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”前所属”横浜FLUGELS(フリューゲルス)
GK 楢崎 正剛
2015.10.3 前人未踏の600試合出場達成!!!
2019.1.12 現役引退表明・・・そして山口素弘からの花束・・・


横棒


現役引退表明・・・そして山口素弘からの花束・・・

前所属・横浜フリューゲルスをただ一人守り抜いてきたGK楢崎正剛が、ついに2018シーズンをもって現役引退を表明した。

既に42歳を迎えている楢崎だが、おそらくカテゴリーを落とせば、まだまだ活躍できるクラブはあっただろうに、しかし、あくまで横浜フリューゲルスから移籍したただ一つのクラブ・名古屋グランパスで現役を終える決意となった。

条件面次第では、頻繁な移籍が当たり前のサッカー界において、しかし20年間に渡り、名古屋グランパスに所属し続け、それにより、その前の所属チームはずっと20年間”前所属・横浜フリューゲルス”であり続けた。

その楢崎もついに引退か・・・それにしても、もうあの横浜フリューゲルス消滅の日1999年1月1日から20年経ったのか・・・

本当に時の流れを感じる。


奇しくも、この2018シーズンをもって、当時日本代表のGKの座を争った相模原SCのGK川口能活、そして共に日本代表のゴールを守り続けた横浜マリノスのDF中澤佑二という、かつての日本代表の仲間たちも同時に現役引退となり、何かの結びつきを感じる。

平成という名と共に、大きくサッカー界の歴史が変わる、そんなシーズンオフとなった。




そして、2019年1月12日の上毛新聞に載った記事は以下の通り。

横浜フリューゲルス GK楢崎正剛 現役引退表明・・・そして山口素弘からの花束・・・
上毛新聞記事での現役引退記者会見を終えた楢崎に、元チームメイトの山口素弘からの花束・・・なんて感慨深い・・・


ああ、、、わが師と崇める山口素弘からの花束贈呈ですか・・・

1999シーズン、横浜フリューゲルスの選手たちは各々のチームに散った。

その内、この山口素弘と楢崎正剛の2人は共に名古屋グランパスに移籍した。

必然的に、1999シーズンから自分は名古屋ファンにならざるを得なかった。
当時はあの平野孝や望月重良もいた。
あの時の名古屋グランパスも、本当に素晴らしいメンバーが集まったチームだった。

呂比須 福田

平野孝  ストイコビッチ
山口素弘 望月重良

中谷勇介        石川康
大岩剛 トーレス(古賀)

楢崎正剛



この素晴らしいチームも、翌年2000シーズン途中には、あの疑惑の平野、望月、大岩3名の突然の解雇事件があり、自分の名古屋ファン時代は短命に終わってしまった。

当時のチームの軸・ピクシーストイコビッチが、チームの戦力がガタ落ちになる事を留意しつつも、チームはあくまで監督寄りの一方的な通告で弱い立場の選手を切った。

フリューゲルスに続き、またしても応援するチームを奪われた思いだった。。。

それ以上に、当時のフロントを擁護する名古屋サポ達・・・思い返しただけでも、未だにおぞましすぎる。

フリューゲルスの消滅、そして名古屋事件、当時は狂騒的に生じたJリーグの膿が一気に噴出した様な時期だった。

3人の解雇を止めに入ったという(と聞いている)、当時の名古屋グランパスでもキャプテンとしてチームを率いていた山口素弘、そして楢崎正剛共に、2年連続でこんな前代未聞の事件に巻き込まれた思いはいくばくか。



しかし、それから20年間、あくまで楢崎はその名古屋グランパスに残り続けた。

どんな事があろうとも、もうフリューゲルスの名を無くしたりはしない。

グランパスに残り続ける事で、もう悪しき事件を起こす事もさせず、そしてフリューゲルスの名も”前所属”として残す。

名古屋グランパスというビッグクラブにおいて、40歳になるまで完全レギュラーの座を守り続け、そして前所属・横浜フリューゲルスの名を残し続けてくれた楢崎正剛選手、、、本当に有難うございました。

あなたが守護神であったことは、本当にフリューゲルスファンとしての誇りです。

今まで、フリューゲルスを守り続けてくれて、本当に有難うございました。

そして、お疲れさまでした。


楢崎正剛という偉大なGKの名は、Jリーグの歴史に残し続けるべきだろう。




(19.1.12UP)






楢崎正剛、Jリーグ600試合の偉業達成!!

”前所属”「横浜フリューゲルス」であり、現在もなお名古屋グランパスで活躍中のGK楢崎正剛が、2015年10月3日のJ1リーグ2ndステージ第13節柏レイソル戦で、Jリーグ試合出場600回の偉業を成し遂げた。

Jリーグだけでの記録でみれば、48歳で未だ現役続行となった横浜FCのキングカズをも上回る事からも、どれだけ長年コンスタントに活躍を続けてきたのかが分かる。


日本代表でも長らく代表のゴールを守り続けながら、そして名古屋グランパスという強豪クラブで今でも正GKの座を39歳を迎えた中で守り続けている。

なんとも驚異的な事であり、もはやこの金字塔は、長年の間、Jリーグで塗り替えられる事は無いだろう。


このあまりに偉大な、日本サッカー界の歴史に残る選手が、毎回TVなどのメディアに出される時に出るテロップ。

そこに映るのは「”前所属”横浜フリューゲルス」・・・


もう15年以上も前に消滅したチーム名が、今でもそこに、リアルタイムで全国ネットのTVに堂々と映るという、この事実・・・


そこには楢崎正剛という、男の中の男が秘めた熱い思いがあった。





1998年10月29日、突然の横浜フリューゲルス消滅の発表・・・

この楢崎正剛の試合出場600回記念インタビューが9月30日発売のエルゴラッソに載った。

横浜フリューゲルス GK楢崎正剛

そこに書かれていた記事から自分なりのコメントを残したい。


・・・まず、記憶は楢崎が100試合出場となった1998年10月24日から、わずか5日後の、1998年10月29日にさかのぼる。

そう、横浜フリューゲルスの最大のライバルであり、熱き横浜ダービーを日々繰り広げた、あのにっくき横浜マリノスとの、あり得ない合併、事実上のクラブの消滅が発表された時だった。

既にこの年、日本代表に選ばれはじめた楢崎だったが、まだ在籍4年目、まだまだ若手の楢崎にとって、同じクラブの在籍歴の長い選手やベテランの選手たちのショック、辛さは、どうしたらいいかわからない楢崎にとってはただただ混乱するばかりだった。


横浜フリューゲルス GK楢崎正剛
若き日本代表GKの、消滅が決定したクラブの”F”の文字が刻まれたフラッグを握りしめ、ただうつむくだけのあまりに悲しい当時の姿・・・
ああ、今でも自然と涙が出る・・・



その後、キャプテン山口素弘と共に名古屋に移籍した楢崎は、前所属からフリューゲルスの名を消さないために名古屋から移籍しないのでは、という噂もよくあったそうだが、楢崎本人はそこまでのこだわりは無かったらしい。

確かにサッカー選手にとって、そんなに長くプレーできるかも、本人だってわからない事だ。




”前所属”横浜フリューゲルス

しかし、山口素弘も含め、徐々に元フリューゲルスの選手が引退していく中、”前所属”横浜フリューゲルスである選手が楢崎だけになった時期は、やはりそういった状況をすごく考える時期もあったらしい。

使命という意味でフリューゲルスの名を残したいとかではなく、それ以上にあのあってはならない、大人の事情だけで純粋にサッカーを、クラブを愛するサポータ、ファン達の心をないがしろにするような、その心を踏みにじるような事があってはならない出来事を、決して忘れて欲しくないという気持ちは強くあった。

そんな思いのコメントが、このエルゴラッソには載っていた。



・・・これだけ名古屋という素晴らしい強豪チームで長らく活躍し、その後日本代表でも数々の活躍をしてきた、この偉大過ぎる選手が、ここまでの思いを持っていてくれたとは・・・


凄い事だ・・・

15年以上も前の ”前所属”クラブの名を、未だに全国のメディアに載せ続ける、たった1人の偉業・・・



非常に僭越であるし、あまりに手前味噌過ぎる事だが、どうしてもその楢崎のコメントに、自分自身を重ねてしまう私がいた。


そうだ・・・

ここ数年、何年か毎に、いい加減この”元FLUGELSファン”なんていう名前をいつまで続けていくのか・・・

このHPはもう8割、9割以上がザスパクサツ群馬の事じゃないか。

こんなスカイブルーと白と紺の色調で、一体いつまでザスパの記事を書き続けるつもりなのか・・・

そろそろ紺と黄色の色調に変えて、もっとザスパカラーでわかりやすくHPを運営し続ければいいじゃないか。



・・・もう何回、同じような考えが頭をよぎっただろう。


しかし・・・


すぐに思い返す。

なぜ自分が、11年前にこの”元FLUGELSファン”という名前を背負って、このブルースカイの色調でHPを立ち上げ、そしてこれまで続けてきたのか、その意味を・・・


フリューゲルスが1999年1月1日に消滅してから15年以上。

もう平成生まれなどの若い世代は、そもそも横浜フリューゲルスという名前すら知らない人が多くなっているだろう。


しかし、少なくとも、私のHPを飽きもせず(いや、いい加減飽きてますか?)たまにHPを観てくれている常連さん達は、このフリューゲルスという名だけは私のHPを観るたびに、多少なりとも思い返してくれている事だろう。


当時、決してサポータではなかった、遠い群馬の地で細々とTV越しに応援し、たまに年に数回だけ横浜に応援に行っていただけの一ファンにとっては、このHPの運営くらいが精一杯出来るわずかな社会に対する抵抗だ。



あの悲劇を忘れてはいけない。

決して繰り返しさせてはいけない。


純粋な、サッカーを愛する心を、もう決して踏みにじられないよう。


そうだ、自分がこのHPを運営出来る限り、この看板は下ろさない。

ザスパだかフリューゲルスだか分かりにくかろうとも、所詮は個人的な勝手にやっているHPだ。


しかし、このHPが存続する限り、細々とだが、ネット上には、横浜フリューゲルスの名は残り続ける。


決して忘れないために。

忘れさせないために。


楢崎のこの記事は、激しく自分の励みとなった。





ついに復活したフリューゲルスのエンブレム

その楢崎の600試合記念セレモニーが10月24日名古屋対新潟のホーム戦であり、その日、特別Tシャツが販売された。

それが下のフリューゲルスのエンブレムの入ったTシャツだった。

楢崎正剛 横浜フリューゲルスエンブレム入りの600試合記念Tシャツ
グランパスカラーの赤一色の中で、一際目立つ”F”のスカイブルーのエンブレム


おそらく、1999年のフリューゲルス消滅以来、建前上の合併先であった横浜マリノスに一切の権利が移行してから、このフリューゲルスのエンブレムが使われたのは初めてだったのではと思われる。


これだけの偉大な選手の、たった2つの所属クラブ、それが横浜フリューゲルスと名古屋グランパスだけであった事の意味の重大さが、これからも分かるし、それだけ楢崎のこの功績が凄い事だと認められた証だ。


そして、この試合前のセレモニーでのサプライズプレゼンターとして、当時一緒に名古屋に移籍したキャプテン山口素弘が、この日の試合のスカパーの試合解説者であった事もあり登場。
この時の楢崎の驚きと喜びようは凄かったらしい。


なんて粋な計らいだろうか。

いろいろなハードルを越え、この素晴らしい企画を立ててくれた名古屋グランパスというビッグクラブに、改めて敬意を表すると共に、確実にフリューゲルスの名、その証がここに刻まれた事を本当にうれしく思う。


楢崎正剛選手、まだまだこれからのご活躍、応援しております。






(15.11.17UP)












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