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アルテ高崎

〜ARTE TAKASAKI〜
(JFL)
・・・H24.1解散決定・・・

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横棒



アルテ

 JFL2011シーズン後期第15節 ジェフリザーブズ戦2−1 (11.11.12UP)

 JFL2011シーズン前期第15節 男・松田直樹の凱旋帰郷!!松本山雅FC戦1−5 (11.06.18UP)

 JFL2010シーズン入替戦第2戦 三洋電機洲本戦1−1 (10.12.19UP)

 JFL2008シーズン後期第16節 ジェフリザーブズ戦2−1 (08.11.25UP)

 JFL2007シーズンの総括 記録的惨敗、そして命拾いのJFL残留 (07.12.27UP)

 JFL2006シーズン後期第7節 アローズ北陸戦0−3 (06.08.21UP)

 JFL2006シーズン 前半戦を終え混迷・・・ (06.08.04UP)

 JFL2006シーズン開幕 流通経済大学戦2−0 (06.03.21UP)


アルテ高崎サポータ





H24.1突然の解散発表・・・

このHPでも更新回数こそ少ないけれど応援してきたアルテ高崎が残念ながらJFLから退会、そして実質解散という悲しいニュースが流れた・・・

現場サイドの監督や選手、スタッフ達のサッカーにかける純粋な熱い想いとは裏腹に、経営陣(というか堀越学園のオーナー個人の問題)の全くサッカーには思い入れも無い、単なるビジネスライクなだけの、完全放任運営のギャップにはサッカーを愛する者として非常に悲しい思いが半分で応援してきた中、本当に残念・・・

解散と同時にチームを離れる事が直前に決定した、地元前橋出身の左のスペシャリストのDF山田ヒロヤや、育英出身の佐藤大樹、前橋商業出身のGK土田など、惜しまれる戦力も多い。




振り回された堀越学園の運営

本当に、アルテ高崎というチームはそもそも堀越学園の広告塔として振り回されてきた。

私がそもそもアルテ高崎に注目するようになったのは、下記の応援当初の文のとおり、2006年にFCホリコシというあからさまな企業チーム名から脱却し、地域名を冠す”アルテ高崎”に改名されてから。

企業チームから脱却し、地域との密着を第一とした、本当の高崎のチームになってくれればと期待していた。


だが、その実態は全くその後も変わる事無く、結局はアルテ高崎は堀越学園の単なる広告媒体の1つでしか無かった。

やはり同時期に立ち上がり、一気にJリーグまで昇格していったザスパ草津というもう1つのチームがすぐ隣の前橋を本拠地に存在する限り、県サッカー協会も所詮企業チームのイメージが全く拭えないアルテ高崎を完全な地元を代表としたチームとして取り扱う事は出来なかったのだろう。


そもそも堀越学園側としても、本当に地域密着化していこうという気があったのかもいまいち希薄な感じがあり、結局堀越学園側はチーム運営に必要な最低限の運営資金だけを渡し、あとは完全に丸投げ、放任していたようであり、あとの事は全て現場サイドに任された。


中途半端に放り投げられた形となった現場は、それでもサッカーに賭ける情熱だけを頼りに必死に戦った。

2007年、2008年は2年連続で最下位を争い、通常ならJFLから降格してしまうところが、当時は毎年2チームづつJ2リーグに昇格するチームがおり、チーム数の関係でかろうじて降格を免れるといった薄氷の中のギリギリたの体制が続いた。

その頃は半年に1回は監督が交代、シーズン途中でもどんどん選手が自らなのか、チームの方針なのか放出されていき、どんどんアルテというチームが崩壊していった頃だった。



惜しまれる後藤監督の手腕

そんな中、変革をもたらしたのは2009年に就任した後藤義一監督の手腕は特筆すべきものだった。

それまでどん底だったチーム状況から、しっかりしたビジョンを元とした練習を行うなどチームは生まれ変わり、試合内容もハッキリと違いがわかるものとなっていった。

まあこの辺は1年に1、2回しか試合を見ない私がとやかく言える事ではないが、2010シーズンの入れ替え戦や、2011シーズンの2試合を見る限りは、まず守備網がしっかり整備されており、攻撃などにもなかなか明確な狙いを持った良いサッカーをしていると見てとれた。


結局は2010シーズンも入れ替え戦枠になるなど、順位としては結局最下位を争ったのかもしれないが、しかしチームの骨格が徐々に出来てきた中での、この突然の発表はあまりに悲しいものだった。



この話が現場に降りてきたのはようやく12月下旬になった頃であり、そして1月上旬までに正式にリーグの方にも申請しなければいけないという状況という中、後藤監督はじめこれまで懸命に頑張ってきた現場サイドは運営団体を作りチームを必死に存続させようと尽力したらしい。



だが年末年始の中でどんなに関係者に当たろうとしても限界はあっただろうし、結局は今回の発表となったわけだ。



なぜこの瀬戸際になって??

とにかく不可解なのは、なぜこの瀬戸際の時期になってかという事。

昨年はもう当初の頃から堀越学園グループの学校で教師への給料不払いなどのニュースがちらほら地元紙に散見されており、経営が不安視されていた。

そうなればアルテ高崎の運営はもっとヤバイのでは、と当然チーム事情に詳しくない私でも思っていたわけで、そんな事はもう随分と前から運営陣なら分かっていたはずだ。



しかし来季の体制を確認する秋口に言うわけでもなく、なんとこの年明けの1月という時期にようやく発表に至ったわけだ。


問題は選手達であり、この時期ではどこのチームも既に戦力などの体制は整えてしまっている時期。

当然各チームのスカウトが集まるトライアウトに参加できたわけでもなく、次の行き先は未だ不明な選手が大半となっている。



立つ鳥後を濁さず、とはよく言ったものだが、引き際というものは非常に重要だ。

同じ引くにしても、関係者の誰もが円満に次の場に行ける準備はできる。

しかし、これだけ瀬戸際のギリギリになってやっと現場サイドに伝えるのでは話にならない。

最悪の引き方といえるだろう。



思えば、1998年のシーズン終盤、突然横浜フリューゲルス解散(吸収)を発表したのも、本当に突然だった。

もう少し前から言ってもらえれば、今の横浜FCなどもJFLからではなく、あくまでJリーグの一員としたままチームを別の形で存続させられる方法はあっただろう。



結局は全ては経営陣のほんの一部の人間の利己的な判断によって、現場サイドの全ての人間が被害を被るということだ。





真の地域と共に歩むサッカークラブを

結局は最初から最後まで堀越学園側の非道い経営思想に振り回されたアルテ高崎(FCホリコシ)。

やはり固定の企業にのみ頼ったチーム運営はいずれこうなる。

結局は横浜フリューゲルスの時と全く同じ形であり、サッカーを愛するものとして、こういったサッカーに全く興味も価値も示さない一部の経営陣の都合だけで、現場のサッカーに賭ける熱い想いがいとも簡単に踏みにじられるのだけは本当に悔しい。



アルテ高崎はトップチームよりもむしろ大きな団体となっているジュニア世代の下部組織のスクールなどはまだ存続するとのことで、トップチームとしても何らかの形で残る可能性はまだ残っている。


その新生アルテ高崎にしても、ザスパ草津や図南SCにしても、やはり地域の誇りとして応援するに相応しいチーム理念を持ち、そして地域と共に歩めるクラブを目指して欲しい。


こういった悲劇がもう2度と訪れないように・・・





(2012.01.21UP)










(〜以下、2006年のアルテ高崎応援当初の文章〜)

ザスパに次ぐ群馬サッカークラブ”アルテ高崎”

群馬には現在J2で戦うザスパ草津の他にも、Jリーグ入りを目指すチームはある。
その中でも現在2番手につけるは当然JFLで戦っている”アルテ高崎”だ。

2000年のチーム創立以来、昨年までFCフォルトナや、FCホリコシという名称で時にはザスパの強力なライバルとして今日まで戦っていたが、とってつけたように”群馬”FCホリコシと群馬の名を中途半端に入れるなど、その表面上の都合の良さにあまり個人的にいいイメージがなかった。
フォルトナは商標の関係から変更せざるを得なかったらしいが、やはり企業名であるホリコシの名が入っていて、群馬のチームでありながらほとんど群馬出身の選手もいないのではとてもおらが町のチームとして応援する気にはなれない。
(ちなみにかの有名な東京都中野の芸能人学校、堀越学園(堀越高等学校)とこの堀越学園、ホリコシグループは全く関係がないとのこと。おそらく名前が紛らわしいので、学校の名前も創造学園と変えたのだろう)

しかし、今シーズンからガラっと名称を変え、”アルテ高崎”に。
まず企業名を外した事、そして高崎という具体的な、実質的な地元名称を入れた事はいよいよホリコシのサッカークラブ作りへの本気が見える。


Jリーグ入りに必要な地域への密着度

なぜ名称まで変えたか?
一番の理由はJリーグ入りするための条件である地域への密着度、自治体の協力体制の確保のためだろう。

Jリーグ規格のスタジアムは未だ高崎にはなく、県営敷島陸上のようにこのスタジアムの確保(改修、新設)のためにはやはり自治体の力が必要だ。
現在ホリコシはこの照準を高崎競馬場跡地のサッカースタジアム化への要望という形で高崎市に申し出ている。


夢の高崎競馬場跡地スタジアム化構想

高崎競馬場跡地のスタジアム化は個人的には群馬県の総力を結集してでも、何を置いてでも実施すべき大変有意義なものだが、実際問題それにかかる莫大な費用はというと、バブル期のいくらでも協賛スポンサーが集まるような時代ならともかく今は不可能に近い。

よって旧高崎競馬場スタジアムは夢としても、とにかくどこかのスタジアムは自治体に頼む必要があるわけであり、今年からJ2入りした愛媛FCはこの点で自治体の全面的な協力を得られ、逆転勝訴でぎりぎり基準を満たし昨年の認証となった。

また、企業名をどうどうと掲げておきながら、ホームタウンを群馬県域全体などという虫のいい事をやめ、”高崎”と実質群馬県NO.1の都市に照準を絞る事で逆にファン層を拡大し、地域への密着度を深めるという事は大変好ましい事だ。

以上のような理由からのこの高崎への照準。自治体への協力も自ら高崎の名にすることで自治体との一体感を図る事ができる。
私はこの事により俄然アルテに注目する事となった。


戦力の充実

Jリーグを目指すくらいならさぞ強いのかというと、残念ながらJFLに上がってからのこの2年間、連続8位と決して好ましい数字ではない。
Jリーグ入りのためには原則2位以内が必要であり、ちょっと今のままではまだ厳しい。

しかし、アルテの戦力の整え方は年々過熱気味だ。
これまでのFC東京からのFWアマラオ、GK鏑木などの他、今年は元大宮のFW磯山、そしてザスパからはMF高須洋平が加入する事となり、いよいよJFLレベルとは一歩抜きん出た戦力の充実を図っている。

この磯山と高須の存在は私の興味を引くのに十分だった。

FWジャンボ磯山

まずFW磯山。
埼玉在住時に大宮ファンであった私は、暇があったら大宮公園に通った。
そしてJ2大宮の中で一際目を引いたのはこのジャンボ磯山。
185cmと背が高く、ポストプレー、ヘディングはもちろん、足元の技術も確かで、なかなか好きな選手だった。

その磯山がまさか群馬のサッカークラブに来る事になるとは世の中わからないものだ。


MF左のテクニシャン高須

そしてザスパからのMF高須。
左足からの精度の高いキックを持つこの高須は、左利きという以外にも、切れ味するどいドリブル、スルーパスなど攻撃に関わる技術は十分Jリーグに通じる実力だ。

ザスパの中でも甘いマスクを持つ高須の女性ファンは多く、おそらく多くのファンが高須と共にアルテの試合に駆け付ける事となるだろう。


否応でもこの2人の新戦力には注目したいところだ。


この先のアルテに注目

以上のとおりこれまでザスパなどで手一杯だった私だが、今年からはアルテにも注目していきたいと思う。
群馬のサッカー、スポーツシーンにとって、Jリーグ入りを目指すチームがある事は歓迎すべきだ。
果たしてホリコシはどれだけ本気で狙っているのか。
企業の利益以上に地域密着、ファンのためのクラブ作りを本気でする気はあるのか。
それいかんによっては、このクラブは全く存在意義が変わってくる。


ザスパとの関係は

ところで高崎に照準を絞られた事で、生っ粋の前橋っ子の私としては複雑だ。
今のところホームに据えている浜川陸上競技場は高崎とはいってもほとんど群馬町。
今の私の前橋の住居から割と近く、応援する環境はいいが、やはりザスパと比較すると群馬出身選手の数、地域への密着度、どれをとってもアルテはまだまだだ。

もちろんJ2に上がったなら、ザスパとの群馬ダービー再開となるが、ザスパの方を応援する事に変わりはない。

しかし、ザスパがアウェ−に行っている時に、アルテの方で観戦に行けるのは悪くない。
それに群馬県内のサッカーチームである限り、応援をしないわけにはいかない。


何よりも選手達に敬意を

いや、それ以上にアマラオ、鏑木、磯山のようなバリバリJリーグで渡り歩いてきた選手を初め、将来のJリーグ入りを目指してこの群馬の地で頑張ってサッカーをしている姿を観れば否が応でも応援したくなる。
私のサッカーファンとしての根底には、クラブではなく選手を応援するという大前提がある。
クラブがどんなに悪でも(いや、別にホリコシが悪というわけでなく)、純粋にサッカーに情熱をかたむける選手達に悪はない。


ザスパとの群馬ダービーでは大いに敵チームとしてブーイングをかけるが、その他は群馬のサッカーチームとして応援していきたい。

とにかく、群馬出身プレーヤーの積極的な獲得など、まだまだこれからも群馬に根付いたクラブ作りを願いたいと思う。


将来、青のザスパと赤のアルテの群馬ダービーがJリーグの地で実現せんことを

(できれば高崎競馬場跡地スタジアムで)



(06.03.20UP)

060319

2006JFL開幕戦 浜川陸上競技場にて




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