる事となり、やはり松下の存在の大きさを感じた。

そして久々に欠場から明けた最終戦の栃木戦では熊林も不在であったためキッカーも務め、3得点目の有薗のゴールをアシスト。

毎回思うが、もっとザスパのキッカーを松下に固定できはしないだろうか?
確かにペナルティエリア手前のショートクロスの精度は熊林や廣山の方が良いだろうが、多少距離があるところならば松下に全て任せて欲しいものだ。
なんといっても調子の良い時は無回転ボールも蹴る事ができる松下のキックの質は素晴らしい。


そして2009年はいったんその任を解かれていたキャプテンの座に、2010年は再び就任することとなった。

キャプテンともなるとマスコミの相手なども増え、余計な気苦労も多くなるかもしれないが、しかし松下という男がよっぽどの事が無い限りチームのレギュラーから外れる事は無いという、大黒柱的な扱いであることはこのキャプテン就任からいっても間違いない。


元日本代表の戸田という大きな加入もあり、ボランチ陣のレギュラー争いはまだまだ分からないが、しかし松下の敵は戸田ではなく、常に自分自身のみにある。

松下よ、、、今後もザスパと共に。




(10.02.07UP)






2008の松下裕樹の総括

ザスパ草津 松下裕樹
キャプテンとしてチームを率いた2008年の松下裕樹

ザスパ入りして2年目となり、キャプテンという重責も担った2008年の松下。

シーズンスタート時こそ怪我で出遅れたが、すぐに復帰してからは1年を通してキャプテンとしてチームを引っ張った。

自慢のセットプレーは新加入の島田と熊林に譲り、そういった攻撃面では寂しさが残るものの、忘れもしない水戸戦での初の連勝を決めた2得点はあまりに鮮烈で、チーム史に残るものだった。

アンカーという非常に地味であまり目立たないポジションなだけに、なかなかスポットライトが当たりにくいのが特徴の、この職人気質の松下裕樹の2008年の総括を振り返っていきたい。



黄金の中盤を形成

シーズンスタート時は負傷によるコンディション悪化もあって出遅れとなり、松下不在のザスパは広島戦、熊本戦と連敗スタートを喫してしまう。

そして第3節から松下が復帰すると、チーム状態も徐々に復調となり、復帰した島田と新加入の熊林を加えた黄金の中盤を形成。

細かい、ショートダイレクトを多用したフットサルのような球回しで相手のプレスをしぶとくかいくぐっていき、そこの密集地帯をくぐり抜けると相手DFの裏を突いた前線の高田や後藤涼、または右のチェ・ソンヨンや左の寺田らのサイドバックのオーバーラップに合わせていくといった展開で攻撃の形を確立していった。

アンカーとしての守備力には以前から定評があったものの、こういった細かいテクニックを擁するキープ力やパス能力といったところでも基本的なテクニックも備えている松下は十分適応した。


シーズンの中で、ボランチの相方はおおよそ2通りであり、チーム全体が攻撃的にいくときはMF熊林、守備をしっかり引き締める時はDF喜多が松下と組むこととなり、熊林が相方の時は熊林がセントラルMFとしてパスの出所となるので、必然的に松下は守備重視となり、喜多が相方の時は喜多が第5のDFとしてDF陣の前に立ちはだかるので松下がセントラルMF的な役割で前線に上がる事も多い。


そういった対応も松下だからこそ問題なくこなした。



初の連勝に導いた奇跡の2点

そうやってチームとしての形が確立していき、いよいよ3年間成し遂げられなかった”連勝”というものについて今年こそはジンクスを破れる・・・そんな期待が高まってきた時だった。

そう、忘れもしない第1クール最終戦である5月21日の水戸戦。

相手は北関東ダービーのライバル・水戸であり、MFパク・チュホというボランチを得てかなりのチーム力を見せつけてきた。

前半はかなり圧された展開となる中、連勝に向け気を吐く松下は左サイドに上がったところから相手の守備の乱れを突いて右足を振り抜き、この意表を突いたミドルシュートで貴重な先制弾を決める。


しかしサッカーの神様とは常々試練を与えるもので、まだ前半も終わらないうちに、今度は相手の右サイドからのクロスボールがそのままゴールに入ってしまうという不運な失点で同点とされる。

後半に入り試合が経過するうちに、水戸はアウェイ戦でもあるため引き分けでも良しとする時間稼ぎの動きをしてくるようになり、焦るばかりのザスパにはほとんどチャンスも訪れない。


そしてロスタイムの2分が既に45秒も経過しようとしていた時だった。

ザスパが最後の猛攻で熊林のFKがサイドに流れ、DF田中が本当にラストプレーとなるロングスローを放り込み、しかしこのボールもまた水戸がクリア。


しかし、そのクリアがやや弱く、ペナルティ外にいた松下がグランダーの渾身のミドルシュートを放つと、敵味方幾人もの足の間をすり抜けて相手ゴール左隅に突き刺さる。


試合終了と同時のゴールインのホイッスルにより、4年間の積年の思いが募った初の連勝があまりに劇的な形で、そして松下の2得点という形で訪れる事となり、歴史に残る今季のベストゲームとなった。



大きな結果を残した2008年のザスパ

初の連勝の効果はあまりに絶大であり、その後は4連勝、2連勝と、合計3回の連勝もありながら、一時期は5位につける快進撃を見せる。

第3クールからのシーズン終盤こそチームもなかなか勝ちきれない試合が続き戦績は落ち込んだものの、9位という一ケタの順位でシーズンを終われた事はチームにとって大きな収穫となった。

そんなシーズン終盤でチーム力が落ち込んだ時も、松下は自らのプレーでチームを鼓舞するように気迫の満ちたプレーで常に全力で戦った。

9月14日の甲府戦ではチェ・ソンヨン、寺田の2人が後半相次いで退場となり、2人少ない、しかも1点負けているという劣勢の中、松下は1人でグイグイと攻め上がり、3人、4人と立ちはだかる相手に動じることもなく相手を押し込み、そんな攻撃の姿勢がフリーキックを呼び、そして島田のクロスからDF尾本が渾身のヘッドを叩きつけて奇跡の同点ゴールを得た。



2009年はもっと点にも絡む活躍を

こうしてキャプテンとしてチームを引っ張り、好成績を収められた事は松下にとっても大きな収穫となったことだろう。

2009年はキャプテンの座をDF喜多に譲り、再びプレーに専念できる環境ともなる。

中盤からは島田が抜け、前線には廣山や玉乃らが補強されたものの、松下のポジションでは秋葉忠が抜けただけで補充はない。

DF喜多がボランチとしても計算できるようになった事もあるのだろうが、やはり松下という戦力が絶対的なものであり、絶大な信頼感がある表れともいえる。


2008シーズンのDF喜多のボランチ起用の成功から、2009年も喜多やDF藤井、または秋葉信らセンターバックがアンカーを務める事も多くなりそうであり、そうなれば松下には得意のロングキックでのゲームメイクも期待されることになる。

特に廣山や玉乃といった良質なサイドアタッカーが加わる2009年、松下から正確なサイドチェンジのボールが出ればチャンスは一気に増えるだろう。

そういった攻撃の面でも軸となれる活躍を期待したい。




(09.02.07UP)






2007の松下裕樹の総括

このページの下に残っている約1年前の文章のとおり、松下のザスパ加入は非常に大きな効果をもたらすだろうと断言した。

しかし松下の移籍加入が遅れたためにまだチームにフィットしきれなかったのか、はたまたシーズン出だしは副将・櫻田がボランチに絶対固定されたため、空いているボランチの席が一つしか無かったからか、第1クール、第2クール共にどちらかというとベンチスタートが多くなり、ベテランMF秋葉の控え的な扱いを受ける。

秋葉は確かに長年培った戦術眼から、時折凄い中短の縦パスを送りFW氏原の劇的なゴールなどを演出し、その建設的なパスは大きなものだったが、やはり加齢による影響か後半20分を過ぎると運動量が激減し、守備などに付いていけなくなるため、松下への途中交代は不可欠なものだった。

しかしそこは超保守的采配の植木監督のこと、交代による守備のリズムの乱れ、リスクを嫌い必ずしも松下が効果的に投入される事もなく、第1クールから第2クールにかけて、疲労しきった秋葉をひっぱり、結局終盤に失点するという同じミスを繰り返した。


第3クールからはスタメン固定

第3クールに入り、絶対固定でボランチの座を一つ占領していた副将・櫻田を1列上げ、攻撃的MFで使う事が多くなると、必然的に松下と秋葉での2ボランチでのスタメンが多くなる。

そうしてようやくスタメンに固定し始めたところで第3クール途中からは2007シーズンのベスト布陣といえる4−3−3にシステムに変更され、櫻田がそのトップ下に絶対固定されたため、ここに櫻田、松下、秋葉の中盤のトライアングルが完成する。


常に試合にフル出場するようになったことで松下自身もリズムを取り戻し、日に日にプレーに輝きが増すようになり、特にセットプレー時はCK、FK共にほぼ松下が蹴る事となり、そのキックの威力、精度は試合を追う毎に向上した。



残念だったチームへの浸透の遅れ

そうする内に当然のごとく松下はチームの軸とフィットしていき、その後はMF秋葉を控えにおしやるようになりレギュラーの座を当確させる。

第4クールになりチームはなかなか勝ち星は挙げられなかったものの、1勝7分4敗と、どちらかというと負け試合を引き分けに持ち込んだ試合が増え、良い内容でシーズンを終わらす事ができた。


戦い終わり振り返るに、ちょっと松下がチームに浸透するのが遅すぎた。
私としてはもっと序盤から松下を軸にチームを構築することを望んだが、残念ながら松下を活かしきった戦いとは言えなかった。

特にシーズン終盤にぐんぐんセットプレー時のキックが良くなってきた中で、その頃に圧倒的な高さを誇ったDFチカが離脱していたのが痛い。
もっとシーズン序盤から松下がチームに固定され、セットプレーを任せていたなら、チカへのホットラインによる得点の量産も期待できたと思う。



2008年からキャプテンに就任、そしてチームの主軸へ

まあつまり、2007年は松下にとって準備の期間だったと言ってもいい。
本当の意味で松下がザスパで活躍するのは2年目となる2008年からだろう。

そんな中、FW正美がチームを去る事になってことで空いたキャプテンの任に、正美の同級生である松下が就くことになった。

まあ当然の任命だろう。
やはり守備の軸たる松下のポジション、地元出身でありチームの顔に相応しいバックグランド、そして何と言ってもチームの軸に相応しい十分な能力を考えれば松下以外にキャプテンは考えにくい。

試合への出場が不安定だったFWというポジションであった正美と違い、松下は2008年ほぼフルに試合に出場するであろうから、昨年のチカのようにゲームキャプテンを別に置く必要もなく、キャプテンである松下がそのままキャプテンマークを巻く事となる。


名実共にチームの軸に指名された松下。

大型補強といえる補強をした2008のザスパだが、やはり攻守の軸としてはエースFW高田、セントラルMF櫻田、アンカーMF松下と昨年からの戦力が活躍する必要がある。
(コーチ兼任のMF鳥居塚がコーチ業に専念できるほどの活躍が)

これにMF島田、MF熊林と加わりまさに黄金の中盤といえるザスパの布陣が構成されるにあたって、松下というアンカーはますます重要となってくるだろう。

そう、司令塔島田がいた一昨年は、松下というアンカーがいなかった。
守備の不安定さは攻撃にも影響し、島田を活かせない試合も多かった。
しかし2008は違う。
何よりも松下というアンカーがいる。

もし、あと3年、ないし5年程度でザスパが昇格を果たすとするならば、間違いなくこの中盤のメンバー(松下、櫻田、島田、熊林)はそのまま昇格のためのメンバーともなり得る。
それだけこの面子の能力は皆高い。

2008シーズンはそれを証明すべき年となるだろう。
そしてその実力を証明すべき宿命を持った1人がキャプテン松下といえる。








(08.01.24UP)






松下、奇跡のザスパ完全移籍!!!

まさに汝、願えば思い通じる、だ。
そう、まさかの”松下ザスパ完全移籍”だった。


・・・Jリーグ昇格後、常に私が応援する群馬の地元チームザスパ草津は守備的MF、つまりアンカー役といえる選手の不在により攻守共に安定感なく下位に低迷し続けた。

それというのも前橋育英出身のMF大谷圭志というすぐれたアンカーがJFL時代に大怪我を負ってしまったからだ。

アンカー不在で苦しんだ2年間

圭志が怪我から完全復帰できないJ1年目はとりあえず攻撃的MFが本来得意である元横浜Fの氏家がアンカー役をつとめる事が多く、波の大きい氏家は調子が良い時は非常に良く機能するが、やはり守備的MFとしては安定感に欠けた。本当に波があるのだけが惜しい選手だった。

J2年目、いよいよ圭志が本格始動しチームも急上昇、と思われたが、私が最も忌み嫌うシーズン途中の補強(新潟で活躍したベテランMF秋葉)により圭志の出番が断たれ、あろうことかそのまま解雇となった。

J3年目となる今シーズン、MF秋葉は完全移籍となったものの、明らかに昨シーズンのプレーを観る限りアンカー役としては失格。秋葉は山口素弘などに代表されるセントラルMFだった。
そして気付いてみればザスパにはセントラルMFタイプばかり。
左右のキック力が特徴のMF10中井、左足でのテクニックのMF18櫻田、攻撃的MFが本職のMF6鳥居塚などだ。
新戦力も活きのいい若い攻撃的MF、FWばかり。

その存在なくしてチームとして有り得ないアンカーの重要性

いったい何を考えての補強なのか私にはさっぱりわからなかった。
圭志を解雇した今、なぜまっ先にアンカーを補強しないのか。
今やアンカーの存在なくして強くなったチームはないと言っても過言ではない。
代表にも選ばれたレッズの鈴木啓太、川崎の谷口、マリノスの河合、那須、FC東京の今野、そしてオシム代表監督の愛弟子・阿部。

どれだけこのアンカー役、守備的MFという存在が大事か。

そしてそんな時、決まって私がまっ先に思い浮かべるのは他でもない、この松下だった。


鋼の肉体、正確なロングフィード

松下の特徴、長所は下に列記している前に書いた紹介文のとおり。
鋼の肉体を最大の武器として圧倒的なフィジカルの強さからの安定した守備、その右足からの正確にして強烈なロングフィード力、セットプレーの威力、そして何よりもチームを牽引し前橋育英時代にチームを2年連続して全国ベスト4に導いたそのキャプテンシー、強いハート。

果たしてチームのアンカー役としてこれだけ優れた特徴を持つ選手がそうそういるだろうか。
私は間違い無く松下はいずれ日本代表入りすると固く信じていた。


厳しかったプロの選手層の壁

しかしなかなかプロの世界は厳しく、また本人の実力だけではどうにもならない事もあるのだろう。
プロ入りした広島では同世代の森崎兄弟に中盤の座を奪われ、なんとかサイドでレギュラーを掴み、移籍した福岡では本職のアンカー役として活躍しチームをJ1に昇格させるも、逆に昇格が仇となりポジションを奪われるはめに。

シーズン途中で放出に近い形でレンタルされた先の川崎はなんとJ1での優勝争いまっただ中。
更に悪い事に、ボランチの座につくのは国内中が注目する日本代表中村ケンゴと、オリンピック代表谷口の売り出し大セール中の若手コンビ。

当然滅多に試合に出られるわけもなく、そのままシーズン終了とともに福岡、川崎両方から解雇となってしまった。

どうにも巡り合わせが悪い松下の去就にやきもきする思いだった。
私の目からすると福岡は松下をそのままアンカー役に固定していれば、たった1年でのJ2降格など無かっただろうし、川崎もケンゴをトップ下に上げ、松下をアンカーに据えればもっと優勝に食い込めたと思った。
それが昨年、シーズン終盤に等々力で観た福岡VS川崎の試合観戦の感想だった。
あの試合、優勝したい川崎と残留したい福岡とが一進一退の攻防だったが、松下を試合で使った方が確実に勝った試合だろう。

まったく、どこの監督もまるでわかっていない。
あれだけの宝を抱えながら、どうして有効利用できないのか。
だから優勝もできないし、降格もするんだよ、と川崎と福岡には吐き捨てたい。


松下獲得を熱望する日々

育英の後輩MF大谷圭志が現役引退となり、松下はフリーに。
これはもう、松下をザスパに入れるしかない!!!
そう強く思い、いつもの応援掲示板にも久々に参加した私だった。
何より地元ということで、新春のザスパVS群馬出身プレーヤーマッチもあり、しかもそこに松下も出場となったので、これは多少可能性もあるのでは、と睨んでの事だった。

しかしその後も音沙汰はなく、新体制が発表されチームも始動し宮崎でキャンプインとなった。

松下はどうなったかな・・・そんな事を思っていた矢先の、松下が練習生としてキャンプに合流しているという情報だった。

昨年のMFマ−ロンと同じく、この時期に練習生でしかもキャンプにまで同行しているとなれば、もう疑いの余地もない。
あとは条件面さえ折り合えば念願の松下ザスパ入り、と決定の情報を一日千秋の思いでザスパ公式HPと睨めっこする毎日だった。

そしてついにその日はこの平成19年2月21日にやってきた。



私のサッカー観戦歴の全てを賭けます


・・・もはや多くを語る必要もない。
植木監督、とにかく黙って松下を絶対固定で使って欲しい。
レギュラーはまだ横一線など言っている場合じゃない。
全く疑いの余地は微塵もない。

どんなシステムだろうが、どんな相手だろうが、どんな状況だろうが、とにかく松下を中盤の底に固定すること。

私のこの十数年のサッカー観戦経験の全てを賭けてもいい。

松下こそがザスパの救世主だ。
昨年の司令塔MF島田の比ではない。
もうこれ以上私はザスパに何も望まない。
望む必要性がない。

ただ一つ、松下がザスパの中盤の底にさえいてくれるなら。

今年の目標は7位以上?
当然夢じゃない。
とにかく松下の力さえ信じれば。


松下により活きるザスパのセントラルMF陣

その他のザスパのポジションは戦力がこれまでより格段に充実している。
控えとレギュラーの力の差もほぼ無いに等しい。

先週の新潟とのマッチアップを観る限り、副キャプテンとなったMF18櫻田のセントラルMFとしての仕上がりは予想以上だった。
他にもMF10中井、ベテランの味を取り戻したMF17秋葉、ボランチに復帰する可能性もあるMF6鳥居塚らセントラルMFは豊富だ。

他チームより優れる、この層の厚いセントラルMF達の力を活かすためにも、守備的MFとして松下が組む事が絶対必要だ。
もう彼等セントラルMF同士を組ませ、そして結局は守備も安定しないから攻撃にも繋がらないという悪循環はもうたくさんだ。
本当にもう、たくさんだ。うんざりだ。
何度同じ事をこのHPで書けばいいのだろうか。
当たり前じゃないか!
もういいだろう、これだけ失敗してくれば!


・・・サッカーにおいて、まず守備を安定させること。
チームを安定させること。

それを度外視して攻撃に走るチームが成功した例はいまだ見た覚えがない。

見ていろ、他のJ2チーム、特に今年J2で対戦することになる福岡。
松下の力がどれだけ優れており、お前達が松下放出というどれだけ大きな損失を自ら犯してしまったかをせいぜい思い知るがいいさ。
なぜ福岡が松下の怪我からの復帰と共にJ1に昇格でき、そしてなぜたった1年でJ2に陥落してしまったか、その原因をせいぜい思い知るがいいさ。



とにかく頼みます。植木監督。
ただ一つだけ、本当にこの一つだけ。


松下を使って下さい。





(07.02.21UP)









育英黄金期を率いたキャプテン松下

松下の前橋育英時代は鮮烈だった。
まず2年生時代。
私のうろ覚えだが、確か当時の育英のメンバーはなんとレギュラーが7人くらい2年生だった。
高校サッカーという世界においてこの3年と2年のアンバランスさは異例だろう。
そしてなんとその2年生中心チームは全国選手権でベスト4まで進んだ。

惜しくも決勝までは進めなかったが、この2年生達はそのままのメンバーで3年生となる。
群馬県勢初の全国選手権決勝進出はもはやこのチームにとって当然のノルマとなった。


準決勝・鉄壁の守備市立船橋との死闘

だが、群馬県勢にとってなぜかこの決勝の壁はあまりに厚い。
前橋育英、前橋商業とこれまでの何度もベスト4まで進みながらも、運命の神はあまりにいたずら好きで残酷だ。
結局この最大の期待をかけられた黄金期メンバーをもってしても、準決勝での市立船橋戦、0−0のスコアレスドローとなり、惜しくもPK戦で敗退。この年の市船はなんと大会での全試合を無失点で優勝した。その市船を最も苦しめたのはこの前橋育英だった。結局はこのPK戦が事実上の決勝戦だったと言っていいだろう。

その時の黄金期のメンバーが現在ザスパ草津に所属するFW佐藤正美やGK岩丸、川崎フロンタ−レ、柏、広島と常に中盤のキープレーヤーとして活躍している茂原、そしてこのキャプテン松下裕樹だ。


鋼の肉体と絶対の自信を持つキック力

この高校選手権で松下は群馬県勢史上最強のメンバーを束ねるキャプテンとして、チームの中心として大活躍をした。
ボランチとして、チームの骨格として圧倒的なフィジカルで相手を止める。
育英というチームは毎年高校生ながらかなり肉体を強化させる傾向があり、松下はまさに鋼の肉体を当時既に持っていた。FW正美とどっこいどっこいか。

そしてなんといっても圧巻はその右足からのキック。
威力、精度ともに超一級であり、中盤の底の位置からロングキックでゲームを作っていく。
その松下のゲームメークが見事なあまり、当時の育英の攻撃的MFにあまり印象がないほどだ。

CK、アウトサイドでゴールを直接狙う

当然FK、CKは左右関係なく全て松下が蹴る。
今でも覚えている。なかなか市立船橋の守備陣相手に後一歩のところで点が取れず、苛立ちも募り始めた終盤過ぎ、松下は向かって右からのコーナーキックの際に、右足で蹴るなら通常GKから離れていくボールを蹴るところを、ついには右足のアウトサイドキックで逆に曲げて直接相手ゴールを狙っていった。
自分はCKの時にアウトサイドで直接ゴールを狙った男はこの松下が最初で最後だ。
あのアウトサイドキックの第一人者ロベルトカルロスでさえ本番でやったことはないだろう。
しかも結構惜しいところまでいった記憶がある。
まあ、つまりはそこまで松下は自分のキックに絶対の自信を持っているわけだ。

鋼の肉体によるハードな中盤での守備。
そして中盤の底からの正確でするどいロングフィード。
なによりチームの中心たるハート。
まさにボランチとしてこの松下に一つの理想形をみた。
この高校選手権をみて、自分はこの松下の将来の日本代表を確信したものだった。


そしてJ1入り、森崎兄弟の壁

輝かしい高校での成績、そしてU-18,U-19という実績をひっさげてJ1広島へ入団。
しかしそこには同じ世代でしかも既にチームの中心として活躍した森崎兄弟がいた。
同じ中盤のポジションでありながら、話題性もあふれたこの双子コンビの壁はあまりに厚い。

松下は入団後の2年間、ほとんど試合に出られず、せっかくのその才能を埋没させた。
3年目、ようやく13試合出場とレギュラーまではいかないにしろ実績を積み、広島がJ2に落ちた4年目、駒野の負傷により右サイドで出番が回ってきたため後半コンスタントに出るようになり、J1復帰の一端を担う。


福岡で中心メンバーとして定着

そしてJ2の福岡へ移籍。
いよいよプロのJリーガーとして本領を発揮する世代となった。
最初の1年目04シーズンは当初怪我で出遅れたらしいが、その後終盤はレギュラーとして定着。
松下の復活と共に福岡も上り調子となり入替戦まで順位を上げる。
柏レイソルとの入替戦は前橋商業出身のMF大野の活躍などで惜しくも福岡は昇格がならなかったが、現在05シーズンでも昇格の有力候補として順調に勝ち星を上げており、当然その中心に松下はいる。

2005年7月13日、ザスパ草津戦で久々に松下を観る事ができた。しかも生観戦で。
J2での広島、福岡戦はTVで放送がないため、まともに松下を観るのは実に育英時代以来だった。

4−4−2の福岡で松下はダブルボランチというよりもワンボランチ気味の守備的MFとしてかなり守備重視のポジションをとっていた。
そのせいか得意のロングキックもあまりなく、時折強気のサイドチェンジを蹴るくらいだった。
試合後のコメントでも群馬という事で気合はあったらしいが、自分としての出来は悪かったらしい。
次のザスパ戦ではもっと松下のロングフィードをみたいものだ。


目指せ、将来の日本代表

プロに入ってからしばらく不遇の時代が続いたが、福岡に来ていよいよその才能を開花させている。
このまま福岡がJ1に昇格したとしてもいよいよ油の乗る世代となる松下はますますチームの中心として活躍することだろう。
そうなればJ1チームの中心プレーヤーとして当然代表の芽も出てくる。

あれほどの守備力、あれほどの右足によるキック。
代表の資格、素質は十分ある。

松下よ、まだまだこれからだ。
ボランチの一つの理想形として、君の成長を期待している。
そして将来はいつかはザスパにね。
(圭志のいない今のザスパに松下入ったらさぞ強くなるだろうにな〜)




(05.07.23UP)



天使



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