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こうして私は横浜FLUGELSファンになった

横棒


随分と世間に遅れてのサッカーファン

私がサッカーに関心を持ち始めたのは、Jリーグの2年目の後半だったと記憶している。
 その頃にはJリーグ人気の異常な過熱気味も一段落といったところで、馬鹿みたいなチケット争奪戦、マスコミの過剰報道も収まった頃だったかと思う。
 昨年までは何かとあってはJリーグ、サッカーとわめいていたミーハーな学級の友人達も、一部のサッカーファン以外は特に話題に出なくなった。例のドーハーが去った頃だったか?

 私は無論その頃は神戸ORIXのばりばりの野球ファン(それもかなりマニアな)であり、Jリーグは多少見下したところがあった訳だが、ワールド杯という世界を見せられ、サッカーという競技に興味をそそられた。

オリックスに匂いが似ていたフリューゲルス

 さて、まだその頃TVでは相変わらずJリーグの試合が数多く放映されており、いくつかのチームに目を留めた。確かジェフと昇格したばかりのジュビロ、そして我がFLUGELSであったと思う。その3チームの特徴というと、これといったスター、軸がいなく、また人気もほどほど、実力も程々というその頃のORIX(もちろんイチローはいない)にかなり近かった存在にあったと思う。
 しかし、そのマイナーさと、軸がいないことによる良い意味での団結力に注目し、2,3試合を追っていった。

今でもインパクト大のGK森のバンダナ

何と言ってもその頃はGK森の全盛期であり、あのバンダナは目を惹き、かなり気に入っていた。初心者の私はやはりゴール前での競り合いに最初に興味を持ち、森のバンダナの模様、カラーを日々楽しみにしていたものだ。

加茂監督のゾーンプレス

 それから、いろいろとマスメディアで情報を入手した訳だが、何とFLUGELSには加茂監督の掲げるゾーンプレスという最高に格好いい、エキサイティングな戦術を採用していると知った。
 もう迷うことはなかった。AS横浜FLUGELS、このチームにどんどん惹かれていった。

キャプテン山口

 これは今となってはかなり恥べく事だが、山口を知ったのはその翌年であった。もちろんキャプテンなのだからファンになれば当然真っ先に知る存在であるはずだが、前園、エドゥーらの攻撃陣に最初はどうしても気になってしまうものだ。
 山口はかなり目立たない存在であった。その頃は4−4−2の中盤がダイアモンド型であり、山口はワンボランチ。この前の練習試合で全く同じポジションでプレーして実感したが、あのシステムであの位置だと下手に攻撃参加すればチームの崩壊に繋がる大変守備的なポジションである。センターバックのように敵と競り合うこともなければ、サイドバックの派手な攻撃参加も無い。ただひたすらチームの為にスペースを埋め、キャプテンとして、ゾーンプレスの司令塔として、守備という自分の立場を全うし、自分が目立たないことこそチームの勝利に繋がるという鉄則を忠実に守った。
 山口がファルカンに呼ばれ日の目を見てから、詳しく山口の事を知るようになった。

元前橋育英キャプテン

 そう、山口が高崎市出身の前橋育英という運命的なつながりをその時知った。群馬という保守大国に生まれ育った私にとって、同じ郷土出身がたまたまファンになったチームのキャプテンをやっているなんて・・・深く驚き、そして運命の偶然に喜んだものだ。
 山口の大ファンとなった私は山口のボランチというポジションを理解することで、急速にサッカーに関する理解を深めていった。サッカーはボランチだ、守備的MFこそ最高に渋く格好いい、比較的地味なものが好きな私に山口という存在はかなり強烈なインパクトを与えられ、最高のお手本となった。
 それと共に山口は加茂監督のもと代表に定着し、前園はオリンピック代表のキャプテンとなり、ついにはジーニョ、サンパイオのパルメイラストリオ加入というFLUGELSの黄金期を迎えた。

そして大ファンに

 過去を振り返ると分かるが私はかなりのFLUGELSファンなのだろう。今更ながら思う。
 どんなにマイナーだろうとも、ライバルのマリノスが人気が上がり、優勝しようとも、前園が去ろうとも加茂監督が居なくなろうとも、もう私は根っからのFLUGELSファンなのだ。
 FLUGELSの選手は全員をある程度は知っている。また原田、薩川等の昔からの選手はもう大ファンだ。決して山口一人を好きな訳ではない。たとえ山口が移籍しようとも、私は結局FLUGELSファンをやめはしなかったろう。
 決して平坦な道を歩んではいないFLUGELSの面々。天皇杯を優勝しながらもその年は下位に低迷し、優勝まであと一歩で弱小京都に破れるなど、取りこぼしの悪い癖が出る。
 それら決して輝かしいとはいえない道のりを共に歩んできた選手らの顔ぶれを見る度に、私の心は熱くなる。いや、熱くさせてくれる。


・・・以上が1998年10月29日、FLUGELS消滅のニュースを知った際に書いた回顧記。
今ではもう忘れかけている事もあるな〜

(05.01.19UP)

天使



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