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横浜FLUGELSとは?


横棒

前身は横浜市にあった中区スポーツ少年団(のちに横浜サッカークラブと改称)で、のちに全日空が援助を行い、横浜トライスター・サッカークラブ→全日空横浜サッカークラブ(全日空スポーツ)となった。
1991年にJリーグに加盟。Jリーグ開幕時の加盟チームのひとつ。ホームタウンは神奈川県横浜市、ホームスタジアムは三ツ沢公園球技場と横浜マリノスと同一であり、両チームの対戦は横浜ダービーマッチと呼ばれた。

「フリューゲル(Flugel)」はドイツ語で「翼」という意味だが、サッカー用語としては英語と同様にウイング(翼)と呼ばれるポジションも意味する。

スタート当初は全日空 (ANA) のAと、Jリーグ参戦にあたり共同出資したゼネコン・佐藤工業のSを取って「A・S(エイ・エス)フリューゲルス」と名乗っていた時期もあった。
1998年、三ツ沢に加えて横浜国際総合競技場も本拠地にしたが、出資会社の一つ佐藤工業が本業の経営不振のためチーム運営からの撤退を表明。もう一つの出資会社全日本空輸も、航空業界の競争激化により単独でチームを支える余力がなく、横浜マリノスの親会社日産自動車との協議の結果、横浜マリノスと合併(実質上はマリノスによる吸収)することになった。
同年開催の天皇杯、負ければその時点でチーム消滅という状況の中、決勝まで勝ち進んだ。1999年1月1日の決勝では、清水エスパルスを逆転で破って優勝。有終の美を飾った。終わってみれば合併発表後、一度も負けることがなかった。

同年、フリューゲルス存続を願うサポーターの熱意により、横浜FCが設立された。
現在「フリューゲルス」の名称を含む諸権利は横浜F・マリノスの運営会社が保有している。また2004年2月、フリューゲルス関連グッズが東京都文京区にある日本サッカー協会本部(JFAハウス)の「日本サッカーミュージアム」に寄贈された。

(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

横浜FLUGELSのロゴ

横浜フリューゲルス



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