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12年ぶりの湘南復帰後
2021シーズンをもって現役引退・・・
一瞬のスピードと前線での鋭いチェイシング
FW 石原 直樹
についてのページ

横棒


湘南 FW13石原

石原 直樹(いしはら なおき)
生年月日 1984年8月14日
身長/体重 173cm/60kg
血液型 A型
出身地 群馬県 高崎市(乗附(のつけ)小→片岡中)
利き足 右(24.5cm)

〜経歴〜
高崎市片岡中
高経大付高('00〜'02)
湘南ベルマーレ('03〜)

−公式戦戦績−
(数字が出場数 ( )内は得点)

J2湘南
'03 J2・17(2) 天皇杯・4(1)
'04 J2・3
'05 J2・8 天皇杯・1
'06 J2・26(9) 天皇杯・2(1)
'07 J2・45(12) 天皇杯・2(2)
'08 J2・41(18) 天皇杯・1

J1大宮
'09 J1・32(7) カップ・4(1) 天皇杯・2
'10 J1・33(9) カップ・6(1) 天皇杯・3
'11 J1・25(4) カップ・2(1) 天皇杯・1

J1広島
'12 J1・32(7) カップ・5(2) 天皇杯・1
'13 J1・33(10) カップ・2(0) 天皇杯・6(1)
'14 J1・29(10) カップ・3(1)
J1浦和
'15 J1・4 天皇杯・1
'16 J1・6 カップ・1(0)
J1仙台
'17 J1・31(10) カップ・6(1)
'18 J1・34(7) カップ・3 天皇杯・5(2)
'19 J1・20(1) カップ・4(1) 天皇杯・1
J1湘南
'20 J1・27(6) カップ・2 天皇杯・
'21 J1・18(0) カップ・6 天皇杯・


湘南・石原直樹
2020シーズン開幕戦(浦和戦)でのFW13石原直樹

湘南・石原直樹サイン

湘南・石原直樹サイン

湘南サポの友人から頂いた石原のサイン入りドライブマーク
Mさん、ありがとうございました^^)





19年5チームを渡り歩き・・・FW石原直樹、湘南で有終の美を飾り現役引退・・・

高崎経済付属を卒業し、J2湘南に加入してから19年間、5チームを渡り歩き、そして2020シーズンに再び湘南に帰ってきた石原直樹は、2021シーズンをもって現役を引退することとなった。

プロのキャリアをスタートさせた湘南に帰り、そして38歳とまだやれる年齢ではあるものの、下位のカテゴリーに行くことはせずに、J1チームにてプロのキャリアを終える、そこに石原直樹としてのプロ選手としてのプライドと覚悟が見て取れる。

引退後は湘南でアンバサダーとしてサッカーの普及活動に従事するということで、これから指導者の道を歩んでいくことだろう。

広島の黄金時代の原動力となった佐藤寿人、高萩の3本の矢を形成したトライアングルは誰にも止める事ができず、キャリアハイといえる活躍は見事だった。

スピードと運動量が武器だった若きFWは、見事にポストプレーや味方をうまく活かす技も身に着け、まさに攻撃において万能な、理想的なFWへと成長した。

その経験を、今後は指導者の道で活かしてくれることだろう。

前橋育英や前橋商業、桐生一といった強豪校ひしめく群馬県内において、あえて高崎経済付属という高校を出て、そこからこれだけの一時代を築き上げた裏には、レッズ所属時の大怪我などの苦境もあった。

そんな経歴を持つ石原直樹にしかできない指導者の道があるはずだ。

今後の石原直樹の第二のキャリアでの活躍にも期待していきたい。

これまで数々のサッカーとしての面白さを味合わせてくれた、まさにワクワクさせてくれる選手だった。
ありがとう、そしてひとまずお疲れ様。


石原(チャ・チャ)
直輝(チャ・チャ)
俺たちの石原直樹



(22.04.13UP)






実績を積み経験を重ね・・・そして12年ぶりの湘南復帰!!

高崎が産んだストライカー・石原直樹は、慣れ親しんだ湘南から大宮へ、そして広島へとステップアップし、広島の3年間では佐藤寿人、高萩と共に”3本の矢”と称されて、3年間で7得点、10得点、10得点と一時代を築く活躍をみせ、石原と共に広島というチームも年間初優勝を遂げるなど、黄金期を迎えた。

そんな2013年にこの石原直樹の紹介・応援ページをアップしてから7年・・・なんとこの2020年は12年ぶりに古巣・湘南に戻るという事になり、早速2月下旬に開催された開幕戦でもファースト得点を決めるなど、35歳となった今でもまだまだ期待できる。

そんな石原直樹の応援ページ、7年ぶりの更新です(^-^;
・・・すみません、その間、ザスパやBUCK-TICKに忙しくて・・・
特にザスパはJ3にも落ちて、そして2年間で上がってと、本当にジェットコースターのような近年だったな・・・




浦和での不遇の時代

広島で大きな成果を遂げた石原直樹は、サッカー界のジャイアンツ、浦和レッズに移籍となる。

ついに石原直樹も日本一のビッグクラブにか・・・それも特に金銭と人気の面での・・・まさに浦和レッズは野球界でいう巨人・ジャイアンツだ。

まあ、俺は嫌いだな、相変わらず。
かつての強烈なアンチ巨人としては、やはり浦和レッズというチームは、過去に細貝が所属しようとも青木拓矢が所属しようとも、やはり浦和レッズでしかない。

そして・・・石原直樹は移籍早々の右膝前十字靭帯の損傷というアクシデントにより、ほぼ2年間、そのキャリアを無駄にし、2年間0得点という本人も屈辱の内容で浦和レッズを去ることとなった。


なんか、やっぱり浦和レッズというチームは好きにはなれない。
どんな監督、選手が揃っても、浦和レッズというチームのサッカーが面白いと感じた事も、何か琴線に触れるような事も、ほとんど過去にない。

そうだな、、、細貝が背番号3を付けて、3バックの右ストッパーをやった時だけは少しはレッズというチームを見直したものだが、しかしそれだけだ。
あとは山田暢久(のぶひさ)の超強気の右サイドバックくらいかな〜



仙台で復活!!

さて、レッズの悪口はそのくらいにしといて、レンタルで出された石原直樹が移籍した先は仙台。

仙台といえば、リャンヨンギや関口など、長年チームを支えたアタッカー達もいい加減世代交代となっていた中での、それでもどうにかJ1というカテゴリーに残留したいチームではあるが、そんな仙台の中で浦和時代に大怪我でブランクの空いた石原直樹は見事に復活した。

これまでの持ち前のスピードでの裏への抜け出し、豊富な運動量からの前線からチェイシングに加え、長年のプロでのキャリアから、前線でのボールのキープといういぶし銀のテクニックまでも身に着けてしまっていた。

それによって仙台の貴重な前線の起点となりまくり、周りも活かしながら2017シーズンは復活の狼煙を上げる10得点という二けた得点をマーク。

石原直樹、まだまだここにあり、と世間に強烈なアピールとなった。



2020年、古巣湘南に12年ぶりの復帰!!!

そして満を持しての形で、2020シーズンは12年ぶりに古巣湘南に久々の復帰となった。

2月下旬の、これまた古巣対決となるレッズとの対戦では、左サイドからの湘南随一の売り出し中のアタッカー鈴木冬一からのクロスを頭で合わせて早速の得点を奪っている。

相方となっているFWタリクとの相性もなかなか良いらしく、今シーズンの湘南の目指すチーム全体での激しいプレスでの攻撃サッカー以外に、パスをきちんと回して相手を崩すスタイルにも、前線でのキープ力を身に着けたベテラン石原の力はチームに生きそうだ。

石原のネット記事からのコメントでも、数々のチームを渡り歩き、そして実績を重ねてきたベテランとして、まだまだ若いチームに試合の中でのプレスをかけていくとか、カウンターを仕掛けると、パスを繋げるとか、そういったメリハリの部分を伝えていきたいと、古巣の今後にどう繋げていけるか、ベテランらしい頼もしいコメントを出してくれている。

そしてこの記事を書いている石原直樹の地元・群馬での上毛新聞では、新型コロナで中断していたリーグの7月頭の開催に向けての石原の写真を割と大きめにアップ。

石原としても、開幕戦でゴールしたいい感触をすぐに次の試合に繋げたかったともコメントしているが、そこはベテランらしくしっかりと精神的にも肉体的にもコントロールして、プロフェッショナルとしてのプレーをリーグ再開後も見せてくれるだろう。

湘南に復帰した石原直樹のますますの活躍に期待したい。

リーグ再開に向けての湘南・石原直樹
7月上旬のリーグ再開に向けてマスク姿で練習する様を掲載した上毛新聞(2020.6.7)





2012年、広島に移籍の石原はJ1初制覇に大きく貢献!!

群馬は高崎が産んだストライカー・石原直樹は、慣れ親しんだ湘南から大宮へ、そして広島へとステップアップし、2012年には前線に欠かせない戦力として広島の年間でのJ1初制覇に大きく貢献した。

2013年現在でも、エース佐藤寿人以上の得点を叩き出しチームを牽引。

しばらくこの石原直樹の応援、紹介ページも色々な公私の忙しさで更新できていなかったので、この機会にこれまでの経緯と今後の展望を少しだけまとめたい。




2009〜2011の大宮時代

2009年、ついにJ1の舞台に戦場を移した石原は、大宮のエースとして君臨。

当然J1では強豪ばかりを相手に、決して強豪とは言えない大宮のチームにあって、苦しみながらも、1年目7得点、2年目の2010年にはチーム得点王の9得点を叩き出す。

石原のFWとしての高い能力が示す結果と言えた。


しかし2010年途中からの鈴木淳監督への交代と、翌年の2011年の怪我もあって、石原はまさにスーパーサブの切り札として扱われ、ある程度の結果は残したものの、本人としては当然スタメンへのこだわりもあって2012年には広島に移籍となった。



広島で寿人、高萩と共に3本の矢として活躍

2012年、広島は李忠成が海外移籍を果たし、前線に大きな穴が出来てしまっていた。
本来の攻撃陣の鍵を握るMF森崎浩司がオーバートレーニング症候群という奇病を抱えていたため、シーズン前半はその穴を石原直樹が埋める事となった。

そして、1トップの不動のエース・佐藤寿人に、シャドーで高萩、石原と並ぶ3トップは恐ろしいほどの威力を放ち、J1の強豪達をまさにキリキリ舞にさせ、3人だけでどんな守備陣でも崩せるほどの輝きを放った。

遠目からでもシュートを狙え、絶妙なパス出しも上手い高萩のファンタジスタとしてのセンスに、石原の持つスピード、決定力、テクニックを兼ね備えたオールマイティーさ、そして最強のフィニッシャーである佐藤寿人のトライアングルは組み合わせが絶妙だった。

この時期、まさにこの3人と広島という地を掛け合わせ、毛利元就の明言である”3本の矢”という表現が多様された。


この3人の活躍により広島は爆発的なスタートダッシュに成功し、その後は森崎浩司も難病を克服しピッチに復帰。

チーム事情もあって、スタメンレギュラーの座は浩司に明け渡すものの、大宮時代から培ったスーパーサブとしての能力も発揮し、前線に欠かせないピースとしてシーズンを通じて活躍し、そして広島に年間でのJ1初制覇を果たした。
(1994年は前期での優勝のみ)




2013年の展望

2013年、J1王者となった広島はアジアでのACLでの戦いとJ1でのリーグ戦とで、ただでさえ層の薄い戦力で強行スケジュールを課せられ苦しんでいる。

特に前線に怪我人が続出し、高萩がようやく開幕から1ヶ月が経つ頃に復帰、その代わり森崎浩司が足のトラブルに会うなど、スクランブル状態の中、石原は1人フル出場を課せられ、そして前線で変わらぬチェイシングと、ゴール前での鋭い嗅覚からの両足、頭、全てを駆使し、既に5試合で2得点2アシストを記録している。
(※ACL含まず)


今のところACLの方は厳しい展開となっているが、J1でのリーグ戦はまだまだはじまったばかり。

まだ攻守の主軸たるMF青山が復帰しない中でも、チームは良い形でのまとまりを見せている。

王者の意地を見せるのはこれからだ。

そして石原にもこの素晴らしいチームの中で、より一層の輝きを放つ活躍を願って止まない。






(13.04.08UP)






2009年からはいよいよJ1の舞台へ

2006年に一気にブレイクし、2007年、2008年と2年連続で2ケタ得点を叩き出し、名実共に湘南のエースに成長した石原には、是非とも湘南をJ1に復帰させて欲しかったが、湘南もあと一歩で昇格を逃し、石原としてもサッカー選手として今一番ノッているこの時期にいい加減J1の舞台で戦って、いずれは日の丸を目指す事となった。

この文章の下にある前回の紹介・応援文の続きとして、2008シーズンを総括し、2009年の展望を記述したい。



2008年の総括

2007年に2ケタ得点で湘南のエースの座を掴んだ石原は、早速J1チームからオファーも受けたらしいが、2008年こそ湘南の昇格に向けた勝負の年と見極め、残留を決意。
開幕当初からシーズン終了までFWの軸として君臨し続け、石原もその期待に応えるように年間を通じて満遍なく得点を重ね、ついには18得点までを叩き込む事となった。

しかし湘南自体は決して順風満帆ではなく、特に夏場に主軸である”神の子”MFアジエルが怪我を負って一時ブラジル帰国となった頃が厳しく、勝ちきれない、引き分けが多くなった時期でもあった。

強化指定の高校生・MF菊池らの台頭はあったものの、やはりアジエルの穴を埋めきれるものではなく、38歳となった加藤望もフルには活躍できなくなり(2009年からは湘南コーチ)、終盤はアジエルが戻ってもチームが復調することはなく、ズルズルと昇格争いのライバル達に競り負けていき、惜しくもJ1復帰は果たせない事となった。


そんなチーム状態の中だったが、それでも18得点という結果を残した石原の実力が際だつ。


苦渋の決断からJ1大宮へ

当然、2年連続2ケタ得点するような選手に各J1チームはいよいよ獲得に乗り出し、複数チームからのオファーがやってくる。

2007年のオフの誘いは断ったものの、昇格失敗から湘南も監督交代で仕切り直しとなったため、同じ一からのスタートならばやはり上の舞台で戦いたいという苦渋の決断からJ1大宮を選ぶ事となる。

やはりサッカー選手、特にFWの選手としては、自分が最も状態の良い時に高い次元でプレーし、自らの価値を高めたいのは当然の事であり、サッカーの世界では常識だ。

特に群馬出身でありながら前橋育英、前橋商業出身でない石原にとって、無名の高校出身からJ1のエースにまでのし上がるという事については憧れと共にこだわりやプライドがあっただろう。



2009年の展望

既に大宮は2008年に石原と同じく18得点(2007年は24得点)を挙げている鳥栖の藤田を獲得しており、ここにJ2屈指のストライカー2人が大宮に揃って入団となった。


藤田は185cmの身長を生かしたプレーも得意な選手であり、石原は敏捷性、スピードを活かした選手。

そして大宮にはもう1人、ラフリッチというスロベニア出身の大型FWがおり、今のところこのラフリッチか藤田のどちらかと2トップを組みそう。

もしくは石原の運動量、スピードを活かす意味でも右サイドハーフで使われる可能性もあるらしい。

何にせよ、エースナンバーである9番をJ2からの選手にいきなり与える事からも、石原に対する大宮の期待度と本気度を感じる。
特に監督に就任したチャンウェリョン監督は走るサッカーを標榜しており、石原の機動力、運動量は明らかにその戦術の軸となるものだ。



石原よ、日の丸を目指せ

自分としては湘南で頑張って、何としてでも2009年こそは昇格を果たしてもらいたかったが、こればかりは仕方ない。

湘南を去る時に、社長からも将来必ず日本代表に、という約束を交わされたという石原。

J1に行くからにはそこで大いに結果を残し、近い将来代表に呼ばれる選手となって欲しい。

FWというポジションは特に得点という結果さえ出せば否応なしに代表に呼ばれるポジションであり、特に今の岡田ジャパンがFWに求めるスピード、運動量、決定力といったものを石原は兼ね備えている。


後は結果を残すのみ。

2009年の結果次第では、2010年の南アW杯で石原が日本の切り札として日の丸を背負う事も決して夢ではない。




(09.02.10UP)







〜以下、2007年オフの時の紹介・応援文〜



群馬でも無名だった石原

私は基本的に群馬県出身のJリーガーはほぼ全てファンであり、このページでも徐々に採り上げて紹介ページを書き連ねるが、やはりそれらの選手は皆群馬の名門・前橋育英か前橋商業出身の選手達だった。

しかし時代は徐々に変化し、必ずしも育英か前商のみがプロへの道というわけではなくなっている。

今回紹介する湘南のエース・FW11石原直樹がまさに育英、前商以外の出身で成功を収めている選手だ。


高崎に生まれ高崎で育ち、そして高崎経済付属という高崎の高校の出身である石原は、育英、前商でもなく、全国高校選手権への出場も果たしていないにも関わらず高校卒業後J2の湘南ベルマーレへ就職した。

最近では群馬県大会でも準決勝くらいまでは頻繁に顔を出すようになり、育英、前商に次ぐサッカー強豪校の一つとして名の知れてきた高経付属だが、石原卒業当時はまだまだ無名で、当然石原の名も無名。


正直私もよく知らないまま石原は高卒以降3年間を地道に湘南で修行を積んできた。

そしてプロ4年目の2006シーズン、無名であった石原は急にピッチ上の表舞台に立つこととなる。


2006シーズン監督交代という転機

2006シーズンも過去3年間同様石原は4番手、5番手程度のFWだった。
FWの主軸は助っ人外人FWファビオ、浦和からのFW梅田、大宮からのFW横山と実績と経験、実力者が揃っており、また絶対的な司令塔であり点取り屋のMFアジエルも度々2トップで起用されたため、これではなかなか石原も出番が少なかった。

しかし何度か私もこのHPで指摘していたとおり、攻撃陣はともかく守備陣があまりに弱すぎ、その要因としてやはりキャプテン佐藤ユースケの守備の負担が中途半端に大きかったのが一因だと今でも思っているが、それらの守備の面でのチーム作りに失敗した事によりチームは下位に低迷、3シーズン目に入った上田監督は早々に更迭となり、6月初旬、菅野監督に交代となる。

この監督交代が石原にとって全ての転機となった。

菅野監督は当然の事ながら低迷するチームを変えるために何かしらのチームの変革を求め、実績と経験だけに頼った選手選考ではなく、チーム内に眠っている戦力の発掘に目を向け、そして白羽の矢がたったのがまさにこの石原だった。



縦横無尽に駆けめぐる石原

第2クール途中から急に使われるようになった石原は、それまでの3年間貯めに貯めたエネルギーを一気に発散させるかのように、前線で激しく動き回った。

何度でも何度でも前線からしつこくチェイシングをかけ、常に相手DF陣にプレッシャーを与え、落ち着いたパス回しをさせない。
そして万が一でも石原がボールをカットしようものなら、持ち前の高い身体能力を活かしたダッシュ力で一気にゴール前まで詰め寄る。


その運動量は石原にとって非常に重要な武器であり、例えばクロスの名手・加藤望さんが上げるクロスなどに対し、いつの間にやら絶好の位置に走り込み、そして持ち前のゴール前での一瞬のスピードで相手DFを置き去りにして、ピンポイントでゴールを決めてしまう。

運動量、スピード、ジャンプ力ととにかく高い身体能力により、石原はストライカーとしてほぼ欠点の無い資質を兼ね備えていた。



果てしないチームへの貢献度

その運動量、スピードを武器にゴールを着実に挙げていき一気にチームのFW陣の核となった石原だが、石原の凄いところは決して得点のみにあるわけでもない。

よくロナウドや柳沢のように、89分さぼっていても1分間だけ仕事をして得点をする、まさにストライカー、点取り屋というFWはいるが、石原の場合は決して点をとるだけではない。

先程述べたとおり、その前線からのチェイシングは守備の面でも非常に大きな効力をチームにもたらし、そして豊富な運動量により常に中盤の望さんやアジエルらのパスコースの1つとして選択枝を広げる。

ボールを持てば、原則はそのスピードを武器に相手に勝負を挑み、だからといってやみくもにゴールのみを目指すわけでもなく的確に味方へもパスを送る。


これら、ゲームを作る、という意味において、石原はまさに理想的な選手だ。

例えゴールを決めずとも、石原がこれだけ精力的に前線で動く事で常に相手に対しプレッシャーを与え、湘南は攻撃の形を作る事ができ、有利に試合を進める事が出来る。

攻撃においても守備においても石原は常に相手にとって脅威的な選手となり、一瞬の隙も与えられない。
そして石原は常にその一瞬の隙を付け狙う。
まさにこれこそがストライカーとしてのあるべき姿。
味方にとって頼もしい存在であると共に、相手にとって非常に嫌な選手こそがストライカーである証しだ。


不動のエースとして活躍した2007

そうして2007シーズン、ゼッケンも19番からエース番号の11番に代わり、不動のFW陣のエースとして序盤から活躍してきた石原だが、やはりJ2という長いシーズン、中盤の頃を過ぎるとさすがに石原の自慢の機動力にも陰りが見え、そしてやはり機動力が鈍ると得点という結果にも響いてくる。

しばらく得点できない時期も続き、湘南も途中でFWエドワルド・マルケスといった補強をしたこともあり一時期ベンチも多くなったが、それでもやはり菅野監督の石原に対する信頼は揺るがず、例えベンチスタートでもほぼ必ず途中投入され、結局は48試合中45試合出場、12得点という結果を残す。

まあ2006シーズンが26試合9得点と、3試合で1得点のペースを上回った石原からしてみれば、あと5得点ほどは欲しかったが、それでも石原のゴールはチームが劣勢であるときほど決める割合が多く、印象に深い、貢献度の高い得点が多いのが特徴。


またザスパ草津も今季は4回全てスタメンだった石原と対戦したが、第2、第3クールと得点を入れられ、そして第4クール目には石原のあまりに鋭いチェイシングからザスパMF秋葉が思わず大きすぎるバックパスを送ってしまい、GK本田の頭を越えて本田のミスもありオウンゴールという実質3点目を決められている。

このような思わぬ得点をもたらすのも、やはり石原の特長である鋭いチェイシングのお陰であり、こういった陰の貢献度はFWながらも大きい。

完全に今シーズンは石原にやられてしまった感のあるザスパだが、来シーズンも手強い相手となりそうだ。



湘南悲願の昇格へ向け

もともと、攻撃力ならばJ1に通用するとの定評のある湘南攻撃陣の中で、無名ながらここまで頭角を表すことのできた石原の能力はまだまだ計り知れないものがある。

各試合、かなり多目のシュートを放つ印象があるが、それもやはり石原の能力の高さを表す。
あとはそのシュートのゴール決定率を上げていく事だろう。

そしてそのための経験値も着実にこの2シーズンで蓄えてきており、来シーズン以降もますます期待できる。



2007シーズンの湘南は課題であった守備陣にジャーン、齋藤という大型補強を行い安定したこともあり最後まで昇格争いの食い込む6位という好結果を出した。

あと少し、勝負への粘り強さ、守備の安定が更に増せば、湘南の来シーズンの昇格はますます現実味が増す。


中田ヒデが3年半在籍し、ロペス、野口、名良橋、岩本テル、名塚、田坂、ホンミョンボ、そして元ザスパのGK小島ら多くのタレントを抱え一時はJリーグでの強豪の仲間入りもしていた湘南も、J2に2000年に落ちてからは既に8年間もの長い間をJ2で過ごしてしまっている。
風邪をこじらせると長いという格言をもじって”J2をこじらせると長い”という不名誉な格言を作る要因となっているチームがこの湘南であり、いい加減湘南サポータとしてもそろそろJ1という願いは強い事だろう。

是非とも石原にはそのスピードで湘南を牽引し、そして悲願の昇格に導いて欲しいものだ。







(07.12.15UP)



天使



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